「君達が私を殺すなど、夢のまた――」
木に
「何をぼーっとしてる。仕留めるぞ」
M1911。通称・コルトガバメントを模した自動小銃に装填されたBB弾を連発しながら、
「にゅやッ!? ちょっと待って下さい。黒崎さん! 対応早すぎィ!」
「待ちません。呆気に取られてる暇があったら、殺せんせーを殺す時間に使います」
彼女はタコが木の上で動き回っている時、銃を持っていても傍観に徹し、確実に
銃を構え、人間の急所の一つ――頭部――に照準を合わせ、発砲。
その流れるような一連の動きは、元
「こんにちは、烏間さん。お疲れ様です」
「ああ。こんにちは。黒崎さん」
茅野さんから先生になる旨を伝えられると、彼女はすぐに訂正し、『これからよろしくお願いします。烏間先生』と律儀に改めて挨拶され、こちらも返礼した。
「まァ。殺せんせーの存在自体が国家機密で、
「そういうことだ」
「でも、防衛省の方って教員免許取れましたっけ?」
「ああ。夜間学校に通いながらな」
「へぇー。初耳です」
何の気なしに尋ねられた質問でも自分のことを話してしまい、物理的な距離は取れていても、するりと懐に入りこむ話術に恐怖する。
翌日。初めて俺が受け持つ体育の授業の時も、ゴム製だがバヨネット・M9を模したナイフの扱い方と体の運びが、他の生徒と段違いに
通常なら実践してみせた前原君と磯貝君のように、人に刃を向けることへの
6時間目の準備もあって忙しいと思ったが、どうしても気になったので、遠ざかる背中を呼び止めて尋ねてみる。改めて対面すると、体がしっかり鍛えられているのがわかった。
「単刀直入ですまないが、黒崎さんはどこかで格闘術を習っていたのか? もし差し
「あ、はい。幼少期に母から護身術を習って、去年から中目黒にあるクラヴ・マガ教室に通ってます」
「今のレベルは?」
「中級です。本当は、ピアノとか女の子らしい習い事がやりたかったんですけど、物騒な世の中なので
「そうか」
「はい」
武器を所持している時とは違い、へらりと気の抜けた笑みを浮かべ、照れくさそうに頬をぽりぽりと
帰宅後に黒崎さんが言っていた中目黒のホームページを開くと、印象的な言葉が目に飛びこんできた。講師の名は、エヤル・ヤニロヴ。クラヴ・マガ創始者の直弟子という経歴を持つ方が教えるなら、当然習っている彼女も相当の実力があると推測した。
「イリーナ・イェラヴィッチと申します。皆さん、よろしく」
翌月の5月。
新たに英語教師が就任し、この教室に来るだけで凄腕の暗殺者の証明になる。
自己紹介後の休み時間に、不快な煙の出先である教員室に、1人の生徒がこちらへ向かってきた。木製の引き戸を数回軽く叩かれて、俺が短く『どうぞ』と返答すると、扉ががらりと開かれた。
「失礼します。こんにちは、イリーナ先生。黒崎紬と申します。以後お見知りおきを」
その生徒は、黒崎さんだった。
彼女を視認した仮の英語教師は、興味を向けるでもなく、気
「…こんにちは。私に何か用?」
「はい。この学校にいる間は、
火が灯る紙煙草を、再度口紅を塗った唇で
「は? なんで私が、アンタみたいなガキの言うこと聞かなきゃいけないのよ?」
「あなたがせんせーを殺すのは自由ですが、まずはご自分の体調を万全に管理すべきです。死因が暗殺失敗ではなく、煙草関連で早死にされたいのであれば、あたしは止めません」
自己紹介時とは全く違う険しい
「ハッ! 早死にですって? アマがプロに向かって意見するの? 生意気ね」
「生意気で結構です。長く教鞭を取りたいのであれば、それなりの姿勢を見せて下さい」
「長居するつもりはないわ。今日を、あのタコの命日にしてやるから」
そう吐き捨て、色仕掛けのプロが、自前のスリッパでドスドスと足音を立てて教員室を出ていった。ぴしゃりと閉められた教員室の扉を黒崎さんと数秒眺めた後に、窓辺に
「……黒崎さん。喫煙をやめさせたいのは解るが、プロをあまり
「申し訳ありません」
さして反省の色が見えない彼女は、さらっと陳謝して4時間目が始まる鐘が鳴ったため、俺に一礼してから教室に戻っていった。
その日のイリーナの行動には問題があった。
受験生である彼らはまともな授業は受けられず、生徒達の怒りが爆発寸前だと判断した途端、黒崎さんがいち早く挙手して、スラヴ系女性の視線を自分に向ける。
「…何よ、黒崎紬。また私を侮辱するつもりかしら?」
「侮辱されたくないなら、あたし達を侮辱しないで下さい。イリーナ・イェラヴィッチ先生」
発音の良さに言葉が詰まり、二の句を告げないでいる教師に対して堂々と意見し、さらに追い討ちをかける。
「休み時間に検索しました。イリーナという名前は、ロシア語で平和を意味するそうですね。今のあなたは、教室で要らぬ争いの引き金に指をかけている状態です。全員を敵に回し、それを引く勇気がおありですか?」
ぐっと金髪美女の唇が一文字に結ばれ、我慢できずに
「これくらいで争いって言うなんて、黒崎は平和ボケしてるのね」
「…ちゃんと忠告はしましたよ」
機械的な笑顔を張りつけて、親指を下に向ける――海外で悪いことを意味する――仕草を教壇の彼女に向けると、学級崩壊の勢いで一斉に集中砲火が始まった。自業自得だと思うが、昼休みを挟んで午後に行われた授業で生徒との距離が縮まったと、イリーナから直々に報告を受ける。
「でもね。1人だけ私を侮辱しなかった子がいたのよ。聞きたい?」
「好きにしろ」
「冷たいわね。まあ、いいわ。私に禁煙を勧めた、あの黒崎紬。周りは『ビッチ先生』って呼ぶのに、ちゃんと『イエラヴィッチ先生』って言ったの。それに感動して理由聞いたら、『侮辱されるのは誰でも嫌な気分になりますから』って! 感動したわ!」
「そうか。良かったな」
黒崎さんの家庭環境を知っているがゆえの発言だと理解していても、それを眼前の女性に話す義務はなく、ただ短く返答して、ノートパソコンのキーボードを叩くだけに留まった。