機動戦士ガンダム0090 方舟のレガリア   作:しゃくなげ

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 九十年 一月 十七日

 

 まえからではあったけれど、最近は特にもの忘れが激しくなった。

 

 日記をつけるのがいいと聞いたので、試してみる。

 

 日記の書き方がわからないので、参考になりそうな本を読んでみるつもりだ。

 

 

 

 九十年 一月 十八日

 

 いくつか本を読んでみた、あまりよくわからない。

 

 書き方などはないので自由に書けばいいとのことだが、僕はそういうのがいちばん苦手だ。

 

 

 

 九十年 一月 二十日

 

 僕はいま、月のフォン・ブラウンに住んでいる。

 

 アナハイムの本社があるあたりは栄えているけれど、正直なところ、こっち側の治安はよくない。

 

 僕の仕事場は、ゴミの山だ。

 

 運びこまれるジャンク品をバラして、使えそうなパーツを流用したり、それをもとにして修理をしたり、つまりいろいろしている。

 

 とっくに死にかけたボロボロの機械を、どうにかこうにか延命させてやる。

 

 そういう、とても退屈な仕事だ。

 

 

 

 九十年 一月 二十二日

 

 今日も、裏通りでよっぱらいのケンカ騒ぎがあったらしい。店にやってくる大人たちが、嫌そうな顔をしていた。

 

 それを聞いたユイが、僕を働かせないために自分も仕事をするといってきかない。

 

 大人がケンカをしたくらいで、危険なことなんかひとつもないのに。

 

 ユイを心配させないためにも、もっともっとお金がほしい。

 

 

 

 九十年 一月 二十七日

 

 日記をつけ始めて、十日がすぎた。

 

 ときどき、ユイがこれを盗み読んでいるようだ。まえのページの端に、チョコパフェらしいシミが残っていた。

 

 君、これはプライバシーの侵害というらしいよ。聞きたいことがあるなら、僕に直接聞けばいいじゃないか。

 

 

 

 九十年 一月 三十日

 

 汗だくになって目が覚めた。

 

 時計の表記は、六時三十分。まだ、出勤には早すぎる時間だ。

 

 白鳥の夢をみた気がする。光の中で、きらきらと輝いていた。

 

 それ以上は頭がぼんやりとしていて、見たはずの光景はすぐにうすれていってしまった。夢の記憶を諦めると、僕はベッドから起きあがった。

 

 ユイは、ベッドの中で丸まったままで、まだ寝ている。最近は髪が伸びてきて、まえが見えづらそうだ。

 

 ほほをなでると、甘えるように手のひらにすりよってきた。それを見ているだけで、胸の奥がふわふわとしてくる気がする。

 

 この感情が、きっと愛おしいというものなのだろう。

 

 

 

 九十年 一月 三十一日

 

 昨日の日記を読んだらしいユイが、しきりに甘えてくる。

 

 文章の書き方がよかったのかもしれない、もっと工夫してみよう。

 

 まえに書き方の参考にした本を、また読み返すことにした。

 

 

 

 九十年 二月 一日

 

 ダダダ、ダダダと断続的に、不快な音が床を伝って聞こえてくる。

 

 朝の寝覚めは、騒音を伴うものだ。頭の痛みを感じながら、僕はゆっくりと体を起こした。

 

 工業地区に住んでいると、あちこちで重機やインパクトドライバーの駆動音が鳴りひびく。僕はそれらの音が苦手だった。

 

 フォン・ブラウンの中でも、僕の住んでいるこの地域は最下層だろう。治安も空気も悪いけれど、だから助かることもある。

 

 僕らのような戸籍をもたない人間が生きていくには、こうした場所の方が都合がいい。

 

「ごはん、できたよー」

 

 日記を書いていると、キッチンから僕を呼ぶ声がした。

 

 

 

 九十年 二月 二日

 

 やはり難しい。なにがダメなのかを説明できないけれど、どうにもうまくいかない。

 

 今度は、書き方を大きく変えてみよう。

 

 

 

 九十年 二月 四日

 

 七時、起床したのちに朝食

 

 八時、出勤したのちにジャンク品の選別

 

 十二時、昼食

 

 十三時、モビルスーツの配線を修復、OS起動まで成功

 

 十五時、マニピュレーターのシャフトがゆがんでいるのを確認、代用品をゴミ山から調達

 

