「……にしてもさ、なんでビョーゲンズの幹部って、あたしたちと同じ人間の姿してるのかな?」
あれは、いつのことだっただろうか。
そうだ。つい先日教室で、ひなたが見た夢の話から始まり、キングビョーゲンの姿について話していた時だった。ひなたがふと口にした疑問に、のどかはちゆと顔を見合わせた。
「そうね、あまり深く考えたことはなかったけど……。人間を宿主にしているから、姿かたちも自然と似てくるから、とかじゃないかしら」
ちゆの返答に、ひなたは納得いかない様子で首をかしげる。
「うーん、ちょっと違くてさ。そうなった理由っていうか、ビョーゲンズがわざわざ人間の姿をしている意味っていうかさ。ほら、メガビョーゲンも、まあ人型っちゃ人型だけどでっかすぎるし、話も通じないじゃん? 別に幹部も同じような姿になっててもよかったんじゃないかってさ」
どうしてそんなことが気になるの、と尋ねると、ひなたは腕を組み、難しい顔をして答える。
「んや、形あるものには何でも意味があるっていうじゃん? パンダが白黒なのは可愛いからじゃなくて、雪景色の中で見つかりにくくするためーとか、キリンの首が長いのは高いところのエサを取るためーとか、テレビでやってたの見てさ。それから何となく気になっちゃって……って、ちゆちー何泣いてんの」
「ひ、ひなたが真面目な話をしているのが、お姉ちゃん嬉しくて……」
「いや、いつの間にあたしの姉になったし。あたしのお姉は一人だけだし」
ハンカチで目じりを押さえるフリをするちゆにツッコミを入れるひなたに、のどかはくすくすと笑う。
「それにさ、あの、……いや、ちょっと待った。のどかっち、フユカイだったらこの先の話マジやめるから、言ってね」
のどかがきょとんとしながら頷くと、ひなたはおずおずと続けた。
「……ケダリーもさ、あの時は突然だったし、他にどうしようもなかったから、ヒーリングオアシスで浄化しちゃったけどさ。あの子が消えていった時、メガビョーゲンをお手当するときは、やっぱちょっと違ったんだよね」
ひなたの言葉に、のどかとちゆは息を呑み、目を伏せる。のどかの様子をちらりと伺いながら、先にちゆが切り出す。
「それは……そうね、なるべく言わないようにと思ったけど、正直わたしもそれは感じていたわ」
「だよね……。あたしが見た夢みたいに都合よく改心してくれるわけないし、正直やりにくいっていうか……って、ごめん! やっぱ重くなっちゃったね。なしなし、この話終了!」
のどかとちゆの沈んだ様子に、慌てて話題を切り上げようとするひなた。しかし、ちゆはそれに反対するように首を振る。
「でも、これからはたぶん、幹部と直接戦うことも増えてくるわ。心に何か引っかかるものがあるなら、今のうちにお互いに気持ちを確かめ合っておいた方がいいかもしれないわね」
ちゆとひなたの視線が、自然と自分へと向けられる。
のどかはしばらく考え込んだ後、重い口を開いた。
「…………わたしは、」
□ □ □
「お前、オレに言ったよな!? 自分さえよければいいのか、って!」
地面に這いつくばりながら、自分を罵る声を上げるダルイゼンから目を背け、逃げ去るように駆けだしたグレースの脳裏には、いつの日かの記憶が浮かんでいた。
「結局お前も同じじゃん!!」
ビョーゲンズが、自分たちと同じ言葉で通じ合えるのは、こんな罵倒を受けるためだったのか。
ビョーゲンズが、自分たちと同じ姿をしているのは、差し出された手を振り払い、拒絶の言葉を投げかけるためだったのか。
……あの時自分は、ちゆやひなたに何と答えたのか。
つい先日のことなのに、今は頭にもやがかかったように思い出せない。
そんなグレースの背後で、走り去る彼女の背中を睨みつけながら、ダルイゼンは奥歯を噛みしめ、絞り出すような声で唸った。
「オレは絶対に……消えたりしない。何が何でも……キュアグレース!」
ダルイゼンは右の掌に、体内にわずかに残ったなけなしの瘴気を込め、それを地面に向かって放出した。
その勢いを推進力にして、彼の体は逃げるグレースを追いかけるように宙を舞う。
もはや体当たりとも呼べない、放り投げられたマネキンのように無様な突進。ちゃんと目で追えば、変身しなくても躱せそうな単調な動きだ。
