他の隊員たちが依頼に行き、一人寝る中、お見舞いに彼女が訪れる。
体調が悪い中、レオナは悪夢を見る。
その悪夢は、彼女が不安に思っていたことだったのか。
それとも……。
岩のように自分の体が重い。体が暑い。明らかに病気の症状。
だがそれより、彼女は今、目の前で起こっていることが信じられなかった。
お腹のあたりに感じる重み、腕を押さえつけている彼女のキレイな足。
その先に見えるのは、ふちに青いラインが描かれた白色のスカート。
彼女の知っている人物の中で、そのような服装を身に着けているのは1人だけ。
だが、おおよそ目の前の人物がとっている行動は、頭の中の記憶と相反している。
目の前の人物の両手は、自分の首にかけられている。
何より、いつも優し気で、温かみのある彼女の瞳が、虚構を見つめるようにうつろで、体温を感じさせないほどに冷たくなっている。
首にかけられた手に力が籠められ始めた。
次第に呼吸が苦しくなる。
外そうとしたくても、両手は彼女の足に押さえつけられている。
次第に意識が遠のき、闇の中に沈んでいった。
「けほ、こほ……」
いつもは縛っている赤髪をほどき、自室の一角で布団をきてせき込んでいる女性、コトブキ飛行隊隊長のレオナは、うつろな瞳で天井を見つめる。
「はあ……」
体をまわして窓の外を見れば、見慣れた隼が5機飛んでいくのが目に入る。
自分を除いたコトブキ飛行隊が、依頼に出発したのだろう。
「隊長なのに、私がこのザマでは……」
依頼のたびに疲労が蓄積していたのか、彼女は熱を出し寝込んでしまった。
少しでも気分がよくなるようにと、副隊長のザラが普段は2人が酒を一緒に飲むのに使っている奥のスペースに、布団を運んでくれた。
そして、ちゃんと寝ているようにと念を押され、依頼は副隊長の彼女に任せてレオナは羽衣丸で待機を命じられることになった。
こんな体調で隼に乗ったところで、足手まといにしかならないし、無理をして撃墜されては目も当てられない。
そんなときであるが、レオナの頭の中は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「……面目ない」
でも今の自分にできることは。とにかく体を休めて体調を回復させることしかない。
「そういえば……」
医者にいってないことを、彼女は今更ながらに思い出した。
「……診てもらいにいくか」
そういって体を起こそうとするが、思ったように体が動かない。
いつもトレーニングにつかっているダンベルのごとく、体が重くていうことを聞かない。
「……いいか、別に」
彼女は体を動かすのも億劫になり、身体を横にして目を閉じた。
妙に静かな空間に、彼女は居心地の悪さを感じる。
いつもはキリエたちの起こす喧騒がうるさいと感じるものの、今はあの喧噪が恋しい。
病気のときというのは、妙に不安を抱きやすくなるし、悪夢を見るものだ。
不安が通常の何倍にも増幅され、悪夢を見せる。
ふと、額に冷たいものがおかれた。
火照った体に、冷たさが心地いい。
「えっと、薬は……。何もないのかな」
誰かの声が、意識の外から聞こえてくる。
「とりあえず、水分と栄養はしっかりとらないと。あと、目を覚ましたら医者に」
聞き間違いではないようなので、レオナはまぶたを押し上げる。
すると視界の中にうつったのは、細いながらも肉付きがいい健康的な足や太もも、その太ももにかかっている青色のラインが淵のほうに描かれた白色のスカート。
そのスカートからのびる足の根本付近に見えるのは、白色の……。
レオナは目を見開いた。
「……ハルカ?」
そこにいたのは、コトブキ飛行隊の雇い主、マダム・ルゥルゥを含め3人が共有している用心棒、ハルカの姿があった。
ハリマに向かう道中の護衛を終え、先日ガドールへ帰ったはずだが。
「あ、レオナさん起きたんですね」
床に膝立ちでなにかをしていた彼女が振り向く。
その手には、なぜか包丁が握られていた。
「ひぃ!」
レオナは思わず悲鳴を上げた。
「……どうかしたんですか?」
「き、君、何を……」
「ああ、ユーリア議員からマダムへ手紙を持って来たんですけど、そしたらマダムからレオナさんのお見舞いにいってあげてって」
「そうか……。そうじゃない!だから、その、その……」
レオナは震える手でハルカの持つ包丁を指さす。
まさか、密かに恨みを買っていて、病気で弱っているのを知って、とどめを刺しに来たのだろうか。
「ああ、これですか。お見舞いの品にリンゴもってきたんですけど、そのままじゃ食べづらいかと思って」
いうと、きれいに皮がむかれ、ほぼ同じ大きさに切り分けられたリンゴが乗っているお皿を彼女は差し出してきた。
「どうぞ」
リンゴには、一個ずつつまようじがさされている。
「……ありがとう」
レオナはリンゴをほおばった。
