物心ついた頃から、
篠縣伊火子は聡い少女だった。自分以外、ソレに目を向けず言葉に耳を傾けないことにすぐ気が付いた。だから、理由はわからないが触れてはいけない存在なのだと思って誰にもソレについて話したりはしなかった。
唯一、母親にだけは秘密を打ち明けた。母親はソレの事を幽霊というのだと教えてくれ、自分しか見えない事に不安がる篠縣伊火子を優しく抱きしめ肯定してくれた。
あの日まで、篠縣伊火子は両親の事を無条件に信頼していた。
幼稚園最後の年の事だった。その日は、親を同伴してのクリスマス会が催されていた。篠縣伊火子もその日をとても楽しみにして、母親と一緒に幼稚園に登園した。篠縣伊火子の住む町は都会ながら良く雪の降る町だ。町はクリスマスムード一色に染まり、綺麗な電飾がきらきらと町中を輝かせていた。
しかし、きっと楽しい一日になると信じ切っていた篠縣伊火子の前に汚泥に塗れた親御連れが現れたことで気分は一瞬にして冷え切る。その親子連れの足元には泥濘の沼が形成され、そこから重力に反発するように泥が二人の足元から頭頂部へと這い上がっては沼へと滴り落ちていく様を篠縣伊火子は目の当たりにしてしまった。
泥の底からは背筋の凍りつくような金切り声が鳴り響き、男とも女ともつかぬその声は二人を泥濘の沼へと引きずりこもうと誘い込んでいるようだった。
「一つになろう……一つに……我々、と……共に……」
誰も、気が付いていないのだろう。その親子連れは何食わぬ顔で友人夫婦と談笑し、子供は子供同士で笑いあっている。篠縣伊火子一人だけがあの二人の泥濘に汚れた姿を目にしているのだと、子供ながらに篠縣伊火子は理解した。
だから警告したのだ。あなたたちは危険な目に遭っているのだと。何とかした方がいいと。幼いながらに拙い語彙力を駆使し、二人を救おうと篠縣伊火子は勇気を出して声を掛けたのだ。
結果として、篠縣伊火子は親子連れから烈火の如き罵倒の羅列と、幼稚園側からの丁寧ながらも断固とした拒絶を受けクリスマス会に参加せずに幼稚園から出ていくことになる。篠縣伊火子もこうなるだろうと予想していなかったわけではなかった。自分しか見えないのに、誰が信じるだろうか? だから、当然と言えば当然の結果だった。大人から激しい罵倒を受けたショックは大きかったが、篠縣伊火子は既に自身を客観視することが出来ていた。
そんなことより篠縣伊火子にとって悲しかったのは、母親が実は自分の言葉を信じていなかったことが明らかになったことだった。幼稚園の先生から苦情を受けて、母親は篠縣伊火子の霊視能力をただの子供の戯言だと釈明した。釈明する母親に嘘じゃないと抗弁を一度だけ篠縣伊火子は試みたが、その時初めて母親の苛立ちの籠った視線を向けられ篠縣伊火子の心は折れた。
だが、その数日後にその親子連れは原因不明の死を迎える。嘘が嘘でないと証明されたが、待っていたのは迫害だった。新年が開けて登園した篠縣伊火子は同級生の園児たちから心無い罵倒を浴びせられ、帰宅したとして母親は昔のような慈愛の目で自分を見てはくれなかった。
父親は母親と自身との板挟みにあい何をすることも出来ずうろたえるばかりで、家庭内はあの日以来一気に居心地の悪い空間へと変貌してしまった。
それから数日を経て、篠縣伊火子は父方の祖父の家へと呼び出される。待っていたのは巌のような顔つきの祖父と、それに不可思議なオーラを纏った痩せこけた中年男性だった。
「菱君。どうかね?」
「驚きましたね。確かにお孫さんには力がある。それも、かなりの才をお持ちのようだ」
「だが、伊火子にはそちらの道を歩かせる気はない。やってくれ」
祖父は顎をしゃくり篠縣伊火子へ冷徹な目線を向ける。篠縣伊火子が祖父と会う時には大抵その巌のような強面を笑顔にして抱き上げてくれたものだが、今の祖父にそのような暖かみはなかった。
「伊火子ちゃん。君には霊を見る力がある。けれどね、その力は普通の人が持っているには危ないんだ。だからその力を使えなくしてしまっていいかい?」
痩せこけた中年男性は努めて優しい所作で篠縣伊火子に目線を合わせて微笑んでくれる。その優しさは篠縣伊火子にとっては久しいもので、思わず篠縣伊火子は頷いてしまっていた。
中年男性はそっと篠縣伊火子の額に手を触れ、そしてそれで終わった。
