それでもエンマは納得しなかった。
そして襲撃の合間に休息をとる彼女だが、休みの時間
でさえ彼女は安らげなかった。過去が悪夢となって、
彼女を蝕む。
開かれた羽衣丸の後部ハッチへ進路をあわせ、着陸脚と尾輪を下ろす。
フラップを下ろし、速度と進路を調整しながら、ハルカは零戦を進入させる。
後部ハッチから入り、着陸脚と尾輪が接地したのを確認すると、エンジンの出力を絞り、ブレーキを踏み込んで減速。
無事、羽衣丸へと降り立った。
「ふう……」
彼女は愛機を停止させると、風防のロックを外して後ろへ下げ、機体から下りた。
「よう、お疲れ」
ナツオ班長が、イナーシャハンドル片手に歩いてきた。
「無事で何よりだ」
「ええ、よくあったことなので」
ナツオ班長は苦笑する。
「見ているこっちはヒヤヒヤもんだ」
「空賊機を8機撃墜、君は被害なし。大したものだ」
隊長のレオナ含め、コトブキの面々が歩いてきた。
「だが、ナツオ班長同様、私たちも内心肝を冷やしたぞ」
「あははは……」
「さて……」
レオナは、エンマへゆっくりと振り返る。
「約束は果たしたぞ、エンマ。もう彼女との間に軋轢を生むようなことは」
「1度だけではわかりませんわ」
レオナの視線が鋭さを増し、他のメンバーは戸惑う。
「エンマ、約束が違うじゃないか!」
「私は、1度だけ、なんて言っておりませんわ!」
「エンマ、いい加減に!」
「なんの騒ぎ?」
格納庫にマダムが入ってきたと知り、皆が押し黙った。
彼女はハルカの前に立つと、彼女をじっと見つめる。
「マダム、何か?」
ふと、マダムは手を伸ばし、彼女の顔をつかむと、鼻先が触れそうなほど顔を近づける。
「あ、あの!マダム!?何を!?」
「じっとして」
マダムは、彼女の目を覗き込むように険しい視線を向ける。
「……そう」
突如手が離れ、自由になった彼女は圧迫された場所をさする。
「お疲れ様。次の襲撃に備えて、休みなさい。ナツオ、整備お願いね」
「へ~い」
「あの、マダム?」
戸惑う彼女に、マダムは言った。
「休みなさいといったでしょ?部屋で寝なさい」
「……わかりました」
彼女は格納庫からあてがわれた部屋へと向かっていき、キリエたちも自室へと向かっていった。
「あの、マダム。何か?」
残っていたレオナとザラに、マダムは視線を向ける。
「ちょっと、気になることがあってね」
「気になること?」
首をかしげるレオナにザラ。先ほどの戦いを見ていた2人は、何が気になるのかわからなかった。
「笑い声が聞こえたのよ」
「笑い声、ですか?」
「ええ。戦っている最中にも関わらず、ハルカさんの、敵を落とすことを楽しんでいるような、聞いていて寒気がするような声が、ね」
先ほど彼女の目を覗き込んでみたものの、この羽衣丸についたときと変わらなかった。
生気が抜けているわけでも、死んだ魚のように濁っているわけでもない。
「そんなこと……」
信じがたいようで、レオナもザラも顔を見合わせる。
「2人とも……」
そういえば、ユーリアから彼女を使う上で注意することを聞かされていたのだった。
彼女は身内の殆どを失い、ある意味ではお金を稼ぐ理由もなくなった今、精神的に不安定で、亡くなった家族に引きずられるようなことがある、と。
さきほどの声がその片鱗とすれば、彼女は今まずい状態にある。
「ハルカさんの行動に、少し注意を払っていて頂戴」
守るはずだった家族。ブレーキを失った今の彼女なら、自分を削りすぎることも、恐らくはできてしまう。
そこに、果ての見えないエンマの要求。
この2つが組み合わされば、ろくなことにならないことは誰の目にも明らかだった。
最近、ハルカはよく夢を見る。
暗い中で1人、ポツンと立っている。
そして今日も、その夢を見る。
『疑われて当然だ!』
彼女は頭を振って、先ほど聞こえた幻聴を振り払う。
『あれだけのことをしておいて、足は洗ったから許されるなんてこと、あると思うのか!』
