女王の秘密   作:白天竺牡丹

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第26話 暗号名

「紬。どうして――」

 

 生徒達の動揺をよそに、光沢のある黒い触手を(うなじ)から4本生やした黒崎さんは、片岡さんと不破さんの脇腹にそれを押しあてて電撃を発し、手際良く気絶させた後に俺に向かって言った。

 

「これより依頼を遂行する」

「ッ!?」

 

 少女から発せられた、青年のような低い声に聞き覚えがあった。たった一回だけだが、その真剣な声音を忘れるはずがない。

 

「ハボック…!?」

「嘘よ…」

 

 隣に立っているイリーナは、口元を両手で覆い隠して首を振り、仲の良い女子生徒を拒絶する。

 しかし、当人は動揺する同級生に関心を示さず、ショートコートの下――ズボンとインナーの間に挟む形で隠し持っていた銃に、素早く減音器(サプレッサー)を装着した自動小銃の銃口をイリーナへまっすぐ向け、なんの躊躇(ためら)いもなく引き金を引いて撃った。

 しかし、黒崎さんの表情は、炎の檻である光源を背にしている上に生徒達がいるせいではっきり見えない。暗闇の中で発火炎(マズル・フラッシュ)が起これば、それを頼りにできるが無駄な願望だった。

 

「ッ!」

 

 俺はイリーナの腕を引っ張って引き寄せるのが精一杯で、背広の下にある銃を引き抜く隙がない。もし、彼女の前でそんな真似をすれば、次は俺に照準を合わせるだろう。

 タコに背を向けているにも関わらず、触手による攻撃を止めることはなく、まるでそれが別の意思を持っているかのように動き、残像すら視認できないほど速い。皆が衝撃を受ける中、俺が声を張り上げて話を聞こうとしても、彼女は(かたく)なに無視して拒絶する。

 敵の言葉に耳を傾けず対話しないのは、それによって心が揺らがないようにするためだろう。

 もし、彼女の母親である黒脛巾(はばき)さんが、暗殺者としての技術や知識を『護身術』という名目で全て教えているのなら、良い教官と言える。しかし、それは同時に、娘の黒崎さんの心の負担を度外視していることの証拠だ。

 

「やめて。 殺せんせーを殺さないで!」

「倉橋さん、危ない!」

 

 減音器を着けているため、銃声はしない。

 あまりにも素早く倉橋さんへ容赦なく放った、無慈悲な射撃。照準は正確に眉間を狙っていたが、タコに間一髪で救われる。

 雑草の上へ落ちていく空薬莢(やっきょう)と、嗅ぎ慣れた硝煙(しょうえん)の臭い。

 それらの情報全てが、実銃だと思い知らされる。

 炎に対して逆光であっても、細長い特徴的な円筒形の減音器から、あれがグロック19で普通は市場に出回らない代物だとわかった。

 

「どうして撃ったんです!? 同級生でしょう!?」

「同級生でも、邪魔をするなら殺す」

 

 彼女は、すでに俺とイリーナ。人間の大人2人から背を向けて、ある程度力を抜いているように見えるが、全方位への警戒は怠っていないと、今の生徒達にはわかるだろう。

 抑揚のない声で言いながら、銃を元の位置に戻すことなく油断なく構え、銃口を下に向けているそれを奪おうとした寺坂君達を無造作に射殺しようとする。

 立て続けに3発。

 射線上に、体の細い学友がいてもお構い無しだ。

 炎の檻に入らずとも、戦闘能力と冷酷な判断は一流の殺し屋のそれで、ようやく普通の中学生離れした実力に納得する。

 そうこうしている間にも、左手に持ったE組へ支給した銃で、足の触手をBB弾で全て撃ち抜いてタコの機動力を失わせていった。茅野さんの触手が穿(うが)った心臓の致命的な再生をさせまいと、他の重要器官――口、鼻、耳など――を破壊して、確実に機能を奪っていく。もちろん、心臓への攻撃も忘れないが、それはタコがどうにか死守していた。

 

「黒崎…さ…」

 

