弾かれたボールを茫然としていた野次馬から受け取る。予想していなかった展開が目の前で行われていることに驚いたのだろう。帰宅部がバスケ部と一騎打ち。一方的にやられる展開を予想していたはずだ。だけれど、僕は思っているよりも善戦できていた。
当然のことだ。かつて、それだけの反復はしていた。その残り火みたいなものが僕に力を貸してくれている。
ゆっくりとボールを突きながら、五十嵐の待っている反対のゴールへ向かう。
五十嵐は成長している。わかってはいたが、かつて対戦した時と比較するとスケールが違う。身長でも、プレーでも。想定外ではないが、改めて自分との差を実感する。
「参ったな、どうやって勝てばいいのかわからねぇや」
「嘘つくなよ。本当にそう思ってる奴はそんな風に笑わねぇ」
「……」
ほんの少し油断でもしてくれれば良かったのだけれど、五十嵐にはそんな気はないらしい。光栄ではあるが悪態は付きたくなる。
「何か企んでいるって感じだな、ケイ。だが、あとたった二本だ。策を仕込む時間なんてもう残されていない」
「……そうだな。流石に今から仕込む気にはなれないな」
嘘だ。僕はたった今仕込みをしている。だがそれを彼に悟らせたくなかった。
「だろ? だからさっさと本命で来いよ」
「本命?」
「とぼけるなよ。パス捌き、ミドルシュート、どちらもケイの大きな武器だが、一番自信があるのはそこじゃないだろ」
五十嵐が人差し指で僕の抱えていたボールを指差す。
「卓越したドリブルスキル。その中でもドライブは群を抜いていた。あれを使わずに俺に勝とうだなんて見通しが甘すぎる」
「間違いない」
僕は頷く。自分の切り札を封じたまま争いに勝てるほどこの勝負は甘くない。そんなことはわかっている。
「だけど、何をしてくるのかわかっている相手ほど止めやすいものもないだろ? 攻め手を限定されちゃ勝負にならない」
「それはそうだな。余計なことを言った」
「再開しよう」五十嵐はそう言って、両手を挙げた。お互いのチェストパスでボールが往復して、勝負が再開される。
二本目。
身体の左側面でボールを隠しながらのドリブル。隙を伺う間もなく、五十嵐は僕との間を詰める。僕はボールを持っていない腕で壁を作りその場を凌ぐ。
あからさまな誘い。抜いてくれと言わんばかりのシチュエーションだ。きな臭さはあるが、ドライブが最善の選択のように見える。
バスケットにおいて、相手の行動を制限するためのシチュエーション作りはよく行われている。一対一でも同じことが言える。相手が最も得意な、成功率の高い技を使いにくいようにするのは効果的だ。例えばドリブルが得意な僕を相手にするなら、抜かれないように距離を取り、練度の低いシュートに誘導するのが望ましい。
けれど、五十嵐のやっていることはまるで逆。僕の得意な技を使うように仕向けている。それだけ、僕のドライブを止める自信があるのだ。
だが、ここでドライブに行かないのは愚の骨頂。他の行動はさらに止められやすいうえ、
弾んだボールを抱え気味に保持。左にステップを踏んで、一気に逆へ切り替えるクロスオーバー。姿勢を低くしてスピードに乗る。右のスペースへドライブで切り込んだ。
だが五十嵐の反応は早い。スペースは完全には空かない。その分外に膨らんでゴールとの距離ができてしまう。この距離を詰める時間で五十嵐は追いついてくる。そう判断しバックボードを使ってのシュートを選択した。
ボードに向かってボールを浮かせる。その直後にドンと強く踏み切った音がした。五十嵐が腕を振り、ボールをバックボードに叩きつけ、僕のシュートを阻んだ。勢いよくボールが地面を弾む。
「やっぱり、五十嵐なら止めるよな」
「やっぱりってなんだよ。まるで止められることがわかっていたみたいな……まさかとは思うが諦めたなんて言う気じゃねぇだろうな」
