作業場を出ると、街にはすでに夜が訪れていた。
向かうのは、ネオンの明滅がまぶしい方へ。すぐとなりを、かばんを抱えたユイが小走りでついてくる。
僕らはやはり、ふたりでひとつだ。いっしょにいるのが、しっくりとくる。
「ユイはモビルスーツに乗せない、いいね。船を借りられなかったら、バーで待っていること」
こくりとうなずくユイのしぐさは、年相応の子どものそれだ。まだ目元は赤いものの、瞳には強い意志が見える。
「乗らなくてもいいから、いっしょにいて。ロータスみたいに、いなくなったら嫌だ」
「……名前で呼んでたのか、ちゃんと」
ユイとミス・ロザーミック、ふたりの関係がふとした言葉に浮きあがる。
この目でそのやりとりを見られなかったのが、いまはとても残念だ。
「……知らない」
ふいとそっぽを向いて、ユイは駆け足を速める。手を引かれるかたちになりながら、ただ前へと向かった。
僕らとあのひとが、初めて出会った場所へ。いつもと変わらない、マスターのバーへ。
こうして近づくだけで感じとれるほど、あそこにはいまもまだ、悲しみの感情がうずまいている。
けれど、避けるわけにはいかない。僕の力になれるようなひとなんて、ここのほかには見つからないのだから。
ドアベルの澄んだ音色は、いまになってみれば歌声のようにも感じられる。
扉をくぐった僕たちへ最初に向けられたのは、ミス・ロザーミックを喪ったひとたちの無気力な視線だ。
そのほかの男たちは、ものめずらしそうにしていたり、興味を示さなかったり、片手をあげたりとさまざまな反応をみせる。
「……おや。今日はこれで二度目ですかな、めずらしいこともあるものです」
最後に、マスターがいつものカウンター席へ、グラスをふたつ置いてくれた。返事をするよりも早く、ユイがスツールに腰かける。
「今日は……仕事の話で、きました。マスター、すみませんが、騒がしくします」
言葉を探して、単語をつなげる。思えば、他人との会話をきちんと考えたことなどなかった。
どうすれば、正しく伝わるのか。どうすれば、聞き入れやすいのか。それを怠ったらどうなるか、僕はもう理解している。
「皆様に、ご迷惑がかからなければ」
マスターはうなずき、店に入ったときと同じようにグラスをみがき始める。いまの流れで、何人かの目が僕の方へと向いた。
そのうちのひとりが、ショットグラスの中身をあおる。硬質な、それでいて小気味いい音を立ててグラスの底が天板を打った。
「それで、どんな仕事だい? 金払いによっちゃ、聞いてもいいぜ」
「モビルスーツを積んで、地球まで船を飛ばしてほしい。降下はしない、どんなに近づいても重力圏の手前まででいい」
男たちの声で、店内がざわつく。
「友人ふたりが、ばかをやろうとしてる。準備も兵力もなしに壊れかけのコムサイで大気圏突入して、ついでに連邦の基地を襲撃するつもりだ」
「それを、止めたいってのか。やらせておけばいいだろ、連邦に死人が出るなら大歓迎だぜ、俺たちは」
「僕は、止めたい。ここで行かせると、あのふたりは確実に死ぬ、それは嫌だ。……現金の手持ちは、これだけだ。だから、割のいい仕事ではないと思う」
作業場から持ち出した現金を見せると、当然のように反応が悪くなる。
対価に
僕にできることは、あのときニッコがそうしたように、懇願するだけだ。虫のいい話とわかった上で、誰かの助けを求めるしかない。
ひどく不恰好だけれど、それがいまの僕にできる、いちばん正しいやり方だ。
これは、僕のわがままでしかない。きっと、エゴというものだ。それに他人をつきあわせるなら、せめて
「現金で足りなければ、兵力を出す。パイロットでも歩兵でも、僕が対価に
振り返ったユイに、ぐいと袖を引かれる。嫌だと首を振る彼女の頭を、一度だけなでた。
「だから、というのも変な気がするけれど……誰か、僕を助けてほしい」
反応は、ない。
