そして最後の1機を落とそうとしたとき、彼女はその機体と塗装に見覚えが
あるようで、レオナからの帰還命令を無視して追いかけてしまう。
ヤクシで羽衣丸の修理を終え、オウニ商会は最終目的地、ショウトへの航路に乗る。
そして、事前情報の通り空賊が現れた。
「始動準備!」
ナツオ班長がイナーシャハンドルを回す。
「点火!」
合図でハルカはエンジンを始動させる。
暖気運転の間にチェック項目を消化。
問題ないことを確認すると、彼女は羽衣丸を飛び立っていった。
「空賊は、恐らくアリの巣団。97式戦闘機が12機」
『……気を付けて』
「了解」
彼女は速度を上げ、97式戦闘機の群れへと突っ込んでいった。
「むぅ~」
頬を膨らませながら、キリエは足踏みをする。
「キリエ、落ちつけ」
「落ち着いていられる!?なんでまだ彼女1人に戦わせるのさ!もう勘弁してあげてよ!」
「レオナが彼女の提案した条件を突っぱねたからですわ」
レオナが、きっとエンマをにらむ。
「あんな条件、認められるわけないだろう!」
「じゃあ、こうするしかありませんわよね」
怒りをにじませるレオナを、エンマは涼しい顔で流す。
そんな何度目かのやり取りを見て、ザラもため息を漏らす。
ふと、ケイトがハッチから空を見ているのに気づく。
「どうかした?」
ケイトは静かに言った。
「嵐が、来る」
空賊は、97式戦闘機12機が戦力のアリの巣団。速度で上回る彼女は、極力旋回戦には乗らず、速度と火力を生かした一撃離脱に徹し、すれ違い様に敵を落としていく。
レオナは空賊を追い払うことが用心棒の仕事だと言っていたが、敵を残してしまうと輸送船の位置を根城の仲間に伝えられてまた襲撃される可能性があるし、何より同族を撃てないのか、とエンマに疑われる隙を作ってしまう。
「……フフ」
彼女はそんな考えを脇へ押しやり、敵を落とすことに専念する。
少なくとも空戦の間は、何も考えずにすむ。
あらゆるしがらみから解放され、ただ落とすか、落とされるかの2つの選択肢に集約される単純な世界。そんな世界が、彼女には愛おしかった。
残り2機となった97式戦闘機の後方につき、彼女は機銃の引き金を引く。
13.2mm機銃と20mm機銃に耐えられるわけもなく、97式戦闘機は火を噴きながら落ちていく。
「……もう、おしまいか」
残念そうに彼女は言うと、妙な悪寒が体を震わせる。
咄嗟に操縦桿を倒し、左へ舵を切った。その直後、下方から小さな7.7mm機関銃の火線が駆け抜けていく。
機銃を放っている機体を見て、彼女は目を見開いた。
赤い稲妻のような模様が描かれた、零戦22型。
22型は彼女から逃走するように遠ざかっていく。
「あ!」
彼女はスロットルレバーを開き速度を上げ、22型を追いかける。
「副船長、低気圧が迫っています。羽衣丸を退避させたほうがよろしいかと」
「え?でもまだ戦闘は」
「ベティ、今すぐ退避しないと危険?」
「はい」
「わかったわ。今すぐ彼女に帰還命令を出して」
「了解」
ベティは無線のチャンネルをハルカの零戦に合わせる。
「ハルカさん、至急帰還してください。繰り返します」
彼女に帰還命令を出すが、零戦は遠ざかっていく。
「ハルカ、聞こえないのか!もういい、戻るんだ!」
『それは、できません』
隼の無線でレオナは呼びかけるが、ハルカの答えは拒否だった。
『エンマさんとの条件は、殲滅でしたよね。まだ残っています』
「いいか、嵐が迫っている。このままじゃ君を収容できなくなる。だからもういい。今すぐ戻るんだ!」
『空賊を逃がすと、羽衣丸の現在位置を知られることになります。さらなる襲撃を呼ぶことにもなりかねません。その可能性は、摘まなくちゃいけない』
「その可能性よりも、君の安全が大事だ!今すぐ戻れ!」
無線の向こうの彼女が、しばし沈黙する。
『申し訳ありません、レオナさん。叱責なら帰ってから受けます』
「ハルカ!」
『殲滅という条件は、満たさないと。もう、この問題を引きずり続けたくは、ないんです』
無線が切れた。レオナは何度も呼びかけるが、彼女が応えることはなかった。
「くそ!」
レオナは無線を船橋につなぐ。
「こちらレオナ、マダムは!?」
『ルゥルゥよ』
「出撃を許可してください!彼女を連れ戻します!」
『できないわ』
「マダム!」
