女王の秘密   作:白天竺牡丹

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第6話 弱点と沸点

「おはようございます。イェラヴィッチ先生」

「お、おはよう。黒崎」

「苗字より、紬って呼んで下さい」

「わかったわ。紬」

 

 5月の連休明けの朝。

 連休前に仲良くなったスラヴ系の美女相手に抱きつかれ、今日も黒崎さんのイケメン節が炸裂する。

 

「ねェ。紬も、他の生徒と一緒にタメ口でいいのよ?」

「それとこれとは話が別です。あたしは一人の暗殺者として。一教師として敬意を持って接します。だから、敬語は絶対に崩しません。では、ホームルーム前に暗殺をしてくるので、これで失礼します」

「あ。待って! きゃッ!?」

「おっと」

 

 玄関と廊下の段差に蹴(つまず)いた英語教師に気づいて反転し、素早く手を差し伸べて転倒を防いだ上、捻挫(ねんざ)を考慮して、ひょいと軽々彼女を抱え上げる。しかも、お姫様抱っこでだ。

 

「そんなに急がなくても、あたしはここにいますよ。イリーナ先生」

「ひ、ひゃい…」

 

 黒崎さんの屈託の無い笑みを前に、乙女のように顔を紅潮させるビッチ先生に見()れていると、僕と黒崎さんの視線がかち合う。

 

「おはよう、渚。ちょっと教員室に行ってくる」

「うん。わかった」

 

 そのまま彼女は、E組とは反対側にある教員室に足早で直行したけれど、僕達が暗殺の準備を終えた後に扉が開いていたらしく、彼女達の会話が聞こえてしまった。元女子バレー部に所属していたという黒崎さんの手で、直接テーピングされているのだろう。

 

「紬。私の事なんてほっといていいから、早くタコを殺してきなさい」

「行きません」

「なんで?」

「今は暗殺よりも、先生の手当てを優先します。殺せんせーを()る者である以前に、1人の女性ですから」

「そう言う紬も女の子でしょ。こういう扱いされた事あるんじゃない?」

「……ご想像にお任せします」

 

 明確な答えを避けた黒崎さんの言葉を聞いた僕は、杉野の声で我に返って彼の後を追いかけた。

 

 

 僕は、黒崎さんを『なんでもこなせる優秀な人』と見ていたけれど、今日の授業で『そんな事はなかった』と思い知らされる。

 

「ッふ…んゥっ」

 

 これは、ビッチ先生による公開ディープキスで彼女の口から()れる声だ。正解したのにあんな目に遭うとは、『御愁傷様です』と内心合掌するしかない。

 

「紬。アンタ、奥田と同じ受け身の素質持ってるわね」

「そんなのいらな――」

 

 一呼吸入れる間もなく第二波を食らい、あえなく撃沈する。

 

「…ッ。も、やァ…。やめてくれ、せんせェ」

「ダメよ」

「そ――」

 

 目尻に涙を浮かべ、呂律(ろれつ)が回らない舌で反論して抵抗を見せる姿に、ディープキスを始めとした女の子扱い全般に全く耐性が無い事が、クラス全員に露呈する形になった。

 そして、三度(みたび)やめるよう懇願したものの、あえなく接吻(せっぷん)を食らって完全に沈黙した黒崎さんは、壇上から降りた直後に薄紅色の薄い唇を手の甲でゴシゴシと(こす)り始め、この時を機に英語教師と会話をしなくなった。

 

 

 公開処刑をされた翌日。

 黒崎さんは人として最低限の礼儀である挨拶をするだけで、それ以外の会話を拒絶している。

 たとえば、ビッチ先生の授業で正解しても――

 

(正解。さすがは紬ね。じゃあ――)

(……)

(…すみませんでした)

 

 (にら)みひとつで気圧(けお)された金髪美女が謝罪し、反射的に半歩身を引くのを視認してから、教壇から無言で降りて着席する。近接格闘術を習っているという彼女が、今は手を出さずにいることが幸いだと思えるほどの怒気を(まと)っているため、うかつに茶化せない。

 それが1日中続くと、ついにビッチ先生が根負けし、(きし)む教員室の床に土下座して謝罪するも、黒崎さんは冷ややかな目で美女を見下ろしたまま、こう言った。

 

