3月24日、土曜日。
その日は、夕方なのに青空が見えた。
「…大丈夫か?」
「は、はひっ! 大丈夫です! お手数おかけして申し訳ありません!」
自宅近くのスーパーの外で危うく転倒しかけた末、ベリーショートの黒髪を持った女子に、背後から腹にかけて片腕を回された状態で支えられていた。
姿勢を立て直してから対面して、息を
「謝らなくていい。怪我は?」
「な、無いです」
「そうか。良かった」
改めて助けて相手を観察してみると、動きやすさ重視の服装と首から提げているドッグタグも相まって、格好良い部類の美少女だと
「あのっ、何かお礼がしたいんですけど、お時間はありますでしょうか!?」
「ん。大丈夫」
「ありがとうございますっ! あの、お礼と言いましても、なにぶん私今度高校生になる身分でございまして、手持ちが少ないと言いますか…」
「大丈夫。君、烏野の合格発表の時にいたよな」
「え…? はい…」
「烏野に行くなら、同じ5組になる黒
「
握手を交わした後、おそるおそるこう尋ねた。
「あの…、なんで同じ5組だって知ってるんですか?」
「『5073番』って小声で連呼してたの覚えてたから」
「ひぇ…」
これからは個人情報を漏らさないと決意して、姿勢のいい彼女の後ろに立つ前に、それを察知されて反転し、膝に手をついて視線を合わせてくる。自分とは差がある胸の大きさに目が行ってしまう前に、声をかけられた。
「なぁ。仁花って呼んでもいいか?」
「ひ、はいっ。あのっ、私はなんて呼べば…?」
「そうだな…。下の名前で呼んでくれ」
「つ…、紬ちゃん…?」
「どうした。仁花」
「呼んでみただけだよ」
「ん。知ってる」
へらりと気の抜けた笑みを前にして釣られて笑い、お礼は、帰路にあるコーヒーメーカーの自動販売機で売っていた伊右衛門のペットボトル緑茶1本になり、それを快く受け取ってくれた。おそらく貴重品が入っているであろうボディーバッグの他に、買い物袋を持ってる以外何もなく、身軽な印象を受ける。
「いただきます」
「あ。どうぞ」
紬ちゃんが喉の渇きを潤す間、私は彼女の行動を思い返していた。
転倒する前に反応できる反射神経から、何かしら瞬発力を求められる運動をやっているのだろう。そして、隙の無さと背後に回られることに拒絶反応を示していることから、暗殺者の線も捨てがたい。
もしや、私を殺しにきたのでは…?
「いっそ一思いに…!」
「なんかやらかした?」
「いえ! そういうわけでは…」
「そう」
短く返答しながらペットボトルの
私が詫びの緑茶を買って声を上げるまで、まだそんなに時間が経っておらず、赤茶色のビル前にあるゴミ捨て場で立ち止まっていた。
文字通り、ご足労をかけてしまっている私は──
「埋まってお詫びします」
「仁花に何があったか知らないけど、とりあえず落ち着こう。同い年なんだから、敬語も無し」
「ひぁい」
「……。これ使って」
涙目の私を気遣って、薄手のパーカーのポケットからハンカチを出され、優しさに甘えてそれを受け取った私は自己嫌悪に陥ったが、この場合、負の感情を表に出すのは
二人横並びになると、背の高い住宅が
「…落ち着いたか?」
「うん。ありがとう」
「良かった」
「入学式までに洗ってアイロンかけて返すね」
「…じゃあ、お言葉に甘えてそうしてもらおうかな」
五橋通りに出て、日産の店がある前の横断歩道の信号が青になって道を渡り、そのまままっすぐ歩いていく。
「紬ちゃんって、どこの中学だったの?」
「東京の中学。今日越して来たんだ」
「シティガール…!」
「それにしちゃ地味だし、仙台市に住んでるなら仁花もシティガールだろ」
「いや。東京と仙台なんて雲泥の差だよ!?」
「あー…。東京は…って一概には言えないけど、外見や肩書きが全てで中身空っぽの馬鹿が多い。虚勢張って無理して、自滅するまでがワンセット。おかげで人を見る目は鍛えられた。だから、仁花は信頼できる人だ」
「買い被り過ぎだよ」
「今はそう思ってていい。でも、本心だってことは信じてくれ」
自信満々に断言した紬ちゃんの言動は、確固たる信念に基づいていて、綺麗な碧い瞳がまっすぐ私に向けられている。だから、形の良い薄い唇の前に立てられた人差し指で暗示をかけられたように、消極的な言葉をぐっと飲みこんで、視線を
その反応に満足したのか、口元に笑みを浮かべて即座に話題を変えられる。
「仁花は、入学したらどこの部活に入るんだ?」
「あ…。どこも入らないよ」
「なんで?」
「やりたいこと見つからないから」
「…バレー部のマネージャー、やってみる?」
「え?」
今日聞いた中で一番弾んだ声音と期待に満ちた眼差しに、『迷惑にならないだろうか』とまた思考が後ろ向きになって言葉が詰まった。数分接しただけで私の考え方の癖を見極めた彼女は安心させるように笑って告げる。
「言ってみただけだ。やりたいこと、見つかるといいな」
「そうだね…」
そう返答してみたものの、自分に自信のない私とは大違いだとは、とても言えなかった。
好物や好きな動物など、プライベートに踏みこんでこない範囲で話題を色々振り続けられているうちに、いつの間にか五橋通りと北目町通りがぶつかる横断歩道を渡っていて、右に曲がってからしばらく歩くと、くの字型のタワーマンション前に到着した。
「えっと…、私の家ここだから。なんか送ってもらう形になっちゃったけど、ありがとう」
「どういたしまして」
たいして面白くない話に付き合ってくれた私に、紬ちゃんは最後まで笑顔で接してくれた。だから、もう少しだけ勇気を出してみる。
「紬ちゃん…!」
「そんな声張り上げなくても聞こえるよ。どうした?」
「ライン教えて!」
「いいぞ」
「ふぇっ!?」
即答に驚いている間に、アイフォンをカーゴパンツのポケットから取り出して、すでに起動に必要な操作を行っている。そんなこんなで、私は入学前に友達を得られて舞い上がっていた。
ラインに登録してからというもの、最初の出会いでの感謝の会話のみでなりを潜め、再会したのはちょうど一週間後の3月末日。場所は、先週と同じスーパーだった。
「久しぶり。仁花」
「おふっ。ひ、久しぶり。紬ちゃん」
「最近会えなかったね。どうしたの?」
「引っ越し後にする手続きと、上下階と隣人の挨拶回りで奔走してた」
「大変だったね。お疲れ様」
「うん」
紬ちゃんは顔に出さないけれど、買い物かごの中にハーゲンダッツの新しい味──チョコレートブラウニーを見つけて、新しい環境に疲れているのかと内心察した。
明日から4月になり、いよいよ私達は高校生になる。