しかし、
「きゃっ……!?」
完全に動揺していたグレースは反応も回避も遅れ、ダルイゼンの突撃をその背中にまともに喰らってしまう。
鬱蒼とした木立の間、もつれるように地面へと倒れ込む二人。
「お前がオレを拒むなら、仕方がない! 元々、手段を選ぶつもりなんてないからな!」
「やだ、離して! ……っ!?」
自分を地面へと押さえつけようとするダルイゼンに抵抗するグレースは、少し離れた所から響き渡る硬質の何かが落ちる乾いた音と、一拍遅れてやってきた自分の体の変化に驚く。
「っ、のどか!」
「ラビリン! 変身が……!」
体当たりの衝撃で、自分がヒーリングステッキを手放してしまったことに、のどかはようやく気付いた。
一方、ダルイゼンにしてみればまたとない好機だ。ピンク色のランニングウェアに戻ったのどかを容易く組み伏せ、その体に馬乗りになった。
ステッキから分離したラビリンが慌てて駆け寄ろうとするが、ダルイゼンはそれを獣のような目で威嚇する。
一瞬たじろぐラビリンだが、のどかが落としたヒーリングステッキを拾い上げると、再び二人の元へと戻り叫んだ。
「ダルイゼン! のどかから離れるラビ!!」
「離れるもんか……! こっちに近づいてきてみろ、その気になればヒーリングアニマルなんて、片手で捻り潰せるんだからな……!」
「ラビリン、来ちゃダメ! 離れて!」
「のどか! でも……」
ヒーリングステッキを抱えたまま右往左往するラビリン。
一方のどかは、怯える心を無理やり押しとどめ、できる限り冷静に状況を判断しようと努める。
どうすればいい。ステッキをラビリンに手渡してもらうのは無理だ。なら、スマホをラビリンに投げ渡して助けを呼んでもらうか。……いや、ボディバッグは背中の下だ。この体勢ではとても取り出せない。
それなら、
「ラビリン! ここからなら、ちゆちゃんのお家が一番近い! 助けを呼びに……!」
「で、でも! ダルイゼンがのどかの中に入ったら、ケダリーの時みたいに、二人で力を合わせてダルイゼンを追い出せばいいラビ!」
「でも、追い出した時にわたしたちしかいなかったら、同じことの繰り返しになっちゃう。だから、わたしの代わりにダルイゼンをお手当する誰かがいないと……!」
のどかの言葉にはっとしたラビリンは、それでもしばらく迷いを見せた後、
「わかったラビ! 大急ぎでちゆを呼んでくるラビ! だから、だからのどか、絶対にダルイゼンに負けないでラビ!!」
迷いを振り切るように踵を返し、ラビリンは旅館沢泉の方角へと慌てて飛んで行った。
そんなラビリンの背中に向かって、ダルイゼンは鼻で笑う。
「追い出す、ね。オレはケダリーみたいな力の弱い赤ん坊じゃない。どれだけ蹴り出そうとしたって、この傷が癒えるまで、お前の体に居座り続けてやる……!」
すごむダルイゼンに圧倒されそうになるが、負けじとのどかも睨み返す。
こんな至近距離で、彼の姿を捉えるのは初めてかもしれない。
頭頂部から突き出た角。背中から生えた尻尾。青色の肌。
でもそれ以外は、のどかと同じ人間そのものだ。
それなのに、どうして。
そんなことを考えていたのどかの両手首を左手一本で掴み上げると、ダルイゼンは彼女の両腕をそのまま頭上で押さえつける。
「っ、嫌……っ!」
伸びた姿勢になったのどかの、ランニングウェアの隙間から除く淡い乳白色の腹部に、まるで銃口を突き付ける先を探すように、ダルイゼンの右手が伸びる。
数か月前、メガパーツを体内に入れられた時の記憶が蘇り、のどかの首筋を這い回る虫のような悪寒が通り抜けていく。同時に、心臓がどくんと脈打ち、のどかはこれから自分に訪れるであろう苦痛を思い浮かべ表情を歪めた。
「……悪く思うなよ、キュアグレース」
「やっ、嫌だ……っ!」
何とか振りほどこうとするが、変身の解けたのどかの力では、弱っているとはいえダルイゼンの腕を振り払う事は出来ない。
抵抗虚しく、ダルイゼンの右手はのどかの腹部に触れ――
「「……えっ?」」
先に声を上げたのはどちらだっただろうか。