シャリシャリとした触感が心地いい。甘酸っぱいリンゴの蜜が、重い体に染み渡った。
「レオナさん、医者には診てもらったんですか?」
「いや、まだだ……。動きたくなくて」
「それじゃあ、付き添いますから行きましょう」
「いや、そこまでしてもらうわけには……」
レオナは、隊長や年上としての威厳を気にしている。
「私に、周りに少しは甘えるようにって、言ったのはレオナさんですよね?」
「……ああ」
それは、依頼の際に周りを頼ろうとしないハルカにあてて言ったものだ。
「それじゃあ、その逆もないと不公平ですよね?」
「それはそうだが……。でも、私にも年上の威厳というものが……」
「酔った時、人の太ももを枕にして涎たらしながら寝る姿をさらしておいて、今更威厳ですか?」
「ぐっ!」
レオナは胸を抑えた。
「それに、体調がすぐれないときはお互い様です。気にしないでください」
「……わかった」
レオナは切ってもらったリンゴを食べ終えると、ハルカに肩を借り、病院へと向かった。
肩を借りて、レオナはハルカとゆっくりラハマの病院へ歩いていく。
「レオナさんは、病院にいくのが嫌いじゃないんですね?」
「そういうわけじゃないが、早く治さないと、隊員の皆に悪い」
「なるほど、キリエさんにも見習ってほしいですね。彼女の病院嫌いには困ったものです」
「ああ、マダムから健康診断をうけるようにという話を、よくバックレていたからな」
「彼女を病院まで引きず……、連れていくのには苦労しましたよ。……全力で抵抗するから」
以前、健康診断をバックレてばかりいるキリエに、ついにマダムは業を煮やして、ハルカを同伴させていかせることにした。
だが、それにあたってキリエは全力で抵抗。
引きずられるのを邪魔しようと地面に足を突っ張り、担いでいこうとすれば街中でスカートをめくられ人前で下着をさらす羽目になったり、お尻を叩かれるわ、噛みつかれるわ散々だった。
結局、ハルカはキリエを縄で縛って病院まで引きずっていくことで、ようやく健康診断をうけさせることができた。
今度は、動物用のケージにでも入れようかと彼女は画策している。
病院に到着後、症状を簡単に説明し、待合室でしばし待たされたのち、ようやく診察をうけることになった。
「風邪ですね。熱が少し高いですが」
結核などの重篤なものでないことに、とりあえず胸をなでおろす。
そして受付で薬を受け取り、彼女たちは羽衣丸の自室へと帰ってきた。
「うう……」
粉薬と水の入ったコップを目の前にして、レオナは難しい顔をしている。
「どうかしたんですか?」
「……苦いものは、どうも苦手で」
「飲まないと治りませんよ?」
「わかっているが……」
ふと、レオナは目を見開いた。
ハルカが口元を抑えながら、クスクス笑っていた。
「どうかしたんですか?鳩が豆鉄砲を食らったようですよ?」
「いや、君がそんな顔で笑うのが意外で」
「私も人間ですよ?笑いくらいします」
一緒に仕事をし始めた当時、碌に笑うことさえしなかったのが嘘のようだ。
彼女がこの環境に段々なじんできていると思うと、レオナは少しうれしく思う。
「私が苦いものが苦手というのが意外だったか?」
「いえ、違うんです。昔、弟や妹、お兄ちゃんやお姉ちゃんも、苦いものを前に同じ顔していたなって思いまして」
「そんなに似た顔していたか?」
「ええ、とっても」
彼女は笑顔でそういうが、レオナの心情は複雑だった。
ハルカが笑みを浮かべるほど距離を近づけてくれているのは嬉しいが、苦いものを前にしたときの反応が、彼女の幼かった弟や妹と同じ。
つまり同じレベルということだ。
元々妹であり、姉であった彼女だ。
弟や妹のこと、家族のことをよく見ていたのだろう。
レオナはハルカより年上なのに、子ども扱いされているようで心中複雑だ。
「そんなに苦い薬がいやですか?」
「……苦手じゃない人はいないだろう」
「そうですか、いやですか……」
すると、ハルカは背後に置いてある袋から何かを取り出した。
「なんだ、それは?」
「ネギですよ」
彼女が手にしているのは、白い茎に緑色の葉の、どこにでもあるネギだった。
もしや、ネギが風邪薬の代わりになるのだろうか。
レオナは、一筋の希望の光が差したような気がした。
「……まあ、苦い薬よりはネギのほうがマシか」
苦くないわけではないが、それでも薬の苦さに比べればずっとマシだろうとレオナは察する。
「食べるわけじゃありませんよ?」
レオナは顔を上げ、首を傾げた。
ネギに、食べる以外の使い道があるのか、と。
「じゃあ、何に使うんだ」
すると、ハルカは無邪気そうな笑顔を浮かべながら、さも当然というような流れでレオナの予想外の言葉を言い放った。
「焼いたネギをお尻にさすと、解熱作用が期待できるそうですよ」
彼女の口から発せられた言葉を理解するのに、レオナはしばらくかかった。
ネギをさす?
