異世界でパン屋をしたら英雄と呼ばれた件   作:紅乃 晴@小説アカ

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その男、パン職人につき

 

 

パン。

 

それは小麦粉やライ麦粉といった穀物粉に水、酵母、塩などを加え、練り上げた生地を発酵により膨張させた後に焼く事で完成する食品である。

 

果てしなく広い世界、その多くの地域で主食となっている人類の叡智が生み出した食べ物だ。

 

アジア圏、とくに日本人といえば主食は米というイメージがあるが主食として食べられる範囲は圧倒的に酵母で作られる膨化食品であるパンが多い。

 

米が主食である日本にはじめてパンが伝来したのは1543年のことだ。

 

航海中にたまたま種子島に漂着したポルトガル人によって、鉄砲とともにパンが伝わったことがはじまりとされている。

 

その後キリスト教の布教のために来日した西洋人により、広く日本でもパンが焼かれるようになっていった。

 

ちなみに世界的にはパンを「ブレッド」と呼ばれることが多い。

 

日本でパンと呼ばれるようになった理由は、布教のために訪れた西洋人の多くがポルトガル人であり、その語源もポルトガル語に由来してあるからだ。

 

その後は、江戸幕府の鎖国政策によって禁じられるようになったり、明治時代になって本格的にパンが全国に普及しはじめたり、学校給食にも登場するほどパンが普及したりと歴史を辿って今に至っている。

 

日本で「朝はご飯派」と「朝はパン派」が半々くらい居る理由がこういった歴史があるからだ。

 

パンという食べ物はこの世で食を続ける以上、必ずと言っていいほど誰もが食べる食品なのだ。パンは偉大であり、パンに人は生かされ、パンによって人の人生は華やかになるのだ。

 

酵母菌ありがとう。我々はパンを作り上げた先人たちを敬い、崇めながら生きているのだ。

 

 

 

 

 

 

子供の頃に家の近所にあったパン屋で食べた食パンに感銘を受けた俺は、その人生のほとんどをパン作りに捧げてきたと言っても過言ではない。

 

小学生の段階で家でパンを作り、中学では酵母菌の研究をしつつパンを作り、酪農業を専攻できる農業高校へと入学。パン作りのための麦や穀類の勉強と、さらなる発酵菌の研究を行いつつ、パン屋でのアルバイトをして造詣を深めた。

 

そして大学に進み、パン作りの最先端技術を学び、培ってきた知識をもとに論文を発表。画期的な酵母菌の抽出や、発酵についての仕組みを唱え、パン作り業界に新たなる風を吹かせた。

 

そして現在、俺は修行のために都内のパン屋で職人として経験を積んでいる。

 

朝は早く、仕込みのために3時に起きることもあるし、夜は後片付けもあるので遅いが毎日がパンに携わることなので何の苦もない。

 

充実した日々だった。

 

朝日が登る頃には香ばしく焼けた出来立てのパンの匂いに包まれる。そして通勤時間には学生やサラリーマン、子供を送った帰りの主婦がパンを買って帰る。その姿を眺めてから昼の仕込み。そしてランチを狙ったサンドイッチや惣菜パンへ入れ替え、夜は日持ちが長いパンに入れ替えて夕飯の買い出しついでに来た主婦層が買ってゆく。

 

看板を下げて、店内の電気を消しても厨房の火は落とさない。新たなパンの開発や、まだ経験の浅い職人たちが残って試作パンを作ったりと、多くのパン職人が情熱を注いでいるのだ。

 

その日も、充足した日が終わった帰り道だった。後輩が自信作と言って作った菓子パン。それが入った袋をぶら下げながら職場から程近い場所に借りたアパートへと帰る。

 

距離にして5分ほど。

 

路地から大通りに出て、もう少しで家というところで…

 

俺は事故に遭った。

 

記憶はない。おそらく信号を無視したのか、前方を見てなかったのか、大型車に撥ねられて呆気なく死んだのだ。

 

悔いはある。やりたいこともまだまだあったし、試したいことも、追求したいこともあった。

 

けれど後悔はない。俺はパンに出会ってからずっと向き合い続けてきた。短い人生ではあったが、その全てをパン作りに捧ぐことができたと言っても良い。

 

それに、俺の作ったパンで笑顔になった人は確かに居たのだ。それだけで俺は満足だ。この短い人生にも確かな意味があったと確信できる。

 

ただ、ひとつ我儘を言えるのなら。

 

もう少し、パン作りと向き合う道を歩んでいきたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「知らなすぎる天井だ」

 

 

丸太が横たわる天井なんて見たことがない。

あれだ。海外ドラマとかで見る山奥にある小屋だ。木製のやつ。外輪を綺麗に処理された丸太が綺麗に天井に敷き詰められている。

 

なんだ。俺は死んだはずじゃないのか?確かに記憶はないが確信めいたものはある。あの衝撃と暗転。即死と言っても良いはずの事故だったのに。

 

ひょっとしてこれがあの世…。いやいや、こんなアメリカンツリーハウスがあの世の入り口のわけないだろ。

 

