居眠りしていたはずの主人公は、異空間と化した教室で目を覚ます。
目の前には不思議な雰囲気のクラスメイト。学校から脱出を目指す。

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あかい空の下へ

 窓の外は血で満たされたように赤く、空を見ることすらままならない。教室の中の彩度は心なしか低い。授業中に眠ってしまって、起きたらこうなっていた。目の前には女子が座っている。彼女はクラスメイトの空論澱香である。美少女で、どの女子グループにも属さず、昼休みはどこかに消えている彼女が、椅子を反対にして座っている。不思議な雰囲気があるとは思っていたが、外の異様な状況と合わせると、彼女がまるで人じゃないかのように思えてくる。

「ね、ここから出たい?」

 空論が急に話を振ってきた。

「そりゃあ、まあ……」

 それに対して、僕は曖昧な返事しかできない。でもそれも仕方ないことだと思う。なにしろ、まだ自分の置かれている状況を理解できていないのだ。夢の続きのような気さえする。

「じゃあ、行こっか」

 彼女は徐に立ち上がると、目配せしてきた。ついてこいということだろうか。困惑しながらも頷き、僕も立ち上がる。すると彼女は穏やかな足取りで教室を出た。とりあえず後ろを追う。

 しばらく彼女と廊下を歩いていると、周囲の音が全く聞こえないことに気が付いた。聞こえてくるのは自分の足音だけ。空論の足音は聞こえない。普通に歩いているようには見えるけど、何か仕組みがあるのだろうか。そんなことを考えていると、職員室の前に辿り着いた。彼女は手際よく職員室の窓をこじ開けると、

「ほら、こっち」

 と呼んできた。軽々と窓を乗り越えていく彼女とは対照的に、僕はおずおずと入っていく。

 職員室の中には黒い霧が漂っていた。それは人のような形をとっていて、時々ふらふらと動いている。彼女はその中の一体を手で散らすと、鍵の束を取ってきた。

「これがあれば出られるよ」

 彼女はそう言って、鍵の束を僕に差し出した。

「悪いけど、まだやることが残っててさ。先に帰っててくれる?」

「え……?」

「それ使って、正面玄関の扉から出られるから」

 彼女はそう告げると、颯爽と何処かへ消えていった。改めて一人になってみると、周囲の異様な光景に恐怖を覚える。早くこの空間から脱出したい。ひとまず職員室を出るために窓を乗り越える。廊下は先ほどよりも暗くなっている。それに、職員室にいた人のような霧がちらほら立っているのが見える。外は相変わらず狂気的なまでに朱い。職員室から正面玄関までは大して遠くないが、すぐ着けるとも思えない。最初に教室を出てから職員室までの距離は、明らかに普段よりも長かった。この異常事態、空間がねじ曲がっていてもおかしくはない。どんどん増えていく不安をかき消すようにして、僕は廊下を走り出した。

 しばらくして、僕は息が上がってしまって廊下に座り込んだ。いつまで経っても階段が見えてこない。廊下の霧はどんどん増えている。最初はたまに避けていればよかっただけのものが、今となっては数歩進むたびに霧をかき分けながらでなければ進めない。間もなく呼吸が整ってきて、僕はもう一度走り出す。霧はどんどん濃くなっていき、少し前も見えなくなる。再び限界が訪れて、壁に背をつき座り込む。そのとき、真後ろのポスターに目に入った。廊下は走るなのポスター。一年の六月くらいに、授業で作らされたのを覚えている。こんなのやっても中学生までだろ、なんて心の中で毒づきながら適当に作ったせいで、先生に目をつけられかけたのだ。その一件以降、僕は先生の意向には逆らわないようにしている。長い物には巻かれろというし、これが僕なりの処世術なのだ。そこで僕は思い出した。職員室へ向かうとき、空論は決して走らなかった。あくまでも歩いていた。それは目の前に職員室が差し掛かった時も変わらなかった。もしかすると、そういうルールがあるのかもしれない。そう思って、僕は今更歩き出した。霧のせいで前は見えないけれど、仮説が正しければきっと階段に辿り着く。

