教えて、バイトリーダー!【完結】   作:イーベル

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 十月十五日。

 今日は勝負から二日経った金曜日。僕らは直前にした約束を果たすために神社に圧待つことにしていた。僕は鳥居の前に立っている。彼女が僕を見つけやすいように、人混みからは少し離れてスマホをいじっていた。

 五十嵐との勝負が終わって、僕と黛は二人して体育館から逃げ出した。周囲の目線や注目に耐えきれなかったのだ。

 黛と話したい事はそれこそ山のようにあったけれど、あんな大衆の前でするほど僕らは目立ちたがりではない。だから周囲の要求には答えることは絶対になかった。僕らのことは僕らだけが知っていればそれでいい。自分が見世物にされるのはごめんだし、彼女の表情を、息遣いを他の誰にも共有させたくなかった。

 

「お待たせ」

 

 目の前に黛がいたことに声をかけられてから気が付く。

 紺色のデフォルメされた花火の柄をあしらった浴衣。存在感抜群の黒髪を今日はまとめていて、慣れないのか普段は隠れている首筋をさすっている。普段は目にかかれない特別感。これからあの黛とデートをするという実感が僕から言葉を忘れさせる。

 そんな僕が不満だったのか黛が肘で僕の脇腹を突く。

 

「……何か言ってくれないかな?」

「悪い、見惚れていたんだ」

 

 ボロっと気遣いもなく思っていたことが漏れ出た。

 黛はわかりやすく目を見開いて、それからそっぽを向く。頬がほんのりと赤く染まっている気がした。

 

「……そう言っておけば許してくれるって思ってない?」

「本心だよ。浴衣、似合ってる。髪型もいいね。それから──」

「も、もういいから!」

 

 黛はぶんぶんと僕の前の前で手を振って、僕の言葉を遮った。彼女がそういった仕草をするのは珍しく、可愛らしかった。

 黛が下駄で音を立てながらステップを踏む。

 

「早く中に行こうよ。お腹()いたでしょ? 今日はご馳走するよ」

「それは僕のセリフじゃないのか? 僕の方がシフト多いし、稼いでるんだから」

「ううん。これはお礼だから。気の済むまでやらせて」

「まあ、そういうことなら」

 

 僕は頷いて彼女の後を追って境内(けいだい)に入った。糸につながれた提灯(ちょうちん)が僕らを照らす。立ち並ぶ屋台にはまばらに人が並んでいて、ほどほどに活気にあふれていた。黛がキョロキョロとあたりを見渡す。

 

「思っていたよりも人がいるんだね」

「川沿いの広場にはもっといるんだけどな。人口密度が高すぎるのは好きじゃないんだ」

「私も。じろじろ見られると落ち着かないし、呼吸しづらいからね」

 

 いや、祭りに行った人全員が体験したみたいな口調で言うな。じろじろ見られるのは黛ぐらいだろう。僕は首を横に振って、修正する。

 

「いや、そうじゃなくて……妹が迷子になった時を思い出して、落ち着かないんだ」

「それ、入江君ぐらいだと思うよ」

「え? そうかな」

 

 納得がいかない。誰だって一度は年下の妹に振り回され……って一人っ子の場合もあるか。世界の人間全てに妹がいるわけではない。

 

「でもいいな。入江君に心配される妹って羨ましい」

「そういえば、前にもそんなこと言ってたな」

 

 彼女は兄のような人間を欲していた。その理由を僕は知ることができていない。無理やり聞き出すつもりはなかった。けれど、彼女のことを少しでも知りたいという気持ちはあの時から変わっていない。

 黛は僕の方を見てにやりと笑った。

 

「気になるの?」

「そりゃあ、まあ……無理には聞かないけどさ」

「妹だったら、入江君が一番に気にかけてくれるんでしょ?」

 

 僕の言葉に食い気味で黛が答えた。思わず彼女へ視線を向ける。拍子抜けというかなんというか、もっと別の重たい理由だと思っていただけに驚いてしまう。

 

「……それが理由?」

「あの時は正面切って言うべきじゃないと思ってたからね。真実は意外とシンプルってこと」

「じゃあ、僕はずいぶんと遠回りをしたわけだ」

「そうかもね。あっ、焼きそば」

 

