前
初めて目にしたのは、まだほんの小さくて何も知らない頃。世界に何があるのかすら知る必要もなかったほんのの幼い頃だ。
街中の小さな電気屋に置かれていた大きな箱。よほどの何かがなければ素通りするであろう、その程度の光景。
『──────っ!!』
それは小さな少女の心を奪うには十分過ぎる程の映像と音。目の前にしか夢中になれなかった、かつての私の胸を掴んで離さないものだった。
心を揺らす歌声。太陽のような輝きを思わせる笑顔。不思議と目を離せない魅力を秘めた踊り。そのステージを構成するすべて。それはさながら、夜空に浮かぶ一番星のよう。
その光に目を焼かれ、細胞すべてが魅入らされた。そして憧れた。自分もこうなりたい、あの歓声の中で誰よりも鮮烈に輝きたいと願わずにはいられなかった。
実に愚か。身の丈に合わない光に目を焼かれ、現実を直視出来ない子供の絵空事だ。
そして……ああっ。それを後悔する私もまた、どうしようもないほどの愚者。身を程を弁えなかった哀れな馬鹿だ。
ちょっと考えれば分かるはず。ちょっとでも周りを見れば早々に理解できる簡単な話だ。
それでも、少しでもあの輝きに近しい存在になりたかった。誰もを虜にし、どんな仏頂面も笑顔にする魔法使いになれればと思った。
だから私はアイドルが嫌いだ。あの輝きを愚弄する有象無象共が大嫌いだ。──そして、同じように夢見た
「ねぇ
「……んあ?」
ぼんやりと携帯を弄っていた私の顔を覗き込みながら、美鈴はそう問いかけてきた。
「……悪い、何の話?」
「んもう夢唯ってばぁ。いくら私でもぉ? 流されると悲しいんだけどなぁ」
ぷりぷりと、私怒ってますと言いたげに頬を膨らませてくる美鈴。
……面倒くさい。そういうのは男でも作ってやればいいのに。こういう所がなければ比較的付き合いやすい奴なんだけどなぁ。
「あー、悪かったって。……それで?」
「これよこれ! 城ヶ崎美嘉イチオシのポーチ!」
見せてきた携帯の画面に写っていたのは、どっかで見たようなキャラクターのリボンをワンポイントにしたポーチ。シンプルで使いやすそう、それ故何処にでも売ってそうなそれに言うことがあるのなら“あの城ヶ崎美嘉もご愛用!! ”とでかでかと書いてあることくらいか。
「やっぱ美嘉ちゃん超イケてるくない? 容姿から小物まできらきらとかもう弱点ないって感じじゃん?」
「……ああそうだな。超イケてんな」
ポーチじゃなくて城ヶ崎美嘉の方が本題なのかと思いながら、とりあえず相槌を打ちながら、また一本ポテトを口に入れる。
城ヶ崎美嘉。このアイドル飽和時代において、間違いなく上位に食い込んで来るであろうアイドルの名前。都会を歩けば至る所に彼女の顔があり、テレビを付ければ写らないことが少ないくらいには有名であろう。実際、知名度だけで言えばあの国民的グループ──竜宮小町にも引けを取らないであろう美城プロの顔の一人だ。
そして、当然私も知っている。──
「夢唯はさぁ、誰か好きなアイドルとかいないのぉ? 美希ちゃんとか冬馬君とか!! 意外とりあむちゃんとか? ……意外と隣のクラスの西城さんとかぁ?」
「……特別好きなのはいないな」
「ええーまじぃ!?」
答えるつもりもなかったので、注文していたポテトを口に放り込みながら、適当にはぐらかす。
右を見ても左を見てもアイドルだらけのこの世の中でこんな回答をするやつはそうはいないだろう。だから、美鈴のような反応をされてもおかしくはないとは思う。
「ああー、美嘉ちゃんに会いたい!! そして願わくばサイン欲しい!!」
「金貯めてライブ行けよ。趣味のためのバイトだって前言ってたじゃねーか」
「中々取れないんだしぃ。ソロライブは倍率高すぎるし、
スライムかと思うくらいに机に項垂れる美鈴だが、残念ながら掛ける言葉は持ち合わせていない。
災難だとは思うがこいつはバイトも頑張ってるし、いつかは当たるだろう。……まあ、いつかは知らないが。
「あー、アイドルになれば簡単に会えたりしないかなぁ?」
「……やめとけやめとけ。お前にゃ向かないよ」
……取り敢えず、美鈴の移ろいやすいメンタルが本気になる前に嗜めておくことにする。
一般的に視点でも可愛いと言えるであろう美鈴だが、それでも芸能界で通用する程ではないと思う。他で補えればいいのだが、こいつの場合過程の段階で飽きてしまうだろうことは目に見えている。私より運動神経ないしな。
「やっぱり? どっちかって言えば夢唯の方がアイドルっぽいしねぇ?」
「……はっ?」
「夢唯はテレビにいても違和感ないくらい綺麗だしぃ。それになんかこう、存在感みたいなもんあるしねぇ」
いきなり振られたその言葉。それに対して溜息をつかないのを褒めるくらいには呆れることしかできなかった。
「……馬鹿言ってないで勉強しようぜ。赤点取るとまずいんだろ?」
「……そういえばそうだしぃ!! 補修になるわけにはいかないんだっつーのぉ!!」
ようやく今日の目的を思い出したのか、てきぱきと勉強道具を机に出しておく美鈴を見ながら私も教科書を取り出す。
……本当、たちの悪い冗談は言わないでほしい。
私が
そう考えながら勉強会は始まる。アイドルなんて言葉がないくらい、ありきたりで何ごともない学生の一日だった。
あれから1時間ほど学業に勤しんだ後、美鈴がバイトの時間になったことで解散になった。
このまま帰っても良かったくらいには予定も用事も無い。しかし、どうにも戻る気にもなれず街中をふらふらと歩き回っていた。
「……あっ」
少しだけ大きめの規模なショッピングモール。その中の小物屋にあったのは先程美鈴が話していたポーチ。
下に置かれていた“城ヶ崎美嘉推薦の一品!! ”とでかでかと書いてある手作り感満載のポップを見ながら、今日何度目かの溜息が口から漏れる。
……またか。またアイドル、いつもアイドル。どこもかしこもアイドルだ。
流行を取り入れることでの宣伝効果を否定する気はない。だが、せっかく作りもデザインも悪くはないのだから、アイドルおすすめってだけの安っぽい付加価値を付けなくても良いのではないのだろうか。
「……しないだろうな」
アイドルの安売。こんな凡人にあるまじき傲慢な思考を自嘲しながら、ポーチをあった場所に戻す。
分かっている。この現代において私の考え方はマイノリティで肯定されにくい、老害染みた思考そのもの。どこまでいっても無価値なくそ以下の汚物だ。
けど、間違っていると思いたくないのは悪いことなのだろうか。
……やめよう。これ以上は嫌になる。少なくとももう私にはどうでも良いことのはずだ。
ぶんぶんと頭を振り、少し早足気味にショッピングモールを出る。
アイドルに関わる者なんて見るからこうなるんだ。気乗りしなくてもとっとと帰ってゲームでもした方が良い。
そう思いながら足を進め、駅に到着してようやく歩を緩めた時だった。
「──そこの君。ちょっといいですか?」
どこからか、そんな声が聞こえた気がした。