何もすることがなく無為に時間が過ぎていく中、
現れたキリエと何気ない話をする。2人は互いに、
空を飛ぶきっかけをくれた人たちのことを話す。
「はあ……」
取り調べが終わったハルカは、取り調べ室から隔離室へ移された。
いわゆる鉄格子、牢屋の中だ。といっても外が見える格子の部分は壁の半分もない。
手錠は外してもらえたが、ベッドと簡易トイレに洗面台以外ないこの部屋で、いつまでこうして時間を浪費していればいいか先が見えない。
ハッキリしていることは、少なくともここからすぐ出られる可能性が低いということだけだった。
空賊行為を働いた以上、ラハマが彼女を簡単に解放するとは考えにくいし、罰則として何かしらの制裁が下されるか、高額な賠償金を払わされるか、荒野に放り出されるか、最悪殺されるか、いずれにしてもろくな末路ではない。
「……母さん」
ナカイの仕事をこなし続けなければ、母の治療は中断され、弟に妹も学校を追い出され、彼らの平穏な暮らしが終わってしまう。
「なんとかして、ここからでないと……」
だが問題がある。
ラハマの周囲に広がるのは荒野。徒歩で別の都市へいこうにも距離が遠すぎて、途中で野垂れ死ぬことは想像に難くない。
かといって零戦を使おうにも、修理をして燃料を補充しなければ飛ぶことができない。
「どうしたものか……」
鉄格子の中で頭を抱えていると、廊下の突き当りにある扉が開き、見覚えのある赤いコートを着た人物が歩いてきた。
「……あなた」
「あはは、昼間ぶり、だね……」
コトブキ飛行隊の1人、昼どきにある店で同志といった、ハルカのことを庇ってくれた少女、キリエだった。
キリエは鉄格子の前にやってくると、彼女と向き合う形で床に座った。
「……空賊、だったんだね」
ハルカは視線をそらし、軽く頷いた。
「……いや~、ハルカって強いんだね。あっという間に私のこと落として。あんなに腕いいのに、なんで空賊に?」
どうせやることもないからと、ハルカはキリエとのおしゃべりに付き合うことにした。
「……家族と生きていくためにはお金がいる。でも、幼かった私を雇ってくれるところなんてなくて。そのとき誘いをくれたのが、ウミワシ通商だった」
「……空賊だって気づいて、抜けようとは思わなかったの?」
「他に行くあてがなかった。母親を病院へ、弟に妹を学校へ入れるには、普通の稼ぎではだめだった」
一時は用心棒といったまともな仕事をしていた時期もあったが、病気で日々体調が悪化していく母親を見て、時間がないことを彼女は悟り、ナカイの誘いにのるしか選択肢がなかった。
「家族のために飛ぶ、か……」
「……キリエさんは、なんで飛ぶの?」
自分が空賊とわかったにも関わらず、なおも話しかけてくるキリエに興味がわいたのか、質問をしてみる。
「私?う~んと……」
彼女は両腕を胸の前で組み、あーでもない、こうでもないと唸っている。
間もなく、彼女は口から言葉を絞り出すように言った。
「パンケーキを食べるため!」
その人並というか、慎ましい目的に、ハルカは首を傾げた。
「……食費稼ぎ?」
「それもある、かな。でも、もっと遠くの世界を見に行ってみたい、ていうのはあるかな」
「遠くの世界?」
「昔、空を飛ぶ楽しさを、世界の広さを教えてくれた人がいたの」
キリエは、自分に初めて広いイジツの空を見せてくれた老人、サブジーのことを思い出す。
「周りからは変人って言われていたけど、その人の零戦に乗せてもらって、そのとき初めて、この世界が広いっていうことを知ったの」
初めてサブジーに空を飛ぶこと、この世界の広さを、どこまでも続く蒼天を見せてもらった。
「だから、あの先にはどんな世界が広がっているのかなって。いつか、見たことない場所を、見に行ってみたいって」
「……見たことない、場所」