『……ここで出たら、あなたも帰還できなくなる。大丈夫、あの子はこれくらいのことは何度も経験しているはずだし、羽衣丸の航路も頭に入れている。天候が落ち着いたら、合流できるはずよ』
「……しかし」
抗弁しようとしたレオナだったが、無線の向こうのマダムの無言の圧力に負け、つぶやくように言った。
「……わかりました」
彼女は無線を切り。隼から下りた。
「全く、命令違反の上に行方不明など、困ったものですわね」
レオナはその声に反応し、地面を蹴った。
彼女はエンマの胸倉をつかみ、彼女の隼の胴体側面に荒っぽく押さえつけた。
「な、なんですの?」
「誰の……」
つぶやくような、小さなレオナの声。
だが顔を上げると、エンマを、殺意を込めた瞳で見つめる。
「誰のせいでこうなったと思っている!?」
エンマは毅然とレオナを見返す。
「殲滅という条件をつけ、それを完遂するために彼女は帰還したくなかった。それでこんなことになった!いい加減、その要求を下げろ!」
「お断りしますわ」
「なぜ彼女をそこまで拒む!?彼女が空賊と繋がっていないことも、私たちをハメようとしていないことも十分わかるだろう!」
「そうやって警戒を緩めた瞬間が危ないのですわ」
エンマに譲る気はなかった。
どれだけ証拠を突きつけようとも、実体験に基づいている彼女に引くという文字はない。
引いた瞬間、空賊や悪党がどんな行動にでるか、よくわかっているからだ。
「お前がこれまであってきた空賊や悪党と、彼女は同じ人種だと?」
「以前はまさにそうでした。何年もそんなことを続けた人間が、少し改心したからと信用するのは危ないですわ」
「だから、君のかした無理難題を完遂しただろう!?」
「まだ終わりじゃありませんわ。ショウトに到着し、ラハマに帰還する。それまでは、警戒を緩めるべきではありませんわ」
「エンマ!」
エンマは、レオナをキッとにらむ。
「用心棒の仕事は、空賊を追い払うこと。あなたは彼女にそういいましたわよね?」
それは、レオナがハルカに気構えを変えるよう言った言葉だった。
「敵として戦っていた空賊に、足を洗ったからと肩を並べて戦えなど……。そんなことを要求するあなた方の方が、無理難題を突き付けているのではなくて!」
レオナが押し黙った。
エンマの家のことを考えれば、その言い分は間違っていない。
「まだ自身の足で歩いていれば違ったかもしれませんが、マダムや議員の威光をかさに着ている。そんな自分で歩こうという気のない人間を、信じろというのかしら!?」
「それは……」
レオナが押され始めた。
「元空賊を雇うなど、マダムにも困ったものですわ。彼女を敵にする恐怖に屈して、お金を払って雇うなど」
「エンマ、マダムへの侮辱はやめなさい」
「あら、ザラまで彼女の肩をもつというのですか?あなた方は、長年ともにあった仲間より、かつて自分たちを撃った敵を庇うというの?」
「そんなわけないじゃん!」
「そうそう」
「なら、なぜ彼女に警戒の1つもしないのかしら?皆がしないから、私がしているのですわ」
コトブキ全員が押し黙った。
「とにかく、私は彼女をまだ受け入れる気はありませんわ。まあ、マダムや議員の威光もなく、自分の足で歩けば、気も変わるかもしれませんが」
レオナの腕をはらって衣服の乱れを直し、エンマは去っていった。
「ザラ、私のしていることは、間違っているのだろうか……」
レオナは、長年の相棒のザラにつぶやくようにいった。
「エンマのように、ハルカに、私が何かを課すべきだったのだろうか?」
「そんなこと、できるわけないじゃない?彼女が空賊と繋がってないことを証明するために、空賊全員連れてきて証言でもさせるの?」
ザラはレオナに近寄り、彼女の肩に手を置く。
「それに、彼女に何かを課していいのは、雇い主のマダムだけ。そのマダムが大丈夫って言っているんだから、大丈夫でしょ?彼女を疑い続けることは、結局マダムを疑うことになるし」
「それは、そうだが……」
「……彼女が空賊につながっているというなら、なぜアレシマで多勢に無勢の中、ユーリア派の発起人である議員たちを守る必要があった?」
ケイトが静かに言った。
空賊と未だつながりがあるなら、ハメようとしているなら、さきのイケスカ動乱で空賊たちを支援していたイケスカを失墜させた存在、最大の障害で排除対象のユーリア議員を殺す機会であったアレシマでの対談の際、なぜ彼女は議員たちを守ったのか。
