孤児院の子供から飛行機に乗せて欲しいとせ
がまれる。
なんとか断ろうとする彼女だが、それを聞いた
マダムはあることを思いついた。マダムのとった
行動とは……。
どこまでも広がる青い空、流れる白い雲、そして荒野。
そんな世界の一角にあるオアシスのような存在である町の片隅で、子供たちの楽しそうな声が響く。
「はい、できたよ~」
肩の下あたりまで伸ばした黒い髪を白いリボンで縛り、防寒用の茶色い上着、裾の方に青いラインの入った白色のスカートを身に着けた女性。ハルカは膝の上に座らせた幼い女の子の両脇に手を入れて浮かせると、地面に足を下ろさせる。
そして手鏡を取り出すと、彼女は地面に下ろした女の子へと向ける。
鏡に映し出された自分の顔を見て、女の子は驚きの表情を浮かべる。
「お~~!」
女の子は、髪を頭の左右で縛った、いわゆるツインテールの髪型に目を丸くしている。
そして気に入ったのか、目を輝かせる。
「可愛くなったね」
「お姉ちゃん、ありがとう!」
そういって、女の子は他の子たちのもとへと髪を自慢すべく駆けていく。
腰かけていた椅子から立ち上がり、そんな微笑ましい風景を眺めるハルカ。
そんな彼女の背後に、男の子が一人忍び足で近づいていく。
「わっ!」
男の子は背後から忍び寄り、ハルカのスカートの後ろ側を盛大にめくりあげた。
「きゃっ!」
彼女は慌ててスカートの裾を押さえた。
「う~ん、白か。しかも特に色気ないやつ」
悠長に感想を述べる男の子を、彼女は即座に頭をつかんで捕まえる。
そのときハルカがどんな表情を浮かべていたのはわからないが、少なくとも男の子は引きつった表情を浮かべていた。
「こ~ら。だめでしょ、女の子のスカートめくったりしちゃ」
「で、でも気になるんだもん!ヒラヒラしているものって!」
「気になってもだめなものはだめ、された子は恥ずかしい思いするんだから」
「でも~」
「ダメだよ~。こんなことしていたら、女の子みんなから嫌われちゃうよ~」
男の子は、上目遣いで彼女を見つめる。
「めっ!」
「……ごめんなさい」
男の子が謝ると、彼女は笑みを浮かべ、彼の頭をやさしくなでる。
「ちゃんと謝れたね、よしよし」
そんな彼女の背後に、またしても別の男の子が忍び寄る。
彼は両手を合わせて指を絡ませる中、人差し指だけを真っすぐ伸ばす。そして両手を腰だめに構え、両足を曲げて……。
「隙あり!」
両足で地面を踏みしめつつ、同時に腰だめに構えていた両手を伸ばし、突き出した人差し指をハルカのお尻へと突き刺した。
「いだっ!」
少年の指が彼女のスカートごと標的にめり込む。
「ヘヘヘ、作戦成功!」
と彼が思ったのもつかの間。
彼女は、即座に自身に刺さる少年の両手をつかみ上げた。
「ひっ!」
彼女は、口元は微笑んでいるものの、目は笑っていない暗い笑みを浮かべていた。
その表情に、少年の顔が成功した達成感を伴った楽しそうなものから、一瞬でおびえに変わった。
だが、すぐにハルカは表情を和らげる。
「こ~ら、人が痛がることやっちゃだめでしょ?」
そういって、彼女は少年のおでこを指でピン、とはじいた。
「それに、この技は相手にケガさせることもあるんだから、もうしないこと」
「え~」
「え~、じゃないでしょ?それに、もし君がこの技で指をけがしたらこの先、したいことができなくなるかもしれないんだよ」
「したいこと?」
「そう、文字を書いたり、食事したり、飛行機を操縦したりね」
「え!できなくなるの!?」
「指は大事なものなんだよ。いいの?できることが減っちゃうよ?」
「わかった、もうしない!」
「うんうん、……それで、何か言うことは?」
「いうこと?」
すると、彼女は少年の両頬をつかみ、軽く引っ張った。
「い、いたたた!」
「人が痛がることをしたんだから、いうことがあるでしょ?」
暗い笑みで、彼女は圧を加える。
「い、いま、ね、ねえひゃんも、人が痛がること、やっへいるぞ!」
「これはさっきのお返し。……すんごくびっくりしたし、何より痛かったんだからね~」
だが、少年はいうことが浮かばないのか、ただ彼女に頬を軽く引っ張られ続けている。
本当はこれくらいの痛みではなかったのだが、相手が幼いから加減をしている。
「悪いことしたら、いうことが、あ、る、で、しょ?」
「だ、だから、何をいえば……」
