「…あの」
「あ、はい。こんにちは」
私立椚ヶ丘中学校の広い運動場を突っ切って、とにかく山のほうへ目指して歩いていくと、黒髪をひとつ結びにした女子生徒が看板の前で立っていた。
「チワッス。…E組の場所って、ここッスか?」
「はい。この山道を登り切った先にありますよ」
「アザッス」
「こちらこそ、ありがとうございます。…影山君ですよね?」
「っス。…?」
自己紹介したことあったか? と疑問に思った矢先、女子があわてたように両手を顔の前で振ってこう言う。
「私、
「! そっスか」
「はい。黒崎さんに会えるように、今から上に連絡しておきますね」
「アザッス」
深々と一礼して、眼前の狭い山道を登る前に注文した後、『もう終盤で、希望通りにならない可能性がある』と言われても構わなかった。約束の時間より来るのが遅くなったのは、出かける直前になって姉さんに『私服がダサい』と言われて、急いで仙台駅に近い店で服を買っていたからだ。
「…あ、律? ヴァルキュリアに繋いでくれるかな」
《はい。わかりました》
11月の第2土曜日。15時過ぎ。
先週珍しく黒崎さんから電話があって、『3日間文化祭がある』という誘いに、東京に向かう新幹線と電車。バスに乗り継いで来ている。
東京までの行き方を尋ねるために、近くの窓口で駅員に聞いた後で切符を買ったら、事前に父さんからもらった5万円のうち、1万円とおこづかいの一部がさっそく無くなった。その時になって、お互い会う日を決めて、仙台まで足を運んでくれる黒崎さんのことが思い浮かんだ。応援も含めて、中学に入って直接会ったのが5回。往復10回分の新幹線代と、毎回違う家族分の東京土産の総額を指折り数えて言葉を失う。
《こちら『萌え箱』。たった今、ヴァルキュリアと繋がりました》
「『愛しの彼』が来てるよ。……え。ちょっと、そのコードネームで呼ぶのやめて。……ごめん。もう言わないから」
落ちこむ女子の声が遠くなるのを聞きながら、先が見えない細い道を歩き、木製の雑な階段を登っていく中、1列に並んだ人の行列の最後尾が見えてくる。
待ち時間の間に聞こえてくる話では、その人達はインターネットで有名な人の影響でここまで来ていて、ブログ? で山奥にあるE組校舎で開かれている、昨日から開催されているここの文化祭で、『E組の模擬店の料理がウマい』と書いていたかららしい。
俺がどうにか席に座れた頃には、あんなに多かった人が数えるほどしかいなくて、用意されていたメニューのほとんどが売り切れていた。帰りの新幹線代を差し引いて考えて、そのほうがいいとわかっていても『食ってみたかった』という後悔のほうが大きい。
そうあれこれ考えているうちに、丸盆を手にした黒崎さんがエプロンを着けた制服姿で、古びた木造校舎から軽快な足取りで出てきた。
「いらっしゃい、影山君。来てくれてありがとう」
「ウッス」
「お待たせいたしました。ご注文のアケビ料理と、山ぶどうのジュースでございます」
「アザッス」
模擬店の営業は終盤で、店員に扮したE組生徒と客が少しの時間だけ話せる余裕があり、黒崎さんは俺が腰を落ち着けている席の向かい側にちょこんと座った。
俺は、さりげなく距離を取る彼女の様子を観察して、ぶどうジュースが入ったコップを丸盆に置いた。
「…そんなに離れてどうした?」
「いや…。
「それだけ頑張った証拠だろ。俺は、全然気にならないからな」
「…そうか?」
「そうだ。…いただきます」
「どうぞ召し上がれ」
初めて食べるアケビは、シャクシャクした歯ごたえがあって、思ったより甘かった。
「! うまい…」
「それは良かった。あとで、調理班と調達班に言っておこう」
「アザッス。…黒崎さん」
「ん?」
「来月は、冬休みにするか?」
「…なにを?」
「受験勉強」
一拍の間があって、疲れて頭が回ってないんだろう。答えを出して話題を変えた。
「そっか。もうそんな時期か。……美羽さんは帰ってくる?」
「たぶん」
「じゃあ、冬休み前で…。ちょっと待って。……10日でどう?」
「おう。わかった」
紫色のジュースを飲み干す前に、黒崎さんがスカートのポケットからスマホを取り出して、カレンダーを見ながら冬休み前に会う約束を交わした。
「ごちそう様でした」
「完食してくれてありがとう」
彼女が微笑みながら食器を片付けかけた手を同級生の人が制し、そのまま座っているように視線で指示する。それに最初は抵抗していたものの、断れずにおとなしく従った。
「今月の目標は?」
「全教科70点。そうすれば、私立に受かる。あと追加するなら、面接の練習だな」
「…んぬん」
幼馴染いわく、私立の問題は教科書以外の範囲も出されるらしいが、正直言ってそこまで手が回らねぇ。だから、学校の出題傾向を知るために最近の過去問を繰り返し解くしかなく、必死に理解しようとしている。
勉強自体が苦手な自分に『できるか?』と問いかけても、いまいち自信が持てない。だけど、黒崎さんは優しく微笑んでこう言う。
「大丈夫。先月は全教科60点取れたんだ。着実にわかるようになってるから、全然心配しなくていい。この調子でいこう」
「ウッス」
口頭で解決案を説明するつもりだったらしいが、わざわざ東京まで出向いた日に、勉強の話で時間を潰してしまえば食欲がなくなり楽しくないだろうと気遣われるうちに、周りで本格的に片付けが始まって席から立ち上がった。
「黒崎さんは、頑張れって言わないんだな」
「ああ、言わない。君が頑張ってるのは知ってるもの。わざわざ言うほうがどうかしてる」
「そういうもんか?」
「そういうもんだ」
俺が知っている机とは違い、全てが木製の机上にイスを逆さまにして乗せ、左右の
「影山君。今日の君は客だから、やらなくていいぞ。気持ちだけ受け取るから。…ありがとう」
そこで、赤い髪に淡い黄色がかった目を持つ男子生徒が近づき、俺が数秒持っていたイスを乗せた机を軽々抱え、黒崎さんの隣に歩み寄って近づく。模擬店の売上や同級生の話をしながら肩先が触れそうな距離と、彼女と並んで歩くソイツの後ろ姿を見て、なんかモヤモヤした感覚と無性に腹が立つ自分がいた。
正面玄関口から一番遠い場所に座っていたため、そこに入ろうとした矢先に、金髪の女子生徒がスマホ片手に窓から身を乗り出して、赤羽とか言うヤツと一緒に写真を撮ると言ってくる。そこで、二人は机を外壁に沿って地面に置き、画面に収まるために必然的に距離を縮める必要があり、完全に肩先が触れた拍子に勢い余って赤羽のこつんと側頭部が当たって、お互い笑いあっていた。写真が1枚撮られ、眼前の光景に気に入らずにイライラする。
「影山君も紬と一緒にどうよ?」
「! アザス」
同級生の提案を聞いて嬉しそうに手招きする黒崎さんの笑顔を見て、一時期に怒りがなくなった。そして、彼女の背後に立って後ろから抱きしめ、至近距離で離れるつもりのない赤羽をにらみつける。
「…? 赤羽をにらみつけてどうしたんだ? 影山君」
「なんでもねぇ」
1日の終わりに、黒崎さん経由で赤羽と3人で映った写真が携帯に送られたが、どうやって赤羽を除いて保存するかわからなかった。