異世界でパン屋をしたら英雄と呼ばれた件   作:紅乃 晴@小説アカ

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魔族の侵攻?そんなことよりパンを食べろ

 

 

ついに、イオニア山脈の地下通路を抜けた魔王軍が侵攻を開始した。目標はエヴロビ連邦の玄関口であるアンゼの街だ。

 

魔王軍の士気は高く、イオニア山脈の地下通路出口で待ち構えていた大国と連邦の兵士を瞬く間のうちに制圧し、その日の内には地下通路出口に野営地が敷かれることになったようだ。

 

その情報を聞いた連邦政府の政治家にとってこの事態は絶望的な状況だった。アンゼの街がこのまま侵略されれば、連邦内有数の穀倉地帯が魔王軍の手に落ちることになる。それは連邦内の兵站の激減、およびアスレニア大国へ輸出する穀物類が敵に押さえられることを意味していた。

 

すでに街道沿いに設置された軍の野営地も役に立たず、負け戦と知った両国の兵たちの間では勝手に撤退する者も出てきている。もはや、最終防衛などという綺麗事すら言えない状態だ。

 

だが、不思議なこともあった。

 

アンゼの街から脱出しようとしていた者たちの動きが、ぴたりと止まったのだ。

 

特に穀倉地帯ゆえに盛んだったパン工房の職人たちが率先して街に残る選択をした。今更街から避難しても魔王軍の進行速度の方が早い上に、軍の統制も取れていない。生存の可能性は風前の灯火だというのに、なぜ彼らはアンゼの街に留まるのか?

 

彼が事態を飲み込んだのは、緊張に包まれた翌朝。早馬に乗った連絡兵からの報告を聞いてからであった。

 

 

 

 

 

 

「やぁ、よくきたな。魔王軍の兵隊さんたち。焼きたてのパンはいかがかな?」

 

 

魔王の軍勢がアンゼの街の目と鼻の先に迫っていた。

 

街の質素な城壁の上から見える夥しい量の魔王軍の野営地を眺めて、俺は朝日が登る前に大量の荷馬車を引き連れて、彼らが陣取る野営地へと足を踏み入れた。

 

荷馬車を率いてくれたアンゼの町人たちは軍の見張りが立つ位置の手前で街に引き返してもらっている。馬の手綱を数珠繋ぎにして彼らの陣営に入ったのは正真正銘、俺一人だけだ。

 

殺気立つ相手にお構いなく、俺は荷馬車いっぱいに積んだ荷物を覆う布を取り外してゆく。積んできたのは他でもないパン、パン、パンだ。

 

保存が利くフランスパンや、柔らかさが特徴の食パン、旨味がある肉類を挟んだパンや、甘さが特徴な菓子パンなどなど。俺がさまざまな土地で発見し、開発し、手に入れてきたパン技術の全てを注ぎ込んだパンだけの荷馬車である。

 

武器を手に俺を取り囲む彼らには戸惑いがあったし、なにより空腹に苛まれた気配があった。それもそうだろう。エルフの後押しを得た魔王軍が破竹の勢いで人族の勢力に踏み込んできたのだ。電撃的な侵攻は速度が命。立ち止まってまともな食事をする暇もないし、エルフ族からの黒パンの供給といっても限度があったはずだ。

 

当然、最前線にいる魔族の多くが飢えと渇きに苦しんでいる。

 

アンゼの街を一直線に狙ってきたのは、連邦、帝国の兵站を制圧するのも目的だっただろうが、腹を空かせた彼らの腹を満たす狙いもあったのだろう。

 

俺の読みは見事に当たった。人族である俺を取り囲む武器を構えた魔族の兵たちは、俺の言葉を受けるまま荷台に積まれたパンを手に取った。

 

 

「待て、毒が仕掛けられているかもしれんぞ……」

 

 

今にも齧り付きそうな顔をしながら青い肌を持つ魔神族の男がそう言うと、伸びていた手が一斉に引かれた。

 

