「…………鬼狩りか。女、オレの首を獲れると思うてか?」
「当然だ」
何処からともなく日々聞く声に鈴の音のように澄んだ声で即答する。
白の長衣に藤の行灯袴。女が立ち籠める霧の中に佇む。
絹糸のように煌めく長い銀髪。滑らかな白色の肌。
清らかな巫女装束の格好でありながら、突出した大きな胸元。括れた腰。襦袢の上からでも解る形いい丸みの尻。
美しい女だ。
男なら己れの情欲のまま押し倒し、しゃぶりつくたくなるほどの上玉。男を惑わす妖しげな色香を醸す。
深い濃密な死の匂いを放つ霧中から数人の男らが姿を現す。
「ウウウウ…………」
「…………アアァ……」
「グググッ…………」
光りは帯びず意思なき濁り眼の血濡れた亡者。
生前は"人"であった成れの果て。
鬼。
それらが白衣の女を取り囲み、いっせいに牙を剥き出し襲い掛かる。
"虚(うつほ)の呼吸 壱ノ型 影楼正鵠"(かげろうせいこく)
抜かれた刀身。黒い刃の陽炎が一閃する。
牙を剥き出した鬼たちの首が一様にズルリと横滑り落ち、たちたまに灰となり崩れていく。
「…………ほう。やるな、だがまだまだいるぞ?」
霧の中から数体の鬼となった人間が鋭い爪と牙を並べて次々飛び掛かって来た。
女は抜身の太刀を静かに正眼に構える。
"虚の呼吸 弐ノ型 影菱夢幻"(かげひしぎむげん)
女の構えた正眼の太刀に黒い影が纏わり、瞬時に周囲に水面に伝わるような波紋が広がる。
飛び掛かる姿勢のまま複数の鬼が頭から足先まで真っ二つに寸断され、散り散りとなった。
「素晴らしい。女の身なれどその強さ。この程度では肩慣らしにもならないか。まさか仕事前の途中、力を蓄えるつもりの腹ごなしに人を喰らっていたらお前のような強き武侠と出会うとは。いやはや世の中とは不思議と儘ならないな」
霧の奥から悠々と人影が姿を見せる。
上着を一枚羽織り、厚い筋肉に覆われた鍛え抜かれた肉体を持つ年若い二十歳ぐらいの青年。
紅梅色の短髪に中性的な顔立ち、細身ながらも筋肉質な体格の若者といった外見で、顔を含めた全身に藍色の線状の文様が入っており、足と手の指は同じ色で染まっていて、爪に至っては全て髪と同じ色である。
目はアーモンドのような釣り目で白目部分は水色でひび割れのような模様が浮かび、黄色い瞳の右目に「上弦」、左目に「参」の文字が刻まれている。服装は、上は素肌に直接袖のない羽織、下は砂色のズボンと両足首に数珠のようなものを着けているだけの軽装。
「名を聞こう、女。オレの名は猗窩座(あかざ)。お前のような強者と相見(あいまみ)え、闘うことこそオレの誉れ」
ゆらりと拳をかざし腰を落として素流の型に構える猗窩座。
「…………律儀な鬼も居たものだ。死にゆく者に名乗りなど意味無きことを。だが礼を重んじる、嫌いではない。名乗ろう。私の名は幽螺魏(ゆらぎ)。覚える必要はない」
「…………幽螺魏。いい名前だ。憶えておこう。お前という強き者がいたことを。これから先も、な」
ふたりの身体から闘気が溢れ、濃い霧が徐々に晴れる。
構えた姿勢で微動打にせず。
まるでそこだけ時の流れから隔絶されたかのよう。
数刻か、数瞬か、どれくらいかも不確かな間。
その時、動いた。
"術式展開 破壊殺 羅針"
猗窩座の足元に雪の結晶を模した円陣が現れる。
"血鬼術 破壊殺 空式"
