「黒崎さん」
「はいっ!!」
E組に転入して1ヵ月が経った4月初旬。
生徒全員が銃口を一方向に向けて、教壇に立つ標的を狙い一斉射撃した。
やかましい銃声の中で跳弾対策にゴーグルをかけて、コルト社のライフル――M4を模したモデルガンの弾倉交換を素早く行い、普段
「――はい。遅刻なし、と。素晴らしい。先生、とても嬉しいです」
弾幕を全て回避した問題の標的を一言で表すなら、黄色いタコ。彼が身につけている服は、アカデミックドレスと三日月をあしらったネクタイのみで、椚ヶ丘中学3年E組の担任に就任した、見目も言動も全て変わった先生だ。
なぜ自分達が先生にこんなことをしているのかと言えば、彼が月を爆破した犯人で、『来年の3月には地球も爆破する』と、本人が防衛省の者達に銃口を突きつけられながら宣言したのが、全ての発端になる。成功報酬は百億円と言われたが、あたしは金に興味はない。ただ、『
そうこうしているうちに昼休みになり、彼は音速で中国に麻婆豆腐を食べに行った。『暗殺希望者は、携帯で呼んで下さい』と気さくな一言残して。
「ご飯食べようか。愛美」
「あ。は、はい!」
風呂敷に包んだ弁当箱をスポーツバッグから取り出して、前に座る三つ編みに丸眼鏡の女子に声をかけると、あせった声音で机上に弁当を置く。まるで小動物のような動きに内心癒されていることは、卒業するまで本人に内緒しておこう。
「わお。今日は肉豆腐か」
ひょっこり惣菜パン片手にやってきた莉桜が、ひなたを引き連れてくる。先月初日の昼休みに、自分が所持している弁当箱が曲げわっぱなのが珍しいと言われたせいだ。さすがにこれひとつを使い回せないので、他にふたつ違う種類を持っている。
「黒崎さん、凄いね。毎日違うメニューとか、全部1人で作ってるんでしょう?」
「ん。自分のことは自分でやってる。休日にまとめて作りおきしてるから、朝飯作るついでに詰めるだけで、全然苦じゃないぞ」
父が先月亡くなってからの環境の変化と言えば、父の介護がなくなり、世話になったご家族の元で卒業までお邪魔しているくらいだ。
「じゃあ、洗濯とか掃除も全部?」
「そうなるな」
「大変じゃない?」
「もう慣れた。…そうだ。デザートに抹茶マフィンいる人ー?」
すると、女子生徒全員が『いる!』と叫びながら
「…なんだ。君達もいるのか?」
「あ…。いや?」
「いります!」
元気な声と共に挙手したのは、学級委員長の磯貝だった。そこで、バレー部に所属していた頃から使っているスポーツバッグから、片手で持てる大きさの箱をいくつか取り出して、男子代表として机の横に配置している彼に差し出す。
「余分に作って良かった。食って腹の足しにしろ」
「え。箱ごと? こんなにいらないよ」
「磯貝が男子に配ってくれ。甘さは控えめにしてあるから」
「あ、なるほど。ありがとう。黒崎さん」
「どういたしまして」
『うめェ!』だの『美味しい!』だの、称賛の声が各所から上がる。
「口に合ったか?」
「っ…!」
「そうか。良かった」
自分以外の者の屈託の無い笑顔を見られて、自然と頬が緩んだ。皆はなぜか食べる口を止め、頬を赤らめる。その意図が解らない自分は、毎月15日に菓子を作ることを級友達に約束した。
動きがあったのは、同日の5時間目。
古典の授業中に、寺坂が渚に持たせた火薬をしこんで改造した
いまだ音信不通の母は、娘の自分が死んでも悲しまない人だ。自分は、家族より友達を大切にするが、影山君が自分の死にどんな反応をするのか、皆目見当もつかない。
脅迫された側なのに冷静な自分を見て、教室の外から先生を監視している烏間さんに、放課後教員室に呼ばれたが、『習い事があるから』と翌日に予定を繰り下げていただいた。彼も防衛省との都合があるだろうに、申し訳なく思う。
「…失礼します」
「ああ。時間を取らせてすまない」
「いえ…」
着席を勧められ、向かい側の誰も座っていない席に腰を下ろす。
「どうして脅迫されたのに、冷静でいられたんだ?」
「先月まで、それが日常茶飯事だったからです」
驚いた彼は眉間に
「……誰か聞いても?」
「父です。死んで1ヵ月は経ちますね」
「家庭内暴力か…。警察には相談したのか?」
「警察…。…その考えには至りませんでした。誰かが自分を救ってくれるなんて、そんなものは都合の良い夢物語だと悟って、自力でなんとかするのが身についてましたから」
深刻な事態を淡々と告げる自分に真剣に耳を傾けて、唇を一文字に結ぶ烏間さんは『良い人』の部類に入るのだろうと、とりあえずそう自己評価し、彼が言葉を発するまで黙して待つ。
「黒崎さんのお母さんは…、お父さんが暴力を振るっていたのを知ってるのか?」
「知っていたから、あたしに護身術を習わせたんです。最後に会ったのは5年前で、一昨年離婚しました」
「連絡先や住所は?」
「知りません」
「…わかった。何か悩みができたら、遠慮なく俺に話してくれ。できる限り協力しよう。俺達は、1人の殺し屋として。1人の生徒として、最良の環境を整えるのが仕事だからな」
家庭環境が見えた上で、そう提案されるのは初めての経験だった。本校舎の教師陣はここまで深入りせず、父の介護で忙しい自分に自ら相談に乗ろうとはしなかったし、こちらも自分のことをしゃべる必要性を感じなかったからだ。
「…ありがとうございます」
どうにか礼を言って、教員室から退室する。
上履きからスニーカーに履き替え、山道を降りて帰路につきながら、ぼんやりと思いに
今日カエデが命名した標的『殺せんせー』は、『月を爆破した犯人』と言った。しかし、人間でさえ呼吸に必要な宇宙服が必須なのに、真空状態の宇宙で生身の生物が生きられるはずがない。
彼は意図的に何かを隠し、それから目を逸らすために自分のせいにして注目を集めている。
「…雪村先生」
女性教師の姿が脳裏に浮かぶ。
本当に『一身上の理由』で退職したなら、事前に生徒に一言告げるのではないか? 3日間接した限りだと、いつも笑顔を浮かべる良い先生だった。急に姿をくらますとは考えにくい。
防衛省所属の烏間さんは『国家機密』だと言った。
こう言ってはなんだが、ぽっと出の生物が椚ヶ丘中学校の存在を特定し、教師として赴任するには多少無理がある。可能性があるとすれば、雪村先生だ。彼女の後釜に収まったと考えれば辻褄が合うが、これには浅野学園長が許可しなければならない。
国家機密というからには、学園長も口止めするにたりうる何かを受け取っているはずだ。
「…嫌だな」
自分を含めたE組は、でかい歯車に否応なしに乗せられ、意のままに動かされている。それが気にくわなくても、銃とナイフを手に取った以上、歯車が狂わない限り従わなければならないが、胸中にくすぶっている感情が『それを壊したい』としきりに告げていた。