「ハルカは、そういう思い出、ないの?」
すると彼女は膝に顔をうずめ、黙り込んだ。キリエは何か言ってはまずいことを口にしたのかと心配したが、間もなく彼女は顔を上げた。
「……私も、空を飛ぶ楽しさを、教えてくれた人がいた」
キリエは静かに話を聞く。
「私の祖父。飛行機の操縦が上手くて、私の家族は、みんな教わった」
「おじいさんは、どんな機体に乗っていたの?」
「……私と同じ52型丙。あれは、祖父が乗っていたものを、飛行機の製造をしていたお父さんが時間をかけて、祖父に教わりながら作ったものなの……」
「じゃあ、あなたの零戦は、おじいさんとお父さんが一緒に作ったものなんだ」
「……でも、なんでか祖父は、あの機体のことを死神だっていっていた」
「……死、神?」
「守った味方が死ぬのを横目に、あの機体に乗った自分たちは帰ることができたからだ、って言っていた。それがどういう意味だったのか、詳しいことは聞けなかった。数年前にイケスカに行ったきり、行方不明になった……」
ハルカは、少々祖父のことをぼかして言う。
「……そっか」
キリエはハルカの寂しさが理解できた。
サブジーとの思い出は数えるほどしかない。
でも、今の彼女を形作る上で、空を飛ぶきっかけを作ってくれた。
のちにイケスカでイサオと戦ったとき、彼の口からサブジーを落としたことを軽い調子で告げられたとき、キリエは腹の底から湧き上がる激しい怒りにかられた。
最終的にイサオを落とすことは叶わなかったが、彼の思惑を頓挫させることには成功した。
最後に、例え幻であっても、サブジーと、言葉を交わすことができた。
それでもやっぱり、生きていてほしかった。
また、会いたかった。
私達は、色んなものを失いながら生きている。
キリエはサブジーを失った。
彼を失った寂しさを埋めてくれるものは、存在しない。
「リノウチでお父さんに、兄、姉が依頼で参戦したけど、みんな、帰ってこなかった……」
「……それで、空賊の誘いに」
「生きていくにはお金がいる。それにこれ以上、家族を奪われないようにするには、奪う側になるしかなかった」
キリエは黙っていた。これまであった空賊は、改心したエリート興業を除けば、他はあくどいことや違法なことを平然とでき、威圧的な態度をとるゴロツキと呼ばれる者たちが大半だったし、だから空賊行為ができるのだろうと、そう思っていた。
だが、やむにやまれず、生きるためにそうなる人間もいる。
たとえ、許されない行為だと、わかっていても。
「……そして空を飛ぶことを、いつしか楽しいなんて、思えなくなった」
「……大事な人のために、無我夢中で翔けたんだね」
かつて知った、空を飛ぶ楽しささえ、いつしか忘れてしまうほどに。
「その、残った大事な人たち、今はどうしているの?」
「母親は体を壊して病院。弟に妹は遠くの学校へ……」
「そっか……。私にはそういった人がいないからよくわからないんだけど、その人たち、今も元気なの?」
キリエの何気ない質問に、彼女は一瞬つまった。
「最後に会ったのは、1年少し前かな……」
「会えなくて寂しくないの?」
「……寂しいよ。でも、依頼が多くて、そんな間が、なかなかできなくて。お金だっているし」
ナカイは依頼が終わったそばから、また次の襲撃計画をたてる。実行するのはハルカなために、なかなか休みがもらえない。
なので、手紙でのやり取りが主になってしまう。
「そっか……。でも、ハルカには折角家族が残っているんだから、まめに会いに行かないとだめだよ」
キリエの言葉が胸に突き刺さる。
思えば、切れ目なく依頼がやってくるせいで、いつしか失念していた。お金を稼ぐことは大事だが、それはあくまで家族の生活のためという手段のはず。
大事な人々を蔑ろにしていて、いいわけない。