 十七時、退勤 ※残作業は明日着手

 

 十八時、夕食の調達

 

 十九時、帰宅したのちに夕食

 

 二十時、入浴

 

 二十一時、ユイの前髪を切る

 

 二十二時、本を読む

 

 二十三時、就寝

 

 

 

 九十年 二月 五日

 

 昨日の日記はつまらないと言われる。

 

 ユイの言いたいことはわかっているつもりだけれど、僕にも疑問がある。

 

 日記には、面白さが必要なのだろうか。

 

 僕には、そこがわからない。

 

 

 

 九十年 二月 七日

 

 ここにきてから、今日でちょうど一年だ。

 

 あれから僕たちは、一日ごとに大人というものに近づいている。

 

 僕の体は変わらないけれど、ユイはあのころよりも背が伸びた。

 

 彼女が大きくなっていくのが、なぜだか、とてもうれしい。自分が生きているという実感が、彼女を通して感じられる。

 

 そんなことを考える僕は、どうかしているのだろうか。

 

 

 

 九十年 二月 十日

 

「最近は、ごろつきが増えてるらしいよ」

 

 いつも食料品を買っているストアの店員が、今日はめずらしく話しかけてきた。保存食を紙袋に押しこみながら、疲れたようにつぶやきをもらす。

 

「そうかい」

 

 僕は、それしか返す言葉を知らない。

 

 僕はいつも、大人たちと会話をしない。なにを話せばいいのかもわからないし、会話する意味を感じることもない。

 

 ただ、このときは、なぜかそういう気になったから、紙袋を受け取りながら彼を観察することにした。

 

 中年の男性らしい、しらがの混じった髪。深いシワのせいで、ときどき、彼は老人のようにもみえる。

 

 なぜ彼が話しかけてくるのか、それはわからない。この会話には、意味があるのか。ごろつきが増えているという情報は、たしかにあちこちで聞く気がする。

 

 警告だろうか。それとも、取引か。それでなければ、なにを目的としているのか。

 

「いつもいっしょの子がいるだろう、あの……妹かい。ときどき、ひとりで出歩いているからね、気をつけるように言っておきなさい」

 

 会話の流れから察するに、おそらくは、警告というか、忠告というやつだ。

 

「ユイが、ひとりで。そうか、それは問題だね。……ありがとうでいいのかな、この場合は」

 

 僕の問いかけに、彼は困ったような表情をみせた。

 

「誰か、相談できるような大人のひとはいないのかい。なにかあってからじゃ、遅いんだよ」

 

 店員の言葉に、今度はこっちが困ってしまった。

 

 彼は少なくとも、僕らの保護者について尋ねたりはしなかった。

 

 こちらの事情を、それとなく察しているのだろう。外見からして僕と人種が異なるユイを妹と表現したあたりにも、彼の気づかいは感じられた。

 

 ただ、相談できる大人のひとなんて、ひとりも知らないのだからどうにもならない。僕はそれ以前に、大人のひとになにを相談したらいいのかもわからない。

 

 ごろつき相手なら、ユイだって身体能力だけでも対処できる。それではいけないのだろうか。

 

「わたしも見てはおくけれど、力になれないことだってあるからね」

 

 返すべき言葉を探していると、なにかを察してくれたらしく、店員はそこで会話を切りあげた。

 

 僕もそれ以上はなにも言わずに、帰路へとつく。

 

 不思議と、悪い心地はしない。

 

 次の買いものも、あの店でしようと思った。

 

 

 

 九十年 二月 十三日

 

 面白かったと、ユイに言われた。

 

 なにがとまでは言わなかったが、先日の日記のことだろうと想像はつく。

 

 次の日記も、また文体を似せてみよう。

 

 

 

 九十年 二月 十四日

 

「いらっしゃい」

 

 低く、ややしゃがれた声で呼びかけられた。声の方へ目を向けると、中年男性が手を振っている。

 

「どうも」

 

 なにを話したらいいのかは、やはりわからない。僕にできることは、あたりさわりのない、普通のあいさつを交わすくらいだ。

 

 ストアの店員は、今日もくたびれた顔をしている。ただ、この日の彼は、なんとなくだけれど、機嫌がよさそうにみえた。

 

「かたちの悪いやつだけれどね、人気店のが入荷したんだ。君もよかったら、どうだい」

 

