そこで目にしたものに、彼女は衝撃を受ける。
議員は、なぜこの場所を訪れたのか。
そして、議員の口から告げられたのは……。
ホナミ議員に連れられ、ハルカはナガヤの町の中を歩く。
ひどくないとはいえ、ケガをしている人間を護衛として連れていくなど、あり得ないこと。
なので、何か別の意図があると彼女は察する。
「……どこへ行くんですか?」
「私の、大事な人の墓参りよ」
ナガヤは、かつてはユーハングの人々が多く住んでいた場所。
飛行機の技術や生産施設以外に、いくつもの文化がもたらされた。
お墓や墓参りが入ってきたのも、そのときだ。
「大事な人って、誰なんですか?」
沈黙していてもなんなので、彼女は素朴な話題を振る。
「私の姉さんよ。……空賊によって、命を奪われたの」
ハルカは胸が痛んだ。
かつて自分が感じた痛みを、この人も味わったのだろうか。
「そうですか……。それは……」
彼女はその先が言えなかった。
元空賊だった彼女は、何機もの用心棒を落としてきた。
被害者の中に、今の議員のような人間だっていたはずだ。
そう思うと、かける言葉がなかった。
「そういうとき……、こう思うこと、ありませんでしたか」
彼女は言った。
「彼らのあとを、追いたい、と……」
しばし沈黙が2人の間に満ちる。
1人残されて以降、ハルカの心からこの感情は消えなかった。
1人残されたくなかった。
一緒に居たかった。
おいて行かれたくなかった。
でも、さすがに墓参りにいく道中で聞くことではなかった、失礼だったと思い、彼女は先ほどの発言を撤回しようと口を開こうとする。
「確かに、姉さんの死を知ったときは悲しかった。あとを追いたいとも思ったわ」
応えてくれたことを意外に思いつつ、彼女は問う。
「じゃあ、なぜ追わなかったのですか?」
自分は追いたかったが、死ぬ勇気がなかった。誰かに撃たれそうになったときでさえ、未練がましく生にしがみついた。
先ほどの襲撃のときは悪運でも強かったのか、今もこうして生きている。
でも、だからといって生きる目的もない。
議員を引き留めたものは何だったのか、彼女は知りたくなった。
「親族の殆どは亡くなってしまったんだけど、姉さんの生んだ、可愛がっていた子供が、1人だけ生きていることがわかったの。姉さんの代わりに、その子の成長を見届けるまでは生きなければいけない。そう思ったの」
姉の残した、最後の忘れ形見を見届けたい。
それが、彼女を引き留めたものだった。
「……よほど、大事なんですね。そのお子さん」
「ええ、とっても、大事なの」
議員は即答した。
それほど大事に思われているなら、きっと子供も嬉しいことだろうと、彼女は思う。
「その子、名前はなんていうんですか?」
ホナミ議員は直ぐには応えず、しばし沈黙が訪れる。
「……その子の名前に、家族のみんなは願いを込めたの」
「願い?」
「彼方を目指し、自分達の知らない、見たことのない空を、世界を見にいってくれる。そのための道を、自身で切り開いていってくれる。見てきたものを伝えるために、必ず帰ってきてくれる。何かを探し求めて歩き続ける、旅人のように。姉さんたちは、その子の名前に、そんな願いを込めた。そうあってほしいと望み、そうあってくれると、みんなはその子を信じた」
「……随分、大きな願いですね」
「そうね、皆に愛され、大事にされていた子だった。その願いを込め、彼らはある言葉をその子の名前につかった」
ホナミ議員は立ち止まった。
「ユーハングで、とても遠くを意味する言葉を」
ハルカも足を止めた。
同時に、心臓の鼓動が激しさを増す。
『ユーハングでは、ハルカという言葉は、とても遠くのことを言うんだ』
『いつか、知らない世界を見に行ってくれる。自分の手で道を切り開いてくれる。君のお父さんは、その願いを名前に込めた。私は、君がそんな子になってくれると、信じているよ』
かつて自身の名前の由来について、祖父が語った言葉を思い出した。
―――なんで、同じことを言うの……。
戸惑う彼女をよそに、ホナミ議員は目的のものらしい墓石へと向かっていく。
そこに刻まれている名前を見て、彼女は目を見開いた。
ミコト
ミタカ
アカネ
カズヒラ
老衰でなくなった祖母の名に、リノウチ空戦で亡くなった、父親に姉、兄の名。
そしてよく見ると、新たな名前が刻まれていた。
アスカ