ダルイゼンの指先は、確かにのどかの腹部に触れた。……だが、その指はのどかの皮膚をただただ押さえつけるだけで、何の変化も起こらない。
「入れない……!? なんで……!」
ダルイゼンは、焦った様子でぐにぐにとのどかの腹部を押さえ続けるが、状況は何も変わらない。のどかの方も、ただただ彼の冷たい指先の圧迫感があるだけで、あの言い表しようのない苦痛の兆候さえ見られない。
心臓はまだ恐怖でばくばくと脈打っているが、想定外の事態に焦るダルイゼンを尻目に、のどかは少しずつ冷静さを取り戻していった。
のどかには妙な確信があった。
ダルイゼンの手が腹部に触れた瞬間。……いや、「触れた」という事自体に違和感があった。
質量を持った物体が、触れた瞬間にまるで自分の体の一部に置き換わったかのようにふっと存在感を失くし、溶け合っていく不気味な感覚。幼少期、そしてつい数か月前、二度もそれを体感したのどかは、瞬間的に何かが違うと悟った。
それは、ダルイゼンが進化しすぎてしまったからなのか。はたまた、のどか自身の抵抗力のおかげなのか。のどかには、そしておそらくダルイゼンにもわからない。
ただきっと――今のダルイゼンには、のどかの体を蝕むことはできない。
「なんで、なんでだよ……っ!」
なおも、のどかの体に入ろうと試みるダルイゼンに、のどかは恐る恐る声をかける。
「ダルイゼン、あなた……きゃっ!?」
上体を起こそうとしたのどかの動きは、突如のしかかるダルイゼンの体に遮られる。
「くそ……くそっ!」
「ちょっ……ダルイゼン……!」
ダルイゼンはのどかの体から手を離したかと思うと、突如その全身へと覆いかぶさってきた。
抱きすくめられたような格好になり、のどかはより一層身動きが取れなくなる。口を覆うダルイゼンの肩口からなんとか顔を出し、せめて呼吸だけでも確保した。それでも、ダルイゼンの重みが体を圧迫して息苦しい。
これは、縋ってきているわけではない。肩、胸、腕、脚。身体のどこからでもよいから、侵入できる隙を探そうとしているだけだ。
のどかにとってみれば、全身に注射針を当てられ、刺す場所を探られているようなものだ。
再び悪寒と恐怖が全身を覆う……が、やがてそれもすぐに薄れていく。
やはり、ダルイゼンと触れ合う身体のどの箇所からも、異物が交わっていくあの感覚は微塵も感じない。ただただ肌が、肉が、乱暴にぶつかり合うだけだ。
それでもあきらめきれず、のどかの体を掻き抱く力を強めるダルイゼンと裏腹に、のどかは林の木々の先の青空を見つめ、恐怖に崩れかけた心を落ち着かせていく。
(……震えてる)
重なり合う胴体、血で染めたように真っ赤なコートの向こう側から、ダルイゼンの微かな体の震えが伝わってくる。
一瞬、その背中に手を当てそうになったが、やめた。
「……ダルイゼン、もうやめよう」
すぐそばにあるダルイゼンの横顔。その耳元に囁きかけるが、彼はそれを意に介さず、何やらぶつぶつと独り言を呟いている。
「ねえ、ダルイゼン」
「うるさい。こんなはずはないんだ、絶対に……!」
何度声をかけても、彼はまったく聞き入れる様子がない。……さすがにむかっ腹が立ってきた。
「もう! いい加減にあきらめたら!? こんなに試してもダメなんだから、わたしに入るのは、もう無理なんだよ! 重いし苦しいし、あと、その……、普通に恥ずかしいから!」
のどかの突然の叱責に目を丸くしたダルイゼンは、いかにも渋々といった様子で上体を起こしのどかから離れる。のどかはすぐさま、ダルイゼンの足元から抜け出し、四つん這いのまま駆けるようにダルイゼンから距離を取った。
「くそっ、もうこれしか方法がないのに……! ……ていうか、恥ずかしい? 何が」
「……わかってよ、それくらい」
乱れたランニングウェアの裾を直し、髪の毛の土ぼこりを払いながら、のどかは釈然としない顔でダルイゼンを睨みつける。
「そうだよ……。あなたはわたしの、人間の気持ちを全然わかってない。わかってたら、地球を、たくさんの命を蝕んで、笑ったりなんかしない。今もこうして、自分の都合だけ考えて、匿ってほしいなんて言えるわけない!」
溜まっていた怒りをぶつけるのどかだが、ダルイゼンはそよ風程度にすら思わない様子で、淡々と言い返す。
