1機の尾翼に描かれたキャラクターに興味を持つ。
同じ元空賊であった2人。彼女たちが話すこととは……。
どこまでも土色の大地、荒野が続く世界、イジツ。
その荒野の中に、オアシスのように点在する都市。
その都市の1つ、ラハマの飛行場に係留されている巨大な飛行船、羽衣丸。
ラハマを拠点に活動する運び屋、オウニ商会の所有する飛行船で、正確には二隻目にあたるため、第二羽衣丸というのが正確である。
その飛行船の下部には、戦闘機隊の格納庫兼滑走路の区画が設けられており、片側には少し前に起きた戦乱、イケスカ動乱を戦い抜いた凄腕飛行隊、コトブキ飛行隊の隼1型が整然と並べられている。
全機に、コトブキ飛行隊所属を示す紅色の二枚プロペラのマークが描かれている。
だが共通なのはそこだけで、各機に描かれている迷彩模様やマークは異なっている。
その垂直尾翼に描かれているマークを眺めながら歩を進めているのは、肩の下あたりまで伸ばした黒髪に、防寒用の茶色いジャケット、裾の方に青いラインが描かれた白色のスカートを身に着けた女性。
名をハルカという。
彼女の愛機は、隼1型が6機並んだ最後尾に駐機されている零戦52型丙。
彼女の愛機にも模様が描かれているが、コトブキ飛行隊の隼も別の趣がある。
ハルカは隼の垂直尾翼に視線を向ける。
コトブキの元ネタ、ユーハングの寿という文字を模したマークのレオナ。
モチーフが綺麗な金色の線が目を引くザラ。
両方向の矢印のケイト。
鎌と花という、彼女自身を表しているかのような、少々悪趣味のエンマ。
最も空というイメージに合う、鳥のマークが描かれたキリエ。
そんな中、彼女はある機体の前で脚を止めた。
その機体の尾翼には、よくわからない生き物が描かれていた。
「これは……」
それは、以前読んだ絵本に出てきたキャラクターだった。
「確かこれは、……うーみ?」
「隙あり!」
背後から声が聞こえた直後、ハルカはスカート越しにお尻の割れ目に、何か硬いものが勢いよく突き刺さるのを感じた。
「よっし、命中!」
それは瞬く間に激痛となって、神経を翔け抜け脳に伝達される。
「ぎにゃあああああああああああああああああああああああ!」
おおよそ彼女の口からは想像できない悲鳴が上がり、格納庫区画に木霊する。
「悪魔撃墜!ってね!」
そして、彼女は重力に引かれるまま床に倒れ、そうになるのを咄嗟に両腕をついて防ぐも、お尻の痛みは治まらず。
左腕で体を支えながら右手を痛む場所に伸ばし、ぴくぴくと震え始めた。
そんな彼女の姿を見て、背後で2本の人差し指だけを伸ばし、残りの指を両手で絡ませて組んだ手を構えている少女、チカは苦笑する。
「ハルカ……。もしかして、入っちゃった?」
この事態を引き起こした犯人、桃色の上着にスカート、栗色の髪を揺らす、まだ幼さが残る女性。
コトブキ飛行隊最年少のチカは、痛みに震えるハルカを前に、どうしたものかと首を傾げるしかなかった。
「いた~」
何とか痛みが和らいだところで、ハルカは格納庫区画の壁際に移動し、壁を背にもたれかかる。
だがまだ痛みは完全には治まらず、右手でお尻をさすっている。
「いきなり何するんですか?」
「あはは、ご、ごめん。……つい反射的に」
「反射的?」
「だって、目の前にお尻があって、隙だらけだったら、したくならない?」
「なりませんよ!……イタタ」
両手を合わせて謝るチカだが、ハルカはまだ痛みと格闘中らしい。
「まったく……。これしてくるのは幼い弟や子供だけだったから、想定外ですよ」
「弟?」
「私には昔、弟がいたんです。あの子も誰に教わったか知りませんが、チカさんがやったイタズラを覚えてきて、私が家に帰るたびに隠れて待ち構えていて、よくお尻を狙われたんです」
「で、弟は成功したの?」
「……殆どは失敗していました。時々仕事で疲れて帰ると、弟に気付けず玄関で悲鳴を上げたことが何度かありましたね……」
あれは悲鳴をあげるほどに痛かったのを今でも覚えている。