シブキ
スズカ
ウミワシ通商によって処分された、自身の母と弟に、妹の名。
刻まれていないのは、行方不明の祖父と、自分の名前。
この目の前にある墓石は……。
「どうして、このお墓を……」
彼女は議員に問う。
この墓石は、間違いなくハルカの、彼女の家のものだ。
なぜ、そこに議員が来たのか。
「どうして?」
ホナミ議員は花を供え、両手をしばし合わせた後、振り返った。
「……わからないの?」
議員は、少し寂しそうな顔をすると、左手を伸ばし、いつもしている銀縁の眼鏡を外した。
初めて見る彼女の素顔を見て、ハルカは驚いた。
―――似ている……。
眼鏡を外したホナミ議員は、髪の色は違うが、顔つきはそっくりだった。
生前の、彼女の母親に。
もっと言えば、ハルカにも似ている。
「これでも、わからない?」
彼女の声が、耳に届く。
以前アレシマで彼女を飛行船まで護衛したとき、ハルカは妙な懐かしさや、母親と話しているような錯覚に陥った。
ただの偶然だと思っていたが、ホナミ議員のイジツ語の発音が、なぜか母親にそっくりだったからだ。
そういえば、議員はこの墓のお参りに来たのは、自身の姉のためだと言っていた。
『〇〇〇、久しぶり』
『アスカ姉さんこそ、久しぶり』
『みてみて、この子が私の2人目の娘よ』
母の実家に遊びにいったとき、母は自分の妹という女性に娘の自分のことを紹介したことがあった。
もしかして、議員のいう姉というのは、ハルカの母親のことなのではないか。
そう察した瞬間、頭の底から記憶が浮上してくる。
リノウチ空戦でお父さんたちが亡くなって以降、生きるために戦いの空を翔ける中でいつしか思い出せなくなった、昔の記憶。
このときの相手の顔や、名前が鮮明に思い出せるようになる……。
そのとき、相手は顔に銀縁の眼鏡をかけていた。その、母親の妹の名前は……。
「ホナミ、
ホナミ議員は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに何かを懐かしむような表情になる。
次第に瞳が潤い始め、その視線の先がハルカをとらえる。
「やっと、思い出してくれたのね……」
ホナミはハルカに歩み寄ると、左右から手を伸ばし、彼女の頬を両手で包み込む。
「
頬から、彼女の手の平のぬくもりが伝わる。
「少し見ない間に、大きくなったのね」
彼女の視線は、何かを懐かしむような、目の前の彼女を見ながらも、どこか遠くを見ているようだった。
彼女と最後に出会ったのは、リノウチ空戦の直前だった。それからもう、9年もの歳月が流れている。
「髪の色や顔つき、体つきはアスカ姉さんに似たのね。本当に、昔の姉さんそっくり。でも、目元は、むしろミタカさんに似たのね。優しい顔をしているもの」
自身の姉とその夫の面影を彼女に見て、感傷に浸るホナミ議員。
一方、ハルカは胸の動悸が収まらない。
ホナミ議員にとって、ハルカの母親は血のつながった姉妹で、家族だった人物。
その大事な家族を失った原因が彼女にあるとわかれば、どういう感情を抱くのかは明らかだ。
この人は、ハルカを糾弾できる正当な理由がある。
「本当に、あなたと偶然再会できたとき、気づいてくれなくて、結構寂しかったのよ」
彼女は議員から離れる。すると、地面に手をついて頭を下げた。
「申し訳ありません!」
何のことか、ホナミ議員は驚く。
「あなたの、大事なお姉さんを、家族を、守れなくて……」
議員の表情に影がさした。
「本当に……、ごめんなさい……。私が憎いなら……、殺してくれても、構いませんから」
この人には、自分を糾弾、いや、報復する正当な理由がある。
これまで、未練たらしく生にしがみつき、生きたい理由も、死ぬ度胸もない。
そんな状況に、この人なら区切りをつけてくれるのではないか。彼女はそう思った。
少し顔を上げると、議員の履いている黒い靴のつま先が見える。
彼女は額が地面につくほど頭を下げた。
でも、いつまでたっても、何も起こらなかった。
恨み言も罵倒も聞こえてこず、自分に何かする様子もない。
恐る恐る、彼女は少し顔を上げた。
すると、そこには悲しそうな表情を浮かべる議員の姿があった。
「そんなこと、できるわけ、ないじゃない」
議員が彼女の背中に両腕を回し、気が付いたら腕の中に抱きしめられていた。
