女王の秘密   作:白天竺牡丹

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第33話 仲直りの仕方

「どうだった? 片岡さん」

「…あいさつは返してくれるけど、それ以外は…」

「そっか」

 

 対処法が判明した翌日の月曜日。

 茅野さんは静かに受け止めているけど、私の内心はそれどころではない。

 烏間先生に『異論はない』と全員が誓った矢先に、友達の紬に対して渚の息の根を止めようとしたことを批判してしまい、後悔している。渚も赤羽を本気で絞めにいったのだから、片方を責めるやり方は公平じゃないと頭ではわかっているのに、当初は感情が前に出て落ち着かなかった。

 今日まで20日ほど、紬が最低限のあいさつを交わして距離を置かれたおかげで、今は冷静になれたものの、逆に期間を置きすぎてどう会話を切り出せばいいか(わか)らなくなっている。

 

「どうしよう…」

「手当たり次第に話しかけてみればどうかな?」

「大丈夫。私も同罪だから」

「優月…。ありがとう」

「よし! いざ出陣!」

 

 優月が突然声を張り上げたことで、廊下側にいる紬の体がびくりと跳ねた。単純に驚いたみたいだけど、彼女から視線を交わすことはなく、赤羽と話に興じている。

 

「紬」

「なに…?」

「傷つけるようなこと言って、ごめんなさい…」

「紬なりのやり方で勝ちに行ったのに、文句つけてごめんなさい」

「どうして謝るんだ? メグと優月が言ってることは、どっちも事実だ。傷ついてなんかない」

 

 一番効果的と思われた謝罪作戦が失敗し、早くも万策尽きて、二人共息を呑んだ。それでも優月がめげずに昼休みに話しかける。

 

「紬が好きなものってなんだっけ?」

「オペラケーキ」

「手間がかかるものじゃん。他には?」

「さあ? 食えればそれでいいだろう」

 

 好物を()き出そうとするも、質問返しをされて地雷を踏んだと自覚し、当人は、冷ややかな表情で席を立って教室の外へ出て行ってしまった。暴力を前にした冷酷な振る舞いも、普段の優しい性格も紬を示すものなのに、彼女のアイデンティティーを否定するような真似を二度もやってしまうという失態により、前よりずっと仲直りが難しくなる。

 

「詰んだ。オワタ。万策尽きた」

「優月、それ以上言わないで…。心が余計に折れる」

「しょうがない。私が一肌脱ぎましょう」

『え?』

 

 帰りのホームルーム後に意気消沈している私達2人をよそに、茅野さんはすでに背を向けて紬の席に行っていた。

 

「ねえ、紬。今週の週末空いてる?」

「…空いてるけど。どうした?」

「お泊まり会しない? 4人で」

「4人?」

「私と紬と、片岡さんと不破さん」

「どこで?」

「紬の家」

「ん?」

 

 遠目でも紬の体が固まるのがわかり、ちらりとこちらを見た後、渋々了承してくれた。

 

 

「おはよう。紬」

「おはよう。上がって。山鹿(やまが)さん達には話通してあるから」

『お邪魔します』

 

 約束の土曜日。

 一泊二日の予定で紬から家に上がらせてもらい、私達3人は、椚ヶ丘駅にほど近い山鹿家にお邪魔したが、家主家族の姿はない。それを尋ねれば、銀山温泉に旅行に行っており、昨夜まで同行を粘ったらしいが、最終的には折れて、受験と私達の約束を反古(ほご)にできない気持ちを尊重された。

 玄関を上がってまっすぐ洗面所に案内され、再度自分達の荷物を持って、玄関脇の縁側を通って左側の(ふすま)を開けば、12(じょう)の和室があった。中央に座卓がひとつ。部屋の隅に3人分の真新しい布団が畳まれた状態で鎮座しており、座布団がいくつか置かれている以外は、さして変わらないものだった。

 

「好きに使ってくれ。あたしの部屋は隣にあるから、何か用があったら襖越しか、縁側の扉を叩けばいい」

「うん、わかった。ありがとう」

 