「……ごめんなさいは?」
「へ?」
頬を引っ張る手に、彼女は少し力を加える。
「……ごめんなさいは?」
「いててて!ご、ごめんなひゃい!もうしまひぇん!」
少年が謝ったところで、ようやく彼女は手を離した。
「じゃあ、もうさっきの技はしないこと。約束だよ」
「は~い……」
ハルカが子供たちと戯れる、そんな様子を遠巻きに眺める人影が4人。
「あははは……」
「これはこれは……」
「なんというか」
「お姉ちゃん、ね……」
子供たちと戯れ、悪さをすれば一瞬怖くも、優しさを含ませて注意する。その様子は、幼い妹や弟を可愛がる姉のような姿だった。
ここは、ラハマの一角にある身よりのない子供たちの居場所、ラハマの孤児院である。
そして遠巻きに様子を眺めるのは、孤児院の院長先生、土地の管理者のオウニ商会のマダム・ルゥルゥ、この孤児院出身のコトブキ飛行隊隊長のレオナ、長い付き合いの副隊長のザラである。
レオナたちは先日、ショウト市長が工業都市ナガヤへ発注した飛燕と部品の輸送を終え、ようやくラハマへと帰還することができた。
なので、依頼は終了。ハルカは本来ならガドールへと帰るはずだった。
だが、帰ろうと準備を始めようとしたとき、レオナとマダムから追加の依頼が入った。
どんな内容かと身構えた彼女に言い渡されたのは、ラハマの孤児院に来て欲しい、というものだった。
「ねえお姉ちゃん、私も髪結んで~」
「いいよ、おいで」
また椅子に腰かけ、膝の上に座らせた女の子の髪を結い始める。
この孤児院は、2度の危機に陥った。
地上げ屋が立ち退き要求をのませるため、空賊を使って騒音で圧力をかけた。
その際、レオナが先んじて帰ってきて、上空を旋回していた疾風2機を撃墜。
危機は去ったはずだった。
後日、また地上げ屋が戦力を増強してやってきた。
そのときはレオナたちもこの孤児院におり、キリエたち他のメンバーは出払っていた。
要求をのむしかないかと思ったとき、マダムが偶然ラハマを訪れていたハルカに依頼をして、上空に現れた疾風6機を撃墜させた。
そのときの印象が強く残っているのか、孤児院の子供たちから、あの零戦のパイロットに会いたい、という声を度々レオナたちは受けていた。
彼女がラハマに来ているし、ちょうどいいと考え、彼女を連れてきたのだった。
「はい、できたよ~」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
どうやら長い黒髪を三つ編みにしてもらえたようで、その子は喜んでいる。
「まさにお姉ちゃん、ね」
「私には、ああいったことはできないからな」
「あらあら、お姉ちゃんの株を取られて、悔しいの?」
ザラがレオナの頬を指で軽くつつく。
「そ、そういうわけじゃ……。それに、私は姉という存在がわからない。妹でもあり、姉でもあった彼女を相手取るのは、初めから無理なんだ」
レオナは、このラハマの孤児院出身である。そのため、幼い頃から仲間と育った記憶はあるが、両親や姉妹というものがわからなかった。
人間は、自身がされたようにしか他人にはできない。そんなことを言う人がいるが、そういった意味では、ハルカは両親がかつており、兄や姉、妹に弟もいた。
今は全て無くしてしまったが、自身がしてもらったことを覚えていて、こうやって他人にもしている。
妹であり、姉でもあった彼女。
少々痛い思いはしたものの、皆彼女になついている。
髪を結い終えたハルカは、レオナたちのもとに歩いてきた。
スカートの、お尻のあたりをさすりながら……。
「大丈夫か?」
苦笑しながらレオナは問う。
「ははは、ちょっと痛かったですけどね……。でも昔、弟に毎日のように同じことされていましたから、大丈夫です」
「ごめんなさいね、うちの子が……」
「あはは、まあ子供の内は、覚えたことを色々ためしたくなるものですから……」
口ではそういうものの、さする手を止めないあたり、相当痛かったのだろう。
「院長先生~」
ふと、さきほど髪をみつあみに結ってもらった女の子が駆け寄ってきた。
「どう?可愛い?」
その場でくるっと一回転すると、結んでもらった髪も一緒に回る。
「あらミキちゃん可愛い、よかったじゃない」
この子はミキといって、ハルカに会いたいと言ってきかなかった子だ。
先日、この孤児院に差出人不明の大金を送った人物がハルカだとわかった際、レオナとザラはここまで彼女を引きずってきた。
