異世界でパン屋をしたら英雄と呼ばれた件 作:紅乃 晴@小説アカ
険しい山々が連なるイオニア山脈を超えた先には人とは違う種族が住んでいるとミューディーから聞いたことがある。
なんでもイオニア山脈という東西の分岐点は俺たちが住む大陸の中央に位置するらしく、そこから世界が分かれている。東と西、それこそ世界が違うと言っても過言ではなく、西側の魔族と呼ばれる種族が住む地域は未だに人の調査が及んでいない新世界があるのだとか。
そんなこと言われてもイマイチぴんと来なかったし、アンゼの街でパンを焼けるのだから俺にとってはあまり興味のない事だった。
しかし、この大陸の北側を占めるアスレニア大国と、その南側に位置するエヴロビ連邦間の政治情勢は俺の想像よりも遥かに複雑で深刻な問題を抱えていた。
イオニア山脈を西側進出を目論むアスレニア大国は、近年になってイオニア山脈地下へ巨大な通路を掘り抜いたのだ。西側の魔族領土を人の手によって解放するとか名目を掲げるのは結構なのだが、それがエヴロビ連邦内で厄介なことになっているらしい。
第一、俺がエヴロビ連邦の政庁に呼ばれた理由がその問題にあった。
イオニア山脈の麓に俺はイースト菌の製造場を設けている。山脈内の洞窟で酵母菌を起こすためだ。それがアスレニア大国にバレたらしく、〝イオニア山脈の地下道を建造した我々には山脈の所有権があるので製造場を献上せよ〟と特使が言ってきたのだ。
ほぇー、かなり自分勝手な言い分だこと。圧倒的に国力が劣るエヴロビ連邦政府からすれば、反故にすれば争いの元になりかねないという弱腰姿勢。一部軍属の人間が抗議していたが結果的に俺が手放すことを了承して欲しいとのことだ。
んーいいっすよ。
そう返した俺の返答に全員がポカンとしていたのが印象的だった。
まぁいい環境でイーストを作れるメリットを捨てるようなもんなんだけど、それは年がら年中というメリットであって、こだわる必要はない。
酵母の起き方の傾向や、アンゼの町の秋から春にかけての気候や温度も大体把握できてるし、イーストの在庫もある程度あるので秋くらいになってからアンゼの街内でイースト製造を開始すればいい。秋から春までガンガン作れば一年分くらいのストックも貯まるっしょ!!
それに酵母は起こす環境よりも元となる穀類の方が重要。それはアンゼの街にある畑から取り寄せてるから別にイオニア山脈にある製造場にこれといったこだわりはないのだ。
どちらかと言うと最初の検証場所がそこだっただけで、行き来するのも距離あるし疲れるし、手放してアンゼの街内で作れるなら俺は特に文句はない。
ただイースト製造用の場所と、備蓄貯めるための保管庫だけ作ってね!と念押しをして政庁への呼び出しは終わった。
さて、あとはアンゼの街に帰るだけなのだが、帰りに俺はアスレニア大国の特使に待ち伏せされていた。なんだよ種作りとか色々あるんだから手短にな。
そう思いながら話を聞くと、大国側から「パンの革命を起こした男」として俺は睨まれてるらしく、特使が持ってきたのはアスレニア大国が俺のパンを真似て作ったものだった。
特使自身がパンへの造詣が深い職人らしいのだが、もうこれがひどい。
見た目からして不味さを感じるほど。
言われるがまま一口。アスレニア一番のベーカリーだと豪語する特使だが…うん。なんかデジャブだわ。パサパサだし生だし、発酵は足りないし酵母も弱い。
アスレニアのパン基準も相当低いぞコレあかんやつだ。
「おい!この政庁に厨房はあるか!?」
通りかかった近くの職員に詰め寄ってから、特使を引っ掴んで俺は厨房へと向かう。こんなことがあろうかとイーストとアンゼ産小麦粉類とパン作り機器セットは持ってきてるんだぜ!!
え?技術の秘匿?利益を投げ捨てる?うるせぇそんなことよりパン作りじゃ!!
戸惑う特使をよそに俺は材料を準備して作業を開始する。
まずはボウルに強力粉、イースト、塩、砂糖、牛乳を入れ混ぜ、さらに卵と人肌温度くらいのぬるま湯を加えて更によく混ぜる。
ある程度纏まったら生地をボウルから取り、よくこね、生地にベタつきがなくなったらバターを入れ、さらにこね・たたむ・たたきつける作業を繰り返す。
しっかりとこね上げた生地に戻して一次発酵。
二倍ほどの大きさに膨らんだ生地からガスを抜き、ボウルに戻して、二次発酵。
程よく膨らんだ生地を手のひらで軽くたたいてガス抜きし、8等分にし丸めなおし、乾かないように布をかぶせ、15~20分寝かせる。
今作っているのはクリームパンだ。コッペパンなどはここで牛乳を塗って焼き始めるのだが、クリームパンの中には名の通りクリームが入る。生地からクリームが溢れないように生地をしっかりさせるために寝かせる必要がある。
さて、寝かせている間にさっさとクリームを作る。ボウルに砂糖と薄力粉を入れ混ぜ、卵黄を加え、温めた牛乳を入れ、火にかけながら練り上げ、バットにとり冷ます。バニラエッセンスとかあれば甘い香りが付けれるが、そんなものこの世界に無いので省略。
寝かせた生地をめん棒で小判型にのばし、作っておいたクリームを生地の中心部より上半分にのせ、下半分の生地を合わせてたたむ。これでパンの中にしっかりとクリームが入るはずだ。
ここからついに焼くのか、と特使が言ってくるがまだその時ではない。さらにダメ押しでここから大きさが2倍ぐらいになるまで発酵させるのがポイントだ。パン作りは時間がかかる。その時に己を見つめ返す。パン作りとは己を写す鏡なのだ。我々は酵母菌によって生かされている。イーストを讃えよ。
特使が感銘を受けてるのを横目に、発酵したパンの表面に、溶き卵を塗り、190℃に熱したオーブンに入れて約7~10分焼く。コッペパンと比べると焼きの時間は短いが、なかのクリームの滑らかさを残すにはこれくらいが丁度いいのだ。
使い慣れた薪のオーブンから焼き上がったパンを取り出す。今まで見たことない焼き色に特使の目が輝いているのが見えた。うむうむ、そうであろう。ミューディーも最初は同じような目をしてたっけ?
