「──レッスンの見学?」
「ああ。レッスンがどんな雰囲気かを知ってもらうためにな」
始まりはレッスン室の鍵を借りに来た際、プロデューサーから不意に発せられた一言だった。
何でも新人が増えたらしいのだが、明日からレッスンなのでどんな雰囲気で行っているかを知っておきたいと当人から提案があったらしい。
プロデューサーとしてもその積極的な無碍にしたくはなく、そこで今日レッスンの入っていた私に声を掛けてきて、もし大丈夫なら後ろで見学させたいという話だ。
「別に良いよ。特になんかするわけでもないし」
特に断る理由もないし、正直どうでも良かったので了承の返事を出す。
別に見られて困るものはないし、邪魔さえしなきゃ勝手に見ていけば良いと思う。今日は一人なので、他の誰かと騒がれて五月蠅くなるとか面倒臭くなることのないだろうし問題はないはずだ。
「──そうか。ありがとう」
「ああ。……そんだけか? なら先行ってるから適当に来いよ」
礼を言ってくるプロデューサーに適当に手を振り事務所からレッスン室に向かう。
……新人か。私は人にそこまで興味を持たないのだが、それでもちょっとは気になるというものだ。
というのもあの男──プロデューサーは独特で荒削りな原石を拾ってこれる才能があるらしく、縁と見る目に長けているなと個人的に感心するくらいには良い巡り合わせをしているのだ。
……まあ、ちょっと尖った扱いにくい奴とかも連れてくるのはちょっとどうかと思う。主に私や
まああいつらはともかく、自分の我が儘さに関しては今更だし諦めようと、レッスン室に着く頃には新人への興味とすっかり共にほっぽり出していた。
少しアップをし、一回持ち歌の復習を通し気持ちを切り替えたところでレッスン室の扉が開く。……時間か。
「こんにちは音無さん。今日も早いですね」
「──おはようございます。本日も宜しくお願いします」
軽く挨拶を交わし、先生が荷物を置いてすぐにレッスンが始まる。
耳には流れる曲と心地良い靴底の擦れる音が響き、いるはずもない
一度始まってしまえば思考はもうそれ一色。自身を高め見つめるだけ──いつもと変わることのない、私だけの時間だ。
「──今日はここまで。さすがの完成度でした。いつも驚かされますよ」
「──ありがとうございます。次もよろしくお願いします」
気がつけば空は茜色を過ぎて星の輝く時間へと移ろうとしていた。
先生はいつもと同じようにこちらを褒め、荷物をまとめて退出していく。どうやら先生的には合格点を超えていたらしい。
──実に甘い。あんなのを合格点にされちゃ、伸びるものも伸びやしない。
今日は細かいミスが四つ、改善できる点が七つほどあった。これに声も合わせるのだから、踊りくらいは体が勝手に動くくらいにはしないと話にならない。この後も残って修正しなくては──。
「お疲れ。良かったぞ」
再び練習に戻ろうとした時、声が後ろから掛けられる。
ちょっとだけびくっとしたが、すぐにその声の主に見当が付いたので胸を撫で下ろしそちらを向く。
そこにいたのは予想通りの見慣れた顔ともう一人。見慣れない一人の少女だった。
「さんきゅ。……その娘か?」
「ああ。……にちか」
「は、はいっ!!」
手渡されたタオルで軽く汗を拭いながら、緊張したような声色の少女にちゃんと目を向ける。
私の緑色とは少し違う緑青色の短髪を特徴した少女。どこか見たことのある気が雰囲気を持っているその少女から感じるのは不思議なことに懐かしさを漂わせているその少女。…………まさか、こいつが?