 彼の指さした棚には、画用紙で作られたポップ広告が貼られている。その下に、高級品らしいチョコレートの箱がきれいに整列していた。

 

「割れたりなんだりした、わけあり品ってやつでね。味はいいし、普通に買うよりもずっと安いよ」

 

 箱のひとつを手に取ると、ひやりとしていて、重たい。きっと、それなりに量が入っているのだろう。

 

「これ、甘いのかい」

 

「ああ、うんとね」

 

 それなら、ユイも喜ぶだろう。ひとつ買っていくのも、悪くはない。

 

 落としていた視線を元の高さへ戻すと、ちょうど広告を正面から見る形になる。ざらりとした質感の画用紙には、子どもの落書きみたいな動物のイラストが並んでいた。

 

 絵はどうしたってへたくそなのに、動物たちはきれいに整列している。ちょうどこの、並べられたチョコレートの箱たちとよく似ている。

 

「孫がね、描いてくれたんだ。親バカってやつでさ、へたな絵かもしれないが、そのまま広告にしたんだよ」

 

 ああ、なるほど。だから、似ているのか。

 

 それとも、彼がこの孫の絵とやらにあわせたのだろうか。

 

 照れくさそうにはにかんでいる店員を、失礼にならないように観察する。大人のひとも、こんな表情を見せるのか。僕にはそれがおどろきだった。

 

 僕の知っている大人は、だいたいが仏頂面というやつだ。まわりの大人が軍人ばかりだったから、そういうものだったのかもしれない。

 

「犬と猫はわかるんだけれど、これは、なにかな」

 

 ほかにもよくわからない絵はあるけれど、特に正体のわからない物体を指差してみる。孫の絵に興味があるというだけで、店員の声はいつもより明るくなった。

 

「ああ、ビーバーってやつだね、地球のいきものさ」

 

 聞いてもいないのに、店員はビーバーとかいう動物の生態を説明してくる。なにの得にもならないのに、不思議なことをするものだ。

 

 そうした彼の姿を見ていると、このひとは悪党ではなさそうだと、そんな考えに確信が芽生え始める。

 

 ちょうどそのとき、入口のドアと連動したチャイムが店内に来客を知らせた。

 

「おっと、いらっしゃいませ」

 

 新たな客に、店員はあわてて声をかける。それから僕に向き直ると、困ったような笑みを浮かべて、しらがの混じった髪の毛をかきまぜるように頭をかいた。

 

「中途半端になってすまないね、またきてくれたときに続きを教えるよ」

 

 そいつはおまけしておこう、孫の絵を見てくれたお礼だよ。そんな言葉が続かないかと期待したけれど、ものごとは思うようには進まなかった。

 

 

 

 九十年 二月 十八日

 

 僕らが住んでいるのは、月の最下層だ。

 

 ここは上の方とは比べものにならないぐらいに、治安が悪い。

 

 そんな場所だから、だろう。目立たないように生きている、ジオンの軍人をときどき見かける。

 

 ハマーン・カーンが死んで、ネオ・ジオンはどうなったのだろう。

 

 彼女たちは、どうなったのだろう。

 

 今度、ジオンの連中と話してみようか。

 

 あのあと兵隊たちはどうなったのか。ふと、そんなことを聞いてみたくなった。

 

 

 

 九十年 二月 二十日

 

「おまえもなのか、そりゃおどろいた」

 

 それが、ジオンの兵士が口にした最初の言葉だった。

 

 とうとつな僕からの接触に、男は最初だけ面食らった顔をした。あまりにもその表情がこっけいで、いまもしっかりと覚えている。

 

 同じ陣営の生き残りだということが伝わったのか、すぐにひとなつこい笑顔を見せて、彼は紙巻きタバコを勧めてくる。

 

 がっしりした彼の体格には、タバコが似合(にあ)う。浅黒い肌と黒い髪は、根拠もないけれど軍人なのだろうと感じさせるものがあった。

 

 さて、アルコールは飲んだことがあるけれど、タバコは初めてだ。

 

 断る理由は簡単に作れるけれど、試しもしないのは逃げたようで気に入らない。だから、差し出された一本を、彼のまねをして唇でつかまえた。

 

 くわえるだけではライターであぶっても火がつかないのだと、このとき、初めて覚えた。火をあてながら、吸いこまないとダメらしい。

 

 火をつけてから、ゆっくりと煙を吸ってみる。味は、やはりよくわからない。

 