「よし。これで済みました」
「本当かね?」
「はは、私は大仰に儀式をやって見せるようなタイプではないんです。そちらの方がウケがいいらしいですけど、ご安心を。伊火子ちゃんの霊視能力は封印しました」
中年男性の言う通り、篠縣伊火子の目は先ほどまで見えていた彼の持つ不可思議なオーラを知覚できなくなっていた。その日から、篠縣伊火子は普通の女の子になった。
普通の女の子になってからの日常は平和だった。悪評の立ってしまった地元から引っ越すことになってしまったが、ぎくしゃくしていた家庭内もいつのまにか暖かくなっていった。新天地で篠縣家は再び平穏を取り戻した。
異能を持っていた篠縣伊火子に対し家族が何処か一線を引き、後に生まれた弟を溺愛する姿に寂しさを覚えることもあったが、それでもかつての触れることすら拒否された過去に比べればどうということはなかった。何より自分の過去を知らず無邪気に甘えてくれる弟は愛らしかった。弟さえいれば、それでよかった。
十年が経過し、篠縣伊火子が高校生になった頃、祖父からそろそろ戻って来ないかと父親に声が持ちかけられた。祖父は老い、父親に自分の仕事を継いでもらうことを望み、元より父親もそのつもりでキャリアを重ねていた。
両親と弟は地元である幌川市へ戻ることになり、篠縣伊火子は一人移住先である旭舘市に残ることになる。両親は篠縣伊火子についてきてほしくないとは言わなかったが、残ってほしいと言外に態度で示されているような気がしてならず、篠縣伊火子は自分から残ると宣言した。
別れの際、小学校高学年の弟がぐずってしがみついてきたのは篠縣伊火子にとって救いだった。
一人での暮らしに初めは苦労した篠縣伊火子だったが、すぐに慣れ高校生活へ順応していった。元よりやろうと思い至れば何でもこなせた性質の篠縣伊火子だ。一度やり始めればすぐに独り暮らしと学業の両立を実現して見せた。
だが、どうにも一人きりというのは寂しくて仕方がなかった。何処か溝の入った家族関係ではあったが、両親の愛情を篠縣伊火子は感じていたし、傍にいてくれるだけで心が落ち着いていたのだと改めて実感することとなる。何より、小生意気ながら無邪気に周りをうろちょろしていた弟がいなくなったことが耐え難かった。
友人がいれば寂しさも幾らか紛れたのだろう。悲しいかな、篠縣伊火子には友人がいなかった。何でもこなせるくせに無口な篠縣伊火子はクラスでは浮いた存在だった。邪険にされてもいないし、いじめにあっている訳でもない。ただただ、篠縣伊火子側にクラスメイトと仲良くする発想がなかった。幼稚園児の頃のトラウマが友人を作ることへ恐怖すら感じさせていた。そういった心の寂しさは、弟との触れ合いで解消していたことに今更ながらに篠縣伊火子は気が付いた。
一生を独り身で過ごすのだろうという漠然とした思いはあったが、それがどういった暮らしになるのかをいち早く篠縣伊火子は体験することとなる。
寂しさで生活リズムを崩したり、不眠になったり、そういった健康被害が出る程に篠縣伊火子の精神は脆くなかったが、何となく心のどこかが空虚で仕方がなかった。
そんな心の渇きを埋めようと篠縣伊火子は色々と模索した末に、篠縣伊火子は日常系アニメと出会った。元々、篠縣伊火子はアニメをほとんど見ない少女だった。別に毛嫌いしていた訳ではなく、ただ縁がなかったのだ。
可愛い女の子たちが多少の波乱はあれども、人が死ぬようなこともなければ虐めに遭うような悲惨なこともない、和やかに進んでいく日常の世界。篠縣伊火子はいつの間にか食い入るように日常系アニメを見つめていた。余暇が日常系アニメで埋められていくようになった。
そして、篠縣伊火子は夢想するようになる。私にもあんな可愛らしい美少女の友達がいたら、と。
篠縣伊火子が勇気さえ出せば、高校のクラスメイトから友人を作ろうと思えば作れただろう。だが、篠縣伊火子はそういったリアル系の友人ではなく、ある種理想化されたアニメの友人像を追い求めるようになってしまう。そんなものがいないことくらい篠縣伊火子も理解はしていたが、それくらい理想的な友人ならばトラウマを乗り越える勇気が出せるかもしれないと思ったのだ。
それだけならば、よかった。