あぁ、まずいな。このままじゃパンを食べられる前に燃やされて消し炭にされる方が早いかもしれん。空腹を使命感でねじ伏せながら松明を片手に荷車に近づいてゆく魔王軍。持ってきた当人である俺がとやかく言っても何にもならないだろう。

 

クソが、読みは当たったっていうのにこんな終わりなんて……。

 

 

「その人族は下劣な真似はしない」

 

 

あわや放火というところで、魔族の中をかき分けて出てきたのは俺の見知った相手だった。特徴的な耳と透き通るような金色の髪、そして整った顔立ち。見間違えることない旧友がそこに居た。

 

 

「お前がここに来ることは……わかっていたような気がする」

 

 

戦装束に身を包んだエルフの女戦士「フローリア」がそこに居た。

 

懐かしそうに、どこか苦しげで、悲しみを込めた目で俺を見てくる。まだ魔神族の兵隊が信用できないと反論する中、彼女は足早に荷車の方へと歩いてゆき、積み上げられたパンを一つ取り上げて、躊躇うことなくかじりついた。

 

 

「変わらずに……美味しい味だ」

 

 

フローリアが取ったのは、奇しくも彼女が捕虜であった時、俺がちぎって渡したパンと同じものだった。真っ白でふっくらとしたパン生地と、小麦色の焼き目がついた皮。味も豊かでエルフ族の国で生産させる黒パンとは違った味わいを持つそれは、生を諦めていた彼女に生きる原動力を与えたのだ。

 

フローリアの姿を見て、他の魔族も荷車に乗るパンへと手を伸ばす。一人、また一人と恐る恐る食べていた手は次第に早くなり、気がつけば魔神族の兵たちもパンへと手を伸ばし、かじりついていた。

 

美味い、美味いと声が聞こえる。腹が減ってどうにかなるかと思った、と。助かった、と。美味いという魔族の兵たちの合唱が聞こえた。

 

 

「やはり変わらないな。お前は変わらずにパンを作り続けている」

 

 

美味いパンに喜びを。魔族たちが群がる荷車を眺めるフローリアは、拘束されたままの俺の隣に立ってそう言った。エルフたちが初めて黒パンを食べた時も同じような景色が俺たちの前に広がっていた。

 

美味いものを食べる。たったそれだけで暗かった気持ちや、こわばっていた心がほぐれることもあるのだ。

 

 

「お前は……なぜここにやってきたんだ?」

 

「うまいパンを食べれば、諍いなんて下らないと笑い飛ばせるから、かな」

 

 

アンゼの街に留まってわざわざパンを焼いたのは、破竹の進軍をする魔王軍が飢えていることを狙ったところもあるが、それはあくまで口実だ。腹が満たされれば再び彼らは進軍を開始するだろう。そうすればアンゼの街は蹂躙の限りを尽くされる。人族が魔族に行ったようにだ。

 

 

「……無理を承知で言う。私たちと共に人族を討ってくれないか」

 

「断る」

 

 

フローリアの言葉に俺は即答した。だめなんだよ、それじゃあ何も変えられない。俺が焼いたパンも、こうやって持ってきた意味も何もかもが無駄になってしまう。俺の答えにフローリアの顔つきは険しくなった。

 

 

「わかっているのか!?こんな場所まで来てただパンを焼くなど……自殺行為だ!!我々は人族の領土を侵略するために……」

 

「わかってるよ、フローリア。だからこそ、俺はここにきた」

 

 

ガシャリ、と音が聞こえる。俺が見つめる先、その視線に気付いたフローリアも目を向けた。

 

そこには漆黒の甲冑を身に纏った一人の騎士が立っていた。

 

人族を屠るために動く魔王軍。

 

それを率いる最強戦力である幹部。

 

名を黒騎士。

 

流浪の旅の最中に出会った勇者の話では、黒騎士が有する力のみで戦場のパワーバランスをひっくり返すことができると言われるほどの大物だ。俺はその存在に賭けた。まさに命をかけた大博打。パン職人がするやり方ではない。