あれから時間が経ち、まさか20歳に近くなる女性にされることになるとは思わなかった。
「そっか。私もこれは小さい頃覚えたんだ。どんな屈強な人間でも、ここは鍛えられないから、こうかてきめん、って」
「……それは理解できますが」
ハルカは両手でチカの頬を引っ張る。
「痛い、痛い!」
「もうしないでくださいよ。相手がケガしたら大変なのは勿論ですが、チカさんが指けがしたらどうするんですか?」
「わ、わかった!もうしない!するのはキリエだけにするから!」
「なんでキリエさんだけ例外!?キリエさんもダメでしょう!?」
「わ、わかった、わかったから、離して!痛いって!」
「痛いって、私が受けた痛みに比べればへみたいなもんでしょ?」
ある程度引っ張ったところで、ハルカは手を離した。チカは痛む頬を両手でさする。
「イタタ……。そういえばさ、ハルカ」
「なんですか?」
「なんで、あたしの隼みていたの?」
「ああ……」
彼女は床に座った状態のまま、チカの隼を見上げる。
「この尾翼の絵、海のうーみですよね?」
「え!ハルカ、うーみ知っているの!?」
途端、チカが目を輝かせながら顔を近づけてくる。
「え、ええ……」
「そっか~。あたしさ、うーみ大好きなんだ!ハルカも本読むんだね!」
「まあ、嗜むくらいは……」
「そっか。ねえ、うーみの他はどんなの読むの?」
「……法律とか、空戦の教本とか」
途端、チカは呆れた顔になる。
「……ケイトじゃん」
「他にもありますよ。ユーハングから伝わった、かちかちやま、とか。ももたろう、とか」
「え~。私そういう話すきじゃないな~」
「何で、ですか?」
「だって、やっていることむごいじゃん?」
「まあ、かちかちやまはそうかもしれませんね……。でも、それにはそれなりの理由があるんですよ」
「そんな話より、うーみの方がいい!」
「うーみが好きなんですね」
「うん!昔チト兄に読んでもらったんだ!」
「チト兄?」
「私たちを拾って育ててくれたんだ!本もよく読んでもらった!」
「拾って?」
「うん!あたし、キマノの生まれなんだ」
キマノと聞いてハルカは察した。
キマノはそれまで取れていた資源が枯渇し、人口の流出が止まらず、経済も治安も悪化。
今は、悪い人々の隠れ家や捨てられた子供たちのたまり場になっている。
「……すいません」
「なんで謝るのさ?」
「キマノって……。つまり、チカさんは」
「妙な気使わないでよ。元とはいえ、同じ空賊同士じゃん」
案の定、彼女も空賊行為に手を染めていた。
「チカさんは、なんでコトブキに?」
思えば、ハルカは元空賊ということゆえに、かつてエンマに無理難題を吹っ掛けられたことがあった。
あんな人物がいるのだから、きっとチカともひと悶着あったのでは、と思った。
「私が羽衣丸を襲おうとしたときね、挑んできたのはレオナたち4人だけだったの」
「4人?」
「うん!で、私の方が数が多かったの。でも、レオナたちは構わず私たちと戦って、しかも勝ったんだよ!」
「チカさんも、落とされたんですか?」
「私は落とされなかったけど、被弾した上に乗っていた鍾馗が弾切れしちゃって。でも、4機だけで戦って、しかも勝った。空賊として、キマノのみんなのために奪うことを考えてきたけど、レオナたちとの空戦は、なんかすごく興奮したの!」
「それで、そのままコトブキに?」
「うん!この相手はどんな人たちなんだろう。こんな空戦またしたいなって。それで、羽衣丸まで追いかけて、仲間になったの」
「……エンマさんとは何もなかったんですか?」
「なかった!」
即答するチカに、ハルカは愕然とした。
察するに、当時4人と戦ったということは、そのときのコトブキは恐らくレオナ。ザラ、ケイト、エンマの4人だけだったのだろう。
エンマがチカと諍いを起こさなかったのは、単に人手不足だったせいだろう。
そう考えると、元空賊でも扱いの違いにハルカはため息を吐きだす。
「ところでさ、ハルカの雇い主って、3人もいるんだっけ?」