キリエはその場から立った。
「言いたかったのはそれだけ……。じゃあね!」
彼女は廊下を足早に歩いていく。
これ以上彼女の話を聞いていたら、空賊や悪党からみんなを守る用心棒、そう自分を思いこませてきたものが、揺らぎそうになってしまうから。
キリエが廊下を速足でさっていくのを見届けた顔が2つ、廊下の角に潜んでいた。
「盗み聞きなんて、あんまり趣味のいいことじゃないわよ?」
「……わかっている」
レオナは踵を返し、詰め所の出口へと向かう進路をとった。
「家族を養うために空賊になった、ね」
「……わからないわけではないが」
無論、空賊行為は許されないことである。だが、ことの発端は、ユーハングからもたらされた航空技術をはじめとした遺産を、どう使うかまともに考えなかった者たち。
その結果、数年前にリノウチ大空戦がおき、彼女は肉親を失った。
その悲しみや絶望の中、それ以上奪われたくはないと、飛行機に乗り、生きる糧を得るため空賊となった。
「大事な人のために、無我夢中で翔けた、か……」
レオナ自身、あのリノウチ大空戦に参加し、何度も命を落としそうな状況になったが、当時はイケスカ航空隊だったイサオに助けられた。
何も守れず、助けられるだけだった、未熟なレオナ。
己の抱く理想に手が届かずもがく日々。そんな暗闇の中、偶然立ち寄った空の駅で、その後隣を歩いてくれる相棒、ザラと出会うことができた。
彼女に何度も支えられながら、オウニ商会のもとでコトブキ飛行隊を創設し、用心棒稼業を営み、今日に至っている。
ザラに出会えたから、レオナは今ここにいる。
だが、ハルカにはそんな人物がいなかった。
彼女を拾ってくれたのは、不運にも空賊しかいなかった。
レオナはふと隣を歩く相棒を見た。
「……どうかした?」
いつもと同じく、彼女は包み込むような温かい微笑みを向けてくれる。
「いや、ザラに出会えてよかったと、改めて思っただけだ」
「……もう!急に言うなんて卑怯じゃない」
ザラが急に頬を赤らめてそっぽを向いたことに、レオナは首をかしげる。
何か、彼女が恥ずかしがることを言っただろうか、と。
彼女に出会えてなければ、ボタンが1つでも掛け違えていれば、もしかしたら、隔離室にいる彼女と同じ道を、たどっていたのかもしれない。
「……ザラ、次はどうすればいいと思う?」
当面の問題は、羽衣丸が健在である以上、ウミワシ通商がまた襲撃をしかけてくる可能性があるということだった。
「せめて、根城か、やってくる方角だけでもわかれば……」
「だったら、いい方法があるわよ」
片目をウインクしながら、ザラはレオナにある提案をした。
「なら、まずキリエを捕まえないとな」
2人は目的の人物を捕獲しに、足をはやめた。
「……おなか、すいた」
鉄格子の向こうで、彼女は本日何度目かわからないため息をはいた。
もう月明りしかない時刻。しかしこの部屋の中では水が飲めるだけ。あとは片隅で膝を抱えてじっとしているか、ベッドに寝転がるしかない。
ふと、廊下の先にある鉄扉があく音がした。
足音が、次第に近づいてくる。同時に、大好きな香ばしい匂いと、甘い香りが鼻をつき、腹の虫が悲鳴を上げる。
「はい、食事だよ」
「キリエ、さん?」
さきほど去っていったはずのキリエが、お盆に食事を乗せてやってきた。
お盆の上では、ホイップを乗せたパンケーキが湯気をたてている。
「おなかすいたでしょ?」
鉄格子の下の隙間から、彼女はお盆を入れてくれる。
「ごめんね、ホイップクリーム盛りすぎちゃうと格子についちゃうから少なめで」
「……ありがとう」
彼女はお盆に乗せられたコップを手に水で喉を潤すと、パンケーキをフォークで切り分け、口へ運ぶ。