まして、彼女をユーリア議員はいつも秘書としてそばにおいているという。
彼女が空賊と繋がり、もし命を狙っている可能性があるなら、そんなことはできないはず。
そのとき、レオナの頭に1つの疑問がわいた。
マダムは、なぜハルカを共有するメンバーの1人になったのか。
賠償金が目的なら、彼女にいつも決まった額の送金を頼めばいい話。直接雇う必要性はないように感じられる。
あとの2人だってそうだ。いくら強い用心棒が欲しいとはいえ、元空賊。
世間でのイメージや印象が大きな影響を与える議員が、なぜ彼女を雇うことにしたのか。
何か、マダムは自分達に伝えていない理由があるように思えてならなかった。
「どうかした?」
「……いや」
首をかしげるザラに、レオナは首を横にふる。
「何か考えてた?」
相手を包み込むような、母性溢れる笑みに、レオナはほっとする。
「いや、何も」
「ほんと~?」
彼女は思考を打ち切った。
さっきザラが言ったように、ハルカを疑い続けるということは、結局その雇い主であるマダムを疑うことになる。
何年も信じてついてきた雇い主。世間のはみ出し者の集まりである、コトブキ飛行隊を雇ってくれている、マイペースな雇い主。
そんな彼女を、今更疑いたくはない。
「……ハルカ」
彼女は閉まり行くハッチを見つつ、つぶやいた。
「きっと大丈夫よ」
「……そうだな」
ザラの言葉に頷き、彼女たちは格納庫をあとにした。
渓谷の間を必死に逃げる赤い稲妻が描かれた零戦22型を、彼女は余裕の様子で追いかける。
無線のチャンネルを切りかえ、彼女は交信を試みる。
「目の前を飛ぶ22型パイロット、聞こえる?」
『な、なんだ突然!?誰だ貴様!』
声を聴いて、彼女は期待を裏切られたような落胆と、ほっと安心する気持ちが入り混じった感じがしたが、気持ちを抑え込んで言う。
「あんたの背後にいる零戦のパイロットだけど?」
『蒼い翼の零戦の!?くそ、ついてねえ。あの悪魔に遭遇するなんて聞いてねえぞ』
「聞きたいのだけど、あなた、誰に頼まれてその機体に乗っているの?」
『な、なんでそんなことを聞きたがる?』
「興味があるだけなの。それとその塗装、誰に教わったの?あと、応えないなら……」
彼女は、応えてもこたえなくても、最後は落とすつもりだ。
『ひぃ!し、知らねえよ!俺はただ、誰か知らねえ奴に、金が欲しけりゃこの機体に乗って羽衣丸を襲えっていわれて。そ、それだけだ!』
「あ、そうなの」
彼女は冷たい声で言い放ち、スロットルレバーについている機銃の引き金に手をかける。
「……さようなら」
機首の13.2mm機銃が火を噴き、前方を飛ぶ22型の主翼に命中。そのまま谷底へと落ちていった。
「……はぁ」
彼女は息をはくと、周囲を見渡す。
そして、風と雨をしのげる丁度良い場所を見つけ、着陸する。
ちょうど岩が突き出ていて、レイを覆い隠すのに都合がいい。機体を誘導すると、彼女はエンジンを切った。
風防を開けて下りると、彼女は機体の各部をチェックする。
「各部、異常なし、と」
彼女は点検を終えると、レイの着陸脚のそばに腰を下ろした。
愛機の翼の下から、彼女は荒れる空を見やる。
「レオナさんに、班長、怒っているよね……」
ヤクシの町の上空で彼女の命令を無視して敵を追いかけ、帰ったらナツオ班長とレオナさんから拳骨を受けた上に、正座させられて説教。
以降、彼女の命令は聞くと約束したのに、またもや命令無視して敵を追いかけた。
「叱責は帰ってから受けるっていったもんね。……絶対怒られる」
おそらくナツオ班長からも怒られるだろう。
赤い稲妻模様の零戦を追いかけてこの有様だ。
「何やっているんだろう、私」
もういない人を、未練がましく。亡霊でも追いかけているのだろうか。
彼女が知っているあの機体に乗っていた、あの人は、もう生きているはずがない。
あの機体は、リノウチ空戦で撃墜されたはずなのだから。
でも、彼女にはそれより気が重いことがあった。
彼女は体育据わりしている状態から、膝へ顔を押し付けた。
「いつまで続ければ、いんだろう」
エンマは、いつになればこの要求を取り下げてくれるのか。
終わりの見えない要求に、彼女は段々気がめいってきた。
―――そもそも、こんな要求を満たして、どうなるの?