「当たり前だろ。オレたちビョーゲンズは、お前たち人間の気持ちを理解したりなんてしない。そんなことしていたら、地球を侵略するなんてできるわけない」
「……っ、じゃあ、どうして? どうしてあなたたちは、わたしたちと同じ姿で、同じ言葉で近づいてくるの? あなたとわたしが、こうして言葉を交わせる意味は何なの!?」
のどかが感情的に放った問いかけに、ダルイゼンは目を丸くする。
何を突拍子もないことを、とでも言いたげな瞳だが、のどかの真剣な表情に気圧されると、しばらく考え込んだ後、ぽつりぽつりと語り始める。
「……オレたちテラビョーゲンが言葉を使うのは、知性を持たないメガビョーゲンの代わりにテラビョーゲン同士で作戦を立てて、指揮を行うためだ。そのために、宿主の言語体系をコピーして……いや、それだとバテテモーダの理屈が合わないか。なら、キングビョーゲンから知識をコピーされているから、ってところかな」
事も無げに言い切るダルイゼンに、のどかは思わず食い下がってしまう。
「本当に、本当にそれだけなの? こうやって、同じ目線で、同じ言葉で話し合う事が出来るのに、どうして……」
「そこに仮に、他の理由があったとしても、オレたちにはわからない。知ったところで意味もない。だって、お前もわかってるだろ? 人間とビョーゲンは決して相いれない。共生なんてできない」
……何も言い返せない。それどころか、自分が何を言いたいのか、ダルイゼンの口からどんな言葉を聞きたいのか、のどか自身にもよくわからなくなってきた。
そんな彼女の内心を知ってか知らずか、ダルイゼンはさらに続ける。
「実際、お前もオレを助けるのを拒否したじゃん。それなのに、何? その口で、どうして分かり合えないの、とか言うつもり?」
「……そうだね、そんなこと、言う資格ない。あなたたちビョーゲンズを全て浄化することが、わたしたちプリキュアの使命。だってそうしなきゃ、わたしの友達が、家族が、みんなが病気にされちゃうから。それはわかってる」
のどかは、震える唇をきゅっと一文字に結び、目尻から溢れそうになる涙をこらえて告げる。
「でも、だからといってあなたたちに冷たくしていいの? 嘘をついたり、騙しても許されるの? 落とし物を見つけても、返してあげなくていいの? 虐げられて、傷ついていても、助けなくていいの……!?」
のどかの慟哭にも似た問いかけに、ダルイゼンは一瞬押し黙ってしまう。
が、冷淡な口ぶりを崩さずに、きっぱりと言い返した。
「……そうだよ、それが、共に生きられない敵同士ってことだから」
「わたしは、そんな風に割り切れない。だからさっき、あなたの手を振り払って、だからと言ってお手当もできなくて、逃げた」
目を伏せるのどかにダルイゼンは、ふう、と一つため息を交え、
「矛盾だらけだね、ニンゲンって。……オレたちビョーゲンズは、矛盾したりしない。ただひたすら、自分の欲望だけを信じる。他人がどうとかどうでもいい、自分が思ったままに動く。それだけだ」
「……なら、わたしも、今の気持ちをそのまま言うよ」
のどかは立ち上がり、お尻の砂埃を払うと、座り込んだままのダルイゼンの元まで歩み寄る。
「ダルイゼン。わたしは、グアイワルを騙して取り込んで、あなたまで利用しようとしているキングビョーゲンに怒りを憶える。そこに傷ついた人がいるなら、できる限り助けたいと思ってる。……でも、ごめん、わたしはあなたを助けない。助けたくない」
表情一つ変えずに、しかしのどかの瞳から一切目をそらさずに耳を傾けるダルイゼンに、のどかは胸に手を当て続ける。
「あんな苦しい思いはもう二度としたくない。そして何より、あなたが、わたしの大切な人たちの命を脅かすことをやめないのなら、わたしの心も体も、あなたを拒絶する」
ダルイゼンは、彼女の言葉を呑み込むように一瞬目を伏せると、口角を吊り上げながら答える。
「あっそ。お前がそう決めたなら、それでいいんじゃない」
「……ちょっと、なにそのドライな反応。さっきは人の事をあんなに責めたくせに……」
「だって、もうお前の中には入れないからな。お前が心でどう思おうが、お前の勝手だ」