男たちは互いの顔を
「今日中でないと、まずいのか?」
「そうだね、向こうはもう出発している。こっちも、できるだけ早く出たい」
ひとりが手を挙げ、僕の返答にまた難しい顔をする。誰かがタバコに火をつけて、けむりを深々と吸いこんでいる。マスターが、グラスにウイスキーを注いだ。
秒針の動く音が絶え間なく聞こえて、時間が過ぎていくことを思い知らされる。傷口の出血が止まらないような、形容しがたい不快感があった。
「不足分は、兵士として働けるか」
不意に、聞き覚えのある声が問う。
スツールに背をあずけて、大柄な男が体ごと向きなおった。濃いあごひげが、咥えタバコの火でこげてしまいそうだ。
「キャプテン」
横から声をかけた部下らしい男を、彼は片手で制した。タバコの先端が、ぢりと音を立てて赤みを増す。
「働ける。ひとを殺すための技術はいくらでも叩きこまれたし、実際に何人も殺した。いまさら、汚れ仕事は嫌だなんて言うつもりはない」
「額面上なら、それはそうだろう。ただな……別に、責務だなんだって話はせんが。ただ、おまえ、脱走兵だろう。一度は国を捨てたやつの『働く』という言葉を、信頼していいのか。おれは、それが知りたい」
キャプテンは、難しいことを言う。
「おまえが、約束を反故にして姿を消すんじゃないか。そうなればおれたちは、はした金しか手に入らん。いや、へたをすると道中でいざこざに巻きこまれて死ぬかもしれん。おまえが、本当のことを言っているとも限らんしな」
けれど、その言葉も理解はできる。それに、彼の目的もぼんやりと理解できている。
「その子は、おまえの大事なものだろう。おれにはわかる、おまえのたったひとつの宝石だろう。その子がいるのに、わざわざこんなことをして、そこまで助けたい相手なのか?」
僕が信じるに値する人間か、恐らくキャプテンはそれを見極めている。僕を信じてもいいものか、それを試そうとしている。確信もなにもないけれど、あれは、そういう目だ。
じょうずなうそや調子のいい言葉では、意味がない。ひとに信じてもらうには、どうしたらいいのか。たぶん、それも、わかっている。
「あいつらは、まだ、子どもなんだ」
ひとがひとを信じるのは、難しい。相互理解なんて言葉があるけれど、僕には、
「僕より弱くてへたくそなあいつらが、助けてもらえずに、気づかれずに死のうとしてる。自分たちが、ばかをやってるって気づいてすらいない」
ただ、わからないからと捨て置いてはいけない。キャプテンが信じられるように、なにかを伝えなくてはいけない。
ミス・ロザーミックは、僕を助けようと手を差し伸べた。あのひとなら、僕でなくても、ニッコやサヴァが相手でもそうした。
そうしたはずだ、あのひとなら。
「それが、僕は嫌だ。あなたたちのような大人からしたら、なにかのために死ぬのは立派なことなのかもしれない。大きな目で見たら、あいつらのやってることは、無駄ではないのかもしれない」
キャプテンは、なにも言わない。黙ったまま、僕の目を見つめている。
「けれど、僕はあいつらを死なせたくない。誰からも愛されないまま、気にかけてもらえないままで死なせるなんて、ゆるせない。僕のわがままで、僕のエゴで、あいつらに手を差し伸べたい」
ああ、そうか、それが僕の、いまの気持ちか。僕の心が、そうしたいと願っているのか。
「ぬるま湯にいるだけでは、大事な宝石も守れない。僕は男だから、強くなりたい。この子にふさわしい、強い男でありたい。だから逃げない、逃げてはいけない。不足分は、あなたの兵士として、最後まで戦うよ」
「そうか、わかった。話してみれば、まあ……やることをやって、終わったからと逃げ出すような顔じゃないな」
キャプテンが、笑った。
灰皿でタバコをもみつぶして、グラスの中身をひと息に飲み干す。彼の豪快な空気は、頼もしさを感じさせた。