とりあえず状況整理だ。よっこらせと体を起き上がらせる。うむ、痛みがある。しかもかなり強く体を打ったようだ。節々が痛い。けど、不思議と体は動く。うむ、酷い筋肉痛のような鈍い痛みはあるけれど骨折などはしていないようだ。

 

 

「あ、起きた?」

 

 

体の調子を確認していると、ドアも付いていない入り口から見覚えのない女性が出てきた。手には桶と手拭い。桶の中には水が入っている。

 

 

「あ、貴女は…?」

 

「私はミューディー・カロスト。店の前で倒れてた貴方を助けた恩人よ?」

 

 

正直戸惑いしかない。えぇ、どういうこと?日本語…え、これは日本語なのか?とりあえず言葉が通じるのに、相手の名前が日本人離れしている上に、顔つきも全然日本人じゃないのだ。髪の色もめちゃ派手!けど似合ってるという不思議。

 

 

「ここは…どこですか?」

 

「アンゼの街よ。もしかして行き倒れ?」

 

「いや、アンゼの街とか…聞いたことが…ここは日本ですか?」

 

「日本?何言ってるのよ、ここはエヴロビ連邦内よ?え、もしかして貴方人攫いに遭ったとか?」

 

 

のぉおおお!!俺は彼女の言葉を聞き入ることができずに頭を抱えた。なんだ俺がおかしくなったのか?それとも夢を見てるのか?あれか?走馬灯か?こんなふざけた走馬灯なんて知らんぞ!!

 

なんだよエヴロビとかアンゼとか、ヨーロッパ圏の国の名前?知らん。少なくともそんな連邦名や町の名前なんて俺は聞いたことも見たこともない。

 

そもそも、俺はなんでこんなところにいる?やはり夢か?にしても感覚がリアルすぎる。匂いも感触も、いやにはっきりしているのだ。

 

俺は…確かに日本にいたはずなのに。ここはいったい何なんだ。そう思うと湧いてきたのは恐怖だった。得体の知れない状況に置かれてるのか、頭の中がパニック寸前だった。

 

 

「悩んでそうだけど、とりあえず元気ね?それに一日中寝てたんだから。ほら、私の店はベーカリーだから、これでも食べて落ち着きなさい」

 

 

そう言って彼女が差し出してきたのは小ぶりのパンだった。混乱する俺にとって、それがどんなパンなのかは判断できなかったが、慣れ親しんだ穀類の香りとパンの外見を見たら少し落ち着いたような気がした。

 

ミューディーという女性から差し出されたパンを手に取る。腹の虫が鳴った。どうやら空腹なのは確からしい。逞しい体だこと。

 

頭の混乱と別に欲望に正直な食欲に呆れながら、俺は受け取ったパンをひとかじり食べた。

 

その瞬間に、悩んでいた思考は吹き飛んだ。

 

 

「…な…な…なんだ…このパン…」

 

「ふふーん!美味しいでしょう?アンゼの街じゃ一番のベーカリーと言われてるんだから当ぜ」

 

「不味すぎる」

 

 

中身も皮も何もかもが最悪だ。こんなものパンとは呼ばない。酵母の発酵はあまいし、焼きも不十分。練りも足りないから生地はパサパサだし、皮は分厚い。まるで半生の不出来なフランスパンを齧ったようだ。ああ、パン作りに試行錯誤していた小学生の頃が思い出される。一般家庭用のオーブンでは火力が足りないという事実に打ちひしがれた小学生三年の夏……。

 

 

「な、なななな…なんですってぇ!?不味い!?私のベーカリーが!?もう一回言ってみなさいよ!!」

 

 

トリップしている俺に怒り爆発な彼女が掴みかかってくる。彼女はいわば恩人。夢の世界だろうが、泡沫の世界だろうが、生き倒れていた俺を看病した上に、パンまで出してくれたのだ。

 

故に俺には責任がある。どこか異常なまでに冷静な俺は、掴みかかる彼女の手を取ってその色鮮やかな青の眼を見つめた。

 

 

「な、なに…」

 

「すまないが厨房を貸してくれないか?それとパンの材料もだ。余り物でいい」

 

「は、は…?」

 

「パンを作るぞ!!!!!」

 

 

呆けた彼女の手を引いて俺はどこにあるかもわからない厨房を目指す。これが美味いパンだと!?ふざけるな!!俺が作ってやる!!美味いと呼ばれる、日本のパンを!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その男は、武勇に秀でるわけでもなく、政治に秀でるわけでもなかった。

 

しかし、その男はたった一つの事で、散らばっていた周辺諸国をまとめ上げた。力で制するわけでも、知性で制するわけでもなく。人族にも魔族にも平等に。たったひとつのことで彼は偉業を成した。

 

後の世で、エヴロビ連邦の英雄と讃えられることになる。

 

だが、彼は最期の時までこう言った。

 

 

 

〝俺はただのパン職人〟と。

 

 

 

 

 

 

 

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