「やられたよ。既に約束を取り付けていたなんて……」
十月十日、日曜日。学校から離れた午後のファミレスで私は呟いた。失意のあまり机の上に上半身を預ける。ちょうど「たれぱんだ」みたいだった。普段だったらこんな無様な姿は死んでも見せないけれど、それだけショックだったのだ。今回駆け引きに負けたという事実を受け入れられないでいる。
それは目の前にいる彼も同じ……というわけではないか。たぶん納得ができていないというのが正しいだろう。目を閉じ、腕を組んで眉間にしわを寄せる。
「五十嵐君の見込み違いだったってこと? 押せば行けるって言ったの君でしょ?」
だんまりを決め込む時間があんまりにも長いから急かした。五十嵐君はそれでようやく私と向き合った。
「ああ、間違いない。けれど、あまり感心しないな。その責任を押し付けるような言い方は。俺は情報を渡しただけ。判断するのはいつだってお前だぜ、黛」
五十嵐君が不服そうにストローを私に突き付けた。私は両手を挙げて、降参のポーズをとる。
「そうだったね。そういう約束だった」
「わかっていればいい。しかし、やり手だな。その山川って奴。相当前から計画を仕込んでいるんじゃないか?」
「たぶん、それは正しいよ。先週一時的な共同戦線を張ったけれど、約束を取り付ける暇なんてなかった」
「だろうな。相当無理を通したみたいだし。黛も、その山川って奴も」
先週、私たちは先輩バイトの犬井さんを元のシフトに戻すために奔走した。結果としては目的を達成し、入江君は休みを手に入れた。けれど、両親に貸しを作る結果になったのは相当な痛手だ。あの人たちに頼りたくはなかったけれど、手段を選んでいる状況ではなかったのもまた事実だった。
「私はともかく、山川さんが無茶したかどうかは……わからないよ。まだ底が知れない。持ってる手札も見えてこないしね」
「随分と弱気なんだな。意外だ」
「……あんなアドリブ
私がやったのは状況整理。加えて必要な情報を
流布する情報は最小限。疑心を抱かせ、行動させる手腕。それを知り合いではなく出会ったその場で行う。それは度胸とか技術だとかそういうので片づけられるものではない。
普通、あんな綱渡りできない。少なくとも私には無理だった。だからこそ彼女を作戦に引き入れたのだけれど……まさかここまでとは思わない。そりゃあ心の柱にヒビも入る。
「ともかく、私たちが描いていたプランはもう瓦解した。山川さんのおかげでね」
「そうだな。切り替えていくしかない。けど、どうするつもりだよ。シフト表を見る限り、今週末を抑えられたら、花火大会前の休みにケイが休むタイミングはもうない」
だから予定では今日入江君と出かけて、折り合いをつけて夏祭りへ向かうはずだった。そうなっていれば今頃……想像するのは止めよう。どうしても私を出し抜いた山川さんが満喫しているところを思い浮かべてしまう。
私と五十嵐が同時にため息をつく。
「もう少し早めに動き出せればな……。夏休みとかいろいろ使えただろうに」
「仕方がないでしょ。私は部活があったし、そもそもあなたの協力が得られるなんて、ついこの間まで頭にもなかったんだから」
「俺だって、ケイじゃなくて黛に助力する日が来るなんて思わなかった」
五十嵐君の協力を取り付けられたのは先々週のことだった。入江君のいないシフトだった日に彼は私たちのバイト先にやってきた。そこで彼から貰った情報は私にとって強烈で、魅力的で、見逃すにはあまりにも惜しかった。
「そもそもあの話は本当なの? 入江君が私に……その」
「惚れてるって話? 俺を疑ってるのか。まあ、証明はできないな。所詮本人が言っていただけだから。その判断をするのもお前だ、黛」
そのことあるごとに私に判断を求めてくるその姿勢、少し腹が立つ。私の答えなんてわかりきってる癖に。
「……私にとって都合のいい情報だから信じたい、というのが本心だけれど。今は疑わざるを得ないかな」
「それはどうして?」
「今日の件もそうだけど、昨日だって山川さんに抱きつかれて、いちゃついてたし。正直、山川さんの方に気があるんじゃないかって」
思い出すだけでも忌々しい。山川さんの見せつけるようなあの行動。それから、流れるように自分のした約束の開示。私は流されるままに彼女にペースを握られてしまった。
「それは……あー、現場を見ていないから何とも言えないな」
「無責任ね」
「目で見て判断する感覚派なんだよ」
五十嵐君はああ言えばこう言う。つかみどころがないというか、常に飄々とのらりくらりと決定打を打たせないような立ち回りはあまり好きではなかった。
「話がそれたな」と彼が呟く。
「それで、黛はこれからどうするつもりだ?」
「ひとまず今日は準備ね。夏祭りに向けて浴衣とかいろいろ準備しなきゃいけないし。平日にそんな準備はできそうにないから」
「それは懸命だな。幸いまだ十五日のスケジュールを抑えられたと決まったわけでもない」
私にとってそこは救いだった。これでもし約束の日程が十五日と言われていたら人目を私はあの場で泣き崩れていたかもしれない。そうならなくて本当に良かったと思う。
「そうだね。最後まで諦める気はないよ」
「頑張れよ。応援してる」
「何を他人事みたいに言ってるの? 五十嵐君も来るんだよ」
「え? なんで?」
そんな理由がわからないほど察しの悪い人間じゃないでしょうに。わざとらしい。
「入江君の好みについていろいろ教えてもらわないと。自分の好みだけで勝負服を決めるほど自分の容姿に自信を持っていないの、私」
「黛。それあまり大声で言わない方がいいぞ。敵が増えるから」
今更一人や二人増えたところでどうとも思わないけれど、確かに積極的に敵を作る姿勢は褒められたものではないか。理解はできるけれど、納得はできなかった。思っていることは事実だし、時間が許すのなら、念には念を入れておきたい。
そんな私の熱意を知って知らずか、彼は坊主頭を掻きながらそっぽを向く。
「でもなぁ……俺、帰って自主練したいんだけど。大会も近いし」
「あら残念。お昼はご馳走しようと思ったのに……」
「喜んで行かせてください!」
急にちょろくなったな……五十嵐君。さっきまでの回りくどい感じはなんだったの? いつもそうであってくれたら良いのに。
私はそう思ったけれど、当然のことながら声に出すことはなかった。