彼女は両手で耳を塞ぎ、声から逃れようとする。
その声は、かつて彼女がいたウミワシ通商の社長、ナカイの声と同じだ。
『お前はどれだけのことをやった?100隻近くの輸送船、それを守る用心棒。全てお前は落とした。どれだけの人間の歯車を狂わせた!?』
「違う、それは、あなたが……」
『実行したのはお前だ!家族のためだ、もう奪われないために。そんな言葉で着飾ったって、やったことは略奪行為だ!』
「それは……」
『哀れなものだな。リノウチで父や兄に姉を失い、祖父はお前を置いて行方不明。遺された母と妹、弟を守るために空賊行為に加担したのに、残った最後の家族さえついには無くし、何もお前には残っていない。帰る場所も、守るべき人も!何もお前には残ってない!あるのは空賊行為を働いたという、罪の烙印だけだ!』
彼女はきつく両耳をふさぐが、聞こえてくる声は小さくはならない。
『コトブキの人間が言っただろう?お前は簡単に信用するべきじゃない』
『彼女は元空賊。私たちの敵でしたのよ!彼女が空賊と組んで、私たちをハメようとしているかもしれませんわ!』
エンマの声で、聞いた言葉が繰り返される。
疑われるのはわかっている。
もう大丈夫だと言い切れる根拠はない。それこそ、行動でしか示せない。
『むしろ、私から見れば、あなた方はなぜ彼女をすんなり信用できますの?反省したから、心を入れ替えたから。そういっていい寄ってきた悪党や空賊を、私は腐るほどみてきましたわ。悪党に改心を期待するなど、天地がひっくり返っても無理なことですわ』
ハルカも元空賊。そういう連中が、掃いて捨てるほどいることは知っている。
『それは、マダムやユーリア議員の威光がなければ、信じるに値しないということではなくて?』
悲しきかな、それが現実。
議員やマダムの威光がなければ信用など得られないことは、彼女自身が一番よくわかっている。
『……空賊行為に加担したのに、何の罰も受けず、議員たちの威光をかさに、自分はもう反省した善人です。そんな顔をしている彼女が、気に食わないことは認めますわ』
そうだ。
人の運命を散々狂わせた人間が、罰を受けないことが本来はおかしい。
『要するに彼女を信じているわけではなくて、彼女の力を恐れているだけじゃありませんの』
聞いたとき、少しショックだった。
ユーリア議員は利害の一致だと言っていた。
当時はそれで納得したが、結局は自分を敵にすることが怖いだけ。
これでは、力や財力を背景に周囲を屈服させ、イジツを支配しようとしたイサオ氏と、今の自分は何が違うというのか。
『彼女は空賊にならない道も選べた。選択肢のなかったチカは違いますわ』
そう。
こうなった原因は、全て彼女の選択の結末。
母親に時間がなかったという言い訳を口にして、金につられただけ。
『……じゃあ、彼女が黙って野垂れ死にを選べばよかった、とでもいうのか?』
『結果としてみれば、そうだったかもしれませんわね』
ガラスが割れるような音が、夢の中に響きわたった。
―――そうだよね。
―――間違ってないよ。
略奪行為に手を染めても生き残る。
でも、その選択の結果、多くの人々の幸福を奪ったことは想像に難くない。
いっそ家族で、荒野で野垂れ死にしていれば、後に多くの人々に迷惑をかけることも、こうやっていさかいの火種になることも、1人遺されて寂しい思いをすることもなかった。
『そうだ。お前はラハマで、あるいはもっと以前に、落とされるべき人間だったんだ!』
「はっ!」
耳元で聞こえた声に、彼女は飛び起きた。
「はあ、はあ……」
呼吸を整えつつ額を右手で拭うと、手の甲が少し湿った。
「……また、この夢」
周囲を見ると、そこは羽衣丸内の寝室。同室のレオナさんにザラさんは、寝息を立て続けている。
彼女は静かに部屋を出た。
羽衣丸の上層にある展望デッキにつくと、彼女は窓から外を眺める。
眼下には、どこまでも広がる、どんな人間にも平等に非情な荒野が見える。
適当な椅子に腰かけると、彼女は俯いた。
