教えて、バイトリーダー!【完結】   作:イーベル

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「どういうことだよ、兄ちゃん」

 

 廊下の奥で慌てる静香がやけに印象に残った。部活から帰るや否や和己は僕の胸倉を掴んで、壁に押し付けた。その表情は怒りに満ちている。

 

「アタシ言ったよな? あれだけ念を押したよな!?」

 

 こいつら姉妹と山川が繋がっていることは、なんとなく想像がついていた。たぶんあの後、こいつらは山川と連絡を取ったのだろう。山川はそういうことをうかつに漏らすタイプではない。けれど、彼女らは山川の様子がおかしいことに感づいたのだろう。僕のしでかしたミスを知ったのだろう。ならば和己が怒るのは必然だった。胸倉を掴む力が強くなっていく。

 

「山ちゃんは本気だったんだぞ」

「……わかってる」

「わかってねぇ! わかってねぇから、あんなことができるんだろ!」

 

 僕はわからないふりをしていた。見たうえで、気のせいだと言い聞かせてきた。本当はずっと前から気が付いていたはずなのに。僕のしたことは許されることではない。

だから和己のしていることは正しい。こいつの行動原理の根底はきっとやさしさなのだろう。こういう時に本気で怒れることがこいつの良い所だ。けれど、今の()にとってはそれがひどく煩わしく感じてしまう。

「和己だって、わかっちゃいねぇだろ。俺のことを分かったつもりになってるからそんなことが言えるんだ」

 苛立ちが蓄積されて、口から漏れた。知ったような口でそんな風に言った。自分自身だって何をどうしたらいいのか、わからなくなっている癖に。

 和己が俺を睨む。自分とよく似た悪人面。挫折も諦めもまだ知らない彼女は、かつての自分のようで……まるで過去の自分に怒られているようにも思えた。

 

「そういうことを言ってるんじゃねぇ! アタシは今、兄ちゃんの行動の話をしてるんだよ!」

「……行動?」

「そうだよ。兄ちゃんは知らないだろうけどな。山ちゃんはすげぇ楽しみにしてたんだ。準備だって念入りだった。絶対に失敗したくないから、本気で向き合いたいからって……! それを、踏みにじりやがって、そんなの絶対に許されることじゃないだろ!」

 

 和己の声が震えている。息も荒くなっていた。

 ()はもういない。今は全てを失った()がいるだけだ。もう他人から求められるべきじゃない。もうそんな情熱を注がれるべきじゃない。だって、自分を自分たらしめていた柱は折れてしまったんだから。

 それなのに、最近は瓦礫の下から未練がにじみ出している。僕はまだ、自分が価値のある人間だと言いたいのか? 捨てただろ。だって、淡い希望を持ち続けるのはあまりにも苦しいって、十分思い知っただろ。

 和己の腕を胸元から強引に外して、肩を押して距離を取った。

 

「……僕は、こういう人間だ。そういう振る舞いができるならやってる。山川はずいぶんと評価してくれたみたいだけど、見る目は無かったみたいだな」

 

 自分の願望に終止符を打つために口を動かした。壁に押し合てられていた背中を離して立ち上がる。

 

「あいつは……良い奴だよ。凄い奴だ。誰にでも好かれて、サボるけど仕事もできて。……それにムカつくぐらいに顔だって良い」

 

「だったら」と和己が言う。それをかき消すように「だから!」と声を張った。壁を裏拳で殴りつけていた。右手がじんじんと痛むのが気にならないぐらいに感情が高ぶっていた。

 

「僕の下らない思い上がりで、歪めるわけにはいかないだろ。貶めるわけには……いかないだろ」

 

 和己が身を引いて、一瞬怯えた目で僕を見た。それで僕は一気に冷静になる。またやってしまった。こういう時に高圧的な態度になるのは僕の悪い癖だった。目を伏せて、廊下を歩き出す。和己の横を通り抜けて自室へ向かう。その途中で和己が肩を掴んだ。

 

「おい、待てよ。兄ちゃん、まだ話は終わってねぇぞ」

「終わりだよ。これ以上お前に言うことなんてない」

「アタシはまだ……!」

「お前が口出しすることももう無いよ。これは、僕の問題だ」

 

 再び歩き出してその途中で静香と目が合った。彼女は何か言いたそうだったけれど、こらえて、目をそらす。

 扉を開けて自室に入った。鍵をかけてベッドに横になる。このまま寝てしまいたかった。けれど、それはできなかった。

 

 今日、分かれた時に見た山川の表情が瞼の裏にまで焼き付いている。黛と五十嵐が一緒にいたという、見たくなかった光景への動揺が今も心拍を乱している。感情がミキサーに入れられたみたいにぐちゃぐちゃだ。

 

 もしも僕が折れずにいられたなら、妹達のように真っ直ぐでいられたなら、山川のように誰もが惹かれる輝きを持っていたのなら、黛のように、不器用でも全力でいられたのなら……。こんなに苦しい想いはせずに済んだのだろうか。

 そんなあり得ない仮定を列挙して、首を振った。考えるだけ無駄だ。無いものをいくらねだったって、状況は好転することはない。けれど、それでも、そんな想像することを()めることはできなかった。

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