 結果から言うと、階段の前までは来れた。仮説は正しかったのだ。この空間には脱出するためのルールがあるらしい。ただ、問題はそこからだった。霧があまりに濃いせいで、段を降りていくことができないのだ。手すりも手探りで見つけるしかない。それでも先に進むために、僕は手すりを見つけ出し、一段ずつゆっくり降りていく。どんなに不安でも、駆け下りたりはしない。そんな慎重さが功を奏して、僕は一階に降りることができた。多分。霧が濃すぎて、ここが踊り場なのか一階なのかがよくわからないのだ。もし偶然ルールを破ったりしていれば、僕はまだ踊り場でさまよっているだろう。そうでないことを祈り、手探りで窓を探す。指先に伝わる冷ややかな感触。目の前の霧を払ったら、そこには紅い世界が広がっていた。無事に降りられていたことがわかった僕は、正面玄関を目指すことにした。正直前も後ろもわからないけれど、構造さえ変わっていなければ慣れている学校だ。迷いようがない。とはいえ油断は禁物だ。僕は壁に手をつきながら、ゆっくり歩いていくことにした。

 それからしばらくして、恐らく正面玄関のある場所に着いた。一度壁から手を離して、靴箱を探す必要がある。不安と恐怖でどうにかなっちゃいそうだけど、ここが正念場だと踏みとどまる。そうして探し求めた右手に、靴箱の角が当たったとき、僕は思わず気の抜けた笑みを浮かべた。あとは靴箱を辿って扉から出るだけだ。そう思ったのに、なかなか扉に当たらない。もしかして何かルールを破っているのかと思って一度手を止めてみる。すると、鍵の束がいつの間にかなくなっていることに気が付いた。もしかすると、走っているうちにどこかに落としてしまったのかもしれない。もう駄目だ。僕が絶望に打ちひしがれんとしたその時、視界の端に何か光るのが見えた。そして声が聞こえてくる。

「もう、廊下に鍵が落ちてたからびっくりしたよ~」

 空論の声だ。どっと安堵が押し寄せてきて、涙さえ浮かんでくる。

「ほら、こっち。手掴んで」

 言われるがまま、僕は声の元を探す。すると、霧の中にうっすらと手が見えている。すぐに手を掴む。すると、急に強い力で引っ張られた。空論は華奢なほうだと思っていたが、どこからこんな力が出ているのか。そう思ったのも束の間、声の方向から何か斬り払うような音が聞こえた。そこから霧がみるみる晴れていく。声のした場所には、大振りの白い刀剣が刺さっている。そして後ろから声をかけられた。

「よかった、間に合って」

 それはまごうことなき空論澱香で、制服の端々に傷を負っていることを除けば、別れる前と同じだった。これは先程の声が偽物だという可能性を示していた。

「あの、僕……」

「いいよ。君が無事でよかった」

 ふと手に違和感を感じて見ると、強く鍵の束を握っていた。

「私もやること終わったし、一緒に帰ろっか」

 僕は無言で頷く。さっさとこの悪夢から解放されたい一心で、僕は扉の鍵を開けた。

 遠くから吹奏楽部が練習している音が聞こえる。運動部は早く帰ってしまったようで、グラウンドは静かだった。正面玄関の扉の前にいる。ただし、世界は朱くない。空は黄昏の茜色で、もうすぐ日没が訪れることを教えてくれる。横には空論澱香がいて、こちらの顔を覗き込んでいる。

「よし、じゃあ帰ろ。どっか寄っていく?あ、ていうか駅どっち方面?」

 制服に傷は見つからなかったし、近くに刀剣も刺さっていなかったけれど、確かに彼女は僕を助けてくれた。彼女が何気ない話題を振ってくれるから、日常に帰ってきたことを深く実感できる。

「ハンバーガーでも食べに行こう。帰り、遅くなっても大丈夫だからさ」

 か細い声でそう答える。まだ足は震えているけれど、歩き出すことはできる。

「じゃあ、校門まで競争ね?」

 言いながら、彼女は人のいないグラウンドの端を駆けていく。僕もそれを追いかける。そろそろ、夜が来る。


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