そのとき、彼女のことをカッコイイ、と言ったのはこの子だった。
髪の色が同じということもあってか、ハルカとミキが並ぶと、少し年の離れた姉妹のようだとレオナは微笑む。
ふと、ミキのお腹から虫の鳴き声がした。
彼女は顔を赤く染め、ハルカのスカートをつかんで彼女の後ろに隠れ、顔をうずめて赤くなった顔を隠した。
そんな様子に皆が笑みを浮かべる。
「そういえば、そろそろお昼時ね」
「そうだわ、早く準備しないと」
「院長~」
孤児院の女性職員が、何やら段ボールを抱えてきた。
「農家の方からお裾分けです」
フタを開けると、中には白い楕円形のものが沢山入っている。
「卵、こんなに沢山」
ハリマのような農業都市でもない限り、鶏の卵や乳製品にありつくことはいがいに難しい。飛行船で運ぶにも、卵は衝撃に気を付けなければならないし、牛乳は手早く運ばないと日持ちしないからだ。
コトブキ飛行隊のキリエがパンケーキを毎日のようにたべることができるのは、オウニ商会が別途手配しているためであって、普通はあんなに一日に何枚も食べることはできない。
「どうしようかしら?でも長い間放ってはおけないわよね」
折角のご厚意なのでありがたく頂戴したいものの、数が多い。院長先生はこれを短い間に使いきる料理を思いつけないようだ。
「あの、よければ手伝いましょうか?」
「ハルカさん、料理できるの?」
「母親の体調が悪くなってから、時々家事もやっていましたから」
彼女は材料を確認すると、作るものを考える。
「卵にお米に野菜に鶏肉。ケチャップは、ありますね」
彼女は院長先生とメニューを相談すると、調理にかかった。
手際よく野菜を刻み、ごはんとともに炒めると、ケチャップを加える。
炒めたケチャップの香りが鼻の奥をくすぐり、食欲を掻き立てる中、彼女は薄く焼いた卵の中に炒めたケチャップライスを入れ、慣れた手つきでフライパンを揺らして包んだ。
皿に盛りつけ、薄く焼いた卵にもケチャップをかける。
「はい、オムライスの完成!」
彼女の料理の腕を知らないレオナたちは、恐る恐るスプーンですくう。
口の中で、ケチャップで炒めたごはんと薄く焼いた卵の味が合わさる。
「……うまい」
レオナが意外そうに感想をもらした。
「あら、良い腕じゃない」
ザラは笑顔で箸を進める。
子供たちも気に入ったようで、嬉しそうに食べている。
「君は料理ができたんだな」
「昔、弟や妹がこれが食べたい、あれが食べたいって、色々せがまれて。それで覚えたんです」
「そうだったのか」
「あと、祖父から色々教わったんです」
そういう彼女の表情は冴えない。
この料理を作ってとせがんできた子たちはもうこの世におらず、教えてくれた人物も行方不明。
「でもよかったじゃないか、喜んでくれる人がいて」
「いい味付けね。羽衣丸のサルーンで出せるんじゃないかしら?」
「いえ、流石にリリコさんには敵わないでしょう……」
「でも、色々作れるならサルーンの手伝いにはいいかもしれないわね。あの子、時々単発の仕事でいないときがあるから」
マダムも気に入ったようで、順調に量が減っている。
幸いにして人に初めて作ったオムライスは、好評をえることができたのだった。
「ねえ、お姉ちゃん」
髪をみつあみに結った女の子、ミキはハルカの太ももに座ったまま振り向く。
ちなみにこの子は、以前は飛行機乗りのお姉ちゃんがいたらしいのだが、空戦で撃ち落されて亡くなったという。
そして、お姉ちゃんがいない寂しさからか、同じ髪の色をしているためか、ハルカのことをお姉ちゃんと呼んでいる。
彼女もそれを訂正する気はないようで、呼びたいように呼ばせている。
「空を飛ぶと、どんな景色が見えるの?」
「そうだね」
彼女が思い出すのは、祖父に乗せられ、初めてナガヤの空を飛んだ日の事。
「町の向こうが見えるよ。どこまでもつづく荒野や、広がる空をね」
「町の、向こう?」
彼女はこのラハマから出たことがないのか、首を傾げる。
子供で行動範囲が限られる間は、目に見える町が世界の全てだ。
「ねえ、お姉ちゃん」
「何?」
「私、その景色見てみたい。お姉ちゃんの飛行機に、乗せてくれない!?」
「……へ?」
一瞬唖然とした彼女だったが、すぐに脳が言葉の処理を開始する。
「いやあ、それは、ちょっと……」