「あなたは、姉さんの残してくれた、最後の宝物。それを手にかけるなんて、私にはできないわ」
「なんで……」
ハルカは、叫ぶように言った。
「なんで、恨み言の1つも言わないんですか!?」
議員は、肩越しに聞こえる彼女の声を、黙って聞く。
「私は、あなたのお姉さんを、家族の命を、奪うきっかけを作った。私の選択が、あなたの家族が死ぬ原因になった。なのに、なんで恨み言の1つも言わないんですか!私が憎くないんですか!殺したいと思わないんですか!?」
初めて、彼女は他人に感情を吐露した。
偶然にも、エンマと言っていることが同じだった。
先日、彼女は自身を撃ってきたエンマに、謝る理由がないと言い放った。
そういわれたときの、彼女の気持ちが少し理解できた。
償いたくても、自分の罪を裁いてくれる人がいないというのは、存外苦しいことだった。
でなければ、自分の罪の重さに押しつぶされてしまいそうになる。
「憎いわけ、ないじゃない。あなたは、方法はどうあれ、姉さんを、残された家族を守ろうと必死になってくれた」
「でも、結局誰も守れなくて……。みんな、手から零れ落ちて……」
彼女の声に、次第に涙声が混ざり始めた。
「みんな、みんなひどいよ!お父さんも、お姉ちゃんも、お兄ちゃんも、帰ってくるって約束したのに、誰も帰ってこなくて……。お爺ちゃんは、結局見つからなくて。お母さんに弟に、妹も……。みんな、みんな私を置いて……、向こう側へ行って……」
ホナミ議員は、初めて彼女の思いを聞いた。
1人おいて行かれたことに対する寂しさと、誰も守れなかった罪悪感に押しつぶされそうになっている、彼女の心の内を。
「みんなに、会いに行きたい……、残されたくなんて、なかった。この先なんて、いりませんから……」
ホナミ議員は彼女を抱いたまま、墓石に向かい合うように振り返った。
そして腕を緩め、彼女の顔を見据える。
「私は、あなたが生きていてくれてよかったと思っている」
「……え?」
ハルカは、キョトンとした表情を浮かべる。
「あなたが生きていてくれたおかげで、姉さんの最期を知ることができた。みんながどういう最後を迎えたのか、知ることができた」
「でも、それだけしか……」
「おかげで、私は心の整理をつけることができた。このお墓に、姉さんたちの名前を刻む決心がついた」
『大事な人の最期に、必ず立ち会えるとは限らない。遺された家族が心の整理をつけるためにも、結末を伝えなければならない。生き残る者がいなければ、最後が伝わることはない。だからこそ、帰らなければならなかった。結果として、死神と呼ばれることになろうとも』
かつての祖父の言葉が、頭をよぎる。仲間の最後を看取り、それを伝える責任を負った祖父。
孫のハルカも、母親の最期を、母親の妹であるホナミ議員へと伝えることができた。
『最期を看取った証人として、己の命ある限り、行きつく所まで歩き続ける。死んだ者たちの想いや物語、全てを連れて。彼らの存在を、消させないためにも』
「あなたは、姉さんやみんなが生きていた、存在していた当時の事を知り、今も彼らが記憶の中に生きている。あなたは、みんなが存在したことの、たった1つの証明。あなたがいなくなったら、姉さんたちはこの世界から消えてしまう。お願い、彼らを消させないためにも、この先へ連れていくためにも、あなたは生きて」
『私を、忘れないでいてくれるか?一緒に連れて行ってくれるか?』
『うん!絶対覚えているよ!いつかレイに乗って、色んな空を一緒に見に行くんだ!』
自分が覚えている限り、皆は自分と共にいてくれる。
祖父は、タカヒトお爺ちゃんは、かつてそういった。
「みんなが、あなたを確かに愛していた。彼らはいなくってしまって、注いでくれた愛情に応えることはもうできないけど、あなたの名前にこめた願いは今も残っている。あなたはそうあってほしいとみんなは願って、あなたならそうあってくれると信じた」
ハルカという名に込められた、家族の願い。
自分達にはできなかったことを、きっとやってくれる。
そういう願いを込め、彼らは彼女ならそうあってくれると信じた。
「私に、そんな大きな願いは、重くて……」
「大丈夫、あなたは、1人じゃない」
ふと、ホナミ議員はため息を吐き出した。
「あなたには、あなたを必要としてくれる人や、一緒に飛んでくれる人、長年ともにある相棒が、あなたにはいるじゃない」