「ええ、一応は……」
「なんでマダムはハルカを雇ったの?」
「私がラハマやいくつかの飛行船にもたらした被害に対して、賠償金を請求するためですよ」
「ばいしょうきん?」
「悪いことをした人に払わせるお金です。私がチカさんたちを落としたことも、無論含まれています」
「うぐっ!」
チカがうめいた。
ラハマで初めて彼らと会敵したとき、チカはキリエ、エンマと共にハルカに落とされている。
そのことを思い出したのだろう。
「今は、私への報酬から一定額がマダムに賠償金として引かれているんです。チカさんも払っているんでしょう?」
「払ってない」
「……へ?」
ハルカは開いた口がふさがらなかった。
「だって、私ハルカみたいに誰襲ったか、なんて覚えてないし」
「覚えてないんですか!?」
「うん!それに、もしあったとしても、賠償金なんて踏み倒せばいいんだよ!」
驚きの理論に、開いた口がふさがらない。
「……踏み倒すのは借金では?」
「いいのいいの。お金に変わりはないんだから!」
ハルカは頭を抱えた。
同じ元空賊でも、なんでこうも違うのか。
同時に、彼女のように生きられたらどれだけ楽だろうかと、思わずにはいられない。
「あ、でも私キマノのみんなへの仕送りは続けているよ」
「そうなんですか?」
「だって、いきなり私がいなくなったら、みんなお金なくて困るでしょ?」
ハルカが表情を曇らせた。
チカには、まだ支えたい存在がいる。
一方で、自分にはそんな存在はもういない。
否が応でも実感させられる。
空賊行為を働いても、大事なものを支え続けている者がいる。そういう者たちは、基本的に悪事を働いているという意識が薄い。
それは、基本的に他に選択肢がなく、悪事に手を染めるしかない。そうしてでも守りたいものがあるからだ。
チカもそうだろう。
ハルカもかつてはそうだった。
だが、その存在を無くしてしまった今、彼女の手に残ったものは悪事を働いたという罪の烙印だけ。
その重さに、今も時折悪夢を見たり、罪悪感に押しつぶされそうになることがある。
もう、何も残ってはいない。
「そうですか……。偉いですね、チカさんは」
「えへへ、そうでしょ!」
ハルカは表情を取り繕うが、チカは気づかない。
「じゃあさ、もし賠償金を返し終わったら、どうするの?」
「……そうですね」
簡単に返せる額ではないが、いつかは訪れるかもしれない。
彼女は、決めていることを言った。
「とりあえず、コトブキ、オウニ商会からは離れようと思っています」
「……え」
チカは目を見開いた。
「な、なんでさ!?」
「どうしたんですか?そんなに驚いて」
「なんでいなくなるのさ!?コトブキのこと嫌いなの!?」
「まさか。いい場所だと思っていますし、居心地がいいとも思いますよ」
「じゃあ、なんで!?」
慌てるチカに、ハルカは淡々と応える。
「居心地がいいからこそ、私はここにいてはいけないんです」
「だから、なんで!?」
「……マダムへの賠償金は、あくまでラハマに対するもの。私は、他にいくつもの都市に被害を与えた悪人。なら、ラハマに対する賠償が終わったら、他の町に対象を変えないといけない。私の償いに、あなたたちをつき合わせるわけにはいきません」
「で、でもさ」
「ユーハングでは、金の切れ目が縁の切れ目、なんて言葉もあるそうですよ。それに、今は仕方ないですが、私がいると、先日のヤマセの件みたいなことに、ならないとはいえません」
あの橘花を有した彼女の古巣、ウミワシ通商と戦ったヤマセの依頼の際、彼女は到着早々、市長にいきなり暴力を振るわれた上、被害者だからと議会からは無理な要求を吹っ掛けられた。
あの時はマダムたちが要求を突っぱねてくれたが、本来ならハルカの過去の行いのせいだ。自分で片付けなければならない問題に、マダムたちをつき合わせてしまった。
これから先も、きっとあるだろう。
