女王の秘密   作:白天竺牡丹

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第1話 黒脛巾家の大黒柱

 4月最初の日曜日。

 俗に言うエイプリルフールの日に、あたしは自宅から徒歩15分の場所にあるファミリーレストランで、母の仲介のもと、本当の父親と待ち合わせて会っていた。ちなみに母は、父親の隣に座っている。

 

「父の(すばる)です」

「はじめまして。紬です」

 

 昼食時ということもあり、適度に騒がしいおかげで近場でなければ会話は聞こえない。まだ何も注文していないので、自分達の眼前に水が注がれたコップだけが鎮座している。

 父は、事前に母から10年分の報告を受けただろうが、実際に末娘と再会。対面して開口一番『はじめまして』と言われて衝撃を受け、言葉を失い閉口してしまった。

 

「……注文しましょうか」

「そうね。昴さんは何にする?」

「あ。えっと…」

 

 本当の両親にお品書きが書かれた本を片方渡して、視線を下に落とし、前菜はほうれん草のソテー。チョリソーとハンバーグの盛り合わせに白米をつけ、ティラミスとコーヒーゼリーが一緒になったものと、セットドリンクを加える。

 両親が選び終えた直後に呼び出しボタンを押し、店員にそれぞれ注文していったが、お互い10年の空白があるためすぐに会話が続くはずもない。長い沈黙に耐えかねて、父が口を開いて尋ねた。

 

「紬って呼んでもいい?」

「ご自由に」

 

 すると、ひとつ控えめな咳払いして話を切り出した。

 

「紬。母さんから聞いたんだけど、本当に父さんも入学式に出てもいいのか?」

「はい。でも、初対面なので、あなたが黒崎(アイツ)と違うと判断した時に許可します」

「どうやって?」

「あたしが下すので、あなたが気にする問題ではありません」

「そうか…」

 

 声音に不安と戸惑いがあり、『父さん』ではなく『あなた』と呼んで他人行儀な態度をとる娘に、眉尻を下げて落ち着かない様子だ。それに対して、引っ越し祝いに来た母から聞いた堂々たる話とは違って気弱な印象を受け、本当に黒脛巾家の大黒柱なのだろうかと疑ってしまう。

 その折り、母がおもむろに父を(ひじ)で小突き、『あれ』だの『ディスク』だのこそこそと話し合っていた。見ていて気分の良いものではない。

 

「言いたいことがあるなら、はっきり言って下さい」

「実は、山鹿さんから中学の試合をダビングしてもらったんだけどね」

「は?」

「バレーしてる姿がかっこいいなって、家族全員観てて思ったんだよ」

「…どうも」

「それで、試合あったら応援しに行ってもいいかな?」

「あなた達の好きにすればいいでしょう」

 

 まさか、自分の試合のダビングを頼んでいるとは思わず、つっけんどんな態度を取りながらも『家族が応援してくれる』という状況に憧れていたが、素直に喜色を表に出していいのかわからないまま冷静を装う。

 その折り、注文の品が次々に運ばれてきて、食欲をそそる香りに腹の虫が『ぐぅ~』と長めに鳴った。それに両親が微笑んで、照れ隠しに手を合わせて食前の挨拶を告げる。

 

「いただきます」

『いただきます』

 

 前菜を平らげた後は辛いチョリソーを食べ、白米を頬張る。温かいご飯はいつ食べてもおいしくて、視線を交わさず会話そっちのけで食べることに集中したが、両親がいる方向から、フォークと食器が触れ合う音も自分を(なじ)る声もしない。呼吸は落ち着いているから、たぶん(ほう)けているんだろう。

 主食を半分ほど平らげたところで頭を上げて視線を合わせると、なぜか二人に微笑まれて見守られていた。親の(たぐい)では初めての経験で、無意識に体を動かすのを()め、『何か悪いことをしたのだろうか』という思考になり、大人の次にどんな行動をするのか見定めるために固まってしまう。

 最初に口を開いたのは、嬉しそうな表情がだだ漏れの父で、母に至っては父の隣で涙ぐんでいるが、なぜ泣いているのか理解できない。

 

「いい食べっぷりだな」

「見てて気持ちいいし、テーブルマナーもしっかりしてるわよね」

「お褒めに預り光栄です」

 

 かわいげのない簡潔な返答をした後に食事を再開し、両親も料理に口をつけ始めた。

 そして、自分の分のデザートに移る前に、黒毛和牛のすき焼き丼を食べ終えた母が、なにやら期待に満ちた顔で話題を振る。

 

「護から聞いたんだけど、飛雄君とはどう?」

「どうって…。なんで影山君のこと知ってるんですか?」

「俺の親父が、孫自慢に会わせたからだよ。ちなみに、初孫同士の美羽ちゃんと護は顔見知りで、一与さんは高校の…。たしか、白鳥沢だったかな。そこの先輩になるらしい」

「親父?」

「うん。紬から見て、お祖父(じい)さんにあたる人だよ。いやァ、世間って狭いな」

 