どこに?
お尻に?
頭の中では、これは冗談だ、そうに決まっている、そうに違いない、冗談でなくてなんだ、冗談以外であってたまるか、と必死に結論をだそうとしている。
だが、思い返してみればそもそも、これまでハルカが冗談をいう瞬間があっただろうか。
ザラはよく冗談でからっかってくるし、エンマだって毒舌でもそれらすべてが本気というわけではない。
ケイトはともかく、キリエにチカもよく冗談でからかってくる。
それはつまり、ハルカの言うことが冗談である確率は限りなく低いというわけで……。
脳内で必死に情報を処理しようとしているレオナの肩を、ハルカが掴んだ瞬間、彼女は現実に引き戻された。
「ん!」
レオナは粉薬を口に含み、即座に水の入ったコップに口をつけ粉末を流し込んだ。
「……うう」
口を少し開け、明らかに苦かったとその表情が雄弁にかたっている。
ハルカはネギを袋にしまい、右手に持っていた飴玉をレオナの口の中に放り込んだ。
「口直しにどうぞ」
甘い飴玉を、レオナは口の中で転がす。
「心配しなくても、本気でしませんよ。昔、薬を嫌がる弟や妹の脅し文句に使っていたんです」
「……脅し文句、な」
レオナは信じられなかった。
先ほどのハルカの瞳は、明らかに本気という意思がやどっていた。
「普段冗談を言わない君がいっても、本気にしか聞こえないんだが」
あのケツの穴にイナーシャハンドルぶっさしてかき回してやる、と口にするナツオ班長でも、本当にそんなことをしているのを見たことも聞いたこともない。
「私はその手のことが苦手ですからね」
ハルカは嘘ごまかしが下手だ。
それはつまり、冗談に聞こえそうなことであっても本気でする可能性があるということ。
―――なるほど、確かに脅し文句だ。
冗談と受け取れないという意味では。
「さ、薬飲んだんですから、少し寝ましょう」
ハルカは氷水で冷やしたタオルを額においてくれる。
「……そうだな」
レオナは目を閉じる。
「ゆっくり寝てくださいね。お昼になったら起こしますから」
「体調の悪いときは、あまり眠りたくない。……悪夢を見る」
少しすると、レオナの意識は沈んでいった。
お腹のあたりに重さを感じ、レオナは目をあけた。
視線の先にあったのは、程よい肉付きと丸みを帯びた美しい太ももに、その根元にある白色のスカート。
「……ハルカ」
それが彼女であるとすぐ察した。だが、同時に違和感を抱いた。
両手が、彼女の両足に押さえられて動かせない。
少しどいてもらおうとレオナは視線を上げる。
「ハルカ、すまないがちょっと……」
レオナは息をのんだ。
彼女を見下ろしているハルカの表情は冷たく、瞳に光が宿っていない。
いつもの彼女と様子が違うのは明らかだ。
「……レオナさん」
「……なんだ?」
「……自分が生きていること、どう思います?」
質問の意味が理解できず、レオナは沈黙する。
「空戦を散々しているレオナさんならわかると思いますが、空の上では、腕のいいパイロットが必ずしも生き残るとは限りませんよね?」
「それは、まあ、そうだな」
空戦で生き残れるかどうかは、基本腕の良さで決まる。そう一見すると思うし、それは間違っていない。
だが、正解かというと満点の回答ではない。
腕のよさがすべてではない。
それはわかっていることだ。
「腕の良さがすべてではない。味方との連携、敵の技量、いろんな要素がある。運だってあるだろうな。そうでなければ……」
レオナはその先が言えなかった。
口から出かかった言葉を、彼女は飲み込んだ。
それは、ハルカの前では故意にさけている言葉だからだ。
「そうでなければ、リノウチ空戦で生き残れなかった、ですか?」
レオナが言いたかったことを、ハルカは察していた。
「そうですね。腕の良さがすべてではない。色んな要素がかかわる。それはわかっています」
「……そうか」
「ですが……」
ハルカの両手がゆっくりのばされ、レオナの首にかかった。
「理解はできます。でも、納得はできません」
彼女の両手に力が込められた瞬間、レオナはようやく自分が危険な状態に置かれていることを悟った。
「一緒に仕事をしていて思うんです。なんで、今のレオナさんより腕がよかった彼らが帰ってこれず、当時駆け出しだったあなたが今も生きているのか……」
首にかかったハルカの手に、次第に力がこめられ始める。
「なんで、彼らが帰ってこれず、あなたが生還できたか。こんな人間を生かすために、彼らが犠牲になったのか。あなたより腕がよかったはずの彼らが……。運は、天はなんて気まぐれなんだ。そんな感情で、頭の中がいっぱいになってくるんですよ」