 私達のお礼を聞き入れた紬は、受験勉強をするために早々に部屋に引っこむ。

 彼女は、第一志望の新山女子には合格したものの、併願のため約1ヵ月後の公立高校の受験勉強に(いそ)しんでいるため、なるべく物音を立てないように荷物を置いて、座布団を部屋の中央にある座卓に集まって話し始めた。

 

「紬って、新山に合格したんだよね?」

「うん。でも、悩んでるみたい」

「なんで?」

 

 茅野さんいわく、体験入学の時点で身の危険を敏感に察知し、本能が警鐘を鳴らしていたらしいが、『強豪でバレーをやる』という意志に従って、葛藤を抱えながら受験した。

 

「初志貫徹なのはいいけど、たまには本能に従ってもいいんじゃない?」

「私もそう思うよ。でも、あきらめる方法を知らないんだと思う」

「いつだって全力で挑むもんね」

 

 よりによって受験前に、山鹿さんの同僚に新山女子の卒業生がいて情報を仕入れたらしく、椚ヶ丘同様、成績の公表や成績順のクラス分け。苛烈(かれつ)な教師の指導で精神的に追いこまれた話を聞いて、胃痛に(さいな)まれながらも合格。対して、烏野高校の体験入学は、教師の過干渉はなく実にのびのびとした校風だったらしい。

 

「烏野って、女子バレー部強かったっけ?」

「聞いたことないし、弱いんじゃない?」

「え。そこ妥協してどうすんの?」

 

 沈黙が支配して、私は天井を見上げる。

 

「精神的に疲弊しても強豪を取るか、のびのびできるけど弱小か…」

「最終的に決めるのは紬だけど、聞いてるだけで胃が痛い」

 

 その折り、部屋の扉を数回ノックされて開くと、ショルダーバッグを背負っている紬が立っていた。

 

「行きたい場所があるから、同行してくれるか?」

 

 そこは就職活動の大学生ならまだしも、中学生はまず寄りつかないであろう仕立屋(テーラー)で、紬はスーツについて店員にあれこれ相談している。

 どうやら話を聞いている限り特注にするらしく、どの色や柄が良いか分からないから、私達を連れてきたんだとようやく合点がいった。採寸を含めて1時間ほど話し合う中で当然値段が出てきたが、彼女は13万弱の大金を長財布から現金でぽんと支払い、店員とは対照的に私達が驚愕(きょうがく)する様子が理解できないようで、店員と背広の受け取りを1ヵ月後に決めて退店する。

 

「紬の金銭感覚どうなってんの!?」

「どうって…。普通、必要な物には金を惜しまないだろう。そんなに驚くことか?」

「いや、だって…」

 

 ようやく話ができて安堵しても、そのきっかけが服の悩みと金銭面とは自分でも嫌になってきた。しかし、紬はそれを気にしないで話題を変え、昼食のことを尋ねてくる。

 

「外食と自炊。どっちがいい?」

「んー…。自炊。私達が作るから、その間に紬は勉強しなよ」

「そうか…。…ありがとう」

「なにその反応。大丈夫よ。毒なんて入れないから」

「あ、いや…。そうじゃなくて…」

 

 紬の自宅の方向に向かうバスに乗るには、いくつか交差点を渡らなければならない。その信号待ちの間に彼女が言葉を濁して詰まらせ、言いにくそうに口を開閉させる。数秒辛抱強く待った後、信号が青に変わった。

 

「山鹿家以外で、誰かに家でご飯作ってもらうの初めてだから、…どういう反応示していいか分からないんだ」

『っ…!!』

 

 私達から視線を逸らし、何事もなく横断歩道を渡ろうとした友達の黒髪を背後から優しく撫でた。これだけで紬の反射的に全身が(こわ)張って警戒心していると判断して、途中で立ち止まらないよう茅野さんが彼女の手を引く。

 

「…メグ?」

「大丈夫。泊まりこみで紬を全力で支えるから、いっぱい食べて、たくさん眠って、栄養つけなさいよ」

「……ありがとう」

 

 久しぶりに気の抜けた紬の笑顔を見て、なぜか涙腺が緩くなり、横断歩道を渡り終えてから無言で親友を抱き締め、彼女は戸惑いはしたものの嫌がらなかった。

 

 

