機動戦士ガンダム0090 方舟のレガリア   作:しゃくなげ

4 / 12
PR_00900424_N04.log

 九十年 四月 二十四日

 

 ホテルというのは、どこも気取っているから苦手だ。

 

 まわりを見回しても、作業着姿の客は僕しかいない。自分が場違いな存在だと思い知らされるような光景だ。

 

 だから、知った顔が見えたときは、不思議と気が楽になった。

 

「すみません、いいですか」

 

「ああ、おひさしぶりですね」

 

 僕が話しかけたとき、彼女は、ちっともおどろかなかった。僕との接点なんて、たった一度だけ、バーでとなりになっただけだというのに。

 

 このひとは、きっと、他人の顔を覚えるのが得意なのだろう。

 

「観光旅行……って感じでもないですよね、休憩中とかかな?」

 

 シックなデザインのドレスにジャケットを羽織ったその姿は、僕とは違ってこの空間にとてもよくなじんでいる。

 

 にこやかにほほ笑みを浮かべて、柔らかな声で言ってから、ミス・ロザーミックは小首をかしげる。

 

 視線の流れからするに、ようやく僕の姿に意識がいったらしい。最初に相手の顔を見るから、きちんと誰かを覚えられるのか。

 

「ああ、いえ、休憩はまあ、そうなんですが」

 

 どう答えたものか悩んだ。こういうのは、やっぱり慣れない。

 

 そんな僕を見て、ミス・ロザーミックは笑って首をふった。笑んで細くなった青い目は、話さなくてもいいよと言っているようだった。

 

「ここ、やっぱり、高いですか」

 

 僕の質問に、大きな目がまるくなる。沈黙をおいてから、ひそめた声でミス・ロザーミックはつぶやいた。

 

「私なら……まあ、ちょっとしたぜいたく、ぐらいかな」

 

 もともと、毛色が違うとは思っていた。彼女は下層の人間ではない、上層の人間だと。

 

 このアフタヌーンティーというやつは、そんなミス・ロザーミックのちょっとしたぜいたくだと聞いて頭が痛くなった。手持ちの現金は、いくらあるのだろう。

 

「あの、すみません、ちょっといいですか?」

 

 そんな僕をよそに、彼女は店員に呼びかけると、慣れた様子でひと言ふた言を交わしていた。

 

 ややあって、僕の席に置かれていたティースタンドやらなにやらが、店員によって運ばれてくる。

 

「さあ、座ってください。知人だからって伝えました。せっかくのティータイムですし、まずは楽しみましょう。支払いも、私がしますから」

 

 あっという間に彼女のテーブルがひとつ増えて、そこに僕の席ができあがっていた。

 

 うながされるままに腰を下ろすと、真向かいにミス・ロザーミックが優しそうな笑顔を浮かべている。ユイ以外の誰かと向かいあうのは、なんだか、慣れない。

 

「いいんですか、そんなの」

 

「いいんです。お金、大変なんでしょ? ひと休みのはずが高そうなお店だったら、私だってゾッとしますもの」

 

 そう言って、彼女はティーカップを優雅に持ちあげる。こうした場所の空気にふさわしい、きれいなしぐさだ。

 

 なにを言うでもなく、僕らは黙って紅茶をすする。彼女がなにも聞かないから、話をするのは僕からだった。

 

 ネオ・ジオンの所属であったこと、自分とユイのいまの立場、ユイを隠す必要があること、ニッコとの再会については一部だけ、強化人間のことには触れない。

 

 どこまで話していいかの判断は、手探りだ。ちょうど、デブリのすき間を抜けて()ぶときの感覚に似ていた。

 

「なるほど、あなたもあの子も脱走兵。たしかに見つかりたくないですね」

 

 まばらな言葉でも、ミス・ロザーミックは大まかなことを察したらしい。

 

「はい。ただ、このあたりのホテルは予算が苦しいし、下層では治安に心配がある」

 

 だから、僕も順序を追って情報を明け渡す。

 

