今から二十二年前、黒森峰女学園は全国高校生大会にて三連覇を果たす。
当時、隊長を務めていたのは西住しほ。彼女の偉業は後の黒森峰に強い影響を与え続ける事になり、現在に至るまで常に優勝候補の座に居座り続ける事になった。今となっては全国高校生大会九連覇という偉業まで果たし、その勢いは留まることを知らない。
というのが表面だけを見た時の黒森峰であり、実情とはかなり食い違っている。
黒森峰女学園の体制は限界が近かった。西住しほが妊娠を理由にOG会を抜けたのが今から十九年前、育児が落ち着いた頃には西住流の師範となり、陸上自衛隊の戦車部隊の稽古を付け、今は高校戦車道連盟の理事長に務めている。つまり本家本元による西住流の教えは今から十九年前に途絶えてしまっているのだ。
二度目の黄金時代、蝶野亜美の時代を経て、一時、黒森峰女学園は低迷することになった。
それが今から十二年前の出来事になる。
黒森峰女学園、戦車道第二演習場。
広く開けた空き地にて、新入生達は四人一組となって過酷な演習に身を投じる。
それはもう精神的にとびきり厳しいものだった。
「ぶろろ〜ん!!」
逸見エリカが唸りを上げる。
「二時の方向に敵戦車発見!」
「装填良し!」
「照準よし!」
「撃てぇーっ!!」
私達もエリカに続いて、指差し声出しで確認を取りながら仮想訓練を実施する――つまるところ、ごっこ遊びである。
「やってられるか!」
操縦手役のエリカが制服帽を地面に叩きつける。
まあ、気持ちは凄くわかる。っていうか私もどうかと思うかな、これ。周りを見渡しても、仕方なく、と云った様子で先輩の命令に従う者ばかりだ。こんな事を続けたところで――
「――意味がない」
振り返ると
「これなら部屋で戦車道の資料を読み漁っている方が何倍もましだね、止めよっか?」
そんな彼女の軽い調子の言葉にレイラは戸惑い、エリカは不機嫌そうに睨み返した。
「止めてどうするのよ? 一応、先輩命令なんだけど?」
エリカの刺のある物言いに「ちょ、ちょっと……!」とレイラが割って入ろうとしたが兵衛が手で制する。
「やっぱり戦車道の練習には、戦車が必要だと思わない?」
「その戦車がないから、こんな事をさせられているのだけど?」
「まあ、その通りなんだけどね」
肩を竦める兵衛の飄々とした態度にエリカが歯を噛み締める。
私達が今、この状況にあるのは、稼働できる戦車の数が足りない為だ。
基本的に戦車というものは金食い虫。戦車一輌を補充するだけでも多額の資金を必要とするし、維持費や燃料費、弾薬費と含めると目眩がする程の桁を突き付けられる。それは戦車道の名門校でも例外ではない。黒森峰では質の良い戦車を揃える為、戦車の総数を減らしている。
この事で割りを食っているのが新入生であり、基本的に一年生の間は戦車に乗せて貰えない。三年生、二年生が練習に使った戦車を整備し、それ以外の時間は今やっているような仮想訓練という名のごっこ遊びを強要させられている。
まだ黒森峰女学園に入学して二週間、全く以て嫌になる。
「だったら余計な事を――ッ!」
「戦車を用意できれば良いんだ」
兵衛はあっけらかんと口にする。食い気味の言葉に出鼻を挫かれたエリカは暫し言葉を失うと、考え込むように視線を落とし、それから改めて兵衛のことを懐疑的な目で睨みつける。
「……そう言うからには当てはあるんでしょうね?」
「エリカは中等部から黒森峰の戦車道をやっているのだろう、何処かに当てとかはないのかな?」