首にかかっている手の締め付けが強さを増していき、次第に呼吸が苦しくなってきた。
「私許せないんです。自分の大事な人が犠牲になったのに、その一方で生き残った人がのうのうと日々生きているという事実に。あなたには、私の大事な人3人分の命の価値があるなんて思えない。だから……」
レオナは抵抗しようと試みるが、両腕はハルカの両足に押さえられ、両足も動かせずどうすることもできない。
「……私に気晴らしをさせてください。その命をもって」
「気晴らし、だと?」
「ええ。思ったんです。自分の大事な人が犠牲になった代わりに生きているなら、その人の日常を壊してやれば、少しは気がまぎれるかもしれない、と」
首にかけられた手に力がこもり、呼吸が次第にしづらくなってくる。
「が……、かは」
意識がもうろうとする中、レオナは生気が宿っていないハルカの冷たい瞳を見上げる。
これは、現実ではないと、彼女はおぼろげに思う。
これはきっと、体調を崩したことで自分が見ている悪夢に違いない。
体調が悪いときは悪夢を見やすくなるのはもちろんだが、それ以外にも理由はある。
まず、ハルカが、彼女がこんなことを言うはずないと、レオナは信じる。
彼女は、自分を責めることは平気だが、他人を傷つけることは簡単にはしない。
まして、こんな面と向かって言うなど、彼女はないだろう。
次に、これはきっと、自分の心の負い目が見せた幻だ。
リノウチ空戦で、自分は確かに生還できた。
だがそれは、イケスカ動乱で戦ったイサオに助けられたことが大きい。
敵勢戦力の52型に追われる中、イサオの五式戦が来てくれなければ、自分はこの場にいないと断言できる。
それが、レオナが生き残れた内情だ。
そのときの借りを返そうとレオナはアレシマで奮闘したし、イサオを信じもした。
自由博愛連合の、富岳を使った行いは皆が知るところだが、彼女は最後まで彼ではないと信じていた。
その認識が誤っていたと知ったのは、自身がイサオに撃墜されたときだったが。
あの戦いで、レオナは駆け出しの自分が生き残り、そうではないパイロットが多く死んだことに、思うところがなかったわけではない。
ともに飛んだ味方の戦闘機が次々落とされる中、自身の乗る九七式が生還できたのは、奇跡というほかない。
その奇跡の裏で亡くなった人々がいるのは知っていたが、彼らには借りを返すすべがもうない。
そのことが、レオナの心の奥底にずっと撃ちこまれた楔のように、負い目としてのこっていた。
コトブキのみんなに囲まれる毎日の中で、レオナも昔のことを受け入れ始めていた。
そんな中だった。
ハルカがともに仕事をするようになり、彼女の口から、リノウチ空戦の話が出たとき、レオナは心臓が跳ね上がる気持ちだった。
レオナはあの戦場から生還できたが、ハルカは身内を亡くした遺族。
まして、この出来事がその後の彼女の生末の大きな分岐点になったのは、間違いない。
生還者と遺族との間には、絶対埋められない大きな溝が存在している。
それがわかっていたから、レオナはハルカの前ではこの空戦の話題を口にしようとしなかった。
一度だけ口を滑らせてしまったが、以降思うようになったことがある。
身内を亡くしたハルカに、生還できた自分はどう映っているのか。
レオナは、それを気にしていた。
自己憐憫に浸るつもりはないが、それでもかつてのことがなかったことになるわけではない。
生還できた人間を前にして、身内を亡くしたハルカが何を思うかは明らかだ。
だが、予想に反して彼女はレオナにそのことについては何も口にしなかった。
そのことに安堵する一方、不安がなかったわけではない。
彼女の本心は何だったのか。
その疑念が、頭から離れなかった。
「理解はできます。でも、納得はできません」
「一緒に仕事をしていて思うんです。なんで、今のレオナさんより腕がよかった彼らが帰ってこれず、当時駆け出しだったあなたが今も生きているのか……」
「なんで、彼らが帰ってこれず、あなたが生還できたか。こんな人間を生かすために、彼らが犠牲になったのか。あなたより腕がよかったはずの彼らが……。運は、天はなんて気まぐれなんだ。そんな感情で、頭の中がいっぱいになってくるんですよ」
ハルカは、他人を傷つけるような言葉をそうそう口にしない。
だから本心が見えなくて、不安はぬぐえなかった。