 18時頃に、ランニングウェア姿で自室から出てきた紬を見かけて声をかける。

 

「紬。どこ行くの?」

「走りこみに行ってくる。夕飯いらないから、3人で食ってくれ。あと、風呂も先に入っていい」

「そう…。行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 

 玄関の引き戸が閉まって施錠音を聞いた後、スマホから律の声が聞こえてくる。

 

《黒崎さんは怒ってませんよ。本当は嬉しいけど、どんな顔をして向き合えばわからない…といった感じです》

「そっか…。嫌われてないって思っていいんだよね?」

《はい。黒崎さんは、『普通』とかけ離れた家庭環境にいましたから、単純に戸惑っているだけです。この調子で、明日も接していきましょう》

「うん。ありがとう」

 

 居間のドアを開け放していたせいで、律との会話は夕食の準備をしていた優月と茅野さんにも筒抜けになっていて、心境を察して今は放っておいてくれた。

 紬がいない食卓を囲んで、私達は律に相談する。

 

「普段から走りこみやってるの?」

《はい。小学校に通ってからの日課らしく、毎日往復20キロほど走りますから、帰ってくるのは今から2時間後ですね。帰宅後にストレッチとトス練習。護身術の反復練習と筋トレ後に入浴。影山さんの受験を手伝うようになってからは、その後に受験勉強を日付が変わるまでやられて、布団にくるまって就寝。こんな調子です》

「ストイックだなぁ…」

「待って。ごはん作る時間なくない?」

《ああ。それは私が管理してますが、黒崎さんに夕食を食べる習慣はありません。現在も1日2食が限界です》

「そうなんだ…」

 

 3人だけの夕食を済ませてお言葉に甘えて、先に入浴をし、20時半過ぎに帰ってきた紬を皆で出迎える。

 彼女にとって予想外の私達の行動に、疑問符をつけて反応に戸惑う汗で濡れた彼女の黒髪を撫で回し、背中を押して入浴を促した。脱衣所の引き戸越しにパジャマを取るために自室に入っても良いか尋ねれば、驚きながらも二つ返事で了承が得られる。

 

「お、お邪魔しまーす…」

 

 律に照明の場所を教えてもらって()けた紬の部屋は、なんというか妙な違和感があった。

 入って左側にある立派なたんすが二つあり、向かい側には、丸められたマットやホイール付きのダンベルなどトレーニング用品と一緒に、使い古したバレーボールも畳の上に転がっている。文机の上には烏野の過去問とノートがあり、たんすと学習机間にノートパソコンが畳まれた毛布の上に置かれていた。

 そうして、ぐるりと見渡して違和感の正体にようやく気づく。

 

 寝具がない。

 

「律。紬の寝具がないんだけど…」

 

 スマホから聞こえた律の声は、今までと違って悲痛なものだった。

 

《…黒崎さんは、横になって眠ることができません》

 

 その理由はおおよそ推測できるけど、正確に知るために本人から直接聞き出すまで、受験勉強も含めて数時間を要することを見越し、茅野さんと不破さんに作戦内容を伝える。

 そして、日付が変わる頃に襖越しに話しかけてみた。

 

「…紬、まだ起きてる?」

「ああ。まだ寝てなかったのか?」

「うん…。入ってもいい?」

「どうぞ…?」

「はい、失礼しまーす!」

「っ!?」

 

 会話を終えて開くと、スウェット姿の紬が座椅子から立ち上がって軽く伸びをしていたが、優月を筆頭に布団持参で部屋に詰めかけた私達を見て、反射的に身を固くした。そんな彼女をよそに3枚の布団を、客間と同じ広さの畳の上に敷いた後に親友の顔を見ると、明らかに困惑している。

 

「…なんの真似?」

「お泊まりといえば、友達と一緒に寝るの。さあ、日付も変わったことだし、紬も寝ようか」

「っ…。いや、いい。あたしは廊下で寝る」

 

 山鹿家の方に信頼されて留守を預かっているにも関わらず、居心地が悪そうに自室から去ろうとする友達の手首を優月がしっかりとつかみ、逃亡を阻止する光景を見て、修学旅行のことを思い出した。

 