「自分の行いで自分が死ぬことに異論はありませんが、他人を巻き込むことはよくないです。何より、ここにいると気持ちが鈍る。自分が犯した過ちを、忘れそうになってしまうことがあります」
「べつにいいじゃん!忘れても!?」
「忘れても、なかったことにはならない。それに、コトブキ飛行隊は、レオナさんがつくったあなたたち6人の飛行隊。それが、本来の形であるはず。私は、あくまで一時的にいるにすぎません」
チカの表情が沈んだ。
彼女にとって仲間とは、仲良く、時に喧嘩もし、背中を預けられるものだ。
ハルカにとっても、それは変わらないだろう。
でも、この場所を大事にし、居続けたいと思うチカ。
ハルカも、この場所を気に入ってくれているし、大事だとも言ってくれている。
だからこそ、この場所の人々を自分の都合につき合わせられない。
だから、いつかは離れていく、と。
本来の形が一番だ、とも言っている。
それでは、ハルカは異物とでもいうのだろうか。
「そんなわけで、賠償金を返すまでの間ですが、それまでの間だけ、よろし」
「じゃあさ、ハルカはあのカニについてどう思うの?」
「……カニ?」
唐突な質問に、彼女は首をかしげる。
「ほら、うーみで。餌を探しにいったとき、化け物退治をしたというカニの話」
「……ああ」
昔読んだうーみの話を、ハルカは思い出す。
昔々、海のあるところに、とても仲のいいオスとメスのカニがいた。
オスのカニは、いつものように餌を探しに出かけていき、メスのカニは家で帰りをまった。
オスのカニは道中、これからのことを思い浮かべた。
いつ、メスのカニと家族になろうか。子供は何人がいいだろうか。
そんな、これからの幸せに思いをはせる。
そんなとき、彼は傷ついたカニと出会った。
そのカニはメスで、ひどく傷だらけだった。
なんでも、村で化け物が暴れていて、助けて欲しいと。
優しいオスのカニは、この話を受けました。
家で待っている相方のことが気になりましたが、彼は助けを求めけて来たカニを放っておけませんでした。
暴れていた化け物にハサミで果敢に挑み、見事カニは化け物を倒しました。
村のカニたちは、大層喜んでくれました。
そしてお礼をしたいと、村の奥にある豪華な館に招待されたのです。
館ではおいしいごはんやお酒、宴が行われ、楽しい時間が過ぎていきました。
そんな楽しい時間の最中、彼はふと待たせている相方のことを思い出しました。
そして、お礼はもう十分だからと、家に帰ることを伝えました。
手を振って見送ってくれる、寂しそうなカニに後ろ髪をひかれながら、彼は住処へと向かいました。
脚を止めて振り返ると、そこには館はもうなく、ただ何もない海底が続いているだけでした。
住処へと向かう道すがら、彼は奇妙なことに気づきます。
海の底の様子が、大きく変わっていたのです。
沢山生えていたはずの海藻は殆ど見かけず、魚の姿もなかったのです。
これでは餌をとって帰れない。
そう思いながらも、彼は住処へと向かっていきました。
そして、彼は住処へとたどり着いたのです。
彼は相方を待たせたから、きっと怒っているだろうと、窓から家の中を覗くと言葉を無くしました。
家の中には、彼の相方と、彼が知っているオスのカニの姿。
そして、子カニの姿があったのです。
彼は急いで住処を離れます。
どういうことだろう。
ふと、彼は違和感を覚えます。
相方の姿が、自分が知っているものより、随分年を取っているように見えたのです。
それに、一緒にいたオスは、かつて自分と相方を巡ってライバルといえる関係だったカニ。
そして、子カニの姿。
まさか、自分があの館で過ごしていた間に、長い時が過ぎていたのか。
でも、確かめる術はない。
あの館は、自分が出たあとに姿を消してしまったのだから。
カニは、もう一度住処を振り返ります。
中には、笑顔を浮かべるかつての相方とその相手。
そして間にできた子供。
彼はどこへともなく、静かに歩き出したのでした。
「ありましたね、そんな話」
「でもあたし、うーみでもこの話はすきじゃないな」
「なんで?」