この夢の彼女が言ったセリフは、きっとそう言ってほしかったと同時に、そう思っているのではないか、という自分の不安が見せている幻影だ。
あんな温和な性格の彼女でなく、いっそこうやってののしってくれれば、本心がこれだけわかりやすければ、どれだけ気が楽だったか。
「かは……」
レオナの視界が次第にぼやけ、黒く塗りつぶされていった。
「は!」
視界が開けると、目に映るのは見慣れた羽衣丸の天井。
ふと、レオナは慌てて首を触って確認する。
何も変化はない。
「どうかしたんですか?」
顔を心配そうな表情で覗き込んできたハルカに、先ほどの悪夢がよみがえる。
「うなされてましたけど、悪い夢でも」
無意識にだろう。彼女はレオナに手を伸ばした。
「う……、わあああああああああ!」
叫びながら、レオナは彼女の伸ばした手をはじいた。
その様子に、ハルカは目を見開き、はじかれた手を見る。
そして彼女は表情を曇らせると、その場から立ち上がった。
「すみませんでした。私がいると、レオナさんによくないようなので」
頭を下げると、彼女は背を向ける。
「帰りますね。……お大事に」
「え……。ま!」
行こうとした彼女に、レオナは力を振り絞ってしがみついた。
「待ってくれ!これは、その、違うんだ!別に、その……」
頭が混乱し、うまく言葉にできない。
「と、とにかく、君が怖いとか、恐怖だとか、そういうことじゃなくて」
レオナは両腕に力をこめ、逃がすものかと彼女に必死にしがみつく。
「……わかりましたから、人のお尻に顔くっつけるのやめてもらえませんか?」
「……へ?」
レオナはしがみつく腕を緩める。
目の前にあるのは、ハルカの履いている白色のスカート。
先ほどまで顔をおしつけていたのは、2つの柔らかい山。
つまりそこは……。
「す、すまない!」
彼女は急いで離れると、頭を下げて謝罪を示す。
そんなレオナに、ハルカはジト目を向ける。
「……それで、何が違うっていうんですか?」
ハルカの若干軽蔑を含んだ刺すような視線に、レオナは耐えつつ話はじめる。
「……悪い夢を、見て」
「夢?……それで、その夢に私が出てきたんですか?」
レオナはうなずく。
「妙に現実味のある夢だった……。夢の中で、私は……、君に首を絞められた」
「……へ?」
ハルカはあっけにとられた。
「私がレオナさんの首を絞めることが、現実味がある、と?」
「いや、そこじゃなくて……」
「……それで、私が怖くて手をはじいた、と?」
「……ああ」
ハルカはため息を吐き出す。
「それで、なんで私が首を絞めるなんてこと、していたんですか?」
ハルカとの間で、この話題だけは出したくない。
でも、話さなければ進まない。
レオナは意を決して口を開いた。
「夢の中でだが、君が言ったんだ」
ハルカは黙って先を促す。
「私が生きていて、君の父親に兄、姉が何で帰ってこれなかったんだろうな、って」
彼女が目を見開いた。
「なんで、リノウチ空戦で、当時駆け出しの私が生還できて、ベテランだったあの3人が帰れなかったのか。今の私を見て、こんな人のためにあの3人は犠牲になったのかって。無論、空戦は技量の良しあしだけでは測れない。わかってはいるけど、納得はできない。だから、3人の代わりに生きている私の日常を壊してやれば、少しは気晴らしになるのかなって」
「そういって、首を絞めたんですか?……夢の中の私は」
「……ああ」
二人の間に、妙な沈黙が満ちる。
「悪い。君がそんなこと、思うわけないし、するわけもない。これは、私の負い目が見せた悪夢だ」
レオナは、一人で話し始める。
「私も思っていたんだ。なんで駆け出しだった自分があの場から生還できたのか。それは、あのイケスカ動乱を起こしたイサオが助けてくれたからだ。あの空戦では、私より腕のいいパイロットが犠牲になったし、イサオ以外に助けてくれたパイロットもいた。でも、借りを返す機会は、二度とない。そのことが、ずっと引っかかっていたんだ」
彼女は、少しずつ自分の感情を吐き出していく。
「君がそう思うのも無理はない。どうあっても、私は生還できた人間で、君は身内を失った遺族だ。何をしても、君と私の間の溝は埋められない。わかっている。君が私を憎んでいるなら、憎んでいい。でも……」
「まあ、確かに……」
ふと、レオナは体が震えるのを感じた。
ハルカの声が妙に冷えていて、こちらを見つめる瞳も、温かみを感じさせない。
「そう思ったことが、ないわけではないです、ね」
ゆっくりと、彼女の右手がレオナの首に延ばされる。
あの夢と同じ瞳をしていることに、彼女は背筋が寒くなった。