「うん、安モーテルにあの子ひとりは抵抗がありますね。あなたたちの境遇からして、知りあいとかもなしかぁ……」

 

「八方塞がりってやつですね、最悪、コックピットにでも隠れてもらおうかなと」

 

「モビルスーツの、ジャンク品にですか? それは、かわいそうですよ」

 

 神妙(しんみょう)面持(おもも)ちで考えこむその姿は、僕やユイとは違う大人の姿だ。

 

 得になることなんてないのに、彼女は真剣に悩んでいる。それが嬉しかったから、僕も自分たちのことを話してしまったのかもしれない。

 

 ややおいて、ミス・ロザーミックはカードを一枚取り出すと、その上で高そうなペンを走らせ始める。

 

「これは、ええと」

 

 渡された名刺には、法律関係の仕事らしいことが推察できる事務所名が記載されている。

 

 その下の余白に、いましがた書かれたインクがひっそりと自己主張していた。

 

「プライベートの連絡先です。家の部屋がね、一室だけ空いているの。どうしようもなくなったときに、もしも気が向いたら、連絡してください」

 

 居候(いそうろう)をさせていたから慣れているのだとつけ加えて、ミス・ロザーミックは笑った。

 

 渡された名刺と、彼女の笑顔を交互に見比べる。どうするべきか考えてはみたものの、結局、僕も素直にうなずきを返した。

 

「ミス・ロザーミック、親切にありがとうございます。もしもそうなったら、お願いするかもしれません」

 

「ええ、任せておいてください。それから、ロータスでいいですよ。他人行儀のままだと、いざってときに壁ができちゃいますから」

 

 彼女の名前は、たしか、花の名前だ。

 

 実際に花のようなひとだから、とても似合(にあ)っていると感じる。

 

「僕は……ああ、それなら、ジュウロウで」

 

 ふと、思いついて名乗ってみた。

 

 ニッコだけがそうなのか、そうでないのか。それを知りたくて、それが気になって。

 

「ジュロー? あの子の呼び方と、ちょっと違うのかしら」

 

 大きな目をまたたかせて、ミス・ロザーミックが半ば予想していた発音で僕を呼ぶ。

 

 オーガスタ研でも、こんな感じで呼ばれた気がする。ティターンズでは、どうだったろう。

 

「……いえ、ジンロウです」

 

 ニッコと同じその発音は、やはりというか、どうにも好きになれないものだった。

 

 

 

 九十年 四月 二十六日

 

「今日は、おひとりですか」

 

 この日のランチタイムは、いつもの店内よりも、なんとなく客数が多いように感じた。

 

 僕の定位置になりつつあるカウンター席に座ると、マスターが静かな声で問いかけてくる。

 

「ええ、はい。これからしばらくは、ひとりになりそうです」

 

「ご多忙だとお聞きしました。商売繁盛を喜ぶべきか、悩みものですな」

 

 いつもの世間話にあいまいな返事をしてから、ランチプレートが出てくるのを待つ。

 

 退屈しのぎに店内の人間を見まわすと、知らない顔がいくつもあった。ただ、彼らにしみついている空気というか雰囲気は、やはりジオンの軍人だ。

 

 彼らがニッコの仲間でないかどうか。それだけは、気にかけないとならない。だからといって、警戒していると気づかれるのもうまくない。

 

 ポケットの中に押しこんである、タバコの箱を指先でつまみあげる。つぶれかけた紙箱の中から、よれた一本を咥えて引き抜いた。

 

 結局のところ、無言でじっとしているよりも、なにかしているくらいが周囲に溶けこみやすいものだ。そういう意味では、タバコというのも便利な小道具だと思う。

 

「……しまった」

 

 ポケットの中に、ライターが見つからない。

 

 手すさびに吸うようになって、最近では慣れてきたと思っていたら、この、これだ。

 

 仕方なしにマッチを借りようとしたところで、となりの席の男が声をかけてきた。

 

「いるかい」

 

 見れば、彼もいましがた火をつけたばかりらしい。火を消さないままのライターを、僕の方へ差し出していた。

 