こちらのことを疑い、信じる気のない者は、ガドール評議会でも沢山いた。そんな人間の要求を満たしたところで、意味がないのは百も承知。
でも、エンマが彼女を受け入れなければ、今のようなぎすぎすした空気を羽衣丸の、コトブキ飛行隊の中に作ってしまう。
生死をかける空戦をするのに、それはマイナスにしかならない。
だからその状況を一刻も早く終わらせるために。
―――終わらせてどうなるの?
彼女は、それまで考えないようにしていた事を、頭の中に浮かべた。
―――これから先、生きて、どうなるの?
一人しかいない環境で、彼女は思考がドンドン悪い方向へ向かっていく。
彼女は手帳を取り出すと、最後のページを開いた。
そこには、かつていた家族の写真が挟んである。
「……みんな」
彼女の表情が曇る。
―――何で、みんな、向こう側へ行ってしまったの?
―――私を、残して。
彼女が多くのお金を稼ぐために戦いの空をかけることにしたのも、空賊に身を落としたのも、全ては家族を守るため。
でも、今となっては守るべき人は、誰もいない。
帰るべき場所もない。
それどころか、行きたい場所、やりたいこと。そんなちょっとしたことさえ、彼女は思い浮かばなかった。
『私を、忘れないでいてくれるか?一緒に連れて行ってくれるか?』
『うん!絶対覚えているよ!いつかレイに乗って、色んな空を一緒に見に行くんだ!』
祖父の質問に、無邪気に応えたかつての自分。
「おじいちゃん……、みんな」
愛機と共に、色んな世界を見に行くと誓った、かつての自分。
でも、自分がどこへ行きつこうとも、その先に待っていてくれる人は、もういない。
「私は、みんながいてくれるなら、それでよかった……。ないなら、これから先なんて、もういらないよ……」
あったものが、突如失われた。
残っていた母親に、妹に弟も、向こう側へ行ってしまった。
家族が、大事な人々が、守りたい人たちがいたから、これから先も生きたいと思えた。
でも、それももうない。
何もない者にとって、生き続けることは、呪いや苦痛のようなものだ。
『最期を看取った証人として、己の命ある限り、行きつく所まで歩き続ける。死んだ者たちの想いや物語、全てを連れて。彼らの存在を、消させないためにも』
『それが残された、敵も味方の死も看取った、この機体に乗った私が、果たさなければならない、責務だった』
祖父の言葉が頭をよぎる。
わかっている。死者は過去だ。覚えている者たちの過去になった以上、記憶の中でしか生きられない。
でも、その責務を果たしたところで、何になる?