首に、彼女の手がかかった。
背中を、冷や汗が伝う。
でも、彼女はレオナの首から手を離した。
そして大きく息を吐き出すと、彼女は静かに言った。
「思ったことがないわけではないですが、気持ちの整理はもうつけました」
その言葉を聞いて、レオナはほっとした。
「でも、気持ちの整理は、やっぱり必要だったのか?」
「まあ、色々と……」
言葉を濁すハルカに、レオナは沈黙する。
「生き残りの人と出会ったのが初めてだったので、その時は色々思いました。レオナさんのいう通り、なんであなたが生きのこって、父親たちが帰ってこれなかったのか。……そう思ったこと、一度や二度はあります」
あの夢でのハルカの台詞が、すべて想像、というわけではなかったことに、レオナの心臓の鼓動は激しさを増す。
同時に、彼女が自分をそんな風に見ていたことに、少し寂しさを感じた。
「ちなみに、亡くなった3人は、空戦の腕はどうだったんだ?」
「……強かったですよ。……今の私よりも」
「……え?」
それを聞いて、レオナは目を見開いた。
強かった?今のハルカより?
今の彼女でさえ、単機でコトブキ飛行隊の半数、ラハマ自警団の半数を撃墜。
ウミワシ通商の飛行隊を単機で壊滅させた。
初めて一緒に仕事をしたとき、道中の空賊数十機を単機で殲滅している。
悪魔。
周囲が彼女をそう呼ぶのも当然だと思っていた。
その彼女よりも、亡くなった3人は強い?
―――どんな化け物だ、その3人は。
そう思わざるをえない。
もしかしたら、あのイケスカ動乱で戦ったイサオ氏や彼の親衛隊といい勝負かもしれない。
「まあ、それでもかえってこれなかったんですから、リノウチは相当な激戦だったんですね」
「あ、ああ……。駆け出しの自分が帰ってこれたのは、つくづく奇跡だと思う。思えば、幸運だったのかもしれない」
「幸運、ですか……」
ふと、ハルカの表情が曇る。
「ああ。私が生きているのも、コトブキ飛行隊を結成できて今ここにいるのも、仲間や出会った人々の、そして幸運に恵まれたおかげだ」
レオナは明るい表情を浮かべる。
彼女は、ハルカの表情が曇っていることが気になった。
「君は、ここまで生き残れたことを、幸せだとは思わないのか?」
10歳を過ぎたあたりから飛行機に乗って戦いの空をかけ、半人前以下の自警団を率いて故郷を守るために戦い、空賊で日々空戦に明け暮れ、今は用心棒として議員たちを守り、空戦に明け暮れても、彼女は生き残っている。
並みのパイロットではできない芸当。
戦場で研ぎ澄まされたその技量と、幸運に恵まれたことにほかならない。
だが、ハルカは首を横に振った。
「……大事な人々がみんないなくなっていく中、自分だけが生きのこって。そんなこと、幸運だなんて喜べますか?」
レオナは自分の発言が軽率だったと今更ながらに後悔した。
彼女とハルカには、決定的な違いがある。
レオナは、元々孤児で、孤児院で育った。
もう自分が本来いるべき家族のことはおろか、自分を生んだ両親の顔さえ思い出せない。
記憶にあるのは、ともに過ごした大事な仲間。孤児院のみんな。
だが、どれだけ大事であろうと、ともに時間を過ごそうと、孤児院のみんなは大事な仲間だが、血のつながりがある家族じゃない。
一方、ハルカは生まれた当時ちゃんとした家族がいた。
血のつながった家族で、おそらく最も身近で、強いつながりのあった、大事な存在だったはず。
そのつながりが突然断ち切られたら、どうだ。
もともと他者とのつながりがなく、生きていく中でつながりを得たレオナ。
もともとつながりがあり、生きていく中で、それを失ってきたハルカ。
二人は、対極にいる。
「私は、幸運だなんて喜べなかった。大事な人々がいなくなったこの世界で、私一人未練がましく生き残って、この先、生きていかなければいけないんなんて、そんな不安で仕方なかった」
彼女は顔をあげ、部屋にある窓から空を見上げるように視線を上にする。
「この世界は、法整備が進んだとはいえ、いまだに無法者たちが得をする。そんな世界に、守る価値があるのか。……いえ、私の大事な人々を奪ったのは、この世界や、無法者たちです。その無法者たちが我が物顔で闊歩するこの世界を、大事な人々を奪ったこの世界を、どう享受し生きていけばいいんですか?私は、それが腹立たしくてならない」
彼女の言葉には、少し憎らしさがにじんでいる。
「じゃあ、どうすればいいか。2つあります。1つは、この世界に喧嘩を売る。こんな世界、壊してしまえばいい」