 こげたような匂いの気体を飲みこんだものの、体が異物だと判断したのか、ひどくむせた。

 

 そんな僕の姿を見て、彼は笑っていた。

 

 どこかで見覚えがあるような、アクシズにいそうな顔だ。

 

「俺はスウィフト、よろしくな」

 

 差し出された手を、注意して握る。ひとの骨はもろいから、つぶさないようにしなくてはいけなかった。

 

 

 

 九十年 二月 二十二日

 

 スウィフトに案内されたバーは、古めかしいけれど大きなピアノが置かれた、静かな店だった。

 

 六台のスツールは使いこまれていて、しっかりとした背もたれが心地よく、革張りで高級感があった。奥まった方にあるテーブル席は、ふたつともジオン軍人らしい男たちで埋まっている。

 

 ステージと呼んでいいのかわからないけれど、そこでドレスの女性がピアノを演奏し、バーカウンターの向こうでは初老の男性がグラスをみがいている。

 

 この店は、ジオンの人間が経営し、ジオンの人間が酒を飲み、ジオンの人間が演奏する。そういう、ジオンにとって居心地のいい場所なのだそうだ。

 

 僕には、どうにも、居心地が悪い。

 

 ジオンがどうだ、連邦がどうだという話ではない。こういう、社交場というのだろうか、ひとが集まってなにかを楽しむ空間には、慣れていないのだ。

 

 テーブル席にいる連中は、どうやらスウィフトの戦友らしい。僕をこの店へ連れてきたにも関わらず、あいさつをしてくると断って、彼は向こうへ行ってしまった。

 

「何か、飲まれますか」

 

 そんな僕を見かねたのだろう、バーテンダーがカウンターの向こうから問いかけた。

 

「そうだね、まずくてもいいから強いやつで」

 

 端のスツールに腰をあずけながら、並んでいる酒瓶を確認する。名前に聞き覚えのないラベルが貼られたガラス瓶は、弱い光を浴びてほんのりと輝いているように見えた。

 

 僕の知っているたったひとつの酒は、どれだけ探しても見当たらない。銘柄を思い出そうとしても、とっくの昔に記憶の中から失われてしまっていた。

 

「はは、いえいえ。いかに注文であっても、まずいものをお出しするわけには。特徴の強いものがお好みですかな」

 

 僕の言葉を冗談と受け取ったのか、それとも本気なのか。豊かな口ひげを持ち上げて、バーテンダーは白い歯を見せた。

 

 正直、味などわからないと言った方がいいのかもしれない。けれど、こういう場で目立つのは賢くない。

 

 僕らには、ただでさえ生き場所がないのだから。

 

「そうだね、好き嫌いのわかれるやつがいい。氷を入れたやつは苦手なんだ、できるならそのままで」

 

「では、こちらを」

 

 グラスに注がれた少量の酒を、ひと口だけすする。

 

 舌の上に液体が触れると、びりとしびれるような、懐かしい感覚がある。それから遅れて、泥と廃油を思わせる、奇妙な香りがうっすらと感じられた。

 

「おいしくは、ないね」

 

「はは、お嫌いですか」

 

 問いかけるバーテンダーの声は、穏やかだった。それに応えるように、もうひと口を舌の上に受け入れる。それから、またひと口。

 

 どれだけ口に含んでも、味はわからないし、おぼろげに感じる匂いも悪い。けれど、嫌いかと聞かれると、そうではない気もする。

 

 味がわからないからなのか、自然と匂いの方に意識が向いた。嗅覚も普通のひとより鈍いのだけど、味よりはまだ、こっちの方が感じ取れるから分析ができる。

 

 廃油と、泥と、炭か何か。飲みこんだあとの残り香が、甘い気がする。胸の奥が熱くなる感覚は、まえに味わったそれと似ている。

 

「好きな方は、最初のひと口でそうなります。何度かお飲みになれば、それの良さがもっとわかってきますよ」

 

 バーテンダーは、そのまま次のグラスをみがき始めた。それと同時に向こうのテーブルで、どっと笑い声があがる。どうやら、ずいぶんと酔っているらしい。

 

 彼らの話は、まだ続きそうだ。退屈しのぎに、今度はピアノの音色に集中する。

 

 曲名は、しらない。ただ、こういう旋律を優しいと表現するのだろうと思う。

 

