女王の秘密   作:白天竺牡丹

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第34話 遅めの反抗期

「こんにちは」

「こんにちは、黒崎さん。久しぶりですね。最後はいつ来ました?」

「おととしの7月です」

 

 2月10日、金曜日。18時過ぎ

 静岡の研究所に『検査』をしに来たあたしは、当たり障りのない話を受付嬢としながら、バインダーに挟まれた書類を受け取る。

 

「……書けました」

「ありがとうございます。……はい。では、指定の会場に行って下さい」

「はい」

 

 書類に必要項目を記入して手渡し、それと引き換えに受付嬢から安全ピンがついた番号札を受け取って、エレベーターで指定の会場へ向かう。そういうことに表向きはなってる。

 『治験バイト』と(うた)った実態は、この受付嬢すら知らない。

 本当の会場は地下にあり、階段はついていない。

 そこは、誘拐した子供達を暗殺者に仕立て上げる場所になっている。1年半ほど『専門家』から人体の構造や急所を含む基礎訓練を施した後、それを実践できるか試すために研究員達が割り当てた紛争地帯の国に『試験』と称して送り、選別し、無事帰国できた者が優秀とされる。

 つまり、自分のように、《瑪瑙》の介入を受けて偽造旅券の有効期限内に生還するのは、非常に(まれ)だと帰国後に悟った。でも、いくら基礎訓練を受けた子供が、偽りであれひとたび親の庇護(ひご)下から離れれば、容易に悪人の餌食(えじき)になる。自分が死んだり、帰れなかった場合を考えたことはないが、失敗作として捨て置かれるだろう。

 そんな推測をしているうちに、エレベーターは自分が指定した階に降り、タイルが敷き詰められた廊下に一歩踏み出す。右手に消火器や掃除用具入れと隣接した手狭な発電所。正面には道場の役割がある区画。左手にある電子錠で閉ざされた扉の奥は、ずらりと同じような部屋が奥まで並んでいる。そこが、『治験バイトの会場』になっていた。

 廊下に面した場所には、小さく掲げられた番号の看板が割り振られており、それを頼りに今は通い慣れた部屋にたどり着いた。扉の脇には、先ほど通り抜けた物と同様の暗証番号式の電子錠一体型セキュリティシステムがあり、今月届いた暗号化された番号が添付されたメールを開いて、4桁の番号を入力後、扉の解錠音が聞こえて『どうぞ』と言う男の声と共に入室する。

 

「来たな。病衣に着替えろ」

 

 短く言った者は黒崎の後任の男で、最新機種のデスクトップパソコンから視線を外さずに告げる。

 地下7階にある19号室の室内には、時間を知る術がなく、愛用しているライフガード製のリュックを提げた丸腰の自分と、白衣の下──二つの弾倉付きグロック19を腰に提げ、どちらかの足首にナイフを隠した男しかいない。道具は、テレビドラマでよく見る診察台が1台と医療機器があり、薬品が入った小瓶が並べられた耐震仕様の棚がある。

 そんな見慣れた光景を横目に、教室の広さがある部屋の一角に設けられた脱衣所に直行してキーボードを叩く音を聞き流しつつ、荷物置き場にリュックを置き、私服とブラジャーをハンガーにかけて脱いだ後に病衣に着替え、無地で厚手のカーテンを勢いよく開ける。靴下と靴を脱ぎ捨て裸足になり、(ほこり)ひとつない綺麗な床がひどく冷たく感じた。

 

「横になれ」

「今回は、なんの薬だ?」

「お前が知る権利はない。N―1996819号」

 

 N―1996819号。

 長い呼び名は、『1996年生まれの者で、8月に拾ってきた19番目の被験者』という意味で、自分に与えられた検体番号だ。

 言われた通り、機械仕掛けの診察台に横になり、付属のナイロン製のベルトで両手足と腰。胸の下辺りを縛られる。抵抗はしなかった。

 

「妊娠してるか?」

「してない」

「生理は?」

「今月はまだだ」

「お前が好意を持った異性はいるか?」

「その質問は、検査に必要なのか?」

「ああ」

「友達なら複数いる。恋愛という意味の好意なら、全くない」

 

 交わす会話は必要最低限で、彼が注射器を取り出して透明の薬品を吸い出し、針を左腕に刺して注入した。普通の医療関係者なら説明のひとつでも入れるものだが、ここではそれがない。

 

「効果が出るのは、おおよそ30分後だ。おとなしく寝とけ」

 

 彼はそう告げて、細長い机の前にある高反発の椅子に腰を下ろす。男は気づいてないが、腕時計を盗み見た際に現時刻は一七〇一(ヒトナナマルヒト)時だった。

 薬の効果が現れるまでに拘束から抜け、あの男から銃を奇跡的に奪えたとしても、跳弾や返り討ちに遭って死ぬ可能性も含め、地上の階に辿(たど)り着くまでの脱出計画を脳内で反復し始める。

 しかし、そうしている間に強い眠気が襲ったことで、触手細胞の移植から一年半ほど定期検査を受けていなかった反動で、睡眠薬に耐性がなくなってきたと悟った。

 