「ダメなの?」
瞳を潤ませ、上目遣いで見上げてくるミキに、ハルカは言葉を詰まらせる。
彼女こと蒼い翼の零戦は、よくも悪くも有名である。
そこらへんを単機で飛んでいたら、どんなお礼参りに会うかわかったものではない。
そんな機体に、彼女を乗せることはできない。
ここは、きっぱり断らなければならない。
「えっと、ね……」
「あ!ミキだけずるい!私も乗りたい!」
「私も!」
「僕も!」
話を聞いていたのか、他の子たちも手を上げ始める。
「あの、みんな、その……」
「いいじゃない?」
ふと背後から声がしたので、彼女は咄嗟に振り向く。
「いいじゃない?乗せてあげれば」
「で、ですけど、こんなにたくさんは……」
「そうねえ」
マダムは口に手を当てて考える。
「なら、コトブキのメンバーにも頼みましょう」
「でも、それでも人数が……」
「なら自警団にもお願いしましょう。でも、それならいっそ……」
マダムは笑みを浮かべて、言い放った。
「いっそのこと、航空祭をやりましょう!」
「……航空祭?」
ミキが首を傾げる。
「住民の人々に、私たちのことを知ってもらういい機会にもなるわね」
するとマダムは無線を取り出す。
「さっそく市長に連絡を入れてやることにするわ」
マダムは、無線で何やら話始める。
「航空祭って?」
「要するに、飛行機をそばで見たり、飛んでいるところをみんなに披露して、楽しんでもらうお祭りのことだよ」
「普段なかなか見れないコトブキ飛行隊が、身近に見れるわね」
レオナとザラが補足する。
すると、子供たちは目をキラキラ輝かせ始める。
その後、マダムの行動力により、ラハマ航空祭の開催が決定したのだった。
決定からわずか2日後、航空祭がひらかれ、ラハマの飛行場のそばには人だかりができていた。
ラハマ名物ケチャップ丼や、アホウドリのから揚げ等色んなものを売る屋台が並び、滑走路のそばにはオウニ商会の輸送船、羽衣丸が係留されており、船長のドードー船長と副船長のサネアツが出迎え、操舵士のアンナやマリアたちが見学客を船内へ案内している。
一方、滑走路から少し離れた場所には、コトブキ飛行隊の6機の隼が並んでおり、少し間をあけて自警団の97式戦闘機や百式輸送機、赤とんぼ、町の守り神の雷電が並べられている。
そこにはレオナたちコトブキ飛行隊のメンバーや、ナツオ班長などの整備班、自警団員がいて機体の解説をしている。
尾翼に描かれているのがイジツでは人気の絵本のキャラクター、海のうーみであることや本人の人当たりの良さからか、チカと彼女の隼は子供たちに人気のようだ。
隊長のレオナや副隊長のザラの隼は、大人たちに人気を博している。
自警団の九七式戦闘機は、操縦席に座ることもできるようで、さきほどから子供をはじめ列ができている。
そんな中……。
「へ~、本当に蒼いんだ」
「こんな間近で見る機会があるなんて……」
ハルカの零戦はコトブキ飛行隊の隼のそばで展示されることになり、滅多にない機会だからと、零戦がこれ1機だけということもあってか人々が集まっていた。
「お姉ちゃんの飛行機強そうだね!」
孤児院の子供、ミキもこの場にいた。孤児院の院長先生から、お願いね、と頼まれてしまったのだった。
「そう?」
「うん!それに模様もかっこいいね!」
そう素直に感想を言われると、ハルカも少し照れ臭かった。
祖父のタカヒトお爺ちゃんが、イジツとユーハングがかつてつながっていたんだ、という意味を込めた青色の主翼や水色の丸の模様。
見慣れたハルカは特に何も思わなかったが、物珍しいようで人が次々やってくる。
彼女はミキの面倒を見ながら、来客の質問に丁寧に応えていく。
「ハ~ルカ~」
「キリエさん?」
赤いコートを着た、短くても豊かな黒髪を揺らす女性、キリエがやってきた。
その手には、いつものごとくパンケーキが握られていた。
「こういうときもパンケーキなんですか?」
「私の心から、パンケーキが消えることはないんだよ、ハルカ君」
胸を張りながら、彼女は自慢げに言う。
「出店で買ったんだけど、なかなかかな~。もう少しホイップがかかっていればいいんだけど……」
言いながらもパンケーキを胃に収める作業は止まらない。
「ね~、折角だからハルカの零戦よく見せてよ~」
「……自分の機体の解説はいいんですか?」
「いいのいいの、ケイトがいるから」