篠縣伊火子はいつの間にか日常系アニメのキャラクターを邪な目線で見ている自分に気が付く。性欲の薄かった篠縣伊火子は、よりにもよってここで目覚めてしまった。
普通異性に対しこういった感情を覚えるのではと自分自身でも困惑したが、目覚めたからには仕方がない。高校生の若き性衝動は凄まじく、どんどんと篠縣伊火子は突き進んでいってしまった。何しろ自宅には自分以外誰もいないのだ。しかも、家族向けの防音環境がしっかり整った広々としたマンションだ。性衝動の解消には困ることはなかった。
一番性嗜好に合致していたのはロリ巨乳だった。自分自身が百八十センチに届こうかという高身長で、低身長で可愛い女の子には憧れがあったこと。自分自身にもかなり立派な胸が付いているが、自分についていても重いだけで意味がないのでどんなものか是非とも味あわせて欲しいこと。
二つの要素がジョグレス進化を起こし、篠縣伊火子のスーパーベストマッチとなる。甘えつくし、肯定され、そんな自分の理想像を好き放題に蹂躙するのが一番に滾った。しかも蹂躙され切ってもなお理想の美少女は自分を何処までも甘やかしてくれるのだ。両親に思う存分甘えられなかった篠縣伊火子にとって日常系アニメに出て来る母性の塊のようなロリ巨乳キャラは理想の極致としてそびえ立つこととなる。
篠縣伊火子にかかれば十八禁を買うことがかなわなくとも自ら製作することは可能で、もし同人誌として世に出れば世間から高評価の嵐となること請け合いの三ケタページの自作本を月一ペースで生成し続け、自家発電を高クオリティに実現していく。
しかし篠縣伊火子はたまに現実に突き付けられるのだ。そんな理想の美少女がまさか天から降って来るなんてありえなくて、自分は空想上の理想を描いているに過ぎないのだと。そう、ありえないのだ。
やべー同人誌を生成し家では自家発電しまくっているが孤高の無口系高身長美少女キャラとして高校で周りから評価されていた篠縣伊火子にある日、転機が訪れる。
夏が迫ろうとしていた六月の薄ら寒い梅雨の中、修学旅行で篠縣伊火子たちは帝都へと赴いた。様々な実学教育が予定されていたものの、同級生たちは揃っての遠出にみな普段よりもテンション高くはしゃぎまわっていた。学校側としてもこれから始まる本格的な受験勉強を前に最後の息抜きとしての側面も持たせた修学旅行だった。
篠縣伊火子は同じクラスの同級生たちと団体行動を取ることになる。あまりクラスの面々と交遊を深めていなかった篠縣伊火子だったが、必要な事柄なら臆面なく声を上げられる性格だったので上手い事グループへ紛れ込むことが出来ていた。女子グループの面々が孤高のイケメン美少女の加入で大盛り上がりしていることなど露知らず、篠縣伊火子は人口三千万を擁する世界最大の都市、帝都へ訪れる。
だが、篠縣伊火子は知らなかった。この時帝都では異界から侵入してきた怪異を相手取り、大八津火帝國はおろか諸外国の退魔師や霊能者たちが結集し全力を賭しての大決戦が行われていたことを。
そして不幸にも、篠縣伊火子は怪異側の三強と目された“輝きし狭間”と遭遇してしまう。
虹色に輝きながら地面をスライムのように這う“輝きし狭間”を前に、篠縣伊火子が出来たのは修学旅行ではしゃぐクラスメイトの同級生たちを突き飛ばして自分を犠牲にすることだけだった。
篠縣伊火子は“輝きし狭間“の内部に呑み込まれてしまう。内部には怪物たちが蔓延るダンジョンが待ち受けていた。
普通ならば、そのままダンジョンのモンスターに殺されて人生を終えるだろう。だが、篠縣伊火子は自分でも気づいていなかったが、戦闘において天賦の才を持っていた。同じように呑み込まれていた大八津火帝國政府の特殊部隊やら退魔師やら勇者パーティやらの生き残りと力を合わせ、仲間たちが次々と命を落としていく中、最後の生き残りとして篠縣伊火子は“輝きし狭間”を撃破し内部からの脱出を果たしてしまう。封印されていたはずの霊能力が数段と強化された末の帰還だった。
異界からの怪異が侵攻した事件は現実世界の帝都においても数千人の死傷者を出す大災害となり、修学旅行に参加したクラスメイト達にも数名の犠牲者が出てしまう。