「ある訳ないでしょ。中等部も余裕がないし、他にあれば先輩方が先に使ってるわよ」
素っ気なく答えた後で「いや」とエリカは考え込む仕草を取り、横目でレイラを見る。
「レイラ、確か廃棄処分予定のまま放置されている車輌が幾つかあったわよね?」
「えっ? あるにはあるけど――中等部でもニコイチしてるから使えるものは抜いちゃってるはずだけど?」
「それじゃないわよ。去年、一昨年で高等部からⅢ号戦車が姿を消していたわよね?」
それだけじゃないよ、と兵衛がポケットからプリント用紙を取り出した。
「本当なら練習が終わった後に見せるつもりだったんだけどね」
開いたプリント用紙にが、月刊戦車道の古い記事がコピーされている。
それは今から十三年前の戦車道全国高校生大会。確か蝶野亜美が黒森峰の隊長として、数々の伝説を打ち立てた事で有名な大会だったはずだ。
此処を見て欲しいんだ、と兵衛は決勝戦における黒森峰女学園の車輌編成を人差し指で示した。
「当時の黒森峰はⅣ号戦車とⅢ号戦車の混成部隊、でも今の黒森峰には予備戦車として数輌のⅣ号戦車があるだけなんだ」
エリカは顎下に親指を添えて「使える状態ではないと思うけど」と呟き、でも、と顔を上げる。
「一度、確認を取る価値はあるかしら……」
「ちょっと兵衛、バレたら怒られるって! 選抜メンバーにも選ばれなくなっちゃうかも!」
「レイラ、その心配は不要だよ」
このままでは私達が選ばれることはないからね、と兵衛が得意顔で答える。
「ただでさえ二年生と一年生の実力の差は歴然なんだ。それでいて毎日のように戦車に乗る先輩方との差は今、こうして手を拱いている間にも開いているんだよ?」
「だったら少しでも早く戦車に乗れるように先輩達の不興を買わないように――!」
「こんな意味のない練習をさせて新入生をほったらかしにする先輩方に何が期待できるんだい? どうせ二年生になるまで試合に出させて貰えないのなら、せめて一年生から戦車に乗って練習がしたいんだ」
兵衛が真顔で真正面からレイラを睨み返す。
レイラがビクッと肩を震わせる。それを見て、すまない、と兵衛が大きく息を吐いて力を抜いた。
そんな二人に「兵衛、それは違うわ」とエリカが告げる。
「今年の隊長は西住まほよ、あの人は決して私達を裏切らない。選抜は年功序列よりも実力を優先する、そうに決まっているわ」
でも、とエリカは私達を見渡してから強い意志を以て口にする。
「今の私達の実力では選ばれない、私達には戦車が必要よ」
兵衛は嬉しそうに笑みを浮かべ、レイラが諦めたように溜息を零す。
「エリカのまほ好きは相変わらずね」
「そんなんじゃないわよ。ただ、あの人が信用するに足る実力を持っているってだけよ」
不貞腐れるエリカに、はいはい、とレイラは困ったようにはにかんだ。
空気が和やかになるのを感じ取り、さて、と兵衛が今まで一度も意見を口にしなかった私に声をかける。
「Ⅳ号戦車であっても、Ⅲ号戦車であっても動かすのに四人は必要なんだ」
とりあえず私から言えることはひとつだけ。
「行動を起こすのは戦車の有無を確認してからでも遅くないと思うよ。とりあえず今日は真面目に参加して、練習が終わった後に使えそうな戦車を探すのはどうかな?」
その提案に三人共に頷き返してくれた。渋々と仮想練習に戻るエリカにひとつ、問いかける。
「西住隊長は信用できるんだよね?」
「なに? できるに決まってるじゃない」
「……レイラは?」
「できる、と思う。あの人は戦車道に背を向けることができない人だから」
ふむふむ、なるほどね?
