白で統一された広大な空間に一人、横髪がぴょこんと跳ねている栗毛の美少女がぽつんと座り込んでいる。小柄な彼女の目の前には彼女の身の丈よりも大きなディスプレイが鎮座しており、ディスプレイには様々な情報が並んでいる。
一番ディスプレイの面積を広く占めているのは、世界地図だ。地球国家とは似て非なる地形図が描かれたそれを小柄な美少女がマウスポインターで指し示すと、人口情報や言語、国家体制などの情報がポップアップしてくる。様々な情報を流し見しつつスクロールしていく中で、彼女は求めていた情報を見つけた。
“シュラミナ合衆国はデフコンを解除し、戦時体制から平時体制へ移行しました”
“ドン・トクラト連邦はシュドン条約機構軍に撤兵を指示し、平時体制への移行を完了しました”
“大八津火帝国は戦略原潜を基地に帰還させ、対核戦争を想定した演習名目で展開した部隊の撤退を完了。平時体制へ移行しました”
求めていた情報を見つけた彼女は、強張った表情を緩めて笑みを見せた。
「よかった~、世界大戦防げた~!」
今から百年前のことだ。狙いすましたかのような偶然の連続で起きた事故で彼女は命を落とした。いや、元々彼女は女性ではなかった。平凡なる男子大学生に過ぎなかった。
だが、気が付くと彼は見目麗しい小柄な美少女に姿が変わっていて、目前には美を体現したかのような女性が立っていた。白で統一された煌びやかな衣装に、黄金の髪と瞳。
「単刀直入に言おう。お前は私が殺した」
まるでごみを見るように冷徹な目線で地べたに座り込んでいるこちらを見下ろしてくる美女は、こちらの事情など知ったことではないと話し始める。
「え、え?」
「実は我が管理していた世界が滅亡しかけていてな。お前、代わりに管理しろ」
「いや、あの、えーと?」
「お前が管理しやすいようにパソコンとかいう下界の世界に似せた管理システムを用意してやった。ありがたく思え」
そう言い切ると美女は背を向け、いつの間にか現れていた豪奢な門へと歩き出していく。このままでは何の説明もなしにこの意味の分からない真っ白な空間に取り残されかねないと危惧を抱いた彼女は慌てて声を張り上げる。
「ちょっと待ってください! 私は普通の大学生でしかないんですけど! 何をしろっていうんですかぁ!?」
張り上げた声が自身とは似ても似つかぬ可愛らしい声であることを気にする余裕すら彼女にはなかった。そんな慌て切った彼女は、振り向いた美女が侮蔑に満ちた怒り顔でこちらを見てきたことで恐怖に体を震えさせる。
「お前はもう人ではない。我に仕えし下級女神のフラピアだ。今後一切我の許可なく我へ話しかけるな」
怜悧な顔つきの美女の顔が怒りに染まるのを見て、フラピアは恐れで体が動かなくなる。彼女の怯え振りが余程気に入ったのか、美女はフラピアの顔を見て陶酔し、一言付け加える。
「そのパソコンで人類を救済しろ、フラピア。それはゲームではなく、現実の人間達の命がかかっているのだからな。ゲームオーバーになどすればどれ程の人間がお前へ恨みの念を抱くだろうな?」
何を言っているのか、意味が分からない。どうしてこんなことになった? 私は何か悪いことをしただろうか? 家族はどう思うだろう……ここでフラピアは気が付いた。自分の家族が、自分の名前が思い出せなくなっている。いつの間にか恐怖で震えていた体は喪失感を前に震え始める。
「私の……私は誰? 何で、何で思い出せない?」
フラピアの心を読んでいた美女はニンマリと満面の笑みを浮かべる。その笑みが恐ろしくてフラピアは思わず俯いて目を瞑った。
「もうそれはいらないだろうから捨ててやった。お前は我の下僕なのだからな? なあ、フラピア?」
そう言い切った美女は再び背を向けて門へと消えていく。フラピアに美女を追いかける精神的余裕はなく、ただただ失った悲しみで溢れる涙に顔を濡らすばかりだった。
