異世界でパン屋をしたら英雄と呼ばれた件 作:紅乃 晴@小説アカ
ライ麦。
それはイネ科に属する一年草。
豊富な栄養を含んでおり、もともとは小麦粉の代わりに育てられた穀物だ。充分な栄養がない痩せた土や、小麦を育てるのが難しい気候が寒い地域で栽培することができる。
しかし、代替品として甘く見てはならない。
麦には豊富なグルテンが含まれているが、ライ麦にはグルテンの代わりに粘りのあるタンパク質が多く含まれている。こねれば粘りも強く、パンの種としても代用が効くのだ。
小麦からパンを作るときは、発酵にイーストを使うのが主流だが、ライ麦で作るパンの発酵源がタンパク質のため、グルテンと化学反応を起こして発酵するイーストでは発酵ができない。
そのため、ライ麦パンではイーストではなく、ライ麦粉と水を混ぜて酵母を起こすサワードウを使う。
ライ麦パンは、小麦のパンより膨らみが悪いが、その分硬くて密度が高く、ライ麦の濃厚な旨みを味わえ、噛みごたえや食べごたえがあり腹持ちがいい。それに小麦のパンよりビタミン、ミネラル、食物繊維が多く含まれているのだ。
黒パンだと言ってバカにすると栄養価でぶん殴られるぞ。
ただし、小麦よりも生産量が少ないライ麦では、原価格的にも小麦のパンより高くなってしまうのが頭が痛いところだ。
ライ麦粉、強力粉をボウルに入れ、砂糖を加えて混ぜ合わせる。ぬるま湯で溶いたサワードウを加え、塩、牛乳、レモン汁を加えて更に混ぜ合わせる。
乳酸菌主体の酵母であるサワードウを使うと生地に酸味が出てしまうので、レモン汁を更に追加することで後味がさっぱりかつ、ライ麦の旨みを活かすことができる。
生地が手で持てるようになれば台の上に取り出し、全体がなめらかになればバターを加えこねる。
纏まれば、生地を丸め薄く油を塗ったボウルに戻し、あたたかい場所で一次発酵を待つ。
倍程度に膨らんだ生地からガス抜きをして、丸め直して二次発酵。
そして生地を軽く押してガスを抜き、折りたたむ。台の上に打ち粉をして生地を置き、生地の上にも少量打ち粉を振る。
手の平で押さえて成形し、布巾をかけて約40分間、じっくりと二次発酵させる。
発酵が終われば、生地にナイフで斜めに3本ほど浅く切り目を入れる。生地が重いので中によく火を通すためだ。そして表面にライ麦粉を振り掛け、焼く直前に少量の水を吹きかける。
オーブンの温度は高めの220℃。
そこに生地を入れ、10分焼き、180℃に下げて温めておいたオーブンでさらに15分焼く。取り出して、粗熱を取れば完成だ。
黒い皮の色となるライ麦パンをばりっと折れば、香ばしいライ麦粉の香りが立ち上る。うむ、今日もうまくパンが焼けた。
今日も今日とて太陽は登る。
朝から仕込みを行い、焼き上がったパンたち。草木を暖かく照らし、燦々と降り注ぐ光は綺麗で、窓を開けてつっかえ棒を置いた俺はウンと体を伸ばした。
「さて、今日もパンを焼くか!!」
俺がいるのは自然豊かなエルフによる、エルフのために作られた国。傭兵に拉致られパンを作り、そしてエルフに拉致られた今も俺はパンを焼き続けていた。
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イオニア山脈の西側、ラーニエ地区と呼ばれる場所。
そこにあるエルフ国は穏やかな気候性の内陸地で、主食となる穀類は麦ではなくライ麦だった。
西側へと進出したアスレニア大国軍の兵站拠点がエルフとダークエルフの混成部隊によって奇襲を受けた際、たまたま傭兵に拉致されていた俺はエルフたちによって捕らえられ、そのまま捕虜としてエルフ国へと連行されたのだ。
特徴的な耳と、透き通るような肌、そして俺にとっては目に毒と言えるほど露出度の高い民族衣装を身につけるエルフたちに取り囲まれ、俺の処遇をどうするか頭上で議論が飛び交っていた。
人族の侵攻を食い止めるための供物として打ち首にして晒そうという意見が纏まりそうになる中、それに待ったをかけたエルフがいた。
俺を助けてくれたのは、アスレニア大国軍に捕虜にされていたエルフだった。
俺の差し出したパンを食べたことで生きながらえることができたし、諦めない勇気をもらうこともできたこと。そして俺も彼女と同じく人族によって不当に拉致された被害者であることを熱弁した彼女の計らいによって、俺の命はなんとか取り止めることができた。
しかし、いくら不当な扱いでここにいるとしても俺は人族だ。
大国軍によって多くの同胞が殺されているエルフ族にとっては憎き種族でしかないため、俺はそのまま牢屋に直行。手枷をはめられ牢屋に放り込まれた。
その後、俺を擁護してくれたエルフの女性が俺の元へとやってくる。
なんでも食事を運んできてくれたらしい。
王族の護衛を務めていた彼女は、王女を逃すために囮となったところを捕らえられたようで、あの拠点に連れてこられた時には夜には死のうと考えていたようだ。
そんなタイミングで俺がパンを持って現れたことが救いだったと感謝を述べてくれる。あのパンが無ければ、仲間が助けに来てくれることも知らずに舌を噛み切って自害していた、と。
素直に嬉しい。
俺のパンのおかげで生きようという希望を持った彼女の姿こそが、俺にとって「パンを作り続けてきた意味」だと思える。
彼女のような感謝があるからこそ、俺はパンを焼き続けることができたんだとも感じる。
そんな感慨深い感情を味わいながら、俺は彼女が持ってきてくれた食事に手をつける。
ずっしりと重い黒パン。
麦のパンとも違うそれだから油断した。
食べてみて、数回の咀嚼。
「まっず……」
俺はすぐに座っていた体を起こした。
「おい!!ここに厨房はあるか!!」
「な、何をいってるんだ!?」
「主穀類はライ麦だな!?材料は余り物でも良い!!俺に厨房を貸せ!!」
「い、いや…それは無茶な…」
「監視なんてクソほど付けていい!!怪しい動きをしたらすぐに俺の首を刎ねろ!!」
「えぇ…」
「とにかく我慢ならん!!パンを作るぞ!!!!!」
囚われの身?捕虜?うるせぇ、そんなことよりパン作りだ!!
そして俺はパンを作った。
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エルフ国では空前のパンブームが起こった。
ハーブなどを主食にする長齢のエルフにとって食事はあまり関心のないものであったが、人族との諍いの最中、その男は囚われの身であるエルフを助けに現れた。
彼がもたらしたパンと呼ばれる代物は、エルフが生み出したミッシュブロード(ライ麦を使った食材)とは比べものにならないほど美味であり、そして栄養も豊富だった。
食事による栄養補給という知識がなかったエルフたちにとって、その男がもたらしたパンというものは栄養と繁栄の活力となり、ラーニエ地区で弱小の種族であったエルフ国が確固たる国としての地位を確立する要因となったのだ。
エルフ国は彼との出会いを讃え、人族との共存を掲げる。そして長きにわたり未知の地であったイオニア山脈の西側が開かれ、ラーニエ地区は人族との交易起点として発展してゆく。
エルフ族も人族も、異種族間の交流土台を作った彼を英雄として讃えたが、彼はその賞賛を受けようとはしなかった。
彼は言う。
俺はただのパン職人だと。