五十嵐が僕を睨む。僕は首を振って彼の言葉を否定する。
「いや、まさか。僕がこの状況で諦めるなんてありえない」
ちらりとコートの横に立っている黛の姿を見る。ぎゅっと両指を絡めて、何かに祈るように僕たちの戦いを見つめていた。
もし、自分のためだけだったらこんな勝負を受けなかっただろう。いつものように逃げて、嫌悪しつつも灰色で、つまらない日々に生きるだろう。
だけど今日は違う。この勝負は僕のためじゃない、黛のための勝負だ。黛が黛らしくいるために、握られている弱みに怯えなくてもいいようにする。そのために僕はここにいる。
瞳を閉じて大きく深呼吸する。
準備は終わった。泣いても笑ってもこれが最後だ。取りこぼせばもう取り返しがつかない。そう自分に言い聞かせて、自分で自分を追い込んで集中を高めていく。
「死んでも、一本決めてやる」
誰にも聞こえないようにつぶやいた。瞼を開ける。五十嵐がハッと何かに気が付いたように目を見開いたように見えた。
僕は五十嵐の胸にボールを投げる。彼がボールをバウンドさせてこちらに向けて返す。
これからやるのは焼き直し。何もかもが強引な自分にとって後悔しかない行動の再演だ。
僕がボールを受け取った瞬間に行ったのはノーフェイクのドライブ。全神経を注いだ、後先を考えない最速の動き。膝が限界を超え、悲鳴を上げる。
五十嵐は不意を突かれていた。この大事な一本でいきなり勝負を仕掛けてくるとは思わなかったのだろう。だけど、それでも彼はこのドライブに反応する。反応せざるを得ない。なぜなら、彼にとってこのドライブは一種のトラウマだから。
彼は四年前の失態を未だに引きずり続けている。二本目を行う前で見せた執着。それで疑惑は確信に変わっていた。
それも当然だ。それだけの重さがあの大会にはあった。あのワンプレーですべてが決まった。敗北の責任を分け合うことのできなかった彼の苦悩は想像を絶する。だけど陰湿に、残酷に、一番嫌がるタイミングでその弱所を突く。
ゴールの三歩前でボールを掴む。大股で一歩目を踏み出すと、ダンと大きく床が音を出した。
五十嵐がそれに反応して跳躍する。何としてもレイアップを阻止するために。もう一度あの失態を繰り返さないために。
二歩目。全力でブレーキをかけた。右膝の痛みに顔を歪めながら後ろに向かって跳躍する。上体を逸らしながら、強引にシュートを打った。
五十嵐が僕より先に空中から落ちていく。彼の腕のさらに上にボールが放物線を描いた。そして、リングの内で二度ボールが反発しネットをくぐる。
尻もちを突いて、そのままコートに寝ころんだ。野次馬のざわめきが体育館に反響する。それは僕が勝利したことを示していた。
天井と僕の間に五十嵐が割り込む。彼が差し伸べた手を取って僕は立ち上がる。
「僕の勝ちだな」
「……ああ、俺の完敗だ。性格の悪さは健在だったな」
「うるせぇな。勝てばいいんだよ。勝てば」
そう答えると五十嵐は苦笑いする。言いたいことがあるならはっきりと言ってくれ。……ってそうじゃない。それよりも大事なことがあるだろ。
「ところで黛の件だけど」
「わかってる。黙っておくさ。勝負ごとに負けたんだ。それぐらいは当然だな」
「なら、良いんだけど」
勝負は終わった。これ以上長居をする必要はない。五十嵐に背中を見せて、立ち去ろうとする。その途中で名前を呼ばれた。僕は振り返ってコートに立つ五十嵐を見る。
目を細めて、何かを惜しむような表情だった。
「……やっぱりお前はバスケを続けるべきだったよ」
「馬鹿だな。十分も持たない奴が入ってどうすんだよ」
「……それもそうだな。呼び止めて悪かった。行けよ。彼女が待ってるぜ」
五十嵐はそう言って僕を急かした。彼に背中を見せると今度は黛と目が合った。