 声帯までは壊されておらず、必死に(かす)れた声で語りかけるも、相変わらず無感動の瞳と無表情。『我関せず』の態度を貫き、無機質で無感動の瞳で弱体化していく教師を眺めていた。

 彼女の服に触れた触手が溶かされ、すすきが茂る地面にべちゃっと音を立てて落ち、ひゅっと風を切る音がまた聞こえてくる。

 

「なぜ…、そん…ものを…」

「お前を確実に殺すためだ。殺せんせー」

 

 どこで入手したのか知らないが、シロと同様の対超生物物質の繊維が編みこまれた服のせいで、茅野さんのように触手で捕まえて動きを封じられない。

 

「紬、やめなさい!」

「……」

 

 イリーナがコートのポケット内に隠せるほど小さな銃──レミントンのデリンジャー──を取り出し、発砲。無意味だとわかっているのに、それすら触手1本で易々と叩き落とされるほど無力化され、黒崎さんの命を救う手立てがない。

 彼女は修学旅行でも普久間島でも、いつも起こりうる最悪の結果を常に考え、冷静さを欠くことなく用心深く慎重に行動し、皆の精神的支柱となってきた。だから、今回も茅野さんを救う手段があると踏み、甘えていた。

 茅野さんを止めれば、全てが終わると思っていた。

 誰もが彼女の名を呼び、正気に戻るよう懇願しても、黒崎紬という人間は相変わらず誰の言葉にも耳を貸さない。

 眼前で(つい)えようとする標的に関心を示し、確実に全身を(むしば)んでいる細胞による激痛で痛がる素振りも、悲鳴をあげる様子も見せず、4本の触手を操る姿は暗号名が示す通り全てを破壊し、死に向かって歩く人形に見える。

 

 打つ手なしか。

 

 黒い触手が再度心臓に狙いを定めて穿ちかけた瞬間、俺の後方――5時の方向から一人の気配が近づいて苦しそうに何回か()きこみ、若い男子の声が全員の耳に聞こえた。

 

「やめろ、黒崎さん!!」

 

 もし、残された切り札があるとするなら、彼に賭けるしかない。

 おそらく、暗殺計画の部外者である男子をこの場に呼んだのは自分の部下で、本来なら契約違反だが、彼女の命を落とさずに済む方法があるなら、俺も外部に協力を募ってあらゆる手を尽くすだろう。

 5ヵ月前にイリーナがE組のグループラインで流した写真と動画でしか見ていないが、彼が黒崎さんの男友達の1人だとわかっていた。

 

「影山君。危ないから、黒崎さんに近づかないでくれ」

「黒崎さんを止められるのは、俺だけです。お願いします!」

「君は部外者だ」

「っ! じゃあ、なんで誰も止めないんですか!」

「止めようとした…! だが、誰の言葉にも耳を傾けようとしないんだ」

 

 こうして彼に事情説明する時間さえ、本当は惜しく感じる。

 

「もう手段がない。…頼む。影山君」

「お願い、紬を助けて。カゲヤマ…!」

「ウス! ありがとうございます」

 

 スポーツバッグを肩から提げ、詰襟にコートを羽織っている彼は、自分達人間の大人の懇願を聞き入れて一礼し、黒崎さんを説得するために重たい鞄を地面に置いてから動いた。黒崎さんのもとへ駆けていく少年の背を見送った。

 ここから先は、影山君に頼るしかない。

 いや、違う。

 部下が、茅野さんが触手持っていたという昨日の報告を聞き終えた後に、『明日1日、自分に時間を下さい』という進言がなければ。許可を与えなければ、成す術もなく1人の少女の命が潰えることになっていた。

 まるで、黒崎さんがこうなると予期していたかのような推察に、自分の背筋が寒くなる錯覚を振り払い、自分に対して顔を上げるよう命じる。しかし、彼──影山君の表情は燃え盛るすすき野原を背にした少女を見ても晴れることはないが、不安な眼差しではなく、怒りを向けていた。

 

「なに人殺そうとしてんだ、黒崎さんのボゲェ! 今すぐやめろ!」

「やかましい。仕事の邪魔をするな。お前も殺すぞ」

 

 淡々とした感情の読めない口調が、辺りに響いた。

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