確かに、色んなことに詳しいケイトがいれば、解説など一人でこなしてしまいそうだ。
「なら、いいですけど……。あとで怒られてもしりませんよ?」
「大丈夫、大丈夫」
キリエは、パンケーキを全て口に収め、ごみをくず入れに捨てると、彼女の零戦の周りをまわって、全体を見る。
「そういえばさ、ハルカの機体の模様って、お爺ちゃんが考えたんだっけ?」
「ええ、イジツとユーハングが、確かにつながっていたんだって、そういう意味だそうで」
「そっか~。じゃあ、尾翼の模様も?」
彼女の零戦の垂直尾翼には、蒼を背景に、白い線が2本引かれ、それを貫くように斜めに雷を模したような模様が描かれていた。
「いえ……これは特には。でも、お爺ちゃんとお父さん、2人の機体の模様を合わせると、こんな模様になるんです」
「2人から受け継いだんだね」
「そういうキリエさんの隼の尾翼マーク。あれは?」
「ああ、あれはサブジーのマークが印象に残っていて、それをうろ覚えで書いたの」
「サブジー……、キリエさんに空を教えてくれた人でしたね」
以前ラハマで自警団につかまり、牢屋に収監されていたとき、鉄格子の前でキリエを話したときのことを彼女は思い出していた。
「そうそう。もう、いないんだけどね……」
キリエは口にしなかったが、あの自由博愛連合の会長、イサオに落とされてサブジーは亡くなった。協力を拒んだために。
「でも、キリエさんの中には、まだ生きています。忘れない限りは」
「そうだね」
キリエは、少し無理して笑顔を浮かべる。
「にしても、今日は随分重装備なんだね」
「ナツオ班長が、展示ならこれくらいしないとだめって……」
ハルカは苦笑を浮かべる。
彼女の機体は今、胴体下には250kg爆弾、主翼下にはロケットを装備した、いわばフル装備の状態で展示されている。
無論、火薬の類は抜いてある。
実際この状態で飛ぶことはできるし、地上攻撃の際にはこの姿だ。
だが今回に限っては、ナツオ班長の趣味でこの状態での展示となったのだった。
「いいね、強そうで」
「……そういう感想を抱くように、この状態で展示したんでしょうけどね」
『え~、来場の皆さま。ただいまより、飛行展示を行いま~す』
放送で、ザラの声が飛行場に響き渡る。
遠目に、ケイトの隼が飛び上がっていくのが目に入る。
「見に行こうか?」
「まあ見飽きてはいるけど、いこうか」
キリエと並んで、ミキの手を引きながら、彼らは滑走路近くへ移動する。
コトブキの中で、空戦機動が最もうまいケイト。
飛び立ったら、上空でのロール、旋回、宙返りなど基本的な動きを披露したのち、急降下からの上昇に水平飛行。
あくまでお祭りなので、安全を配慮した動きに限られているようだ。
どれもお手本のように綺麗で、観客皆が空を見上げている。
そしてケイトはある程度高度を取ると、機首を下げた。
「あ、始まった」
キリエはその内容を察したようだ。
ケイトは機首を下げ続け、上下が反転した状態での宙返り、逆G旋回を始めた。
初めは興味深々で見つめていた観客らも、その異常ともいえる行動に驚きの色が表情に滲み、遂には顔が引きつって口をあけて固まる始末だった。
『え~。これは、逆回転宙返りといいまして……、通常とは反対の向きで行う宙返りです……。頭に血がのぼり、苦しい状態が持続しますので、ケイト以外の人々は決して真似しないでくださいね~』
ザラは放送で、あくまで真似をしないようにという。
心配しなくても誰も真似できないと、コトブキ飛行隊とオウニ商会の人々は知っている。
飛行展示を終え、ケイトの隼が滑走路に降りてきた。
「それじゃあ、最後の項目ね」
「じゃあみんな、準備にかかってくれ」
レオナの指示でザラたちは自分の機体へと向かっていく。
「最後は何ですか?」
「体験搭乗だ。孤児院のこどもや希望者を機体に乗せ、ラハマの周りを周回するんだ」
滑走路脇では、ザラたち以外に、自警団の九七戦、百式輸送機数機が発進準備と搭乗を始めている。
「もともとこれをするだけだったのに、航空祭ってお祭りにしちゃうんですから、マダムは加減がないですね」
「まあ、オウニ商会や自警団のことを知ってもらういい機会でもある。まして自警団はかつて、町のお荷物なんていわれていたんだからな」
それほどにラハマが空賊被害からは無縁だった証拠でもあるが、決していいことではない。
