落ち着け。僕まで流されるな。状況を整理しよう。五十嵐が勝負を挑んできた。この出来事で確定した情報が三つある。
一つ、僕の想定通り黛と付き合っていない。そうでなければ勝負を挑まない。勝利の果てにある報酬はもう手に入れているのだから。そう捉えることができる。
二つ、五十嵐は今流れている噂を信じている。信じているからこそ、僕を標的にしている。疑っているならばまずは調査をすることから始めるだろう。だが彼はそうしていない。する時間もなかった。朝練に出ている所を僕は確認している。
三つ、これは当然だが五十嵐は黛に想いを寄せている。それも熱烈に。中途半端で、諦めも付く想いなら、こんな場所で大胆に勝負を挑んだりしない。
これらをまとめると、五十嵐は今の噂を信じていて、自分の想いを押し通すため、強攻策へ出ている。そう推察ができる。
最悪の状態は避けている。僕が考えていたことは『五十嵐と黛が付き合っている』ということだったから。
でもそれはこの状況だけで考えるのならの話だ。昨日、僕と五十嵐はお互いに存在を認知した。それでいて五十嵐は逃げた。つまり、あの時点では僕に二人でいるところを見られたくなかったのだ。五十嵐も黛が好きなのだと悟らせたくなかったはず。だけど、一日経って方針を大きく変えた。大っぴらに気持ちを晒した。そのきっかけは何だ?
『山ちゃんは本気だったんだぞ』
激昂した和己の顔とセリフが頭をよぎった。思考のイナズマが脳細胞を駆け抜ける。五十嵐は『僕と黛が付き合っている』という噂を信じた。それでいて『僕と山川がデートをしていた』といたと思い込んでいる。
両立するとは思えない二つの情報だが、もしも五十嵐が両方とも信じたとしたら……。前髪で隠れた額に手を当てた。頭が痛くなる。あまりにも突拍子もない、冗談だろと投げ捨てたくなる閃き。だが、それ以外に五十嵐がこんな行動をする理由が導き出せない。
おそらく五十嵐は『僕を二股かけている男』だと思っている。
二人のうち一人は自分自身の想い人となれば、この強引な行動にも納得がいく。彼は全力で僕から黛を引きはがしに来ている。短絡的で真っ直ぐ、それでいて善人な五十嵐らしい行動だった。
「何とか言ってくれよ。無言のままだとわからねぇぜ。勝負、受けてくれるのか?」
五十嵐はは肩をすくめた。いつも通りにお調子者の声色だ。周りも便乗して「そうだそうだ」とか「意気地なし」だとか好き勝手に言ってくる。くっそ、黙っていれば良い気になりやがって……。
ここで感情に身を任せて「やってやる」というのは簡単だ。だけどそれはこの騒ぎに新たな火種を放り込むことになる。それはダメだ。だって、黛はこの騒ぎを大きくしないために放置することを選んだのだから。その選択を無かったことにするのは憚られた。
「当然──」
「受けるよな?」
「受けないに決まってるだろ? バカかよ。僕にメリットがないだろうが」
五十嵐は拍子抜けしたような表情を見せる。マンガに登場している人物だったらガクっと階段を踏み外したみたいに動いただろう。そんな彼に向けて僕は話を続ける。
「お前が勝てば、値千金。だが、こっちが勝っても現状維持。それどころか負けたら大赤字だ。そんなリスクは死んでも取りたくない」
「メリットならある」
「言ってみろよ」
「この騒ぎがあっという間に静まる」
「じゃあ尚更却下だな。だってもうそろそろ──」
言い終わる前にホームルームが開始されるチャイムが鳴った。五十嵐が来たのは朝練が終わってからだ。当然のことながら交渉をするだけの尺はない。人口密度の高い廊下をかき分けて教師たちがやってくる。
「なんだ、なんだ。さっさと教室に戻れ。ホームルームサボるつもりか?」
手拍子を二度。急かすような声。多分、いつだったか注意された数学教師だ。彼に目を付けられると面倒だというのはこの高校の生徒なら誰だって知っている。蜘蛛の子を散らすようにして野次馬が撤退していく。それは教室の中も同様で、次々に生徒が席に着く。その中で五十嵐が席に着いたのは一番最後だった。