「どうすれば……」
暗い周囲にのまれ、彼女の思考も悪い方向へ向く。
エンマのような人間は、この先幾度となく出会うことだろう。
そのたびに引け目を感じて、突きつけられた条件をこなすのだろうか。
『そうやってこの先も生きていくつもり?負い目を感じて、それをダシに一生誰かにゆすられるような生活を送りたいの!?あなたは足を洗ったんでしょう?だったら、胸を張って歩きなさい!それとも、その脂肪の集まりが重いから胸が張れないとかいうんじゃないでしょうね?』
ガドールに行って間もない頃、ユーリア議員に言われた言葉が脳裏をよぎる。
「どうやって、胸を張れっていうんですか。議員……」
『お前は生きてどうなる?何も残っていないお前に、生きる意味があるのか!?』
「ひっ!」
夢から覚めてなお聞こえる幻聴に、彼女は縮こまる。
彼女は腰にぶら下げた小物入れからボトルを取り出すと、口を開け、中身をあおった。
喉が焼けるような熱さが来たと思うと、遅れて頭が少しふらつく。
中身は、度数の高い酒。悪夢から逃れるには、これが一番だった。
そして空で戦っているときも、悪夢から逃げられる。
でもレイから下りると、酒が切れると、自分の犯した罪の重さ、辛い現実に押しつぶされそうになる。
「……はあ」
ふと、呼び出し音のような音がなった。
ユーリア議員から渡された携帯式無線機、とっても大きいが、それを受信に切り替える。
「はい……、ハルカです」
『まだ起きていたのね』
声の主は、ユーリア議員だった。
『こんな遅くまで起きているとは、あまり感心しないわね』
「眠れなくて……」
『そう……。それはそうと、どうやら羽衣丸を見つけられたみたいね』
「……ひどいですよ。わざわざ大回りさせるなんて」
初めから合流地点を指定してくれればいいのに、マダムへの嫌がらせのためにラハマを経由した挙句、増槽2つに、燃料や弾薬も余計に使う羽目になったのだ。
文句の1つくらい言いたくもなる。
『あなたなら、到着できるって考えたうえでの選択よ』
「そうですか……」
無線の向こうの議員が、しばし沈黙する。
『どうしたの?随分しおらしいじゃない?』
「そうですか?」
『あなたはごまかしやウソが下手なんだから、わかるわよ』
無線越しでも気づかれるあたり、よほどわかりやすいのだろうか、と彼女はへこむ。
『コトブキと上手くいってないの?』
「いえ、そんなことは……」
上手くいってないのは、主に1人だけだ。
『大方、あの空賊嫌いと上手くいってないだけでしょ?』
「人の心を読まないでください」
『心当たりは1つしかないもの。誰でもわかるわ』
誰でも、ではないとおもうが。言葉を飲み込む。
『言ったはずよ。あなたはもう引け目を感じる必要はないって』
「そうはいっても、事実は事実ですし……」
『あなた、それを弱みに変な要求突きつけられてないでしょうね?』
もうすでに突きつけられました、とは言えない。
『ハルカ。あなたが空賊で略奪行為を働いたのは事実でも、過去の罪は無くならなくても、そろそろ区切りをつけなさい。でないと、引きずられて、いつか自分を殺すわよ』
ナツオ班長と同じことを言った。
「でも、これも償い、ですから」
『あなたの償いは、用心棒と、賠償金でしょ?それ以外にまで手を広げないの。人間、できることは限られているんだから』
「でも、反省していないとみられるかも、しれませんし……」
『そんな連中放っておけばいいの。評議会のクソ連中と同じで、何をしても認める気なんて最初からないんだから』
あのアレシマの一件でハルカはユーリア議員の外遊に同伴し、用心棒としての実力を示したものの、それでも議会は未だ彼女を信じるに値しないと言っている。
『それより、あなたを必要としてくれる人を大事にしなさい』
「……はい」
そこまで話して、ふと疑問がわいた。
「ところで、議員もこんな時間まで起きていたんですか?」
『……眠れなくて』