お荷物と言われた自警団であったが、最近はそのイメージも大分払拭されたようだ。だが、維持するのは大変。
こういう機会を活用することも必要だと、団長たちは判断したのだろう。
「レオナ!」
レオナに子供が抱き着いた。孤児院にいた、ミユリという子供だった。
「それじゃあ、行こうか」
彼女はミユリの手を引いて隼へと足を向ける。
「がんばってくださいね~」
ハルカは手を振る。そんな彼女にレオナは、笑みを浮かべたまま振り向いた。
「何を言っているんだ?君もするんだぞ」
「……へ?」
数秒ほど沈黙がその場に満ちた。
「あの、私への依頼は地上展示だけだって……」
蒼い翼の零戦。それがどれほど多くの恨みをかっているか。
いつお礼参りに会うかもわからない機体に、人を乗せることはできない。
「その予定だったが、どうしても君の零戦がいいと聞かない子供がいてな。マダムも断り切れなかったから、話を受けることにしたんだ」
「ちょ、聞いてませんよ!」
「安心してくれ。今君の機体はナツオ班長たちが展示の状態から不要なものを外して、間もなく準備が完了する」
「随分手際がいいですね!」
「……こうすれば君も断れないだろう?」
事前に言えば何かしら理由をつけて断ることを想定したから、直前で明かしたのだろう。
「お姉ちゃん!」
ふとお腹に衝撃を感じた。
ぐえっというハルカに対し、抱き着いてきた子供、ミキは笑みを浮かべている。
「お姉ちゃん、お願い聞いてくれてありがとう!」
「ごめんなさいね、どうしてもあなたがいいって聞かなくて……」
そういえば、先日孤児院でこの子に、飛行機に乗せて欲しいと言われたのだった。あの時はこの子の真っすぐな瞳を前に断れなかった。
かといって、今この場でダメなんて言いにくい。
ミキの期待に満ち溢れた瞳や微笑みを前に、彼女は口が開けない。
「さあ、ここまで喜んでいる子を前に、断る度胸が君にあるのかな?」
ありません、彼女は内心そう思ったに違いない。
愛機のレイのエンジンを始動させ、動作確認を済ませると、彼女は一度機体から下りる。
「お願いね」
「はい!」
ミキを抱きかかえながら、彼女は零戦の操縦席へと入る。
座席の位置を調整し、彼女を膝の上に乗せる。
「ほお~」
彼女は操縦席の中が物珍しいようで、きょろきょろとみている。
「しっかり捕まっていて。それから、周りのものには触らないでね」
「うん!」
彼女はハルカの防寒用の上着をぎゅっと握り締める。
そして発進準備が整っていることを確認し、手を振って班長に車輪止めを外してもらう。
動き出したコトブキ飛行隊の6機の隼の最後尾に続き、彼女も機体を滑走路へ誘導する。
「動いた!」
彼女は楽しそうに風防から周囲を見回す。
『全機、確認するが今回はラハマの周りを周回飛行するだけだ。危険な機動を取らないように。卵を乗せているんだ。殻を割らないように』
万一の場合は、雷電や一部九七式戦闘機が同伴するため、彼らが対処することになっているらしい。
滑走路へ到達した彼らは、順番に空へと飛び立っていった。
上空に到着すると、百式輸送機を中心に回りを戦闘機が囲むように飛ぶ。
皆、外を見ようと窓に張り付いている。
「ほお~」
ハルカの目の前にいる孤児院の子供、ミキも零戦の風防から周りを眺めている。
「お姉ちゃん、ラハマの周りってこうなっているんだね!」
「うん」
「空ってこんなに広いんだね!」
「まだまだこんなものじゃないよ。どこまでも、この空は広がっているんだよ」
彼女は緩やかに、周囲と同じタイミングで旋回する。
笑顔を浮かべながら、遠くを見つめる彼女を見て、ハルカはかつての自分を思い出していた。
祖父のタカヒトお爺ちゃんに、52型丙に乗せてもらって、初めてナガヤの周りを飛んだとき。
自分も、こんな反応を示していたのだろうか。
そして、次に浮かんだのは……。
「お姉ちゃん……」
彼女の声が聞こえ、ハルカは視線を向けた。
「ごめん、何?」
途端、彼女は表情を曇らせた。
「お姉ちゃん、泣いているの?」
「え……」
いわれて初めてハルカは気が付いた。自身の頬を伝う雫に。
「私、何かした?」
「そ、そんなことないよ!ただまつ毛が目に入って痛かっただけだから」
「そう、なの?」
「そうだよ、だから気にしないで。ね」
彼女は慌てて否定した。
「……うん!」