それから何事もなかった様にホームルーム、そして授業が進んでいく。間に挟まる十分の間には五十嵐は仕掛けてこなかった。話題が話題だけに、長く尺を取れる昼休みまで待っているのだろう。この調子で、この状況のまま放課後を迎えたかった。けれど、誰がどう願おうと昼休みは来てしまう。さっきは僕を救ってくれたチャイムに平穏が破られる。
五十嵐が席を立ち、その五席後ろにいる僕を見た。彼が周囲の注目を集めながら、口を開こうとしたその瞬間。それよりも先に、授業から解放された生徒たちがざわめき始めるよりも先に、黛が僕の名前を呼んだ。
五十嵐は止まり、僕も含め周囲の視線が彼女に注がれた。机と机の間を縫って、僕の席へ向かって、正面で立ち止まった。
「ちょっと話があるんだけど、良い? 他の人にはあまり聞かれたくないんだ」
予想外だ。黛は事を荒立てないつもりなのだと思っていた。だから、この場では動くわけがないと思い込んでいた。それこそ、彼女にメリットがない。彼女の行動は既に流れている『僕と付き合っている』という噂を補強してしまうことになる。
沈黙を保っていた僕に『良いよね?』と顔を寄せて念押しする。顔は微笑んでいるけど、声は絶対に怒ってるときのトーンだった。僕はそれに屈して頷く。
「いい、けど……」
「うん。じゃあ行こうか」
有無を言わせずに僕の右手首をがっしりと掴んで、ぐいぐい教室の外へと引っ張って廊下へ。彼女にされるがまま、どこに向かっているのかもわからないまま足を動かした。すれ違う人たちにチラチラと見られて、そこでようやく冷静さを取り戻す。
えっ、何? 僕、黛と手を繋いでる? いや、腕を繋がれているのと言った方がいいか。なんか連行されてる感じだもんな。……ってそんな冷静に考えている場合じゃない!
「ま、黛。手、放してくれないか」
「嫌。入江君は今朝五十嵐君にしたみたいに煙に巻いて、逃げちゃうでしょ?」
「逃げないから。話ぐらい聞くから!」
「私個人としてはその言葉を信じたいけれど、不確定な要素がある以上、入江君を自由にするわけにはいかないね。万が一でも、ケイが一でも、何かあってから後悔はしたくないからね」
圭が一? いや、
「僕は今この状況を後悔しそうだよ」
「へぇ、入江君もそんな顔するんだ。照れ隠し?」
「……」
やっべ。僕はどんな顔しているんだろう? 今すぐ鏡を見て修正をしたいところではあるが、さっきあんなことを言っていた彼女が許してくれるとは思えなかった。
結局、黛を説き伏せることができないまま、僕らは校舎裏へとたどり着いた。ここは教室から離れており、人通りが少ない。人に聞かれたくない話をするにはうってつけの場所と言えた。
だけど、あれだけ目立ちながら移動したのでは意味もなさそうだ。野次馬だって何人かついてきてしまうかもしれない。話は手短に、かつひっそりと行った方がいいだろう。
黛が僕の手を離す。お互いに正面から向き合った。彼女と目が合って、それを合図に話を切り出すことにした。
「それで、話って何?」
「確認したいことがあったの」
「確認? 文句が言いたいんじゃなくて?」
「やだな。入江君は私がそんなに怒っているように見えたの?」
見えた。教室で僕に話しかけてきたときは特にそう見えた。でもその言葉はぐっと飲み込んだ。
「いや、今日はいろいろと文句を言いたいことが多かったろ? 朝とかさ」
「ああ、なるほどね。それは別にいいの。悪いことばかりじゃなかったから」
「ねぇ」と黛が一歩間合いを詰めた。僕も一歩後ろに下がる。背中に校舎の壁が当たった。逃げ場のなくなった僕を見て彼女は口角を上げる。
「入江君は私のことが好きってことで良いんだよね?」
なんだかんだ言っていなかったのですが、毎度感想や評価、お気に入り登録ありがとうございます。毎度ニコニコしながら見てます。
今後ともよろしくお願いいたします。モチベ、上がるので。