 大柄な体にふさわしい太腕の先で、炎がちらちらと揺れている。年季を感じさせる、使いこんだオイルライターだ。

 

「どうも」

 

 断る理由もないから、素直に好意を受けてみる。紙巻きの先端に紅色が(とも)ると、男は慣れた手つきで金属製のふたを閉じた。

 

「いい店だな、常連かい」

 

 煙をゆっくりと吐き出しながら、男は僕に問いかける。喋るたびに、濃いあごひげが咥えたタバコの火で焦げてしまいそうだった。

 

「そうだね、ランチはいつもここだ。そっちは、スウィートウォーターに行くのかい」

 

 僕の問いにおどろいたらしく、男は鋭い目を何度かまたたかせる。

 

 その反応を信じていいか、自問自答をしながらタバコの煙を飲みこんだ。ねばつくような空気が、のどの奥を通っていく。

 

 こいつは、ニッコの仲間か、別ものか。わざわざ話しかけてきた理由は、なにか。

 

「ああ、そうさ。そういうのを、何人も見てきたって顔だな」

 

 そうだねとだけ返して、肺の中から煙を追い出す。むせるような反応は、もうすっかり出なくなった。

 

 そうこうしていると、マスターがランチプレートを運んでくる。カウンターの上に、湯気を立てるハンバーグステーキが並べられていく。

 

 ユイはいまごろ、なにを食べているのだろう。彼女の好きなメニューを前にすると、ふと、そんなことを思ってしまう。

 

 灰皿でタバコの火をもみつぶしながら、一度だけ、となりの男に視線を向ける。

 

 同時に火をつけたはずだのにもう吸い終えたらしく、彼はちょうど、肉汁のあふれるハンバーグをうまそうに食べ始めたところだった。

 

 

 

 九十年 五月 一日

 

 早朝、ニッコがやってきた。あいかわらずというか、そわそわとしていて落ち着かないやつだ。

 

 今回の搬入物は、モビルスーツが一機と内部パーツが数点。以前の言いつけを守ったのか、運搬用のスタッフは作業を終えるとすぐに帰っていった。

 

「こ、こ、これが、あの、あ、あの、依頼する、ジュローにお願いする、あの、し、仕事のね、な、な、内容だよ」

 

 ニッコから手渡されたファイルに目を通す。殴り書きの汚い文字で、注釈がいくつか記されていた。

 

「パーツの方は、大容量のコンデンサがあれば良さそうだね。メガ粒子砲かい、これ」

 

「う、うんっ、あの、うんっ。あ、あ、あれだよ、あの、ゲーマルク。あれの、ね、ど、どこかがね、あの、おかしいんだって」

 

 ずいぶんと、ひさしぶりに聞いた名前だ。誰が乗っていたか、僕はそれさえ忘れてしまっている。

 

 なんとなしにニッコを見ると、彼は顔を赤らめながら何度もうなずいていた。

 

 要求されている容量を確認し、作業手順を記憶する。ものさえあれば、苦労はせずに終わりそうだ。

 

「それで、こっちが……」

 

 指先で、ページをめくる。

 

 そこに記された名前に、思わず視線が釘づけになった。

 

「……ガンダム」

 

 冗談のような表記が、そこにある。

 

 その名がほんものかどうかを知りたくて、クレーンの操作パネルを叩いた。モビルスーツの覆布(おいふ)を、がたついたウインチが巻きあげていく。

 

 それは、まぎれもないガンダムだった。グリプス戦役で見た、エゥーゴの新型だ。

 

「すごいな、ほんものだ」

 

「あ、あ、うん、そう、そうなんだ。あの、その、アクシズにね、あの、残っていて、あの、それでね」

 

 なるほど、鹵獲(ろかく)したのか。

 

 ニッコの言葉を聞きながら、冷たい装甲板に手を伸ばす。いくつかの傷こそあるものの、状態は良好だ。

 

「大きな損傷はなさそうだね。こいつ、武装は全部あるのかい」

 

「え、あ、あの、あの、ない、みたい。あの、ええと、あの、ライフルと、あの、サーベル、サーベルは、あったって聞いた、よ」

 