「だって、化け物退治して村を救って、折角帰ってきたのに、なんでかつての相方に会いに行かずにいっちゃうわけ?」
「……きっと、今の幸せを壊したくなかったからですよ」
「今の幸せ?」
「カニが餌を探しに行き、化け物退治をし、お礼に宴で楽しんでいる間、カニの相方はきっと寂しかったはず。だから、別のオスのカニと一緒になった。戸惑いはあったと思いますが、それでも寂しさが上回った」
「そうなの?」
「想像ですけどね。そして、主人公のカニとは別のカニと結ばれ、新たな幸せを得た。なのに、そこで主人公のカニが出てきたら、どうなります?」
「元の形に戻るんじゃないの?」
「そんなわけないです。新しいカニと結ばれ、子供までいるんですよ。前のカニと結ばれるには、今の相方と子供を捨てなければいけない。それは、一度作った幸せを壊すことと同じです」
チカは何か言いたげだが、ハルカは続ける。
「一度形になったものを壊すことほど、辛いことはありません。それに、主人公のカニは化け物退治という善行をしたものの、お礼を受けている間は相方と役割のことを忘れていた。その負い目があったから、相方が幸せそうだったから、自分が身を引くことを選んだと、私は思いますよ」
「でも、なんか納得できない」
「なぜ?」
「だって、家で待っていたカニはさ、家を出たままのカニが生きているか、死んでいるかもわからないんでしょ?それなら、姿くらいは見せてあげるべきだったと思う!でないと一生スッキリしないじゃん!」
「まあ……、そうですよね」
ハルカが表情を曇らせた。
「生きているか、死んでいるのか、そこはハッキリさせたいですよね」
「ハルカ?」
彼女は、一人つぶやくように話始めた。
「私の父親と兄と姉が、リノウチ空戦で亡くなったことは、以前話したと思います」
チカは一瞬「しまった」という顔になった。
「帰ってこない彼らを待ち続けて、生死もはっきりしなくて……。胸の中に何かがつっかえたような、そんな気持ちをずっと抱き続けて……」
彼女は経験していたのだ。
餌を取りに出ていったきり帰ってこなかったカニを待ち続けた、相方のような経験を。
「結局、撃墜されたとはっきりわかったのは、9年近く経過した最近のこと。例えどんなに思いを寄せていたとしても、やっぱり長い間待ち続けることは、苦しいだけですね」
チカは応えられなかった。
「まあ、物語では形あるものを守るために、主人公が身を引いた。でも、チカさんの言う通り、現実ではやっぱり会いに来て欲しいですね」
「そうだよね!……だから、あんなこと言ったの?」
突如、チカの声のトーンが下がったことを、ハルカは感じ取った。
「コトブキから、離れるなんて言ったのは」
チカの視線が、少し鋭さを増す。
「もう、コトブキという形があるものを、壊したくないから?」
「……それがないとはいいません。でも、一番の理由は自分の過去の清算に、あなたたちを巻き込みたくない。その場所にいる人々が大事であれば、思うからこそ関わらせたくない」
「それじゃあ、今の幸せを壊したくないからって、身を引いたあのカニと同じじゃん!」
あのカニの末路は物語では記されてないが、すくなくともハッピーエンドとはいいがたい終わり方だった。
「かもしれませんね」
ハルカは悲しさをにじませながら微笑んだ。
「……興味深い」
突如乱入してきた声に、2人は振り返った。
そこに居たのは、銀髪を二つに分け、いつもと寸分変わらない表情を浮かべる女性。
「あ、ケイトじゃん」
「2人は、海のうーみの話をしているのか?」
「まあ。そうですね」
「架空の物語に、よくそれだけ言い合えるのか、ケイトにとっては不思議」
「そう?」
「物語は、最終的に作者の意図でどうとでもできる」
「そりゃあそうだけど、物語には、色んな終わり方があるんだよ。それを自分はどう思った、あなたはどう思ったって。言い合えるのは楽しいと思うよ!」
「なぜそんな物語を書く?みんなハッピーエンドにすれば、後味の悪さを残さず終われるのに?」