レオナは一瞬背筋が寒くなった。ハルカの瞳に、一瞬狂気というか、本気というか、そんな怪しい光が見えた。
「イケスカ動乱のおかげで、この世界は余計に構図がややこしくなった。かつては都市ごとに生きていたのに、イケスカ派、ユーリア派、中立派に孤立派、空賊、マフィア等、勢力図がややこしくなった。だったら、この世界を更地になるまで壊して、そんな歪な構図、ゆがんだパズルなどぶっ壊して、すべてをゼロに戻してしまえばいい!どうせユーハングが来なければ滅んでいた世界!早いか遅いかの違いでしょう!?」
レオナは冷や汗が止まらない。
彼女が、心の底でそんな考えを持っていたなど、想像もつかなかった。
「でも、私にはできなかった。どんなに腐っていても、守る価値がなくても、多くのものを失おうとも、そこには日々を必死になって生きている人々がいる。そんな人々まで滅ぼすなんて、私にはできなかった」
ほっと胸をなでおろす。
ハルカはおおよそ冗談を言っているようには見えないし、やろうと思えばそれができる可能性すらある。
とりあえず実行に移さず踏みとどまってくれたことに、彼女はほっとした。
「世界が壊せないなら、どうすればいいか。2つ目は、自分を壊すことです」
「自分を?」
「ええ。自分で命を絶って、こんな世界とおさらばすればいい。誰にも迷惑をかけず、自分の中で世界の終焉を迎えさせる。静かな方法です」
レオナはふと思った。
ハルカが少し前までしていた、死にたがりともいえる行動。
もしかしてそれは、この大事なものを奪ったこの世界を享受し、生きていくのが嫌だったからではないか。
「でも、私はそれもできなかった。未練がましく生にしがみつき、エンマさんに自分を撃たせたときさえ、私はよけた。……死ぬ度胸が、私にはなかった」
彼女は天井を見ながら、静かに言った。
「私は何者にもなれなかった。世界を壊すことも、自分を壊すこともできない。どっちにもなれなかった。どっちつかずの半端な人。自分が何がしたいのか、私もわからなくなった。だから、空戦の間は楽しかった。戦闘に集中すれば、余計なことを考えずにすんだので」
だから彼女は、ともに仕事を始めた当時、不気味な笑い声を時折もらしていたのだ。
今では鳴りを潜めたが、空戦に集中している間は、目の前の敵とやりあっているときは、余計なことを考えなくていいから。
「まあ、空にいるときだけ、敵を落としているときだけ、私は私の存在意義を感じることができた。……お金を稼ぐ理由も、生きたいという理由もなくなった私にとっては、戦って、敵を落とすことが生きていく理由だった。まあ、あのGに揺られている感じや、硝煙のにおいが忘れられなかったというのもありますが」
レオナは表情を曇らせた。
彼女は、戦いの場だけが自分の居場所だと、そう言っているのだから。
「でも、私の帰りを待っていてくれたナガヤの人々に、祖父母と叔母。なくなっていなかったつながりがあった。……だから、もう少し生きてみたいと思った。そして、気持ちの整理もついた。だから、夢に出てきた私みたいに、レオナさんに気晴らしをしようなんて、私は思いませんよ」
「そうか……」
レオナは布団をめくると、彼女の右手首を掴んで、布団の中に引っ張り込んだ。
「へ?」
そして両腕を背中にまわすと両足もつかって彼女にしがみつくように抱き寄せた。
「まったく、理解はできるけど納得はできないと言ったり、恨みを晴らしたいのかと思えば気晴らしがしたい?世界を壊すとかいいながら、自分も壊せない?何者にもなれず、空戦だけが居場所?」
レオナは彼女に回した手足に力を込めた。
「本当に、君は不安定というか、考えが両極端というか……。世界や自分を壊す以外に、第3の選択肢があるのに気づかないのか?」
「そんなもの……」
「なんで、新しいつながりを作って、この先も生きていこうって考えなかった?」
ハルカは、頭を殴られたような感覚になった。
「こんな世界に、守る価値なんて考えなくていい。自分が生きたいと思えるものがあれば、それでいいじゃないか?」
「……それは」
「まあ、そこで私たちの名前が即座に出てこないのが、少し残念だがな」
レオナは、新しいつながりを作ることで、この世界を生きたいと思えた。ザラと出会えたのが、大きな転換点だった。
たとえ面倒ごとがあっても、彼女はコトブキ飛行隊の隊員たちが大好きだ。
ハルカは、生きてきた中で多くのつながりを失ってきた。