出来立てのパンを手に取って特使に差し出す。ついでに厨房を貸してくれた調理師たちにも渡してクリームパンの試食会だ。
結果は絶賛の嵐だった。
特に特使は感動したように涙を流しながらクリームパンを頬張っていた。まぁアスレニアから商人が来るとはいえ、パンは日持ちしない食品だ。アンゼの街からアスレニア大国との国境まで数日はかかるし、どんなに工夫してもアスレニア大国の市街地に入る頃にはパンはカビだらけになってるだろう。
こんな美味いパンは初めて食べる。美味い美味いといって食べる様子を見て、俺は今までパン作りをしてきて良かったなという幸福感を感じていた。
その後、是非ともアスレニア大国に移住をと推されたが流石にそれは無理だ。
転がり込んできた上に右も左もわからなかった俺に親切にしてくれたミューディーには恩がある。彼女を置いて一人でアスレニア大国に行くのは俺が許せない。というわけで、アンゼの街から行ける酵母の製造場でパン作りの講習をやるから来てくれと伝えておいた。
どちらにしろ、あそこは大国に接収されるわけだしな!!
え?アンゼの街にある特産品の技術を他国に教えていいのかだって?馬鹿野郎、それじゃエヴロビとアスレニアの間でパンの技術格差が起こるじゃねぇか。
科学技術ならどうでもいいが、食の技術格差は貧しさに直結する。それにただで教えるわけもない。俺の教えたパン作りで出来た代物の代金の何%かは支払ってもらうつもりだ。
その程度でいいのか?と特使に言われたけど、その程度でいいんだよ。上を目指せば本気で上手く立ち回らないとあっという間に消されるぞマジで。
トンボ帰りしたエヴロビ連邦の政治家相手に熱弁する特使の言葉を聞き流しながら、俺はさっさとアンゼに帰ることだけを考えていた。
さっき作ったクリームパン、あれは売れるぞきっと。
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二国のベーカリー協定。
後の世に伝わるその協定は、政治の考え方や主義の違いで諍いが絶えないアスレニア大国とエヴロビ連邦の間で唯一揺るぎない絆で結ばれている協定だ。
まず、二国間で流通するパンや食品に関する法外な関税を撤廃。パン作りに関する技術の共有や、二国の職人たちによるコミュニティはそれぞれの食文化に絶対的な発信力を有している。
また、パンを作る、パンの資源を製造する者には「カロスト基金」に売り上げの数%を献金することで税金が免除される制度があり、献金されたカロスト基金は恵まれない子供や、戦時中の孤児、難民にたいして無償でパンを提供するために役立てられている。
不仲である二国を結び、食に対する絶対的な安心を根付かせた男は英雄と呼ばれていたが、彼は頑なにその呼び名を嫌っていた。
彼は言う。自分はただのパン職人だと。
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後日、アンゼの街に戻った俺は約束通りアスレニア大国からきたパン職人たちに講義を行っていた。
やり方は変わらない。まずは俺の作ったパンを食べてもらい、納得してもらうことからスタートだ。納得できない者には無理強いはできないのでお帰り願うしかない。
アスレニア大国の職人たちは全員貪欲で、俺の教えるパン作りを隅から隅まで聞き入り、時には質問を繰り出し、自分たちで実践して感触を掴んでいた。いいぞいいぞ、いい感じだ。
アスレニアとエヴロビでは距離もあるし、エヴロビでしか食べれない美味しいパンなんて俺にとってはなんの魅力もない。二国のどこでパンを食べても美味しいと思えるのが正義なのだ。なので俺の講義にも熱が入る。
アスレニア大国から職人や特使たちを護衛してきた傭兵たちにも出来上がったパンを配る。最初はパンなんてと馬鹿にしていたが、一口食べたら態度は一変した。
そうだろう、そうだろう。美味いパンには顔が綻ぶし、美味いもんを食えば戦いなんて無意味だと悟る。うむ、やはりパンは至高だな、酵母菌を讃えろ。
心配そうにしていたミューディーだが、大丈夫さ。パンの前では人は真摯になるしかない。生地をこねる、すなわちこれは自分との戦い。自分の在り方を見返すことであるのだ。
そんな感じでイーストの作り方と、パン作りの基礎、そしてエヴロビ政府とアスレニア政府の間で設立された基金へ、俺の教えたやり方で作ったパンの売り上げを数%献金するという内容を伝え終えた俺は、そのままアンゼの街へと帰ることになっていた。
なっていたのだが…。
気がついたら傭兵部隊に拉致されていました。
しかも今から地下道を抜けて山脈の西側に侵攻するって、どういうこと!?俺どうなるの!?