「ああ、どっちも搬入物のリストにあるね、シールドも無事か。武器関係は、共通部品の交換だけでよさそうだ。機体の方は、厄介そうだけれど……よし、コンソールは接続できた」

 

 ディスプレイを流れていくログは、OSの再起動によるシステムレポートの類だ。それは、このガンダムがいまもまだ生きていることを示している。

 

「こいつは、こっちでエラーレポートを確認して修理しろってことか。こんな素人同然のジャンク屋で、どうにかできるとも思えないのに」

 

「あ、あー、あの、あの、みんな、あの、レ、レ……、レ、レ、レウ……、レウルーラ、に、物資を取られちゃって、その、あの」

 

 ニッコの言葉でそれなりに事情は察せるけれど、とうとつに聞き覚えのない名前を出されても困る。

 

 抗議の意をこめてにらみつけてやると、ニッコは慌てふためいて自分の髪をぐいぐいと引き始める。

 

「ご、ご、ごめん、ごめんね、あの、あの、レウルーラは、新型の、あの、戦艦なんだよ」

 

 そんなニッコの姿は、なんだか僕の目には痛々しいものに映った。なんというか、いじめすぎたかもしれない。

 

「そうかい。しかしニッコ、君のいる部隊はお金とか人手があるんだな。……いまの、深い意味なんかないから、そう困った顔をするなよ」

 

 これだから、こいつの相手は難しい。

 

 泣き出しそうに目をうるませたニッコをなだめて、ガンダムに覆布(おいふ)をかけなおす。ウインチの音は、やっぱりがたついている。

 

「じ、ジュロー、あの、君、あの、すごく、変わった、なんだか、あの、優しくなった、ね」

 

「そんなことはないよ。だいたい、君とは話なんてしなかったじゃないか。なんで変わったなんてわかるのさ」

 

 この空気が気まずいようで、ニッコが話題を変えようとしているのは、僕でもわかる。

 

 そんなことをするなら、もっと効率的なやり方があるというのに。どうして、こいつはこうなのだろう。

 

「さて。それじゃ、僕はそろそろ仕事を始めるよ。あとは、さっきのアドレスにメールで進捗を送る」

 

 わざとらしくても、工具箱を持ちあげる。

 

 さすがのニッコも、ここまですれば理解できたらしい。もごもごとなにかを言いかけつつも、彼は慌てた様子で、手を振りながら帰って行った。

 

 

 

 九十年 五月 三日

 

 早朝。作業を始める五分前は、僕にとって大切な時間になった。

 

 秒針が真上を指すと同時に、非通知での着信を示すアイコンが電話機に表示される。

 

「もしもし」

 

「おはよう。今日はね、パンケーキ」

 

「牛乳も飲むといい、背が伸びるそうだよ」

 

 スピーカーから聞こえる声は、ユイのそれにとてもよく似ていて、なにか、どこか違う。

 

 それが電話というものの根本的な仕組みだと知ってから、違和感は克服できた。

 

 個人的には、そんなことが気になる聴覚なんてそもそも必要ないのだけれど、与えられてしまったものは仕方がない。

 

「ねえ、本当にだいじょうぶ? ジンロウ、またモビルスーツに乗ったりしない?」

 

「ああ、僕には戦う理由がない。ガンダムも、ただの修理対象だよ。僕はもう、()ぶことを忘れてしまった」

 

「だと、いいけど。……あいつら、嫌いだよ。ジオンも連邦も、みんな嫌いさ。あたしたちを、離ればなれにさせようとするんだ」

 

「そうならないよう、こっちに顔は出すなよ。外で会っても……」

 

「わかってる、他人のふり。あのおばさんと、ずっといっしょにいるから」

 

 ユイの言いぶりに、ふと思い出す。

 

 ミス・ロザーミックが、呼び方の件で悩んでいたとか、そんな話を聞いた気がする。

 

「ユイ、おばさんは失礼だから、ロータスさんと呼ぶようにしてくれるかい」

 

「嫌。おばさんはおばさんでしょ」

 