ミキに笑顔が戻った。
幸い襲撃もなく、航空祭の体験搭乗は、無事に終えることができたのだった。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
元気よく手を振りながら、ミキや孤児院の子供たちは先生たちと共に帰っていった。
ハルカも、彼女に手を振り返した。
「はあ~疲れた」
「自由に飛べないっていうのも、結構窮屈だった~」
「子供を乗せながらの空戦機動は危険。今回の周回飛行は適切な行動」
「わかっているけどさ~」
キリエにチカはどこか不満そうにしている。
「みんなお疲れ様。帰って休んでちょうだい」
マダムの言葉で、この日は解散となった。
キリエたちが羽衣丸へ向かっていく一方、ハルカは愛機へ向かっていく。
すると、突如肩を掴まれた。
「少しいいか?」
振り向いた先には、有無を言わせない、真剣な表情をしたレオナがいた。
ハルカは、黙ってうなずくしかなかった。
格納庫の椅子に座ると、レオナが口を開いた。
「ミキから聞いたぞ。周回飛行中に泣いたそうだな」
「泣いたというか……、涙が流れただけというか」
「それを泣いたというんだ。彼女が心配していたぞ」
幼い子供に心配されるとは、彼女は頭を抱えた。
「何かあったのか?」
「いえ、あくまで個人的な問題で」
すると、レオナは目を細め、顔を近づけてきた。
「個人的な問題、そういえば問い詰められないとでも思ったか?」
「それ以上踏み込まないでという意味ですが……」
さらに顔が近づいてくる。
「君の場合、踏み込まないと危険なんだ。君の大丈夫が信用できないようにな」
その個人的な悩みを放置した結果、彼女はエンマに自分を撃たせたり、一人で多勢の中戦い、最後は敵に撃ち殺される、などという行動をとった。
隊長が慎重になるのも無理からぬことである。
「……それで?」
どんな悩みなのか言え、と暗に視線で問いかけてくる。
視線をそらそうとも、レオナの瞳は微動だにしない。
ついにはハルカが根負けし、大きく息を吐き出した。
「私は、……ひどい姉だったな、と」
「……どういう意味だ?」
「言葉通りの意味です」
ハルカの表情が曇る。
「今日の体験搭乗で、喜んでくれたミキを見ていて、祖父といっしょに初めて空を飛んだ日のことを思い出したんです。でも……」
彼女は少し沈黙する。
「同時に思ったんです。私は、自分の弟や妹に、楽しい思い出の1つさえ、残してあげられなかったこと」
病気だった母親だけではない。幼かった弟や妹を守るために、彼女は空を飛び始めた。
彼女が家にいる時間は少なく、せいぜい夕食のときと寝る時間くらいのもの。
甘えたかったであろう弟や妹の相手をできた時間は少なかった。
そしてナガヤを出てウミワシ通商に入ってからは、弟と妹は寮のある学校に通うことになったので、会いにいったのは年に1度くらいのもの。
一緒に遊んだり、何かをしたり、自分が祖父にしてもらったような空の広さや飛ぶ楽しさといった思い出1つさえ、彼らには残せなかった。
ついにはウミワシ通商によって、母親と一緒に処分されてしまった。
「でも、ミキは喜んでいたぞ」
「ただの……、代償行為です。亡くなった弟と妹の身代わりに、彼らをしようとして……」
ハルカだってわかっている。ミキや孤児院の子供たちは、死んだ弟や妹じゃない。
彼らの変わりなど、この世界のどこにも存在しない。
でも、それでも、人は清算を求める。どこかで、区切りをつけるためにも。
「それの何が問題だ?ミキや子供たちは喜んでいた。それが答えだ。純粋の善意じゃなく偽善であっても、彼らが笑顔を浮かべてくれるなら、それでいいじゃないか」
「それは……」
「それから、これは失礼な推測になるんだが……」
レオナは一度考えるように黙り、しばらくして口を開いた。
「君は本当に、弟や妹に思い出の1つも残せなかったのか?」
「……はい」
「私はそうは思わないぞ。孤児院で作ってくれた料理、あれは弟たちにせがまれて作り方を覚えたんだろう?」
「……ええ」
「弟や妹のお願いを叶える。いいお姉さんしているんじゃないか?」
「でも、一緒に居られた時間は、短くて」
「時間の長い短いは問題じゃない。例えば、キリエのサブジーの話は聞いたか?」
「はい」