「きっと、それが作者の意図なのかもしれないですね」
「意図?」
ケイトが首をかしげる。
「結末まで読んで、それがいい終わり方であったのかそうでないかは、読み手の立場や経験によっても変わってきます。物語の中には、現実を模倣したものもあります。きっと、読み手に何かを感じ取ってほしくて、あえてそんな終わり方にしたのかもしれません」
「何かを?」
「ユーハングの昔話には、教訓を隠しているものが沢山あります。楽しむだけじゃない。何かを感じ取って、その後に生かして欲しい。きっと物語には、そんな作者の想いが込められているのかもしれません」
「そういうものなのか?」
「多分、ですけどね」
「物語の作者というものは、よくわからない」
「ケイトさんだって、物語の作者じゃないですか?」
「ケイトが?」
ケイトが、頭に疑問符を浮かべる。
おおよそ、物語とは縁遠いと思われる彼女である。当然そう思うだろう。
そんなケイトに、ハルカは言った。
「人は、生まれた時から死ぬその瞬間まで、人生という物語の一冊の本のページを、日々書き続ける作者でしょう」
ケイトが少し驚いた表情になる。
「なるほど、そういう考えもあるのか」
「と、勝手に思っているだけですけど。でも、自分の物語を書くなら、最後はどんな終わり方がいいですか?」
「そりゃあ、ハッピーエンドに決まっているじゃん!」
「ケイトも」
「なら、そうなるように、日々歩いて行きましょう、ね」
ふと、ケイトがハルカをジト目で見つめる。
「ならハルカは少し前まで、死に場所を探して強引に自分の物語を終わらせるつもりだったのか?」
「ぐっ!」
痛い所をつかれた。
「それは、悪い終わり方ではないのか?」
「うん、疑いなく悪い終わり方だね」
「あはは、まあそれも人生の1ページということで……」
「そんなことをされた側は、たまったものではない」
「そうだね」
「……ごめんなさい」
返す言葉がなかった。
「なら、あなたがいったように、最後はハッピーエンドを目指すべきではないのか?」
「そうですね。今はそう思っていますよ」
「本当に思っているのか?」
「……思っていますよ」
「なら、あんな自殺願望みたいな行動は慎むべき!」
「わ、わかっていますよ……」
「本当か?」
「本当ですよ……」
しばらくじっと見つめられたのち、ケイトは離れた。
「ならいい」
久しぶりに感情的になったケイトが離れ、彼女は大きく息を吐きだした。
「そういえば、今日はコトブキの契約金についてと、あなたの賠償金についての会議の日」
「あ、そうでした!」
「マダムの所へ行こう」
ハルカはケイトを追い、社長室へと向かう。
「ハルカ~」
彼女はチカに振り返った。
「また物語の話、しようね~」
「……はい。喜んで!」
人生という物語は、書かれた物語ほどきれいにはいかない。
いくつもの不条理や理不尽にまみれた、読んでいていい気のしない出来事ばかりだ。
でも、だからこそつかんだ幸せや、自分を思ってくれる人々を大事にする。
幸せなことばかりがあればいいが、幸せと不幸はコインの裏表。
切り離すことはできない。
明けない夜がないように、嫌なことがいつかは終わるように、幸せなことだっていつかおわりを告げる。
それはわかっている。だからこそ、その日、その日を、人は大事にして生きていく。
その積み重ねが、いつかハッピーエンドに繋がると信じて。
そんなことを思いながらハルカは、ケイトのあとを追った。
「さて、コトブキの契約金の件だけど……」
マダムの前に、コトブキの隊長レオナ、副隊長のザラ、隊員のケイト、エンマが腰かける。
コトブキ飛行隊は、定期的にマダムと契約の更新や契約金の交渉を行っている。ちなみに、キリエとチカは寝ていることが多いからとこの場にいない。
ハルカもその列に座り、自分の件が切り出されるのを待つ。
しばらくして契約金の話がまとまり、レオナはほっと胸をなでおろす。
「さて、ハルカさん」