「大丈夫よ。襲ったりしないわ」

「……」

「それに、今の時期に廊下で寝たら風邪引くじゃない。受験前は特に用心しなきゃね」

 

 私がそう言うと、彼女は一歩近づいて距離を詰め、了承の意を行動で示してきた。それに気を良くした私が横になろうとしても、紬は手を繋いだまま隣で正座して、澄んだ碧眼で見下ろしている。

 

「メグ、優月。離してくれるか?」

「寝ないの?」

「寝る」

 

 言われた通り手を離すと、立ち上がってノートパソコンの下に敷いてある毛布を引っ張り出して、体操座りをしてそれで身をくるみ、頭を伏せた。『その格好で眠れば、首が痛くなるのでは?』と考えたのは、私だけではないらしい。

 

「…ねえ、紬。修学旅行でも、その姿勢で寝てたよね」

「それが?」

「なんで横にならないの?」

 

 あの時、紬自身が『癖』の一言で片付けて、同級生達の詮索を強制的に終わらせたから詳細な理由が聞けなかった。でも、過去をかいつまんで知った今ならちゃんと()き出せるだろう。

 そんな物思いと心配をよそに、やっと聞こえるようなか細い声量で紬が答えた。

 

「……横になるのが怖いから」

「…理由を聞いてもいい?」

 

 ゆっくりと無言で一度(うなず)かれ、私達がそれぞれ布団の上で正座して話を聞く姿勢を見せると、唇を一文字に結んでから再度口を開く。

 

「冷たい床に転がされて放置されたのが、一番古い記憶なのは知ってるよな」

『うん…』

「他に理由を挙げるなら、黒崎に殴打されて床に伏せれば、髪とか胸倉を乱暴に(つか)まれてひっぱたかれた。あとは、暗殺業と置き去りにされた中東で、目を開いたまま横たわる死体をたくさん見てきた。…だから、(とこ)につくことは死と直結してて、頭では『そんなわけない』ってわかってるのに、いつまでも血濡れた自分の手と(しかばね)が脳裏にちらついて、感情と体が拒絶するんだ」

 

 話の最中に、彼女の首から提げられたチェーンが音を立てて鳴り、ドッグタグが手中に収められた。

 それを見て、『夏祭りで赤羽が言っていたのはこの事だったのか』と腑に落ちると共に、強いストレスを受けている時に出る癖。しかも、当人が無意識にやっていることではないかと推測する。

 

「…律。紬の症状って…」

《片岡さんの推測通り、心的外傷後ストレス障害。略称は、PTSD。トラウマとも言いますね。…黒崎さん、メンタルケアを受けたことは?》

「ない。それどころか、あいつらに人間扱いされたことなんて、一度もない…! 人格も存在も否定されて生きてきて、誰彼構わず警戒して疑う性格になったんだぞ」

 

 今まで抑えてこんでいた感情を表に出して壁を勢いよく拳で殴っても、本音を吐き出して饒舌(じょうぜつ)になって嘆いても現状は全く変わらず、それでも慰めようとして、紬に向かって両腕を広げた。紬はそれを眺めて、怪訝(けげん)な顔をする。

 

「…えっと。は、原さんの包容力には劣るけど、子守歌歌いながら一緒に眠ろう」

「……子供じゃないんだけど」

 

 そう言っても碧眼は期待に揺れ、毛布の殼からのそりと抜け出して私の腕の中に収まって、そっと抱き締めると、怯えるように彼女の体が強張って跳ね、予想通りぎこちない動作で抱き締め返された。それから子守歌を歌いながら、拍子に合わせてゆっくりと背中を叩いていくと、徐々に全身の力が抜け、肩に頭を乗せられて安心感を求めるように頬擦りされる。

 横になって紬の後ろから優月が抱きつき、カエデは紬の手を握った。私はというと、腕枕をして空いた左手で黒髪を優しく撫でていく。

 

「…おやすみ、紬。良い夢を」

「ん……。おやすみ。メグ。優月。カエデ」

「おやすみ~」

「おやすみなさい」

 

 彼女が(まぶた)を閉じて穏やかな寝息を立てるまで、私達は寝つかせるために、『大丈夫だ』と繰り返し言い聞かせた。

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