待っていてくれる人はいない。
彼らが生き返るわけでもない。
―――じゃあ、何のために。
『そんなに私のことが気に入らないなら、空戦のいざこざに紛れて、私を背後から撃てばいい』
『どうせ空戦の最中、誰が誰を撃ったかなんて、わかりにくいものです。私は1度、あなたをラハマ上空で落としている。なら、1度だけ報復することを許します。それで、終わりにしてください』
エンマに、自身が提案した条件。
今にして思えば、なぜあのような条件を提示したのか。
いくら防弾装備のある52型丙でも、どうなるかは明らかだ。
―――そっか……。
彼女は、その答えをすぐ察した。
―――自分で死ぬ勇気も、ないから。
―――誰かに、殺して欲しかったんだ。
そうすれば、家族のもとへ行けるから。
『今回のことが大々的に報じられているから、彼らの目に留まって、連絡でもくれればと思ったんだけど』
ユーリア議員は、まだ身内が生きている可能性を考えていた。
でも、例え生きていても、ハルカは会いたくないと考えていた。
理由はどうあれ、ハルカは彼らの大事な人たちを、守れなかったのだから。
顔を合わせたら、きっと罪を追求されたり、断罪される。
また守りたい人ができたところで、帰る場所ができたところで、無くす可能性だってある。
それが、こわかった。
だったら、もう身内などいない。そう自身に思い込ませるしかなかった。
『ごめんなさい……。私は、その、可愛い子が好きで、つい……』
ふと、頭の中をホナミ議員のことがよぎった。
先日、アレシマで彼女を乗ってきた飛行船まで護衛したとき、最後に抱きしめられた。
でも、不思議と嫌ではなかった。そのぬくもりに、彼女の声に、どこか安心している自分がいるのを感じていた。
いや、どこか、懐かしいような感じがした。
ふと、昔の記憶がよみがえってくる。
『〇〇〇、久しぶり』
『アスカ姉さんこそ、久しぶり』
『みてみて、この子が私の2人目の娘よ』
お母さんに引かれ、前に立たされた。目の前にいるのは、母親と似た顔をした人。姉妹だと言っていた。
慣れない大人との接触に、少し緊張した。何度も視線を合わそうとしたけど、そらしてを繰り返す。
目の前の女性は、やさしく微笑みかけてくれる。
でも、なぜか顔は思い出せない。
『はじめまして、私は〇〇〇。あなたのお母さんの妹よ』
『はじめ、まして。ハルカ、と、もうします』
『まだ小さいのに、丁寧な子ね』
「……なんで、思い出すんだろう」
それはまだ物心ついて間もない頃、母親の実家に遊びに行った時の記憶だった。
母親の実家の人々は、まだ元気だろうか。
とはいえ、最後に会いにいったのはリノウチ空戦の直前のこと。どんな人々であったのか、もう覚えていない。顔も思い出せない。彼らがどこに住んでいたのかも。
いや、例え存命でも、自分にはもう関係ないと、彼女は思考を止める。
生きていたところで、自分が元空賊で、彼らの大事な家族だった人々を守れなかった。
彼らが亡くなった原因の一端が自分にあるときけば、悲しみ、怒りの矛先を彼女に向けるはず。
「いまさら、合わせる顔もないよね」
どんな顔をして会えばいいのか、そんなこともわからない。
もう、ただ血がつながっているというだけの、他人だ。
何の感傷もない。
―――少し、寂しいよ……。
このまま、天候が回復したら、どこかへ去ってしまおうかと、そんな考えが頭をよぎるも、それでも厄介者の自分を雇ってくれている人々に、戦闘中に死ぬのはまだしも、そんな真似はできないと思いなおす。
でも、帰ればまた無茶な要求をこなす日々がくるのは、想像にかたくない。
「く……、ひっく」
瞳から、雫があふれ、彼女の頬を伝って流れ落ちる。
嵐の風の音、降り付ける雨音。
それらが、彼女の声を隠してくれる。
傍らに寄り添うように駐機されている、長年ともにある愛機だけが、その声を、黙って聞き届けた。
「天候が回復するのは、いつ頃?」
「ベティの予報ですと、あと数時間ほどらしいです」
「そう」
椅子に腰かけ、キセルを吸うマダムは、じっとレオナを見つめる。
「天候が回復次第、ハルカの捜索を始めます」
「……できるの?」
今羽衣丸には、コトブキ飛行隊6機全機が出撃可能状態にある。
「今は輸送の依頼中。この航路には、空賊が出ることが彼女の情報からわかっている。そんな中、全機で捜索に当たることは危険よ」
「じゃあ、2機で」
「少ないわね。そんな数で探す以上、彼女が避難している先の検討はついているのかしら?」