「キリエは、その爺さんと少しの間しか一緒にいなかった。それでも、時々思い出しているようだし、キリエが空を飛ぶきっかけになった。尾翼のマークも真似するほどだ」
「あのマークはそういう意味だったんですか」
「ああ。たとえ過ごせた時間が短くても、キリエは彼のことをずっと覚えている。大事な思い出としてな」
初めて広い空を見せてもらった、大事な思い出を、今も持ち続けているのだろう。
「君と過ごした限られた時間は、きっと大事なものだったと思う。君にとっては、違うのか?」
「そんなわけないです」
「なら、それが答えなんじゃないか?」
短い間ではあったが、一緒に居た時の弟や妹は、いつも笑顔を浮かべていた。
「過去は変えられない。君が以前いったように、時計の針は巻き戻せない。でも、これからは変えていける」
レオナは、ハルカの頭に右手を乗せる。
「もう、亡くなった彼らに謝り続けるような、そんな生き方はしない。そう誓ったんだろう、この間」
ナガヤにあるお墓の前で、彼女はそう言葉にした。
「はい……」
「なら、もう必要以上に考え込まないことだ。それじゃあ、先にいった彼らは、いつまでも安心できないぞ」
「……そうですね」
先に逝った彼らに、謝るような生き方は、もうしたくない。
「それと、孤児院の院長先生からお願いなんだが」
彼女は顔を上げる。
「時々でいいから、来てほしいそうだ。会いたがっている子もいる」
「はい、……勿論です」
彼女は微笑んだ。
たとえ代償行為であれ、それで笑ってくれる人がいる。
レオナの言う通り、それでいいのかもしれない。
それに、暗い姉など、かつての弟や妹は見たくもないだろう。
彼らの好きだった姉で居続けたい。それが、今できることだ。
「ところで、レオナさん」
ハルカはふと、頭に置かれた彼女の右手を指さした。
「嫌だったか?」
「嫌というか……、子供扱いですよね、これ」
レオナはくすっと笑った。
「実際、私より年下だろう?」
「そりゃあ、そうですけど」
彼女は頬を赤く染め、視線を逸らす。初めて見る彼女の反応に、レオナはまた笑った。
「こういうこと、あんまりしすぎない方がいいんじゃないですか?してほしい人が見ているかもしれませんよ」
「例えば?」
「ザラさん、とか?」
先日、レオナとザラの領空を侵犯したせいで、ザラから色々されたが、その際彼女は頭をよくなでられるハルカのことを羨ましいといっていた。
「ザラにはできないな」
「なぜですか?」
「ザラと歳は同じだし、彼女は相棒っていう感じだからな。こういうことはできない」
少しのことで彼女は満足してくれるというのに、やはり機微に疎い隊長さんにはそのあたりは期待できないのだろうか、と彼女はがっくりする。
「じゃあ、私にはなんでするんですか?」
すると、レオナは目を丸くした。
「なんでだろうな」
「はぐらかさないでくださいよ~」
「いいだろう、嫌じゃないなら」
レオナは、彼女を見ていて時々思うことがあった。
かつて、一心不乱と呼ばれるほどに、空を翔けた自分。
家族を守るため、幼いころから空を翔けたハルカ。
彼女を見ていると、時折かつての自分を見ているような、そんな感覚にとらわれた。
レオナはザラに出会えたが、彼女が拾われたのは空賊。
かつて自身がザラにされたように、自分も彼女にしたかった。そうやって、かつての自分と似た彼女を少しでも救いたかった。
ただ、それだけだ。
確かに、やっていることは彼女が言った通り、代償や身代わりなのだろう。
それでも、レオナは教えたかった。
かつての自分に、目の前の彼女に。
暗い穴倉の中でもがくことになっても、いつか自分を想ってくれる人に、いつか会える。
確かに、いるんだよ。
それだけの、単純だけど彼女が見落としていることを。
「まあ何はともあれ、これで死ねない理由が1つ増えたな」
「そうですね」
自分のことを慕ってくれる人を、悲しませたくはない。
かつて自分が味わった悲しみを、経験してほしくない。
そのために、必ず帰ってくる。
「なら、これまでの自分の行動を省みて、今後は、いいな?」
「はい!」
もう自暴自棄な行動はしない。ハルカは、そう思いなおした。
そして彼女はガドールへと向け、飛び立っていった。
なお、このやり取りをみていたザラは不機嫌となり、レオナは機嫌を直してもらうべく彼女を酒場に誘い、財布がハチの巣にされてしまったのは、この日の夜のことであった。