 空気を伝わってくる音は、そのひとつひとつに独特の色がある。細い指が鍵盤を打つたびに、高く澄んだそれと、低く柔らかなものが入り混じった。

 

「あのひと、上手だね」

 

「ああ、ええ。ミス・ロザーミックにはピアノだけでなく、素晴らしい歌を提供していただいておりますよ」

 

 バーテンダーの話で、演奏者の名前を知ることができた。

 

 視線を向けると、大きく開いたドレスの背中に、それを隠す金色の髪が見えている。鍵盤の上で踊る指はなめらかな動きで、いきもののようにも見えた。

 

「みんな、ピアノのひとを見ているよね。きれいなひと、なのかな」

 

 バーテンダーに問いかけながら、グラスの中身を舌の上に。最初よりも、この刺激に慣れてきた気がする。

 

 うしろ姿では、彼女の顔立ちまではわからない。ただ、ジオンの軍人たちがみとれているのは、このうす暗い店内でもよくわかる。

 

「あちらの方々は、彼女を目当てに通っていらっしゃるとか」

 

 言葉を返すよりも先に、演奏が終わって軍人たちがどっと沸いた声をあげる。熱に浮かされたようで、とてもうるさかった。

 

 あっけに取られていると、手拍子とともに軍人たちが歌い始める。歌姫のようなその扱いに、彼女がどんな反応をしているのかは、ここからでは見えなかった。

 

 ハッピー・バースデー。

 

 誕生日を祝う歌声は、がなり立てるように大きくて、正直にいうと不快だ。けれど、彼らのまとっている空気は、からりとしていて不快とはほど遠い。

 

 軍人たちが一丸になって、彼女を祝っている。それは、敵を殺そうと突撃していく戦争中の彼らとは、似ても似つかない感覚だ。

 

 まとわりつくような不快感も、どろりとした敵意もない。僕の知っている軍人とは、まるで別ものにも見えてしまう。

 

 なんというか、そう、とても不思議な光景だった。

 

「すまんすまん、待たせた。彼女の誕生日でな、ついつい盛り上がっちまった」

 

 スウィフトが戻ってきたのは、それから五分ほどあとのことだった。もみくちゃにされていたのか、衣服があちこち乱れていた。

 

「見ていたから、わかるよ」

 

 僕がそう返すと、それもそうかと笑いながら、彼はジョッキに注がれたビールをうまそうに飲み干した。

 

 このとき、僕は自分が何を聞こうとしていたのか、すっかり忘れてしまっていた。場の空気に飲まれてしまっていた、というやつだろう。

 

 いまとなっては、あの娘たちのことを聞いておけばよかったと後悔もしている。

 

「なんでも、戦力を温存している部隊があるらしい。新造の、スウィートウォーターに集結しているとか、そういう話だ」

 

 そう切り出して、スウィフトがスツールに腰を下ろす。会話の主導権は、彼のままだ。

 

 彼が語るうわさ話を僕がどこまで信じるのかは、とてもささいなことだ。

 

 僕にわかったのは、ネオ・ジオンはまだ、滅びていないということ。ハマーン・カーンの戦死も、ささいなことでしかない。

 

 戦争が、また始まるのだ。いつかはわからないけれど、近いうちに、きっと、必ず。

 

 今度は、誰が彼らを率いるのだろう。

 

 ハマーン・カーンもグレミーも、とっくに死んでしまった。だとすれば、ハマーンがネオ・ジオンの象徴としていた、ミネバ・ザビだろうか。

 

 あのときのミネバ・ザビは、七つか、八つか。あんな子どもに、そんなことができるのか。

 

「俺たちスペースノイドこそが、戦争に勝つ日がやってくる」

 

 その言葉は、誰のものだったのか。

 

 ひとりの声ではなくて、バーに集ったジオンの軍人、その誰もがさけんでいたようにも思う。

 

「我らジオン軍人、志半(こころざしなか)ばで朽ち果てようと、(ともがら)(しかばね)を乗り越えて! いつの日か必ず、凱旋(がいせん)の旗を掲げよう!」

 

 誰かがさけび、誰かがその声に呼応する。

 

 せまい空間に満ちていく、ざらりとした不快感。酒に酔ったのか、空気に酔ったのか。軽いめまいが止まらなかった。

 

「█████、█████!」

 

「███、███████!」

 