数時間に及ぶ監禁ですっかり空腹になった彼女にとっては、今のパンケーキはどんな高級料理よりもおいしく感じられ、体の隅々まで染みわたるように感じられた。
「それじゃあ私、いくね」
キリエはその場を静かに去っていった。
彼女はパンケーキを食べながら思い返す。
年に数回しか、彼女は家族に会っていない。今どうしているだろうか、気になり始めた。キリエの言う通り、まめに会いに行くべきだろう。そもそも病気で入院している母親を放置するのはよくない。
「ナカイなら、知っているかも」
病院へお金を持って行ってくれているのは、ウミワシ通商の社長ナカイだ。彼は仕事の関係でイジツの色んな所を飛び回るため、そのついでにお金を持って行ってもらっている。
そこまで考え彼女は俯く。
この鉄格子の中にとらわれている状況では、どう考えても確認などできない。まずはここから脱出しなければならないが、道具の類は一切ないし、フォークで鍵を開けるなどできるはずもない。
「どうすれば……、ん?」
彼女は口の中で、ガリ、と固いものを噛んだときの音がしたのを感じた。
口の中に指を突っ込み、その源を引っ張り出してみる。
「これは、カギ?」
コップの水で咀嚼したパンケーキを取り除くと、中から出てきたのは古びた鍵だった。まさかと思い、彼女は誰もいないのを確認し、鉄格子の扉の鍵穴に鍵を差し込みまわした。
あっけなく、扉はあいた。
「……どうして」
キリエはラハマの人間。羽衣丸を守る用心棒。
ハルカは彼女の所属するコトブキ飛行隊の隼を落とし、オウニ商会の羽衣丸を攻撃し、町を襲撃した空賊。
こんな手引きをするなど、何か裏があるに違いない。
「……でも」
これはチャンスだ。今彼女は、ナカイに聞かなければならないことがある。
彼女はパンケーキの残りを急いで胃に押し込むと、静かに鉄格子の扉をあけ、足音を小さくするため忍び足で廊下を進んでいった。
静かに詰め所を脱出した彼女は、建物の影に隠れながら飛行場へ向かう。
「……あった、レイ」
彼女はレイこと、愛機の零戦52型丙を飛行場の一角で見つける。素早く機体のチェックを行う。コトブキ飛行隊隊長、レオナの隼に右主翼を撃たれ、燃料が漏れた箇所は、修理が行われた跡が見られた。
加えて、燃料タンクや機銃の弾倉のフタを開けると、弾薬はそのままだったが、燃料は満載にされていた。
不審に思いつつも、彼女はいつもの手順でエンジンを始動させる。操縦席に滑り込むといくつかの手順を省き、急いで滑走路へ向かう。
そして目的のウミワシ通商の根城へ向かって迂回しつつ、飛び立っていった。
「……うまく逃がしてくれたみたいだな」
ハルカの零戦の飛び立つ様を、建物の影からレオナ、ザラ、キリエ、ナツオは見ていた。
「班長」
「ああ、発信機はばっちり取り付けた。今詰め所で追跡を行っているはずだ」
「これで根城の場所がつかめる。時間稼ぎくらいにはなるだろう」
自警団の九七戦の大半がやられ、コトブキも半数がやられた今、実行できる策は多くない。敵が今日と同じく30機近くの編隊でやってきたら、いくらコトブキでも敵わない。
そこでレオナは、相手の根城をつかみ、敵が出撃する前に叩くしかない、と考えた。そのためにキリエを捕まえ、彼女にカギの入ったパンケーキを運ばせ、脱獄できるようにしたのだった。
「班長、修理の状況は?」
「……明日の朝までに完了するのは。キリエの機体だけだ。エンマとチカの機体はまだかかるし、自警団の機体も間に合って、2機がやっとだ」
「……それが使える戦力か。エリート興業の準備は?」
「いつでもいけるぞ」
歩み寄ってきたエリート興業親分のトリヘイが、親指を立て合図する。
「よし。作戦の最終確認をしよう」
彼らは、自警団の詰め所へ向かって歩いていく。そんな中キリエは立ち止まり、ハルカの飛び去った方向を、見上げていた。