元空賊で、大きな被害をもたらしたことで賞金首に指定されていた自分を必要としてくれた、変わり者の3人の雇い主。
一緒に飛んでくれる、護衛隊やコトブキ飛行隊のみんな。
自分を送り出してくれる、整備班の人々。
自分の帰りを待ってくれていた、ナガヤの人々。
いつも一緒に飛んでくれる、父と祖父の残してくれた愛機。
「あなたのしたことは、確かに許されないことだったと思う」
空賊行為を働き、大きな被害を彼女はもたらした。
「でも、あなたは大事な人のために動いた。どんな状況下であっても、あなたは生き残ってきた。生きて、私のもとへ来てくれた」
ホナミ議員は、やさしい声で言った。
「そういう自分を、少しは認めてあげても、誇ってあげても、良いんじゃないかしら」
ハルカは言葉が出なかった。
自分の過去。消したいが、消し去ることのできないことを、誇ってもいいと言われたことに。
「ごめんなさいね。あなたたちが苦しかったときに、手を差し伸べることができなくて。これからは、私が姉さんの代わりに、あなたの未来を見届けていく。それに、あなたに会いたいって言っている人がいるの」
「……私、に?」
議員は頷いた。
「姉さんたちの願いにこたえるためにも、あなたに会いたいって言ってくれている人々のためにも。あなたを想ってくれている人々を悲しませないためにも……」
議員は、彼女を腕の中に抱いた。
離さないように、腕に力を込めて。
「これからを、一緒に生きて欲しいの」
ハルカの瞳から雫が零れ落ち、頬を伝り、滝のように次々あふれだす。彼女は議員の胸に顔をうずめ、大泣きした。
嬉しかった。生きて欲しいと、望まれたことが。
周囲に聞こえていようが関係なく、彼女は泣いた。
胸の中に押し込めていた感情、全てを吐き出すように。
議員は、そんな彼女の頭を撫でながら、泣き止むのを待った。
そして、物言わぬ墓石へと視線を向けると、彼女は頭の中で誓った。
腕の中で泣いている、彼らの残してくれた最後の遺産は、自分がこれからを見届けていくことを。
「まったく、世話がやけるんだから」
見たことないほど大泣きしているハルカ、彼女を抱きしめるホナミ議員。
そんな2人を少し離れた位置から隠れてみている、ユーリア議員とマダム・ルゥルゥ。
「こんなことなら、時間を置くことなくすぐ明かせばよかったじゃない……」
そのために、ハルカが自身を殺しかねない行動を平然ととる様を見てきて、いつも肝を冷やしてきた。
「でも、良かったじゃない?これで彼女の死にたがりの行動もなくなるでしょう」
「それはそうだけど……」
どこか不満そうなユーリアを、マダムは微笑みながら見つめる。
「どうかした?」
「どうもしないわよ」
「大方、自分が彼女と一番時間を過ごしているのに、ハルカさんの力になれなかったことが悔しいの?」
「……悪い?」
ユーリアは、彼女がガドールに来て間もなく、胸を張って歩くようにと言った。
彼女が寂しくないよう色々考えてきたつもりだったが、結局彼女が死んだ家族に引かれるのを止めることはできなかった。
今回ことで、ハルカはようやく肩の荷が少し下りた。
生きることを望まれ、消し去りたい過去を、少しは誇ってもいいと言われた。
ユーリアやマダムが同じことをいって、果たして彼女は同じようになっただろうか。
おそらく、悔しくてもそれはない。
ハルカは、家族を守れなかったことがずっと引っかかっていた。
おいて行かれたことが寂しくて、その寂しさを、ユーリアやマダムたちは、埋めることができなかった。
母親を守れなかったことを、全て許すことはできなくても、受け入れ、彼女を前に進ませることができるのは、ハルカの母親の妹であるホナミだけだ。
血がつながった、他人でない存在だからこそ、いえることがある。
それはわかっている。
でも、どこかユーリアは納得できなかった。
「なんにしても、これでとりあえず、ひと段落よ。彼女が生きてくれているし、もう今までのようなことはない。それで、いいじゃない?」
ユーリアはため息を吐き出した。
「……そうね」
二人は気づかれないよう、静かにその場を後にした。
彼女が生きていてくれるなら、賠償金の請求はできるし、また膝枕やら添い寝も請求できる。
心配かけた分、とりあえず割増で請求しようか。そんなことをユーリアは考えていた。