ふと彼女は、祖父が愛機のことを「死神」と言った記憶を思い出す。
整備を終え、思い出に浸る彼女の前に、代表取締役社長と、いけ好かない笑みを浮かべる依頼人が現れる。
「……あれ」
瞼を上げ、ハルカは重さの増した体を動かしてベッドから起き上がり、大口をあけてあくびをする。
「……昼寝が睡眠になっちゃった」
眠い目をこすりながら、彼女はスカートを直す。プリーツに皺がついていないことを確認すると、枕元の時計をみやる。
「まだ午後の6時か……」
本格的に眠るには早いと察し、彼女はジャケットを手に部屋を出る。
彼女が向かった先は、石油ランプが灯る薄暗い廊下を進んだ先にある、細い通路に比べて格段に広い空間が広がっている場所。そこには、何機もの飛行機が並べられていた。
百式輸送機、零戦21型、飛燕1型、隼2型等々。洞窟内に作られた根城であるため、内部で最も広く出口に近い場所を格納庫と称して使っている。その中から、彼女は迷うことなく愛機を見つける。
「待たせてごめんね、レイ」
愛機、零戦52型丙。レイ、というのは、彼女が勝手につけた愛機のあだ名だ。
かつて祖父がこの機体を
この機体はもともと、祖父の乗っていた機体を、飛行機の製造工場に勤務していたハルカの父親が、祖父と一緒にイジツで製造した中の1機だった。
彼女は工具箱を手に、相棒を整備していく。燃料や弾薬の補充、油をさしたり、部品の摩耗具合を見たり、これまで幾度も繰り返してきた作業一つ一つを手慣れた手つきで進めていき、結果を用紙に記録していく。
「よし、完了」
全ての点検と整備を終え、彼女は零戦の主翼付け根の前縁に腰を下ろし、労わるようにカウリングに右手をおく。
この機体は、祖父と父が残してくれた大事な形見で、思い出。
機体に触れると、彼女は祖父と幼い頃話した時のことを思い出す。
幼い頃、家のそばの格納庫にこの零戦はしまわれていた。まだ、ハルカのものになる前。
『ねえお爺ちゃん、この飛行機カッコいいね!』
特定の目的に特化し、余計なものをそぎ落としたものの姿は、傍目に見ても美しいものだった。
『そうか。この飛行機は、昔お爺ちゃんが乗っていたものと同じなんだ』
『そうなんだ。ねえ、この飛行機って、強いの?』
『ああ、強いとも』
『そっか。じゃあ、この飛行機は鬼なんだね』
ハルカが無邪気に鬼といったことに、祖父は首をかしげる。
『何で、鬼なんだ?』
『だって、お爺ちゃんのいたユーハングでは、鬼に金棒、っていうんでしょ?』
すると祖父は、ははは、と笑った。
『確かに、この機体は、昔は鬼だった』
零戦を見上げながら、祖父は言う。懐かしさ、寂しさ、感傷。色んな感情が入り混じった表情で。
『だが、この飛行機は鬼というよりは……』
『鬼というより?』
祖父の眉間に皺がより、表情がわずかに険しくなる。
『鬼というより、この飛行機は……』
祖父はしばし黙り込む。そして零戦を見上げながら、彼は絞り出すように言った。
『敵だけでなく、味方の命も吸い取る……、死神だ』
「……死神、か」
祖父が、なぜこの飛行機を死神といったのか。なんでもそれは、祖父がユーハングで飛んでいたとき、沢山の仲間が散っていくのを横目に、自分たちは帰れたからだ、みたいなことを言っていた。
もっとも、ハルカに意味は分からなかったし、理解しようにも、祖父はいなくなってしまった。
「お~い、ハルカ」
格納庫に聞き覚えのある声が響き、彼女は顔を向ける。
「……ナカイ」
ウミワシ通商の代表取締役社長のナカイが近づいてくる。石油ランプしかない暗い穴倉の中だというのに、彼はいつもサングラスを手放さない。
「取引が済んだ。これ、お前の今回の取り分だ」
ナカイは薄い封筒をハルカに差し出す。
「残りは病院と学校へ後日持っていく」
「……ありがとう」
彼女は主翼から下り、封筒を受け取るとスカートのポケットに押し込んだ。
「ねえ、そろそろ、母に会いに行きたいんだけど……」
重病で遠くの都市に入院している母。これまで、せいぜい年に1、2回しか会える機会がなかった。
「次の襲撃作戦が始まる、それが終わったらな」
いつもこの調子である。終わったそばから次の襲撃計画が始まる。
「……で、次の襲撃先は?」
「次の作戦は報酬がいい。なんとしても成功させるぞ」
ナカイのサングラスの奥の目が、一瞬鋭く光ったように彼女には見えた。
「ええ、なんとしてでも、成功させてください」
聞きなれない声に、彼女は振り向く。
「あなたは?」
そこには記憶にない、少なくともウミワシ通商の関係者ではない男性が立っていた。
「今回の依頼人です。あなたたちに、ある都市の施設や輸送船を破壊してもらいたいのです」
依頼人は口角を軽く上げ、ムフッ、と笑う。
その依頼人は男性で、レンズの部分が丸い眼鏡をかけていて、髪型をおかっぱ頭にしている。加えて、男は相手をあざ笑うかのような気味の悪い笑いを浮かべている。
なんというか、いけ好かない男、という印象を彼女は抱く。
そんな男性を頭のてっぺんからつま先まで眺めると、ある個所で視線を止めた。
男性の服装の左胸には、
花びらのような、赤い文様の徽章だ。
「それで作戦会議を行う。会議室に集合だ」