 黛が目的の屋台を見つけて、おじさんに「二つ下さい」とピースサインで注文をした。僕はおじさんからビニール袋に入ったものを受け取る。受け取るついでに料金を渡そうとしたけれどおじさんが黛を指さした。得意げに黛が腰に手を当てている。

 

「言ったでしょ? 今日は諦めて私に奢られときなよ」

「……ダメだったか」

「口ではああ言っておいて抜け目ないね。入江君は」

「男前な彼女だな」と笑うおじさんに見送られて、さらに奥へと向かう。その途中で綿菓子の屋台を見つけた。屋台を指さしながら僕は言う。

「じゃあ、せめて綿菓子ぐらいは奢らせてくれよ」

「綿菓子なら奢られてもいいかな」

「いや、どういう基準だよ」

「ロマンとか?」

 

 いや、ぜんぜんロマンを感じない……。でもまあ、奢らせてくれるならいいか。これで少しは面目を保てるというものだ。

 屋台の正面に立って、一つ綿菓子を注文する。おじさんが円盤の中央にザラメを入れて、くるくると出来立ての綿菓子を割りばしで巻き取っていく。

 

「綿菓子好きなのか?」

「うん。これを食べると子供でいられる気がする」

「おばあさんみたいな言い方をするな。僕たちは未成年だぞ」

「……そうだったね」

 

 黛が儚げに笑う。

 何か含みのある表情だったけれど、彼女のことだから正直に話してはくれないのだろう。けれど兄妹の話のように、打ち明けてくれる日がくればいいなと思った。

 おじさんから袋詰めされた綿菓子を受け取って、僕らはまた歩き始める。屋台が立ち並ぶ場所を抜けた。さっきまでのにぎやかさが嘘のように静まり返る。住宅地の真ん中にあるはずなのに、薄暗く、月明かりがわずかに届くだけ。そんな場所に取り残されたかのようにポツンと青いベンチが見えた。

 

「ここだ。相変わらず誰もいないな」

「穴場なんだね」

「暗いし危ないから誰も近づかないんだろうな。でも、今日みたいに花火を見るならこれぐらいの方が綺麗に見える。ま、とりあえず座ろう」

 

 僕は黛にそう促しながら先に腰を掛けた。上を見上げると生い茂る木々の中に切り取られたような空間がある。そこから星々が顔を見せていた。

 袋から二つの焼きそばを取り出して一つを黛に渡す。プラスティックの容器に輪ゴムを取って蓋を開ける。割りばしを使って二口食べた。

 

 それからふと思う。今の僕は幸せだ。自分の中の理想の女の子と付き合って、夏祭りにデートをしに来ている。けれど、黛はどうなのだろう? 思えば彼女が僕のことを好きだと言ったのは一度だけ。彼女のことを疑ってはいないけれど、その動機は気にはなる。

 アルバイトを始めるまで僕と黛は関係性が皆無だった。さっきの話によれば先月、店に妹が来た時には既に僕のことを好ましく思っていたようだった。その間、僕はこれと言ったアプローチはしていない。整理してみると謎が多い。けれどその答えを知るのは本人だけだった。

 横の黛を見る。月明かりに照らされたうなじがとても奇麗だった。

 

「黛はどうして僕が好きなんだ?」

 

 彼女はその言葉を聞いた途端に激しくむせた。持っていたお茶を手渡す。間接キスだとか気にしている余裕は僕にしかなかった。

 

「ど、どうしてそんなことを聞くのかな?」

「そんなに動揺することじゃないだろ」

 

 めちゃくちゃ声が上ずってるし、焦りすぎだろ。今日は動揺している黛をよく見る気がする。そんな彼女を諭すように「落ち着けよ」と僕は言う。

 

「だっていきなり、その、は、恥ずかしいというか、なんというか。だいたい! 入江君だって私に『好きな理由』だなんて言ってこなかったでしょ!?」

 

 両手を挙げて立てしまくる黛はさながら威嚇するアリクイみたいだった。普段の冷静な対応ができていない。それだけ今の彼女には余裕がないのだろう。

 

「それは、そうだな」

「だ、だから私が言わなくても──」

「努力を惜しまない所、大胆に見えて恥ずかしがり屋な所、それから……」

「ストップ、ストップ! そ、そんなにいっぺんに言わないで!?」

「まだあるんだけどな」

 

 芯があって、他人に流されない所とか。僕はそこが一番好きだった。

 

