限界ぎりぎりの僕に代わって山川が注文された品を運んで行った。遠くから見るに相変わらず彼女らは仲が良さげで、山川は砕けた態度で応対をしていた。妹たちもそれを咎めることはない。というか僕にあれだけ言っておいて山川は許容範囲なのかよ。乙女のルールは良くわからない。
「入江君に妹がいたなんて知らなかった」
横に立っていた黛がそう言った。「言ってなかったからな」と僕は返す。昨日まで僕と彼女は話す機会がなかったのだし、当然のことだと思う。
「私は一人っ子だから兄妹って羨ましいよ」
「そうかな? いたらいたで面倒だぞ、兄妹って。何かにつけて突っかかってくるし。今日だってそうだったろ?」
僕はちらりと黛の目を見た。黛は首を少し傾げる。
「それはお兄ちゃんの立場から考えればそうかも。でも、可愛いと思うけどな」
「えぇ? 可愛い要素どこにあったよ」
「お兄ちゃんかまって欲しいんだなーって思うとなかなかに可愛いよ」
お兄ちゃんにかまって欲しい妹。まあ、確かに言葉だけを切り取ると可愛い気もする。けれど、あの姉妹を見たうえで出てくる感想がそれとは黛は少しズレていると思った。
「だから、私からしたら入江君が羨ましい」
「あんな妹がいるのが?」
「うん。まあ妹でも弟でも、お兄ちゃんでもお姉ちゃんでも、誰かもう一人いてくれたらって思うときがある」
目を細めて彼女はテーブルを見た。視線の先にいる山川と妹達。それは黛にとって一種の憧れなのかもしれない。僕があんな妹がいない生活を望むように、彼女だってあんなやかましい妹がいる生活を望むのだろう。
その理由を考えて自分なりの答えを彼女に投げつける。
「黛は寂しかったりするのか?」
「ん? どうしてそう思うの?」
「あれだけやかましい妹を羨ましいって思う理由がそれぐらいしか思いつかなかった」
「ああ、なるほどね」
相槌を打つだけ打って、黛は少し間を置いて考える。瞳を閉じて一呼吸を置いてから答えを出す。
「……そうだね。多分、寂しかったんだと思うよ。小さい頃は特に」
「そっか、じゃあ貰っていくか? うちの妹。言ってくれれば日当たり二千円で派遣するけど」
「うわ、守銭奴だ」
くすくすと黛が笑う。僕としては無料でもいいから持って行って欲しい。
「でも第一希望はお兄ちゃんかな。私は入江君みたいにかまってくれるお兄ちゃんが欲しいよ」
「え、僕?」
自分が指定されてしまったことに驚く。正直に言えば自分はそこまで良い兄ではないと思う。でもそれを判断できる材料が黛にはない。だから真っ先に兄として僕が候補に挙がったのだろう。
「入江君は日当たり二千円でお兄ちゃんになってくれるかな?」
「僕を雇ってどうするんだよ。別に面白くもなんともない」
「そんなことないよ。入江君が来てくれたら妹として思いっきり迷惑かけて、怒らせて、ゲラゲラ笑ってさ。最後にお母さんにまとめて怒られるの」
「……僕は絶対嫌だな、それ」
つい想像して口に出してしまう。経験があるだけに黛の望みを否定してしまいたかった。自分が発端ではないのに怒られるというのはなかなかに応えるのだ。まあ、今にして思えば同調してしまった自分も悪いのだというのは理解できなくもない。けれど、納得できるまでには時間が必要だった。
「でも私は入江君の雇い主だから、従ってもらえないと」
「拒否権ってあったりする?」
「ないよ。仕事ってそういうものでしょ? 雇われるならきっちりしないと」
「それはそうだけど、あんまり理不尽なことを要求されると応募しないって」
「それもそうだね」
黛が頷いた。
「というか、そもそもなんでそんなことをしたいんだよ」
「なんでだと思う?」
「……わかんないな。そんなことをしたくなる気持ち」
「うん。多分入江君には私の気持ちはわからないと思う」
黛がきっぱりと断言する。僕はそこまで女の子に対しての気遣いができる方ではない。もし気を遣えたのなら、もう少し山川からの反撃も少なくなっているはずだ。自覚はしている。けれど黛に言われると少しへこむな。
「そうだな。悪い」
「別に良いよ。わかって欲しいなんて思ってないから」
突き放すように彼女は言う。その言葉にはちょっとした諦めのようなものが混ざっている気がした。それがなんとなく嫌だった。
「僕は知りたいよ。黛のこと」
自分が抱き続けていた想いを吐露する。彼女と話すようになるずっと前から思っていた本心は思っていたよりもすんなりと口にできた。
黛の笑みが崩れた。驚き、うろたえているようにも見える。彼女の本心が覗けたような気がして僕は嬉しくなった。
黛が首を左右に振る。崩れた表情を普段通りの彼女に戻す。それから「どうして?」と僕に問う。
彼女のことを知りたい理由。自分の中では答えは定まっているのだけれど、それをはっきりと直接的に伝えるにはやっぱりまだ気恥ずかしかった。
「仲良くなりたいから。せっかくバイトもクラスも一緒だし」
「そっか。……ありがと」
黛が「ありがとう」なんて言った理由はわからなかった。もし、少し未来で彼女と僕が仲良くなっていたら聞けたらいいと思う。
「あれ?」
妹たちが占領していたテーブルをちらりと見ると、いつの間にか姿を消していた。山川がダグアクトに引き上げて来ていて、僕らは彼女を見る。
「山川、あいつらは?」
「カズちゃんとシズちゃんなら、さっきお会計を済ませて帰ったよ」
「そっか、やっと楽になるな……」
どうやら僕は会話によっぽど集中してしまっていたらしい。厄介な妹たちが姿を消すのも気が付かなかったぐらいに。でも、正直ほっとした。
帰ってくれたのは大変嬉しい。けれどもう一回ほど何かしらの攻撃を加えられると想定していただけになんだか拍子抜けだった。
そう思っていた矢先に山川から「はいこれ」とプラスチックの板を手渡される。
「なんだこれ。伝票? 僕は今日客じゃないし、賄いも頼んでないぞ」
「まあそうだね。リーダーは頼んでないね」
裏返すとミックスサンドとソイラテの文字が並んでいる。そこで僕は山川の行動の意味を理解した。
「まさかとは思うけどさ、これ僕に払えってことか?」
「いや『支払いは兄で!』って言われたから」
ノリノリで妹たちの真似をする山川。イラっとして伝票を思わず机に音を立てて置いてしまった。
「許可を出すな!」
「だって財布ないって言われたから。しょうがないじゃん?」
「しょうがないじゃない。お客として対応を求めるなら支払いをきっちりしていくべきなんだよ!」
それが最低限の客としてのマナーであると僕は思う。というか僕以外の人も多分そう思っているはずだ。というかそうであってくれないと困る。妹たちはどこで育ち方が歪んだのだろうかと僕は頭を抱えた。
僕の精神はふつふつと沸騰寸前。それをなだめるようにして山川は言う。
「まあまあ、良いじゃん。リーダーの稼ぎからしたら可愛いもんでしょ?」
「可愛くねぇんだよ!」
本当にうちの妹たちは可愛くない。可愛いと思える女性陣の気持ちは理解できない。もし僕が妹たちを可愛いと思うときが来たのならば、それはたぶん天変地異の前触れとか、死に別れる寸前の走馬灯ぐらいの物なのだろう。