「……了解」
彼女は道具を手早く片付けると、手についた油をぬぐい、ナカイの後を追っていった。
食事時というのは、誰もが笑顔になりやすい。調理された食べ物の放つ香り、舌で感じる味、口の中で転がる触感。
それら全ての要素が絡み合い、食べた者全てに、ひと時の幸福を与えてくれる。
いつ落とされるかわからない飛行機乗りたちにとっては、戦いの緊張から解放されるわずかな憩いの時間でもある。
「いっただっきまーす!」
満面の笑みで目の前に置かれた3枚重ねの、こんがりきつね色に焼けた大きなパンケーキを、暴力的なまでに盛られたホイップクリームの山をものともせず綺麗に切り分け、大きな口を開けて彼女は口に運ぶ。
「う~ん。やっぱパンケーキが一番!」
満面の笑みでパンケーキをほおばるのは、短い黒髪の女性。ラハマを拠点に活動するオウニ商会が雇っている用心棒。コトブキ飛行隊の一人、疾風迅雷こと、名をキリエという。
幸せそうな顔を彼女がする一方、同席している仲間たちはそのパンケーキの見た目に少し、いや、かなり引いているのか、頬が若干引きつっている。
おまけに、彼女のパンケーキの横にはカレーが置かれている。それを交互に食べているため、これではどちらが主菜で副菜なのかわからない。
「よくそれだけホイップクリームを盛ったパンケーキを食事どきに食べられるわね……」
そんな彼女に苦笑するのは、優美な体格に恵まれた女性、副隊長のザラ。
「パンケーキはデザートであって、おかずではないのではないか?」
冷静な突っ込みを入れるのは、特徴的な赤髪を後ろで縛った、凛々しい顔つきの女性、コトブキ飛行隊の隊長のレオナ。
「キリエは脂肪分の摂取が多すぎる。健康によいとされる食べ方は、まず野菜から」
知的なしゃべり方で助言を行う、表情の変化が乏しいケイト。
「あらあら、キリエのパンケーキ好きは、もう誰にも止められませんことよ」
貴族を思わせる優雅さと皮肉を込めた口調の女性、あきらめているエンマ。
「キリエ~、また太るぞ~」
そんな彼女を冷やかす、中では最も幼い見た目の隊員、チカ。
それぞれ皆の反応は異なっている。
女性ばかり、半数は子供に見えかねない外見のものもいるが、いずれもオウニ商会の雇った凄腕の戦闘機乗りたちである。
「それでさ、マダムが急に町長たちに用だって、行ってから時間たつけど、どうしたんだろ?」
「キリエ、パンケーキを口に含みながらしゃべるんじゃありません。お行儀が悪いですわ」
キリエはパンケーキを飲み込み、話を続ける。
「しかも、マダムが入っていった場所には、自警団長や町の上役、それに偶然訪れていた議員だっていたって」
「凄い面子ね~。何があったのやら」
ザラはビールがあふれる寸前まで注がれたジョッキを片手に、昼間から酒を何杯も飲む。
「マダムが町長から呼ばれたらしい」
「何か仕事の依頼でしょうか?」
「ケイトは違うと思う。そうなら、マダム自らが脚を運ぶとは思えない」
「では、なにかしら?」
「……重要な話だと推測。例えば、情報共有」
「でもさ、だったらなんの情報かな?」
パンケーキに舌鼓をうつキリエを横目に、コトブキのメンバーはマダムが呼ばれた理由を想像する。
「……輸送船が襲われ、積み荷を奪われるケースが増えている。特に、今月に入ってもう10件にもなる。そのことと、多分無関係ではないだろう」
「ケイトも同意。先日、ラハマの岩塩を積んで出航した輸送船祥雲丸が、空賊の襲撃に会い、積み荷を奪われている」
「用心棒いなかったの?」
「……噂だが、雇っていた9機の零戦21型が、たった1機の零戦52型にやられたらしい」
「なんだ~、その用心棒の腕がわるかっただけじゃないの~?」
「たとえそうでも、1対9なんて、無謀極まりない」
「一心不乱のレオナなら、できるかもしれないけど~」
「ザラ!」
過去をほじくり返されそうな気配を感じたのか、声を少し大きくしたレオナにザラは苦笑を浮かべる。
かつてアレシマでの戦闘のおり、恩人だと思っていたブユウ商事、のちのイケスカ市長、自由博愛連合のイサオに、彼女は駆け出しのころに参加したリノウチ大空戦で助けられた借りを返そうと、一心不乱に敵を撃墜したことがあった。
一心不乱のレオナ、そう呼ばれる姿を皆が垣間見た瞬間であった。
「ねえ、そんな無謀なことができるなんて、どんなパイロットなんだろう?」
キリエの何気ない疑問に、皆は考え込む。
「きっと、体を鍛えまくって、凄い筋肉質になっているんだよ!」
「筋肉量と空戦の技量の関係は立証されていない。きっと、切れ目でメガネをかけている、どこぞの人事部長のような人」
「空賊なのですから、ダニのようにひどい見た目をしているに違いありませんわ」
「ある程度年をとった男性、あるいは大人の女性か……」
「案外、私たちと変わらなかったりして」
チカ、ケイト、エンマ、レオナ、ザラは順に考えを口にするが、だれ一人被ることはなかった。
そんなとき。
「隊長さん、マダムから電話ですよ~」
店の店員がレオナをよぶ。
「マダムから……」
不穏な空気を感じながら、彼女は電話に出る。
少し言葉を交わしたのち、レオナはザラをつれて店を出ていった。