「な、七草にちかです!! よろしくお願いします!!」
「……音無夢唯です。よろしく七草さん」
たどたどしく話すその少女──七草にちかに初めて抱いたのはそれだけ。
これから光るのだという予感も見てもらうための尖り具合。悪いが、いずれ夜空に浮かぶであろうこいつの輝きがこれっぱちも見えてこない──教室で楽しそうに笑っていそうな普通の少女だった。
──プロデューサーは、一体この少女に何を見いだしたのか。
如月千早や高垣楓、渋谷凜のように耳に入るだけで虜になる歌声を持っていたりするか。あるいは芹沢あさひや十時愛梨、菊池真の魅せる輝いたパフォーマンスを持っているのか。あるいは天海春香や島村卯月、認めるのは尺だが夢見……そして日高舞のような──。
「……えっとー」
「ああ悪い。元気だなって」
……いやよそう。私がどれだけ考察したところで今は意味は無いこと。
いきなり伸びる才を秘めているのかものしれないし、舞台の上では豹変するタイプなのかもしれない。いずれにしても事務所が──プロデューサーが掘り当てた人材なら、きっと私の予想なんか飛び越えてくれるのだろう……きっと。
正直今はそこまで他人を見ている暇はない。とっとと戻って練習の続きをしないと──。
そう思って話を切り上げようとした瞬間、聞き覚えのある音──我らが283プロの全体曲であるシャイノグラフィのサビがレッスン室にが鳴り出す。
「ちょっとごめん。──虹原です。あ、いつもお世話になっております」
懐から携帯を取出し通話を始めるプロデューサー。当然、残されるのは大して知りもしない少女と私の二人である。……どうしようこれ。
「まさか最初に会うアイドルが夢唯さんだなんて!! いやー本当、夢みたいだなー」
「……大げさじゃない?」
「そんなことないですよっ!! ニューヒロイン音無夢唯といえばすっごい人気で、シングルの売り上げもすっごく伸びてるんですから!!」
一度話し始めると火が付いたのか、それはもう勝手に盛り上がる七草。
あっちが勝手に話を繋いでくれるのは楽で良いが、さすがに真正面で賞賛されるとちょっとだけむず痒くなってくるので少しだけ控えてほしい。
「特にあの『W.I.N.G』決勝なんて、ちょっとでもアイドルに興味あったらうおーってなっちゃいますよ!! 結果は惜しくも二位でしたけど、それでも引けを取らないパフォーマンスでしたもんっ!!」
「……そうかい。それは嬉しいね」
七草はそう褒めてくるが、あの時の悔しさ忘れがたいものだ。
私が出た決勝は、『W.I.N.G』の歴史を見ても中々例を見ないものだったと思う。
というのも、あの時決勝に参加していたユニットの内半分が283プロ。ストレイライト、イルミネーションスターズ、──そして私。業界でも力の強い346や765が今回通ってこない、尚且つ私たちが突出していたと確信できるもので、それはもう身内感の漂う大会であった。
そして何よりも異例だったのは私。ユニットで参加するのが基本の『W.I.N.G』において、ソロで勝ち上がってきた私は間違いなく注目を浴びていたと思う。
──まあ結果は二位だったけどですけどね、遺憾ながら。
自分でも満足できてしまったくらいにはミスもなかったあのステージ、それでも勝利の女神は私に微笑まなかった。
アイドルというのはつくづく思い通りにいかないものだと改めて痛感させられた、私にとっての転機の舞台だった。
……まあ、色々あったが悔しいことくらいしか思い出ないし振り返るのはもうよしとこうかな、うん。
「夢唯っ! ちょっと悪いんだけど、にちかといてくれないかな?」
「……おっけー。ゆっくりやってきなー」
楽しそうに話す七草に相槌を打っていると、プロデューサーは少し焦ったようにこちらに手を合わせてくる。どうやら何か問題が起きたらしい。
……しゃーない、帰ってからの練習に復習も加えるかー。
バタバタと部屋を出ていくプロデューサー。これで私と七草の二人きりになってしまった。
……どうしようか。適当に雑談してこの時間も休憩時間にしてしまおうかな。
「──そうだ! もし良ければ夢唯さんにお願いがあるんですけど!!」
「ん? どうしたの?」
そう思っていた時、こちらの顔を伺うように提案してくる七草。
なんだろう? ひょっとしてサインとかかな。今はペンを持ってないからちょっと遠慮したいけど──。
「一曲、見てもらえませんか──!」
その提案は、何処となく面倒くさい──ため息を吐きそうになるくらいには、そんな予感が襲って来た。