こういうとき、レオナたちの名が居場所として出てこないのは、本心では彼女たちのことをハルカが仲間だと、完全には認めていないからだ。
それは無理からぬところがある。
つながりを作ること、失うことはセットだ。
人は、別れるために出会う。
いくつものつながりを失ってきたハルカは、新しいつながりをつくることに臆病になっってしまった。
新しいつながりをつくれば、また失うかもしれない。
そのときの苦しさを、もう味わいたくない。
だから彼女は、レオナたちを仲間と認めきれていない。
たとえ、口でどう言いつくろおうと。
「ハリマで頼ってくれたから少しは認めてくれたと思ったが、どうやら、まだ君は私たちを仲間と認めてないようだな?」
「……認めてますよ」
「今の間は何だ?」
普段機微に疎いのに。こういうときばかりは察しがいい。
「私は、君のことを見守っているし、生きてほしいと思っている。居場所になりたいと思うし、頼って欲しい、甘えてほしいとも思っている」
「……レオナさん、それって過保護な姉の考えじゃ?」
「姉は妹に過保護なものだろう?それに、こんな不安定で両極端な考えを抱いていると知った以上、君を放っておくなんてこと、できると思うか?」
世界を壊そうとしたり、自分を壊そうと考えたり、そんなことレオナは想像もできなかった。
だからこそ、もう彼女を放っておくことはできない。
それが実際にできかねない力を持っている彼女を放置することなど、いつ爆発するかもわからない爆弾を放置するのと同じだ。
「過保護と言われようとも、君が私たちが仲間だと、居場所だと言ってくれるまで、私は干渉し続けるからな」
彼女は、ハルカの耳元で言った。
「覚悟しておくように」
「……今日は、随分口が回るんですね」
「そうだな。熱のせいで頭がやられているらしい。だから……」
ふと、レオナはハルカに回した腕と足に力を込めた。
「熱が高いときは悪夢を見やすい。でも人のぬくもりがあればそれを防げると聞いた。だから、しばらくこうやってされていてくれ」
「ほかの人に見られたらどうします?」
主に、コトブキの副隊長さんに。
「数日は帰ってこない。大丈夫だ」
こうなった以上、どうすることもできないとハルカは悟り、静かに目を閉じた。
しばらくして、ハルカの寝息が聞こえてきたところで、レオナは目を開けた。
「安らかな寝顔しながら、何てこと考えているんだ……」
おそらく、レオナが本音や不安を口にしたから、ハルカも向き合ってくれたのだろう。
そうすると、彼女が先ほど言ったことは本音だろう。
すべてをゼロに戻してしまえばいい。
この世界をどう享受し、生きていけばいいのか。
そんな感情を抱いたことがあるということは、今もその気持ちが消えたという保証はない。
世界を壊してやれ、という気持ちがないわけではないだろう。
でも、ハリマにいるホナミ議員、カスガ議長、シズネ市長、ナガヤの人々というつながりがまだ残っていたことで、彼女は生きていこう、前に進もうと思いなおしてくれた。
それが、今ハルカをつなぐ鎖になって、彼女をとどめている。
もしそれがなくなってしまえば、ハルカは本当にたがをはずしてしまうかもしれない。
そうなれば、ラハマ上空でウミワシ通商の機体を殲滅したときの実力を発揮し、自分たちでも手に負えない。
そうならないよう、できるだけ彼女に干渉し、抑えるために強いつながりを作らなければならない。
飛行機の腕は一流で、整備もでき、いろんなことに詳しいが、世界を恨んだり、自分を壊そうと考えたりして不安定な彼女。
「まったく、手のかかる妹だ」
レオナはため息を吐きつつも、笑みを浮かべると目を閉じた。
―――思えば、らしくないことを色々言ってしまった。
―――熱にあてられたな……。
数日後、ハルカの看病のかいあって、レオナは回復したが、2人が抱き合って寝ていた様子をマダムは密かに写真に収めており、それを見たザラに事の次第を問い詰められることになったのは、また別の話である。
読んでいただき、ありがとうございました。
本筋の執筆に時間がかかっている中、気づけば
短編を書いていました。
気長にお待ちいただければ、と思います。
今回の話は、体調の悪いときは嫌な夢を見やすかったという
体験から思いついた話になります。
そして、ハルカの深淵の一部に触れた話でもあります。
普段本心をあまり口にしない人が何を考えているのか。
そこには意外なことがあったりすると思います。
思いつきで書いた話ですが、楽しんでいただけたら幸いです。
ありがとうございました。