「また、そうやって人を道具みたいに……」
のどかの顔を見上げながらあっけらかんと答えるダルイゼンに、のどかは怒りを通り越して呆れてしまう。
呆れるついでに、ずっと思っていた疑問をぶつけてみる。
「……ねぇ、本当に、わたしたちが共に生きられる選択肢ってないのかな? あなたが言う『住み心地のいい世界』って何?」
「無いね。住み心地のいい、なんて、別に大それた意味じゃない。オレたちはこっちの世界にいるだけで不快で、息苦しいんだ。例えるなら、そうだな……。半分水に浸かった世界、みたいなもんだよ」
「水に……?」
「そう。完全に水に浸かっているわけじゃないから窒息して死ぬわけじゃない。でも、常に水面から顔を出して生活しなければならない世界だ。別に息もできるし、生きていくことはできるかもしれない。でも、苦しいだろ? そんな中、そこらを泳いでる魚に、『苦しいかもしれないけど生きていけるからいいじゃん』って言われたら、どう思う? 世界を覆うこの水を全て抜いてやろう、と思わないか?」
「……それは、」
答えに窮するのどかをしばらく見つめた後、ダルイゼンは鼻で笑い、
「ま、答える必要なんてない。魚側の意見なんて聞く耳持たないし」
「……ちょっと待って。魚扱いはちょっと嫌だなぁ。もっといい例えがあると思うんだけど。例えばほら、人魚とか」
「人魚なんて、そんないいものじゃないだろ。そうだな、いいとこ半魚人ってとこかな」
「は、はんぎょじん……」
ダルイゼンの返答に、一拍遅れてのどかは思わず吹き出してしまった。
「……なに笑ってんの」
「だ、だって、真剣な顔して、人のこと半魚人とか言うから……」
くすくすと笑うのどかを、冷めた目でダルイゼンは見つめる。
「馬鹿馬鹿しい。そもそも、人魚なんてこの世にいる訳ないだろ」
「ぷっ、わ、わかってるから! 真面目に返さないでよ!」
ついに声を上げて笑い始めてしまったのどかを、やはりダルイゼンは奇異なものを見る目で見つめている。
のどかが笑うのを終えると、ダルイゼンはふぅとひとつため息をつき、ゆっくりと立ち上がった。のどかの目には、まだ少しよろめいているようにも見えるが、
「……長話してたら、歩けるくらいには回復したな」
そう言ってダルイゼンは、何も言わずのどかの方へと近づいてくる。のどかも一切臆することなく、目の前に立ったダルイゼンの瞳をまっすぐに見つめ返す。
するとダルイゼンは、のどかの左頬に、そっとその右手を添えた。
一瞬、彼の掌が頬に吸い付くような感覚が走ったが、それはまるで錯覚だったかのように、霧散した。
「……今なら入れるかと思ったけど、やっぱり無理みたいだね」
「もしそうなっても、ラビリンと一緒にすぐに追い出してやるんだから」
気丈に答えるのどかに苦笑すると、ダルイゼンはのどかの頬から手を離し、彼女に背を向け歩き出した。
「……これから、どうするの?」
「さあね。とりあえず、シンドイーネが追ってくるかもしれないから、地下にでも身を隠すかな。地球の空気の中じゃ、オレたちの体力はまともに回復しない。だから……、最悪は、メガパーツを大量に取り込むしかない」
「メガパーツを……?」
「見てたんだろ、グアイワルがそうするところを。ただ、あれは相当な賭けだ。一つでもメガパーツが自分の体に合わなければ、自我を破壊されて暴走――メガビョーゲンと変わらない有様になる。アイツは妙に悪運が強いから、なんとかなったみたいだけど」
「そんな……」
足を止めて説明するダルイゼンは、もう一度のどかの方へと振り返る。
「それは、本当に最後の手段だ。オレは、オレのままで生きたいからな。何にせよ、もし次に会うことがあったとしても、ロクな状態じゃないだろう。……その時は、」
「その時は、わたしの手であなたを浄化する。みんなを、地球を守るために、わたしが、そう決めたから」
「……調子に乗るなよ。もちろん、こっちも負けてやるつもりなんかない。……じゃあな、キュアグレース」
再び歩き出したダルイゼンの背中に、のどかは再び声をかけた。
「ダルイゼン! わたしの、名前」
「……?」
「わたしの名前は、花寺のどか、だよ」