 からからと笑う父を前に、フォークを手にしたまま、ただ驚き呆然として、自分が初対面だと思っていた時の反応に納得した。

 あの日──一与さんの家に初めて行った日──は、6月6日だったとしっかり覚えている。

 自分の生まれた日が8月19日だと信じて疑わなかった頃で、一与さんと美羽さんは、影山君同様衝撃を受けていた。再会した自分がそれまでの記憶を全てなくし、『はじめまして』と無感動の瞳と抑揚のない口調。そして、無表情で言う様は機械仕掛けの人形のようで、ひどく不気味に映っただろう。

 

「……」

「俺も、彼の息子と昔遊んだ仲でね。紬のことは、一与さん経由で知ってたよ。飛雄君に誘われてバレーを始めて、『リトル・スカイラークズ』に入ったこととか、1年後にはユニフォームもらってスタメンになったこととか。写真と映像も焼き増ししてくれたんだ。……『どうしてそこまで知りながら、姿を見せなかったのか。助けなかったのか』って言いたいんだろう。紬の命を守るためだよ」

 

 どこかで聞いたセリフを聞き流しながら、母に視線をちらりとやり、手元のティラミスを一口大にフォークで切り分けていく。

 

「…事情を聞いても?」

「もちろん。…6年前、黒崎家におじいさんが訪ねてこなかった?」

「……。来た」

 

 6年前。レバノンから帰ってきた月。

 当時住んでいた静岡の家で、黒崎に呼ばれて2階から1階に降り、杖をついたおじいさんと玄関口で対面した直後、黒崎に後頭部を乱暴に(つか)まれた。もちろん、女の端くれである自分の扱いに驚いた老人は抗議しようとしたが、自分が無抵抗で受け入れたことと彼の無言の圧力をかけたことで、苦々しい表情で口を(つぐ)む。

 

(ついて来い。早くしろ)

(…お邪魔します)

 

 脱衣室を抜けて、冷たい水が張られた浴槽に頭を掴まれたまま鎖骨が浸かる水位まで沈められ、ついでと言わんばかりに首を片手で絞められた。せめてもの抵抗として浴槽の(へり)に掴まったが、肺に貯めたなけなしの酸素がなくなる寸前までされ、苦しかったのを覚えている。

 

「あの時、アイツと年配の方が何を話されたかまでは分かりませんでした」

「そうだろうね」

 

 すると、壁側に設置されている紙ナプキンを1枚取るよう母に頼み、何か言葉を書きつけている。その内容を見もせずに関心をデザートに向け、上に乗っているティラミスを完食し、コーヒーゼリーを二口ほど食べたところで、達筆な文字で書かれた紙ナプキンが視界に滑りこんできた。

 

「これが、その時の状況だ。親父から直接聞いたし、まだボケちゃいないから正確だよ」

 

 あのおじいさんは自分の祖父で、名は(いさむ)

 《瑪瑙》東北支部の情報部に所属していた過去があり、定年退職後は老人という立場を使って情報収集をしつつ、孫娘である自分を探し出して、救出することもそのひとつだった。

 しかし、そこで黒崎という問題が発生して、例の風呂場の場面に遭遇する。

 

(爺さんの言う通り、これが孫娘なら、二度と接触してくるな。死体にして対面させてやる)

(っ…! …わかった。二度と接触しないと誓おう。だから、紬を助けてくれ)

 

 末尾には手を引いてしまった後悔が(つづ)られていて、感情のままに責めようとした自分を恥じ、紙ナプキンを丁寧に折り畳んでジーンズのポケットに入れた。

 

「……。事情は分かりました。各人のやり方で娘、または孫娘を救い出そうとして失敗。アイツの要求を呑んだのは、命を大切なものと見ていたから、距離ができてすれ違いが起きた」

「ああ。現当主として、紬と接触しないように伝えた」

 

 しかし、これが起きた時点で母とは連絡がつかず、長男である護さんはおそらく防大へ進路を決めていたのだろう。家族がそれぞれの方向を向いていては、まとまりがなくなり、事態は悪化する。

 

「接触したくてもできませんでしたよ。あの後、物理的に距離置かれてますし」

「そうだった」

 

 へらりと気の抜けた顔で、白髪が目立つ父が笑う。

 祖父が誓い、家族に通達してから先月で6年が経ち、誰もが疲弊していた。

 

「父さん」

「は、はいっ」

「入学式に参列して下さい。母さんと一緒に」

 

 一瞬、父は何を言われたのか理解できず、身動きしなかった。数秒の間を置いて、母と顔を見合わせて喜色満面になり、『よろしくお願いします』とお互い頭を下げてから、デザートを平らげるまで待つ。

 

「じゃあ、日時や詳細な情報は、本日一七〇〇(ヒトナナマルマル)に送ります」

「わかった。会場で会おう」

 

 差し出された手は黒崎より一回り大きく、指先はわずかに震え、害意はないと判断し、握り返して握手した。

 

「了解しました。楽しみにしてます」

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