笑みを浮かべながら、マダムがこちらを向いた。
「あなたの賠償金についてだけど……」
賠償金については、残りの額と1度の報酬でいくら引かれるか、といった取り決めしかなくハルカが決めることは何もない。
すぐ終わるだろう。
「返済額は今のままよ」
いつも通りのやり取りが告げられる。
「でも、返済額はそのままだけど、残りの賠償金の額は増えたからその点だけは気を付けてね」
「……はい?」
一瞬聞き間違いかと思った。
「あの、マダム」
「何?」
「残りの額が、なんと?」
「増えたって言ったのよ」
「なんで!?」
今彼女が払っている賠償金は、ラハマといくつかの飛行船に負わせた損害に対するものだ。
それがなぜ増えるのか。
「言い忘れていたけど、あなたヤマセが払うっていった報酬を受け取らなかったでしょう?」
「それが?」
橘花を撃墜したことで、ハルカはヤマセから報酬がでることになったのだが、断っている。それは、かつて彼女があの町にやったことに対するせめてもの償いのためだ。
「でも、橘花を落とす際に特殊な装備を使ったし、あなたが報酬を断っちゃったからうちにとっては損だったのよ」
「それは……」
「そのほか、あなたを賞金首から外すために都市に払ったお金の分もね」
「え?」
「あなた、自分が賞金首に手配されていたって知らなかったの?私たちが手配書を取り消すのに、各都市を回って札束で自警団を説得したのよ」
「それで、……返済する総額は?」
マダムが持っていた紙を広げ、ハルカに突きつける。
その瞬間、ハルカの顔が蒼白に染まった。
「こ、これは……。その……」
目の前に突きつけられた紙には、信じられない額が記載されていた。
これだけあれば、飛行船が数隻建造できそうなほどの額だ。
同時に、一生かかっても今の稼ぎで返せるかわからない。
彼女は、一瞬意識が飛びそうになる。
「まさか、踏み倒そうなんて、考えてないわよね?」
マダムが圧をまとった笑みで見つめてくる。
チカのように、借金なんて踏み倒せばいいんだよ、などという驚愕の経済論を唱えられるならいいが、あいにくハルカには無理だ。
「……わかりました」
ハルカは項垂れながら、自分の席に座りなおした。
項垂れている彼女を見て、マダムとレオナは目論見が上手くいったことを確信し、胸をなでおろす。
これでハルカは、オウニ商会からしばらくは離れられない。
彼女の賠償金がなぜ増えたか。それは、彼女とチカの会話を偶然聞いたことが原因だった。
オウニ商会とコトブキ飛行隊との契約金を決める会議に向かう道中、マダムとレオナは話し声を耳にした。
扉の隙間から見ると、ハルカとチカという珍しい組み合わせだった。
興味がわいた2人は、しばらく彼女たちの会話に聞き耳を立て続けた。
海のうーみの話、チカの昔の話。そんな話もするのかと、2人は微笑ましくなった。
そんな空気が変わったのは、ハルカの一言だった。
「とりあえず、コトブキ、オウニ商会からは離れようと思っています」
「……え」
レオナとマダムは目を見開いた。
「な、なんでさ!?」
彼らは扉に張り付き、一語一句聞き逃さないよう神経を研ぎ澄ます。
「なんでいなくなるのさ!?コトブキのこと嫌いなの!?」
「まさか。いい場所だと思っていますし、居心地がいいとも思いますよ」
「じゃあ、なんで!?」
先日のダイヤモンドの輸送の帰りに、レオナはハルカがコトブキ飛行隊のことを大事な場所だと言ってくれたことをハッキリ覚えている。
では、なぜそんなことをいうのか。
「居心地がいいからこそ、私はここにいてはいけないんです」
「だから、なんで!?」
「……マダムへの賠償金は、あくまでラハマに対するもの。私は、他にいくつもの都市に被害を与えた悪人。なら、ラハマに対する賠償が終わったら、他の町に対象を変えないといけない。私の償いに、あなたたちをつき合わせるわけにはいきません」
彼女らしい言い分だ。大事だからこそ、コトブキやオウニ商会を巻き込めない。