のどかの言葉に、ダルイゼンはふっと笑うと、何も返さず、手さえ振ることもなく、歩き始めた。
のどかは、その背中が林の奥へと消えていくのを、追いかけることもなく、ただただぼうっと見つめていた。
ダルイゼンの姿が見えなくなると、のどかはおもむろにボディバックからスマホを取り出した。
時刻を確認すると、慌てて家族との会話グループを開き、『ちゆちゃんに会って話してたから少し遅くなるね』とメッセージを送り、スマホを閉じた。そして、自分自身に向かって長いため息をついた。
……こんなウソばっかり上手になる自分が嫌になる。こんな戦い、すぐに終わらせないと。
すると、頭上から自分の名前を呼ぶ声が響き、のどかは上空を見渡した。
「ちゆちゃん、こっちだよ!」
木々の上を跳ぶフォンテーヌに声をかけると、彼女はこちらに気づき、のどかの元へと降り立った。
小脇に抱えられていたラビリンが、涙目でのどかの胸元へと飛びつく。
「のどか、無事だったラビ!? ダルイゼンは、まさか、のどかの中に……」
「ラビリン、心配かけてごめんね。ダルイゼンは……、結局、わたしの中に入れなくて」
「えっ、そうだったラビ……?」
「じゃあ、まだ近くにいるってこと!?」
のどかの言葉に、フォンテーヌは慌てて辺りを見渡す。
「のどか、ダルイゼンがどっちに行ったか、見てなかった?」
「…………ごめんなさい、わからないの」
「のどか……」
気落ちした様子ののどかに、フォンテーヌとラビリンは顔を見合わせる。
仕方ないわ、と声をかけ、フォンテーヌはのどかの体を抱え、そのままのどかの家と連れていってくれた。
その日はずっと、いろんな考えが頭をぐるぐる回って、何事にも集中できなかった。
閉まっているドアに頭をぶつけたり、何もないところで転んだり、理科の実験にリコーダーを持ってきたりと散々だったが、あんなことがあったのなら仕方がないと、ちゆとひなたが励ましてくれたのが嬉しかった。
そして、その日の夕刻。ラビリンと色んなことを話した。
ダルイゼンと話をしたこと。ダルイゼンを助けないと決めたこと。そして、立ち去るダルイゼンを追いかけることもなく、そのまま見逃してしまったこと。
ラビリンは、のどかの言う事をただ聞いて、のどかの決断を認めてくれた。助けたくないというのどかの気持ちを尊重してくれた。逃げるダルイゼンを見逃してしまったことを、許してくれた。
そして――
「あれは……!」
ビョーゲンズの気配を感知したラテに導かれ、駆け付けたのどかたちが目にしたのは、ハートの展望台を優に超える大きさへと過剰までの進化、いや、暴走を遂げたダルイゼンの姿だった。
夕日の色に染まるすこやか市の空に響き渡るのは、まるで、群れを外れた狼のような虚しい遠吠え。狂ったように暴れまわるその姿に圧倒され、のどかたち四人はそれをしばらく呆然と見つめていた。
「……っ、のどかのせいじゃないラビ!」
ラビリンはのどかの目の前へと躍り出て、思い詰めた表情ののどかに声をかける。
「うん、ありがとうラビリン。わかってる。……それに、誓ったの」
「誓った、ラビ……?」
こくりと頷くと、のどかは一歩前に出た。
辺りに向かって吠え散らし、出鱈目に浸蝕を繰り返すダルイゼン。そんな彼の耳へと届くように、のどかはありったけの声で叫んだ。
「ダルイゼン!」
すると、瘴気を纏った巨人は、ゆっくりとこちらへと振り向いた。
「キュア、グレース……? ……はな、でら、のどか……!」
「! わたしが、わかるの……?」
自分の名前を呼んだダルイゼンのなれの果てと、一瞬目が合ったような気がした。
「花寺……、のどかアアアァァッッ!!」
しかし、彼はその正気を失った目に眼光を迸らせると、一層大きな唸り声を上げ、周囲の木々に辺り散らすように、再び暴走を始める。
「のどか、来るラビ!」
「うん。行こう、ラビリン!」
この胸から沸き立つものが、怒りなのか、悲しみなのかわからない。
けれどのどかはその想いに身を任せ、ヒーリングステッキの柄を折れんばかりの力で握りしめ、震える喉を押さえつけるように、猛り狂う巨人に向かって高らかに叫んだ。
「――スタート。プリキュア、オペレーション!」
おわり