操縦手役のエリカを先頭に再び、四人一組の戦車ごっこを再開する。
行動を起こすなら根回しをしてからでも遅くはない。
黒森峰女学園が低迷した原因のひとつにOG会の介入がある。
OG会が持つ知識と戦術は二十二年前の時点で止まったままであり、当時の最先端も今となっては埃の被った骨董品も当然だ。これで第二次黄金期を築いた蝶野亜美がOG会に残れば話も違ったかも知れないが、そのまま彼女は自衛官の道を歩んだが為にOG会へ参加しなかった。
そもそも蝶野亜美はワンマンアーミーの気質が強い。彼女は単騎で敵車輌を十五輌も撃破した伝説が残っており、十二時間にも渡る激闘の一騎討ちを演じたりもしてる。彼女の在籍中、蝶野亜美一人に頼る戦い方をしてしまった反動が翌年、翌々年のことであり、二年連続で全国大会一回戦敗退をしてしまっている。
陳腐化した戦術しか持たないOG会では、正攻法で黒森峰を立て直すことはできなかった。
今から十年前。当時、猛威を奮っていたのはサンダース大学付属高校の
編成車輌の全てをシャーマン系統の戦車で揃えた豪華な構成に、当時からの強豪である聖グロリアーナ女学院も太刀打ちできず、Ⅳ号戦車D型が主力の黒森峰も選手の質が落ちたこともあって敵わなかった。二年連続の一回戦敗退もあり、OG会での自らの地位が崩れることに危機感を抱いた西住しほ時代のOG会のメンバーが新たな戦車を次々と寄贈した。初めはティーガーⅡ、エレファント重駆逐戦車、何輌かのパンターG型。
翌年、圧倒的な性能差で黒森峰女学園は無事に全国高校生大会で優勝を果たし、十連覇の夢へと駆け続けることになる。
OG会の増長が始まったのも、この頃からだ。
黒森峰女学園戦車道、隊長室前。
私、
西住まほ。西住流の師範候補、西住しほの次の家元として期待されている麒麟児。私が憧れる西住流の本家本元、西住しほ世代のOG会メンバーから黒森峰女学院の廃れつつある西住流信仰を復活させる為の旗頭とされている。
この程度の情報なら適当に胡麻を擦り、下手に出ていれば簡単に手に入った。
(後は実際に話して為人を知り、出方を――――)
コツコツと足音がしたのを聞き取り、ゆっくりと姿勢を正した。
そして廊下の角から姿を現したのは何度か御目にかかった事のある西住まほ。普段は取り巻きに周囲を固められている為、新入生が直接、話ができる機会はほとんどない。
彼女は私の姿を確認すると露骨に嫌そうな顔を浮かべてみせた。
情報を訂正、彼女に策を弄するのは得策ではない。
「西住隊長、お疲れのところ申し訳ありません」
「ん? ああ、話なら手短にしてくれると助かる」
これは早期の方針変更が功を奏する形となりそうだ。
「新入生の戦車道に関することです」
端的に要件を伝えると彼女は僅かに目を開き、私を見つめ返す。
どうやら彼女は本当に政治的な話が嫌いなようだ。
こりゃOG会も大変だ、と内心で思いながら口元で取り繕った笑みを浮かべる。
西住隊長を含め、御愁傷様なことである。
「新入生に配備されている戦車がない事はお知りになられていますか?」
「話は聞いている」
端的な言葉、表情筋に乏しい顔付き。
感情が読み取り難いが、たぶんこれって素なんだろうな。
最初に不機嫌な顔を見ることが出来て良かった。
「黒森峰には廃棄処分予定の戦車が倉庫に残っていましたよね?」
「あれはもう部品を抜いているから使えないはずだが……」
「もしレストアすることが出来たなら私達の自由に使わせて貰ってもよろしいですか?」
西住隊長は、暫し黙り込んだ後で「なにかあれば言ってくれ」と素っ気ない態度で隊長室に入ってしまった。
……うちの隊長、ちょっとコミュニケーション能力に難があるんじゃない?
これ、絶対に勘違いする子いっぱいるよ。