 

黒騎士の手には俺が焼いたパンが握られていた。かじったような跡があるからして、黒騎士も食事を必要とする生き物なのだと安堵する。食事を必要としない魔族もいるらしく、もし黒騎士がその魔族なら、俺の仕掛けた博打はこの時点で終わっていた。

 

 

「これほどものを作れるというなら、なぜ我が軍門に降らぬ」

 

 

フローリアと俺の会話を聞いていたのか、黒騎士は甲冑越しにそう言ってきた。

 

ここに持ってきたのはイオニア山脈よりも西側、魔族の領地では取れない……というより加工方法を知らないと言った方がいい。その麦を使ったパンだ。栄養価は高いが硬く味も麦よりは落ちる物を食べてきた彼らにとって、そのパンを最大に活かせる技量が俺にはある。いっそのこと、フローリアや黒騎士が言うように魔族の軍門に降れば命は保障されるし、パン作りという人生の本懐に挑み続けることもできるだろう。

 

だが、それじゃあダメなんだ。

 

 

「……黒騎士様。俺は人間だとか、魔族だと言って差別するのはごめんだからだ。俺の作ったパンを食べて美味い美味いという奴は誰だろうと関係はないのさ。たとえそれが、魔王でも……勇者でもな」

 

 

流浪の旅の中で多くの出会いと別れがあった。その全てが俺を形作っているし、その全てがここに俺を導くための道であったとも思える。黒騎士は俺の本心を察したように小さく息をついた。

 

 

「なるほど。それが貴様の殉ずる理か」

 

 

その言葉にフローリアが目を見開いた。そう、俺が挑んだ博打の舞台が整ったのだ。

 

ことパン作りで魔族も降れと要求してくる腕を持つ俺の命と引き換えに引き返せという交渉を持ちかける。それが俺の選んだ道だった。

 

さっきまで美味い美味いと騒いできた魔族や兵士たちも黙って黒騎士の前に跪く俺を見つめていた。

 

 

「ば、馬鹿なことをいうな!!死んだら終わりだぞ!?お前の好きなパン作りも……もうできなくなるのだぞ!?」

 

 

沈黙の中で響いたフローリアの声が深く胸に突き刺さる。たしかに未練はあるし、欲を言えばもっと世界を見て回ってパン作りにこの第二の生涯を捧げたい想いもあった。だが、それじゃあだめだ。そんなことをして生き残ってしまえば、俺が積み上げてきたものが無意味になる。

 

 

「貴様は、命や財ではなく、知を人々へ分け与え、それを根付かせたのだな」

 

 

黒騎士の言葉に思わず笑ってしまう。どうやら想像していたよりもずっと頭は良いらしい。俺は自分の利益や国の利益なんてお構いなく、その技術を存分に振るい、多くの人に教えてきた。その積み重ねの結果がアンゼのパン職人たちであるし、エウロビ連邦やアスレニア帝国でも美味いパンが食えるようになったのだから。

 

 

「あぁ、随分と長いこと生きてきたもんだ。俺がいなくなっても良いのさ。それだけのものを、俺はこの世界に残せた。きっと根無し草だった流浪の旅も、この時のために必要だった道なんだろう」

 

 

だから、その命をここで張りにきたのだ。俺は真っ直ぐに魔剣を手に持つ黒騎士を見据えた。俺という存在に価値はない。俺を殺したところで、彼らは止まらないかもしれない。それがどう転ぶかは、後世の歴史が証明してくれるはずだ。

 

だけど、今俺はそのためにいる。パン作りの本懐を賭けて、魔族の侵攻を止めるためにいる。

 

黒騎士はゆらりと剣をあげて囁いた。

 

 

「勇者でもない……人類史の英雄よ。貴様の働きはまさに……見事であったぞ」

 

「約束、だからな」

 

「しかと……聞き入れよう」

 

 

ブンっと風が切り裂かれる音が響いたと同時。俺の意識はプツリと黒色に染まった。

 

 

 

 

 

 

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