篠縣伊火子は生き残った。だが、戦いの中でようやく見つけたと思った人と人との絆を失って戻った日常は以前にもまして苦しかった。一人でもいいから戦友が生き残って辛かった思い出を共有したかった。慰め合いたかった。
帰ってきた篠縣伊火子は数週間の入院を経て日常へと戻る。ただでさえ多かった自家発電の回数は増え、自暴自棄に自分を痛めつけることも増えた。悪夢を見るようになり、睡眠が休息にならない日が度々生まれるようになった。
救われたかった。
だから、大学に進学した篠縣伊火子は一念発起して友人を作った。
そして、宗教に誘われた。
篠縣伊火子はため息を吐きながら降り積もる雪の中を歩いていた。既に日は暮れ、ただでさえ人気のない道は人っ子一人歩いていない。おまけにここから歩いて家に帰るとするならば、軽く一時間はかかるだろう。途中にバス停はあるが、この辺りは市街地から外れている。ダイヤを確認はしてみるが、きっと待ち時間の方が歩いて帰るまでの時間よりも長いに違いない。
「付き合わなきゃよかった」
彼女は大学の友人に誘われ、新興宗教の会合に無理やり参加させられた帰り道だった。友人を全然作れずやっとの思いで作れたたった一人の友だったが、その友は彼女を利用することしか頭になかったらしい。篠縣伊火子は気が重くなり、今日何度目か分からないため息を吐いた。
それにしても、と篠縣伊火子は思う。巷に聞く噂だと新興宗教の会合に参加などしようものならとんでもない契約を交わされてたり、逃げ出すのが困難だったりするという話がまことしやかに語られるものだが、やけにあっさりと帰ることが許された。
意外と私は幸運に恵まれたのかもしれない。そうでも思わないと篠縣伊火子はやってられなかった。
「これ、どっしよっかな……」
分厚いコートのポケットから既にしわくちゃになっている御札を取り出し篠縣伊火子は再び溜め息をつく。帰るのは許されたが、帰り際にこの御札を持っていくようにと持たされたのだ。
灰褐色の紙面は紙やすりかと見紛うほどに紙質が悪く、記号群や文字は未だに若干粘性を帯びた黒色の液体で描かれている。
こんな御札など途中で適当なゴミ箱に投げ捨てても良かったのだが、篠縣伊火子の霊視とでもいう力が言っている。この御札には力が込められている、と。
だったらなおさら捨てるべきではある。篠縣伊火子としてもこんなやべー代物さっさと捨てたい。だが、これをもし知らない一般人、例えばゴミ捨ての業者が触れて酷い目に遭ったら……そう考えてしまうと篠縣伊火子は捨てることを躊躇ってしまうのだった。
「はあ……せっかく友達出来たと思ったのに」
ため息をすると幸運が逃げると言うが、最早篠縣伊火子のそれは習慣となっておりやめるにやめれなかった。
「げ」
篠縣伊火子は立ち止まる。件の御札が何やら妙に振動しはじめ、不穏な輝きを見せ始めたかと思えばついに自力で浮遊を始めた。顔を引きつらせながら、篠縣伊火子は何歩か後方へ下がる。こんなことなら会合になんて参加しなければと後悔の念が脳内を駆け巡るが、最早手遅れだった。
光り輝き、宙を浮く御札がついに飛翔を開始し、県道のそばにある観光スポットである白峯の湖へ飛んでいく。夜とあって、光る御札の航跡は簡単に判別出来た。そして。
「うわー!」
可愛らしい少女の叫び声が湖の方向から聞こえて来る。鈴の音のように澄んでいて、それでいながら柔らかな響きの声だった。
絶対に何らかの厄介事が待っているだろう。だとしても、御札が何をやらかしたのか見ないで済ませることは篠縣伊火子の良心が許さなかった。
精神的にも肉体的にも重い体を引きずって篠縣伊火子は湖へと歩みを進めていく。するとそこには遊歩道に積もった数センチの雪に体を沈めた、冬にしてはあまりに簡素な格好をした美少女が顔に貼り付いた御札を取ろうともがいていた。
「何これ何これ!? 何で私にくっついてくるのー!?」
名も知らぬその美少女は、まるで二次元から抜け出してきたかのように可愛らしい容姿をしていた。しかも、篠縣伊火子の嗜好を見通したかのように小柄で胸も大きい。顔は御札に隠れて見えないが、沈んでいた篠縣伊火子の気分は俄然高まりを見せ始めた。
「とーれーてー!」
小柄な美少女のほっそりとした白い指が御札をしっかりと掴み、力いっぱい引きはがそうとしているものの取れそうな気配はない。この御札は霊的な力で張り付いているのだ。物理的に剥がそうとすれば重機でも持ってこなければ取れないに違いない。