それからしばらく彼女は何をする気も起きず無気力に体育座りをして真っ白な空間に座り込み続けていた。だが、元来優しい性格の彼女は美女が述べたフラピアが人類滅亡を救う存在だ、という言葉が気がかりでついにパソコンの方へと歩いてい……く気力はなかったので、彼女は怠惰にも寝転がりながらパソコンへと近付いた。
「あ、これ私がやったことあるシミュゲーぽい」
だが、ゲームのデフォルメされたキャラや背景と違って、画面に映されているのはリアルな人間達と滅びかけた現状を伝えるデータ群だ。
「うわ、人口に対して食糧が少なすぎでしょ! わわ! 平均気温ひっく! 農作無理じゃん!」
何もやることのない空間で唯一可能なのもあったが、元々この手のゲームを好んでいたこともあって彼女はいつの間にか人類救済を精力的にプレイするようになっていった。
ある時は病原菌が蔓延し、ある時は火山の大噴火で寒冷化が発生し、ある時は巨大隕石が飛来し、またある時は飛来した宇宙怪獣と戦う力を人類へ分け与え……数々の苦難を乗り越え、リアル時間を百年費やしてようやく下級女神のフラピアは一度も人類を滅亡に追いやることなく現代地球に匹敵するまでの文明の生成に成功した。
最後に残っていた熱核戦争の危機もどうにか乗り越え、人類が核軍縮をする様を横目にフラピアは静かに涙を流す。
「うう……よかったぁ……私、世界の危機を防いだぁ……」
百年もの時をたった一人孤独な空間で過ごしたフラピアにとって、画面越しとはいえ人類の成長と発展は我が子を見守るようなものだった。寄る辺となるべき家族や友人、故郷の記憶もないフラピアには異界の人類こそが彼女の全てだった。
だというのに。
「ふむ。無事に人類滅亡への道を回避したようだな」
聞きたくなかったあの声が背後から聞こえて来る。かつて経験した恐怖が、百年も前の事というのに鮮明に脳裏から蘇ってくる。
「ではもう、お前はもういらないな。一時は上級神の連中にどやされどうなる事かと思ったが、屑も使いようといったところか」
振り返りたくない。聞きたくない。私をこんな場所に閉じ込めて、これ以上どんな酷いことをしようというんだ?
「何、殺しはせんよ。お前が創った愛しい人類たちの世界に転生させてやろう。そういうの、お前の世界じゃ流行っていたみたいだしな」
そんなどうでもいい記憶だけ残しやがってとフラピアが憎しみを抱いたところで何ができる訳でもなく、比類なき美貌を下卑た笑みに染めた美女を前にフラピアは成す術もなく白の空間から投げ出された。
フラピアが投げ出されたのはしんしんと雪の降り積もる人気のない湖の畔だった。きっと人が集まる観光スポットなのだろう。湖の周りには遊歩道がしっかりと整備され、転落防止の為に木製のオシャレな柵で囲われている。
時刻は夜のようだった。遊歩道沿いに設けられた街灯の明かりが宙を舞う雪に乱反射し、きらきらと輝いていた。
フラピアは突然辺鄙な湖の畔に投げ出されたが、むしろあの恐怖の対象から逃げ出せて、そしてそれ以上に何の変化もない白い空間から向け出せた喜びに全身が震えて来た。
「おぉ……おおー!」
夜闇の湖の畔で一人、フラピアは嬉しさに感極まり駆け出し、そしてすぐに雪につまずいて転んだ。姿を変えられて以来ずっと履きっぱなしのサンダルは雪上を駆けるには甚だ不適当だった。
「えへ、えへへへー!」
しかしその痛みすらも心地よい。顔に貼り付く雪が冷たい。息を吸うたびに肺に冷たい外気が入り気味、全身が冷たくなってくる。手足がかじかんで来て、感覚が失われていく。それら全てが百年ものあいだ味わうことすらなかった感覚だった。そしてきっと姿を変えられる以前にはありふれていた感覚だ。ようやくフラピアは失った自身の一部を取り戻したのだ。
「んへへー、へへっへへー」
しばらく嬉しさに雪に転がったまま手足をばたつかせていたフラピアだが、嬉しさに震えていたと思っていた体が段々と動かなくなっていることに気が付く。
「あれ?」
フラピアは死にかけていた。