「ところで入江君。綿菓子半分食べない?」

「それは買収?」

「そ、そんなことはないよ」

 

 ぶんぶんと彼女が首を振った。必死すぎないか? そんなところを見てしまうとつい意地悪したくなってしまう。

 

「……別に半分もいらないかな」

「じゃあ一口だけでも!」

「滅茶苦茶ゴリ推すじゃん」

 

 そんなに綿菓子が好きなのかよ。

 黛の推しに競り負けて、袋の中から一口分ちぎって食べた。ふわふわとした甘い塊は口の中ですっと解ける。ずっと食べていなかった懐かしい味わいだった。

 

「確かに、子供でいられる気がする」

「でしょ?」

 

 ドンと破裂音が響く。空に大輪の花が咲いた。それは月明かりと共にうっすらと僕らを照らす。しばらくそれを眺めていると黛が静かに切り出した。

 

「ねぇ、入江君」

「なんだよ」

「私、ここに来たことがあったよ。同い年ぐらいの男の子と一緒に並んで、花火を見たの。丁度こんな感じで」

 

 黛はベンチを撫でてから「覚えているかな?」と僕に問う。

 

「いや、それは僕に聞くことじゃないだろ」

「じゃあ、妹さんにあげるはずだった綿菓子を二人で食べちゃったことも、覚えてない?」

「え?」

 

 覚えている。僕は毎年この時期になると妹達にその話を蒸し返されるから。忘れるはずもなかった。

 震える指先で黛の鼻先を指差す。彼女は仕返しとばかりにいじらしく笑う。

 

「じゃ、じゃあ、あの時の……?」

「そう、共犯者。綿菓子ご馳走様でした」

「……もっと早く言って欲しかったな」

 

 そうしたらここまで遠回りをする必要はなかったかもしれないのに。

 嘆く僕に黛は「ううん」とゆっくりと首を横に振る。

 

「それは嫌だよ。私はここ以外で言うつもりはなかったんだ」

「それはどうして?」

「私にとって大事なことだったから。あの出来事で伝えるのは感謝であって、好意じゃない。目的をごちゃ混ぜにするのは少し違う気がしたからね」

 

 黛が一度目を伏せて、深く息を吐く。

 

「あの時、入江君に貰ったやさしさが私に “もう少し頑張ってもいいかな”って思わせてくれた。あの時入江君に会ったから、私は私として生きている」

「……大げさだな。僕はそんな大層なことはしてない。転んで泣いている子がいたら手を差し伸べるぐらい、本当は誰もがやるべきなんだよ」

 

 僕は心からそう思う。

 善意も悪意も見分けがつきにくくなった今、困っている人に手を差し伸べることのハードルは高くなった。助けても、言い掛かりをつけられることも珍しくない。だから理屈だけで言うのなら係るべきではないとわかっている。自分の言うことは理想だ。けれど、そうありたいと願うのは決して、間違ってはいないだろう。

 そんな風に考えていた僕に黛が微笑みかける。

 

「……そう言えるのが入江君だ。変わったつもりかもしれないけれど、本質は変わらないままだ」

「それは……成長してないって言いたいのか?」

「ううん。違うよ」

 

 黛が僕の言葉を否定した。それからベンチに置いていた僕の手に手を重ねた。突発的な柔らかな感触と熱が僕を彼女に釘付けにする。

 

「だって私は、入江君のそういう所が好きなんだから」

 

 黛の告白を聞いて息を呑む。

 何もかも失くしてしまったと思っていた。自分にはもう価値がないのだと、終わってしまった人間なのだと言い聞かせてきた。

 けれど僕にもまだあったのだ。他人に認められるような、好きでいて貰えるものが、確かに残っていたのだと。そのことに僕は安堵した。

 

「……ありがとう、黛」

「それは私の台詞じゃない?」

「そうかもな」

 

 僕の左手に彼女の右手が絡む。触れていない部分がないように密着する。横を向くと彼女と目が合う。瞳には打ち上げが続いている花火の光が映り込んでいて綺麗だった。

 お互いを見つめ合う、空白の数秒。それを経て黛が瞼を閉じる。初めてのキスはほんのりとザラメの味がした。

 

 

『教えて、バイトリーダー!』 君はあの日見た花火を覚えているだろうか。  了




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