 笑い声も、さけび声も、くぐもってしまって聞き取れない。きんきんと痛いほどの耳鳴りが、頭痛を伴って体の奥からしみだしてくる。

 

 僕は、いつから、こういう空気を嫌うようになったのだろう。昔はもっと、こういう空気だって、きちんと受け流せていた気がする。

 

 バーの中に満ちているのは、べっとりとした熱気だ。それが(なまり)のように重たく、全身にまとわりついてくる。

 

 女の誕生日を祝っていたときとは、似ても似つかない、ぎらついたまなざし。そんな目をした軍人たちが、ひとつの乱れもなく、まったくの同時にさけぶのだ。

 

「ジーク・ジオン!」

 

「ジーク・ジオン!」

 

 僕にとって、それは形容しがたい不快感を伴う、とてもきみが悪い光景に見えた。

 

 きっと、僕はもう、あのころには戻れない。

 

 昔よりも不器用になったことを自覚しながら、グラスの中の液体を、むりやりにのどの奥へと流しこんだ。

 

 

 

 九十年 二月 二十三日

 

 ひどい頭痛がする。

 

 記憶の出力に疲れた。

 

 文章が書けない。

 

 

 

 九十年 二月 二十五日

 

 体調や精神の状態によって、文章が作れないこともあるようだ。

 

 先日の一件で、日記というものは、不便な面もあることを知る。

 

 その日のできごとを詳細に書き起こすためには、一日のすべてを鮮明に覚えているか、なにかあるごとに書き記していくしかない。

 

 前者は僕の負担が大きいらしく、後者は現実的と思えない。

 

 そこまでしっかりと記載する必要はないのかもしれないけれど、ユイが喜んでくれるのだから、どうにかして以前の文体で書き起こしておきたい。

 

 いっそのこと、記録方法を変えてみようと思う。投棄されたモビルスーツのパーツで、試してみたいものがある。

 

 

 

 九十年 三月 七日

 

 Error Code:100101E

 

 Stack Trace:【ログの出力は禁止されています】

 

 

 

 九十年 三月 十日

 

 Error Code:110010A

 

 Stack Trace:【ログの出力は禁止されています】

 

 

 

 九十年 三月 十八日

 

 テスト

 

 

 

 九十年 三月 十九日

 

 レコーダーのテスト

 

 今日は、三月、十九日だ

 

 僕は、いま、思考をログとして出力

 

 

 

 九十年 三月 二十三日

 

 レコーダーのテスト。

 

 いま、サイコ・コミュニケーター用のチップを使用して、僕の思考を記録用の端末へ伝達している。

 

 ファンネルを使えなかった僕でも、この短距離ならどうにかレコーダーを動作させられそうだ。

 

 イメージを言語として書き起こす部分の回収に苦戦しているけれど、初回の連結試験の成果としては悪くないと思う。

 

 サンドラで使われていたサイコミュ用のテストプログラムが、こんなかたちで役立つとは思わなかった。インターフェースさえ理解できればやっつけでも書けるのが、プログラムのいいところだ。

 

 いくつかエラーが発生しているため、これからソースコードの改修に着手する。

 

 本日の動作確認は、ここまで。

 

 

 

 九十年 三月 二十五日

 

 テキストログの出力部分について、エラーの改修が完了した。

 

「発声によるアウトプットおよび聴覚からのインプットには、テキストログ出力時にかぎかっこを用いて会話文形式に修正する機能のテスト」

 

 これで、僕の思考を元に、自然言語に近い文章が書けるはずだ。ここからが、本格的な運用の開始になる。

 

「テスト、テスト、テスト。いま、録音した自分の声を聴覚からインプットしている」

 

 これを製品化できたらいい金もうけになったのかもしれないと思ったが、チップの入手経路や使用者との調整問題があるため、現実的ではないと判断する。

 

「アウトプットのテスト、テスト、テスト。いま、僕は口頭で言葉を話している」

 

 もしもこの先、サイコミュが兵器だけでなく、もっと日常的にありふれた技術になるとしたら。そのときは、このソースコードを売却できないだろうか。

 

「試験の結果は良好と判断、これよりレコーダーの実運用を開始する」

 

 いや、僕にはそうした商売は向いていないから、うまくいかないだろう。

 

 このレコーダーはあくまで、彼女のために、読みものを作る道具として使用する。

 

「最後に、このレコーダーを、サイコ・レコーダーと命名する」

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