まだ彼女は、甘えるということをわかってくれないらしい。
「ユーハングでは、金の切れ目が縁の切れ目、なんて言葉もあるそうですよ。それに、今は仕方ないですが、私がいると、先日のヤマセの件みたいなことに、ならないとはいえません」
そんなことはわかっている。ヤマセのように、無理難題を吹っ掛けられることもあるだろう。
だが、マダムはそれがわかっていて彼女を雇っている。
そんな心配は今更だし、必要ない。
「自分の行いで自分が死ぬことに異論はありませんが、他人を巻き込むことはよくないです。何より、ここにいると気持ちが鈍る。自分が犯した過ちを、忘れそうになってしまうことがあります」
「べつにいいじゃん!忘れても!?」
「忘れても、なかったことにはならない。それに、コトブキ飛行隊は、レオナさんがつくったあなたたち6人の飛行隊。それが、本来の形であるはず。私は、あくまで一時的にいるにすぎません」
レオナは胸が締め付けられた。
エンマとのいざこざが終わり、ハルカも死に場所を探すのを止めたというのに、コトブキも羽衣丸のクルーも、彼女を受け入れているというのに、それでも彼女は自分達との間に一線を引いている。
自分のことを、異物であるかのように言う彼女に、寂しさを感じる。
それ以上聞いていられず、2人はその場を離れた。
「まさか、彼女があんなことを思っていたなんて……」
「周囲が信用できない空賊時代に、長年染みついた習慣を改めろという方が難しい。過去に対して罪悪感を感じるな、とはいえない。……でも、ああいわれると少し寂しいわね」
マダムも表情を曇らせる。
「マダムは、賠償金の請求が終わったら、彼女を手放すつもりなんですか?」
「まさか。彼女は結果を出している。用心棒として申し分ない。あんな戦闘機乗りは滅多にいないんだから、できればその後もいて欲しいわ」
「……私もです」
レオナにとっても、彼女はできれば手放したくない。
彼女の言う通り、コトブキ飛行隊はレオナが隊長であり、彼女が見込んだ5人の合計6人の飛行隊だ。
だが、それが完成した姿かというとそうではない。
ハルカがコトブキにいるときは、彼女を7人目として扱っているし、彼女と愛機の零戦がいることで、とれる戦術に幅が出る。
何より、悪魔と言われるほどの腕を持ち、かつてコトブキ飛行隊の半数を1人で撃墜した彼女だ。
彼女がいれば、どんな敵と出くわしても何とかなる。
甘えていると言われればそれまでだが、空賊の重武装化が進んでいる今、彼女がいることによる精神的負担の軽減は計り知れない。
「そうだ」
ふと、マダムが何かを思いついたようだ。
「マダム、何か?」
「多分、彼女には感情で訴えかけても意味はないわ」
「ええ……、恐らく」
それは、先ほどのチカとの会話が証明している。
「だったら、しっかりとした事実で、彼女をつないでおけばいいのよ」
「事実で?」
「ええ」
そうやってマダムが思いついたのが、まだ請求していない賠償金を加えるということだった。
彼女を賞金首から外すのにかかった、各都市の自警団を説得するのにかかった、羽衣丸数隻分にもなる費用や、ヤマセからの受取を拒否した費用。
さすがに稼ぎが良かろうとも、これを合わせれば彼女も逃げられない。
「大丈夫だ、ハルカ。明けない夜はない」
「そうよ、永遠に続くトンネルなんて、ないんだから」
ケイトやザラに慰められながらも、口から魂が抜けかかっているハルカ。
自分の席で項垂れている彼女を見つめながら、マダムは頭の中で思う。
―――絶対に、逃がさないわ。
―――だから、覚悟していなさい。ハルカさん。
そうやって怪しく微笑むマダムを見て、レオナたちは彼女の背後に蜘蛛の巣があるように見えたという。
読んでいただき、ありがとうございました。
また短編を書いていました。
これまで書いた話を見返すと、主人公とチカはあまり接点がないな。
と思って今回の物語を書きました。
また不定期更新になりますが、お付き合い頂けたら幸いです。