「何に対しての謝罪ですか?」

「えっと…。未遂も含めてディープキスしたこと?」

「そうですね。よく(わか)ってるじゃないですか」

 

 連休を挟んでいたせいもあって、久しぶりに黒崎さんの明るい声を聞いた。しかし、彼女のことだ。たとえ後ろ姿しか見えていなくても、その瞳は全く笑っていないと容易に想像できて、ぞくりと背筋が凍る錯覚がして身震いする。

 

「何度も『やめて』って言ったのに、出された問題に正解したのに、あなたは聞く耳を持たずに3度もされました。あたしはね。無理()いされるのも、女同士で接吻するのも嫌いなんですよ。今後もそうされるおつもりであれば、耳を切り落としましょうか。ねェ、いいでしょう? イリーナ・イエラヴィッチ先生」

 

 目に入った(はさみ)を手に取り、床に片膝をついてビッチ先生の(あご)に指をかけ、手首の返しですくい上げるように、強制的に自分のほうへ向かせた。本来であれば、少女漫画によくある一場面に見えるけど、物騒な言葉の羅列で相殺されている。

 

「い…いや…」

「じゃあ、なんで疑問形なんですか? 自分でも、なぜ謝っているか理解してないからでしょう?」

「…っ。あ…」

 

 美女が恐怖で目尻に涙を浮かべ、片耳の付け根にそっと刃が(あて)がわれ、触れるか触れないかのギリギリで保っている。さすがにこの行動には、緊張の面持ちで静観していた烏間先生も、業務用の椅子を壁にぶつけて倒す勢いで立ち上がった。

 

「黒崎さん!」

「ご、ごめんなさい…! もう無理やりディープキスしないから、許して…!」

「許して?」

「許して下さい!」

 

 数秒の間がさらに恐怖心を(あお)り、どちらに命の主導権があるかをわからせている。

 相手が屈服したのを確認してから、黒崎さんは耳元から刃を離して床に(はさみ)を置き、体を硬直させたままのビッチ先生を無言で抱き締めた。(はた)から見れば微笑ましい光景でも、脅迫されて恐怖を植えつけられた先生はそれだけで体が跳ね、息を詰まらせる。少女は、彼女の心境を知らずに弾んだ声音でこう言った。

 

「わかって下さってありがとうございます」

「……」

 

 結論から言えば、英語教師が黒崎さんを抱き締め返すことには成功した。しかし、その動きはひどく緩慢で指先がかすかに震えている。『そうしなければ()られる』と思っているのだろう。思考停止しているのか、今度はビッチ先生が無言になり、まるでこの数秒を生き延びるために行動しているように見えて痛ましい。

 

「じゃあ、これで仲(たが)いは終わりにしましょうね」

「え…。ええ。そうね…」

 

 美女に手を差し伸べ、連休前に目撃した冷酷とも受け取れる微笑より、いつも通りの晴れやかな笑みを向けつつ、そろって立ち上がる。それからスカートについた(ほこり)を軽く払って、ビッチ先生の机の横――扉側の床に置いていたスポーツバッグを背負い直し、再度人間の教師二人に向き合った。

 

「さようなら。イリーナ先生」

「さ、さようなら。紬」

「お騒がせしてごめんなさい、烏間先生。さようなら」

「…ああ。さようなら」

 

 黒崎さんが深々と一礼してから教員室を退室し、僕と杉野に視線を合わせるまで一歩も動けず、まさに釘付けに。いや。金縛りにかかったような錯覚に陥って一言も言葉を発せずに棒立ちしていた。当然、それに疑念を抱いた。

 

「…どうしたんだ、二人共? そんなところに突っ立って。先生達になんか用か?」

「い、いや…。ビッチ先生と仲直りできたかなーって、気になって…」

「そりゃ見ての通りさ」

 

 ご機嫌になった黒崎さんは、靴箱がある玄関へ行こうとしたが、何かを思い出したように足を止める。

 

「そうだ。あの騒動中でも言ったけど、あんまり『ビッチ』って呼ぶなよ。聞いてるこっちが不愉快だから」

 

 そう言い残して僕達にしっかり釘を刺し、軽やかな足取りで去っていった。

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