 

「効果が出始めたな」

 

 投薬されて30分が経過したであろう、一七三〇(ヒトナナサンマル)時過ぎ。

 白衣の男に横たわる自分を上から(のぞ)きこまれたかと思うと、おもむろにベルトで縛られている右手に触れて(さす)り、肩口まで撫で上げられた。ぞくぞくする感覚が全身を駆け巡り、自分の意思とは関係なく体が弓なりに跳ね、喉から勝手に声が出かかって反射的に下唇を噛んで抑える。

 

「ッ…!」

「良い声だ。感度も良い」

 

 担当の研究員が眼鏡越しに(わら)っているのを見て、悪寒と共にこれから何をされるのかを察した。

 

「我々からの前祝いだ。受け取れ。色仕掛け要員としての活躍を期待しているぞ」

「離せっ…!」

「暴れるな。記憶消去の薬を注入されたいのか?」

 

 暴れてベルトが肌に食いこんで()れ、そこが赤くなり、診察台ががたがたと揺れ、脅迫の間にも男は撫でる手を止めずに身体中をまさぐる。

 投与された薬物の効果は強く、その先は生き地獄だった。

 30分が経過する頃には病衣のズボンを下げられ、前が(はだ)けて胸を露わにされた状態で、両手足のベルトが外された上にみっともなく股を濡らす自分がいる。及第点をやるとするなら、イリーナ先生の授業で見た甘い声をあげていないことだ。

 

「…もういい頃合いだろう」

 

 眼前の男は、自分のベルトのバックルに手をかけて外しにかかり、張っていた警戒が解けていた。

 

「…ねぇ」

「なんだ」

「これから一緒に楽しむのに、ワタクシに隠してるそれは無粋じゃないかしら?」

 

 それと言うのは拳銃のことで、あっさり右手で抜き、置くべき場所を探すのを観察して、覇気のないとろけた声でこう告げた。

 

「ワタクシに預けて」

「撃つ可能性は?」

「ないわ。あなたと楽しみたいの。…だめ?」

 

 優しくすれば、彼は口元を緩めてほくそ笑み、自分の左手に銃を握らせてくる。汗ばんだ額に接吻された時、それに応えるように微笑んで、ぎりぎり死角となるこめかみに照準し、発砲。

 

「っ…!」

 

 出血する男の襟首を掴んで引き離し、両肺と胸部の大動脈に銃弾を叩きこんで体重を利用して床に放り投げ、病衣の袖口で額の汗を拭ってから、上半身を拘束するベルトを外した。ようやく自由になり、片脚に引っかかった状態のショーツをつけ直す。着心地は最悪だが、ないよりましだ。

 胸に付着した男の唾液を自分の汗で濡れた病衣でごしごしと拭い、それを男の死体とは反対側の床に投げ捨てる。ショーツ1枚に自動拳銃一挺を携えて、物言わぬ男から予備弾倉とナイフを奪い、脱衣所のカーテンを開けて私服に着替え、靴下と靴を履き、ジーンズのポケットに入れていたワイヤレスイヤホンを耳の穴に入れた。

 

「…しのぶ」

《はいよ》

 

 頭上にある(だいだい)色の照明とは別に、自分のスマホの画面がリュックの外側で灯る。

 

「1時間で終わらせるぞ」

《了解》

 

 しのぶに、万が一に備えて録音してもらっているが、何も聞かれなかったから何も答えなかった。

 リュックを机の端に置いてからスリープ状態のデスクトップパソコンの前に立ち、頭部まで支える類の椅子に座る。靴底が血塗れになるのを避けて椅子の脚に爪先を乗せ、ガジェットケースの中からケーブルを選んで差しこんだ。

 

「すまない。ここから先は、君に任せることになる」

《電子機器の扱いなら任せろ。USBメモリの準備は?》

「できてる」

 

 ワイヤレスマウスに接続するための端子がすでに挿入されているため、ソケットは残り二つ。しかし、こちらは時間との勝負でバスパワータイプのUSBハブを持参していた。これで一気にUSBメモリを4個()せる上に時間も短縮できる。

 

《始めるぞ》

「了解」

 

 静岡の研究所──『東亜総研』の情報を盗み出すことが今回の目的で、その過程で研究員の一人や二人を亡き者にしても、自業自得だ。

 ソケットにデータ移行を完了したメモリを抜き、番号を書きこんだステッカーを貼っては新しいメモリを挿すことを繰り返して、200個を使いきるつもりで機密情報や報告書をあらかた移し終え、地上と地下でインターネット回線が分断されていることを知り、ついでに潜入している《瑪瑙》の人達の顔写真を見せてもらう。そして、男の武器を盗ったまま、何食わぬ顔で地上に繋がるエレベーターに乗って脱出。

 早朝に椚ヶ丘行きの新幹線へ乗り、朝食に駅弁を食べて、帰宅後に山鹿夫妻にメモリを入れたケースごと『東亜総研』本拠地の内部情報を渡し、自室に(こも)り声を押し殺して涙を流した。

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