レオナは、机の上に広げられた地図を指さす。
「……彼女が追っていた零戦は、渓谷の中を逃げていきました。この渓谷は左右に入れる脇道がない、一本道です。この渓谷の上を羽衣丸は飛ぶ予定です。なら、渓谷に沿って探せば」
「それは、彼女も承知のことでしょう?なら、天候が収まれば合流できるわ」
積み荷がなければ停泊することもできるが、今は輸送依頼の最中。そんな中では彼女の捜索に長い時間をかけることはできない。
ハルカも航路は頭に入れているだろうし、逃げる零戦1機にやられたとも考えにくい。
何より、まもなく彼女の情報によると、隼1型10機の空賊が現れる予想地点に近い。
ここで、下手に羽衣丸の防備を薄くすることはできない。
「彼女のことが心配と思うけど、今は船を守ることを優先して」
「……わかりました」
レオナは、静かにいった。
ふと、静寂が支配した部屋に、機械の呼び出し音がなる。
音の発信源を見れば、ハルカが持ち込み、疑わしいからとエンマに預けた無線だった。
マダムは無線に近づくと、受信を押した。
「……誰?」
『……そっちこそ、誰よ?』
その声には聞き覚えがあった。
「ユーリア?」
『ルゥルゥ!?待って、その無線は定期連絡用にって、ハルカに持たせたものよ。なんでルゥルゥが出るの?』
今になって、マダムは迂闊に出たことを後悔した。
ユーリアは敵ではない。しかし、今彼女がいない状況で出たのは失敗だった。
「うちの子が疑り深くて。私の前で定期連絡をするようにって」
『……それで、あなたの部屋に置いてあるってわけ』
しばし、両者の間に沈黙が満ちる。
『まあいいわ。なら、ハルカに変わってくれないかしら?』
マダムは黙った。
『どうしたの?彼女を呼んできて変わってくれればいいだけでしょ?何で黙るのよ?』
「今、彼女は出られないの」
『あら?今回、あなたは羽衣丸に乗船しているはずよね?今戦闘中だというなら、船橋にいないで、なんで自室で私と会話ができるのかしら?』
レオナが変わった。
「失礼します、ユーリア議員」
『その声、コトブキ飛行隊の隊長さんね。彼女に変わってくれないかしら?』
「……実は」
ユーリア相手にごまかしはできないと悟ったのだろう。
レオナは、それまでのいきさつを話した。
『ふ~ん。つまり、空賊嫌いの要求で、あの子を無茶な条件で戦わせた挙句、その条件を満たすためにあの子は命令を無視して、今行方不明ってわけね』
「はい……、申し訳ございません」
無線の向こうのユーリア議員が黙った。その沈黙に、レオナとザラは恐怖のようなものを覚えた。
『あなたたち、行き先は?』
レオナはマダムに目配せする。彼女は頷いた。
「……ショウト、です」
『そう……』
それっきり、無線は切れた。
「……はあ~」
緊張がほぐれたのか、レオナは息を大きく吐き出した。
「申し訳ありません、マダム」
「いいのよ。私こそごめんなさい。彼女にごまかしはきかない。遅かれ早かれ、こうするしかなかったのよ」
「……エンマの要求については、どうします?」
「……これ以上、その要求はさせないで」
マダムは言った。
「これ以上続ければ、遠くない先、彼女を本当に失うことになりかねない。それに、エンマだって仕事でやっているんだから、私やレオナのいうことに従う義務があるわ」
「……はい」
「義務や責任で押さえつけるのは好きじゃないけど、このままじゃ、先にハルカさんがつぶれかねない。そうなったとき、あの2人は容赦しないわ」
権力に行動力のある政治家2人。どんな行動に出るかは、想像に難くない。
「ところで、マダム」
マダムはレオナに振り向き、先を促す。
「なぜマダムは、彼女を雇い、このような形で使うことにしたのですか?」
「私たち、コトブキがいるのに」
ザラが続いて、抱いていた疑問をぶつける。
「前にも言った通り、賠償金の取り立てが目的よ。あなたたちの腕を疑ってのことじゃない」
「では、送金という形をとらなかったのは?」
「……手札は多い方がいい。彼女の腕が確かなのは事実だし」
「そう、ですか」
「それに……」
マダムはつぶやくように言った。
「……彼女のためでも、あるの」
「彼女の?」
レオナとザラの疑問に、マダムは応えない。
今は応えるつもりはない、ということかもしれないと、2人はそれ以上追求しなかった。
それから約1時間後、羽衣丸はショウトへ向け、予定の航路を進んでいった。