どうしたものか、現場に到着した篠縣伊火子が手を出してもこれはどうしようもないぞと手をあぐねていると小柄な美少女から清浄な輝きが一瞬溢れ出る。
篠縣伊火子が見たことのない、心の洗われるような癒されるような白い瞬き。御札が見せた邪な念をまるで感じない、寺社や仏閣の聖域で微かに感じ取れる神々しい空気の何十倍も輝かしき清浄なる光だ。
「と、取れ……ってなくなっちゃった! あれー?」
小柄な美少女の見せた輝きによって御札は消滅してしまっていた。どうやら浄化されてしまったらしい。
あれほどの邪気を迸らせていた御札を消滅させたことに篠縣伊火子は目を見張る。見る力しか持たない篠縣伊火子には到底不可能であり、篠縣伊火子が知る霊能者たちの中にもあれだけの浄化の力を見せた者はいない。
目の前の美少女が類まれな強力な浄化能力を持っていることに篠縣伊火子は羨望を覚え、そして同じ世界に住む人間なのだと同類意識も芽生える。
親近感を抱いた篠縣伊火子が思わず歩み寄ると、ぽかんとしていた小柄な美少女の顔がこちらを向く。既に夜ということもあり全貌が見えていなかったが、いざ近付いて目にすると素晴らしいまでの美少女だった。横に跳ねた左右の髪の毛がぴょこんと耳のように動く様を見て、篠縣伊火子は犬を連想する。それはまさに篠縣伊火子が妄想で好き放題の限りを尽くした空想上の美少女とそっくりな容姿だった。
普通なら篠縣伊火子が自宅へ人を招く事なんてありえなかった。それなのに、大学の友人も頑なに自室へ招き入れなかった篠縣伊火子がいつの間にか招いてしまっていた。
お風呂から上がってきた美少女に渡した服は篠縣伊火子のために用意された服ではなかった。夢想の美少女を妄想の中だけでなく、現実で感じ取るためのアイテムだった。つまり、自家発電時により没入するためのアイテムであり、そのアイテムを問題なく着てみせた美少女を見て篠縣伊火子は運命的な繋がりを感じた。
これは、この子を迎え入れるために天が用意させた? ということは、この子は私のものなのでは? 妄想が現実化したのではと篠縣伊火子は多幸感で頭がふわふわしてくる。
さらに、フラピア改め犬子という名を持つ美少女の身の上話を聞いて篠縣伊火子は胸の高まりが気付かれてはいないか不安になって来る。彼女の話が本当ならば、彼女には頼るべき存在はこの世界に一切存在しない。やっぱり、私のものなのでは?
容姿が篠縣伊火子の妄想の美少女と瓜二つだった。それ故に、篠縣伊火子は犬子と妄想の美少女を徐々に重ね合わせ始めていた。主に性欲の発散のために描き続けて来た数百にも上る自作本の数々と同一の存在と認識が改変され始める。
つまり、犬子はナニをしても最後には笑顔で許してくれるドスケベクソ雑魚美少女ということだ(?)
篠縣伊火子の危険な思考は犬子への遠慮を見る見るうちに消失させ、うっかり犬子の頭を撫でてしまう。
やってしまった。妄想の美少女と似ているからといって実際に手を出してはアウトである。未だ現実と妄想の区別を付けられる篠縣伊火子は体を恐怖に固まらせたが、しかして犬子は嬉しそうに顔を綻ばせる。
これは私のものだな。篠縣伊火子は確信を抱いたと同時に、やべー淫乱妄想の具現化でもあるのかと期待を抱き始める。
犬子の元の性別など篠縣伊火子には興味がなかった。大事なのは、今である。今の犬子は自分の妄想を体現した美少女の姿をしていて、なによりも人への繋がりに興味のなかった篠縣伊火子が隔意なく触れられる。
犬子の生来の人柄が所以なのか。ただただ見た目に絆されたのか。実際は、どんな変態ドスケベ行為をしても最後には許してくれる聖女な妄想の美少女と犬子を重ね合わせて遠慮が失われているだけなのだが、それはどうでもいいと感じていた。篠縣伊火子は弟と離れて以来、久しぶりに自分の我を出しても気楽に接することの出来る存在と出会えた。共にありたいと思える存在と出会えた。それが何よりも嬉しかった。
だから、篠縣伊火子は犬子を手放したくない。犬子には自立を応援するような台詞を投げたが、犬子が独り立ちすることなど篠縣伊火子は絶対に認める気がなかった。
これハッピーエンド?