「よしいいだろう、おれが仕事を受けてやる。自慢じゃないが、うちは迅速な対応がモットーでな、さあ仕事だ、行くぞ!」
部下を引き連れて、キャプテンが席を立つ。僕とユイも、彼らに続く。
ミス・ロザーミックはいなくなってしまったけれど、あのひとはいまでも、僕の中に残っている。それが、ぼんやりと実感できた。
僕はあのひとに救われた、それを、次につなげたい。あのふたりに手を差し伸べて、引っ張りあげてやりたいんだ。
モビルスーツを積みこんだキャプテンの船は、僕とユイをひさしぶりの
青い星へと向かう道のりは静かなもので、作業に没頭するにはうってつけだ。
「まさか、おれたちがガンダムを運ぶとはな」
整備兵だというキャプテンの部下は、冗談を口にしつつ作業の手伝いを引き受けてくれた。さすがに本職がいると、仕事が早い。
コックピットの感覚は、過去を思い出させる。最後に乗ったのは、いつだったか。
リニアシートに体を任せて、コンソールを叩く。OSの起動ログを確認していると、ユイが開いたままのハッチをのぞきこんだ。
「ジンロウ、ねえ、これを接続してみて」
放られた回路のような物体は、ジャンク品のよせ集めにも見える。接続端子の規格をきちんと確認してあるのは感心した。
コンソールの拡張ソケットに押しこんでやると、かちりとした硬い手応えを感じる。まるで最初からそこにあったように、小さな回路はひっそりと部品のすきまに収まった。
「なにも起こらないけれど」
「ちょっとまって、こっちでも起動する」
かばんをごそごそとかきまぜるように、ユイが古いラップトップを取り出す。いつか渡した予備のサイコ・レコーダーを起動しているのが見えた。
数秒の、沈黙。コンソールに、文字列が表示され始める。
──接続テストだよ、ジンロウ、聞こえてる? あれ、文字なのに聞こえるっていうのも変なのかな?
「……おどろいた。これ、君が作ったのか、ユイ」
「そう、あたしの特製だよ。あたしが考えたりしたことをね、そんな感じで出せるようにしてみたの」
──これなら、いっしょにいられるよ
ユイの声を追いかけるように表示される言葉が愛らしくて、笑ってしまった。彼女はどこか照れた顔で、わざとらしいせき払いをする。
「これだけでなにができるかなんて、わからないけどさ。ほら、こっちから見えたものを伝えられたら、不意打ちとか防げるかもしれないでしょ?」
「ああ、助かるよ。ユイ、君といっしょなら僕はどこにだって行けるし、どこからだって帰ってこられる」
はにかんだ笑みが、愛おしい。
キャプテンの言ったとおり、彼女は僕の、かけがえのない宝石だ。ニッコやサヴァにとっては、お互いがそういうものなのだろうか。
「キャプテンからだ、前方にコムサイを確認した! まだ降下の気配はない、重力圏の手前で留まってる! 全員、格納庫から退避しろ!」
緊張した男の声が、思考をさえぎる。いや、声をスイッチに僕自身が思考を切り替えていた。
そうだ、ここはもう、戦場だ。ばかなふたりを連れ帰る、そのために僕はもう一度、
ユイが不安げな顔をして、ハッチから離れていく。最後に一度だけ手を振って、ヘルメットのバイザーを下ろした。
同時に、ガンダムのハッチが閉ざされる。全天周モニターが、無人になった格納庫を映し出した。すぐに、出撃可否を伝える赤いシグナルが点灯する。
──帰ってきてね、ジンロウ
「……必ず帰るよ、約束する」
コントロールロッドを握ると、なつかしい感じがした。
前に乗っていたやつの、残り香にも似たなにか。それが、僕のまわりに漂っている。
シグナルが、赤から緑へと切り替わる。
最終チェック、クリア。
システム起動が完了すると、コンソールに見慣れない単語が映し出された。
こいつの、名前だ。ゼータっていうのか、おまえは。それなら、ちゃんと呼んでやらなきゃいけないな。
「ジンロウ、ゼータガンダム、行きます!」