猗窩座の肉体から凄まじい殺気が満ち、漲る。そして放たれた正拳突き。拳撃による強烈な圧力が打ち込まれることで衝撃波が発生した。
"虚の呼吸 壱ノ型 影楼正鵠"
迫る衝撃波に刀身に黒い陽炎を纏わせ薙ぎ払う幽螺魏。
ぶつかる衝撃。大気が摩擦し、びりびりと震撼する。
"血鬼術 破壊殺 乱式"
衝撃波が互いに打ち消し相殺された刹那、瞬時に間合い詰めて踏み込む猗窩座。構えた両の拳から無数の拳打を連射する。
"虚の呼吸 弐ノ型 影菱夢幻"
荒ぶる拳乱の猛攻、猛攻、猛攻。太刀に影の波紋を纏わせる幽螺魏。黒塗りの波紋が拳打の衝撃をことごとく空間に捉えて破壊し打ち消す。
「やるな。だがその技は一度見た。オレには通用しない」
両腕を一旦引き絞り構えて溜めを作る猗窩座。
"血鬼術 破壊殺 砕式 鬼芯八重芯" (きしんやえしん)
弓張られた弦のように引き絞られた両の拳から左右四発づつ、合計八発の鋭い強力な乱打を放つ。
黒い影の阻む波紋を穿ち、拳撃が貫いた。
"虚の呼吸 参ノ型 影喰貪狼"(かげはみどんろう)
太刀をスッと上段に構える幽螺魏。刀身全体に黒い大きな漣(さざなみ)が疾り渉る。
そして、斬り下ろす。
刃から放たれた黒い陽炎が巨大な狼の躰となり、迫る拳圧の破動を一気に呑み込み、その勢いのまま猗窩座を襲う。
「ぬううううううぅぅっ!!」
両手を開き巨大な黒狼の顎門を掴む。堰き止められ衝撃で大地は抉られ自身も後方に押しやられる。
「おおおおおおおおおおおおぉぉぉっっっ!!!」
猗窩座の肉体に幾つもの血管が浮き上がり脈打ち、陽炎の黒狼の巨体を縦横に力任せに引き裂いた。
「…………滅茶苦茶なやつだ。力だけで私の技を受けきったか」
幽螺魏は対峙する猗窩座の力に呆れた顔をしながらも太刀を振るい再び油断なく構える
「ふううううううぅぅ…………。流石に今のは堪(こた)えたぞ。このオレに本気を出させるとわな。そして理解した。お前、人間ではないな?」
全身の裂傷から血を吹き出し満身創痍の猗窩座。
「………………」
猗窩座の問いに答えることなく表情が変わらない幽螺魏。
「確信した。その力、間違いない。お前も"鬼"か。それもあの『お方』の血で鬼になったわけではないな? 何故、鬼が鬼を狩る? 幽螺魏、一体何者だ、お前は?」
「…………言ったはずだ。憶えておく必要はない、と」
目線を鋭く細める幽螺魏。太刀を握る華奢な指に力が入る。
「…………まあ、答えないとは思った。いいだろう。オレの前に立ちはだかるならば何処の誰でも────むっ?」
身体中傷だらけにも関わらず猗窩座が構えた、はずが、ズボンからおもむろに懐中時計を取り出して時刻を確認し始めた。
「────しまった。つい闘いに熱が入り込みすぎたか。このままでは列車に遅れてしまう。急がねば」
猗窩座は懐中時計を仕舞うと太刀を構えた姿勢の幽螺蛾に向き直る。
「すまないな。オレは大事な仕事の途中だったんだ。お前との闘いは愉しかった。次に互いに生きて逢えれば拳を交えよう。ではな」
血濡れた手を上げ、まるで何事もなく知人にでも挨拶するように爽やかな笑顔で猗窩座は素早く跳躍し、その場から消えた。
「…………妙な奴だ。だが鬼であることには変わりない。次は斬る」
太刀を鞘に納めた幽螺魏は特に感慨もなく、その場から立ち去った。
何処か遠く離れた場所で列車の汽笛が鳴ったような気がした。