「何かあったんですか?」
しばらく沈黙が続くが、彼女は議員の言葉をじっと待つ。そして聞こえてきたのは、弱々しい声だった。
『……あなたがいないからよ』
「……へ?」
聞き違いかと思い、彼女は呆けた声を出した。
『あなたの膝枕も、抱き枕もないから寝つきが悪くて!』
後半になるに従い、少し怒っている口調で議員は言った。
「あの~、そんなことで?」
『そんなこととは何よ!一度いい思いをしたが最後、ない時寂しくなるのは当然でしょ!』
「開き直りましたね」
「政治家は開き直る生き物なの!」
政治家というのはなんでもありなのだなあ、と彼女は思う。
『コトブキとの仕事をさっさと終わらせて、帰ってきてちょうだい』
「……はい」
『それと、連絡を忘れないこと。到着したって連絡がなくて、心配したんだから』
到着してそうそう、ドードー船長に追いかけ回されたり、エンマと言い合いになったせいで、彼女は議員に連絡を入れるのを忘れていたと、今更ながらに思い出す。
「申し訳ありません……」
『1日1回は、必ず連絡すること。いい?』
「わかりました」
『おやすみなさい』
「おやすみなさい、ユーリア議員」
無線が切れた。
「さて……」
彼女は、もう一度酒をあおった。
酔いが少し回っていたせいで、彼女は気づかなかった。
扉の影に隠れて、この光景を見ていたものがいたことに……。
「おはよう~!」
朝になり、元気な声でキリエが挨拶をする。
「おはよう……」
ハルカは眠そうに応える。
「ハルカどうしたの?眠そうだけど?」
「寝つきが悪くて……」
「ふ~ん。あんな遅くまで起きていれば、そりゃあ眠くもなりますわね」
目の前には、両腕を組んで仁王立ちしているエンマの姿があった。
「ちょっと、来ていただけませんこと」
返答する間もなく、ハルカはエンマに引きずられていく。
「で、何の用ですか?」
引きずられた先は、談話室。
「あなた、昨夜だれと話していましたの!?」
昨夜。それは、ユーリア議員と無線で話していたことだろう。
気づかなかったが、その現場を目撃されていたのだろう。
「ユーリア議員ですけど」
「本当ですの?空賊に、羽衣丸の座標を伝えていたんじゃありませんの!?」
「……違います。議員に確認してもらえればわかります」
「ですけど、ユーリア議員だけと連絡していたとは限りませんわ」
「……何が言いたいんですか?」
「こそこそしているあなたが悪いんですのよ。羽衣丸に無線機を持ち込んでいるなど、言ってなかったではありませんか」
「……いう必要がありましたか?」
そもそも、持っていけと言ったのはユーリア議員だし、あくまで公務ではなく個人的な連絡だけだ。
羽衣丸の設備を借りて私的な通信を行うなど、議員は嫌がるし、昨夜のような内容を聞かれるなど、公開処刑にも等しい。
「私たちに、隠し事ですの?」
エンマの目が、三日月のように細められる。
「さきの戦闘で少しは見直しましたが、やっぱり疑うしかありませんわね」
「何をしている、2人とも」
ザラを伴ったレオナが、朝から険しい表情で2人を見つめる。
「別に、ただ彼女が、私たちに隠れて誰かとお話していたようなので、誰なのかと問いただしていただけですわ」
「ハルカ、本当なのか?」
「……ユーリア議員と話していただけです。定期連絡をするように、と」
「本当かしら?議員と話した後、空賊やマフィアとでも話していたのではなくて」
「そんなことしません」
「それを、誰か証明できますの?」
彼女は言葉につまった。
そして、エンマは彼女に右手を出す。
「疑われたくないなら、出しなさい」
「ですけど、議員が連絡を入れるように、と」
「どうしても隠れてしなければならない理由でも、やましいことでもあるのかしら?」
「……わかりました」
彼女は部屋に戻り、無線をエンマに渡した。
「使うときはマダムの前で、いいですわね」
「……はい」
これ以上疑いの目を向けられないよう、彼女は条件をのむしかなかった。