 注意を試みたけれど、どうやら、打つ手はなさそうだ。

 

 ミス・ロザーミックには、あとで謝っておこう。

 

「もうそろそろ、時間?」

 

「そうだね。それじゃ、また明日」

 

 そうして、僕たちの会話は終わる。時計を見ると、きっかり五分が経過していた。

 

 さあ、仕事を始めよう。

 

 

 

 九十年 五月 五日

 

 ニッコがなにかと理由をつけては、僕の作業場へやってくるようになった。

 

 監視にしては、どうにもニッコはどんくさい。ただただ僕の作業を見てはおどろいて、そうでなければ楽しそうにしている。

 

 今朝もまた、ニッコはここへ顔を出した。じゃまをしないという言葉のとおり、僕の作業には、手出しどころか口出しもしてこない。

 

 それが、どうにもやりづらいのだ。作業に没頭できるかと思ったけれど、存外にそうでもない。

 

「じ、ジュロー、ジュロー。あの、あの、ね、もしかして、あの、おしまい?」

 

「ああ、たぶん。シミュレータでのテストだけしかやってないけど、ライフルはこれで完成かな」

 

 装填部位のゆがんだパーツを換装してやるだけで、持ちこまれたガンダムのビーム・ライフルは、エネルギーパックを問題なく使用できるようになった。

 

 見よう見まねのメンテナンスだったものの、予想していた工数よりは余裕がある。実射試験ができないのが、僕としては惜しいところだ。

 

「あの、あの、す、すごいね、すごいなあ。ジュロー、あの、パイロットにならなくても、あの、その、メカニックで、あの、生きて、あの、生きていけるね」

 

「まさか、そんなにうまくもいかないよ。ダメなところを、同じかたちの部品と入れ替えてるだけさ」

 

 ニッコはどこまで理解しているのか、あいまいだ。そうなんだとつぶやきはするものの、にこにこと楽しそうに笑ってる。

 

 そんな様子を視界のすみに捉えながら、コンソールのログを画面いっぱいに展開する。ダメージレポートは、全体の三割ほどしか解析されていなかった。

 

「やっぱり、時間がかかりそうだ。こればかりは、仕方ないか。コックピットのハッチは、これかな」

 

 OSに対して、強制解放のコマンドを送信。エアの抜ける音と、フレームの駆動音が小さくこだまする。

 

 エアロックになっているシールドが解放されて、内部機構があらわになる。空気の抜けるような音を立てて、脱出用ポッドがハッチを開いた。

 

 最初に目につくのは、アナハイム製の全天周モニターだ。それから、規格通りのリニアシートにコントロールロッド、このあたりはジオンも連邦も変わらない。

 

 球体状のポッド内部へ、あかりの消えた暗いコックピットへ、体をすべりこませる。まだ起動すらしていないのに、なぜか、鼓動のような錯覚を感じた。

 

「ジュロー、ねえ、じ、ジュロー。あの、あの、が、が、ガンダム、動く、の?」

 

「どうだろうね、メインシステムは正常だから試してみようか。ニッコ、そいつで起動コマンドを打ってくれるか」

 

「あ、あ、あの、うん、わか、わかった」

 

 ニッコの返事からほどなくして、周囲のモニターがシステムログを表示し始める。ほぼ同時に、独特の起動音が作業場にひびいた。

 

 機械的なのにどこか重たく、腹の奥にずんと衝撃が走るようにさえ感じる。

 

 それに続くのは、目が光ったと騒ぎ立てるニッコの声だ。大したことでもないし、彼を無視してリニアシートに体を預けてみる。

 

 視線が自然と向いた先では、いくつかのエラーレポートがモニターに表示され、機体の破損状況をていねいに伝えてくる。これなら、修復作業も楽になりそうだ。

 

 ゆっくりと一度だけ、深呼吸をする。匂いも味も感じない体ではあるけれど、なぜか、はっきりと誰かの残り香を感じた。

 

 もう、ここには誰も残っていない。

 

 ただ、目を閉じて意識を研ぎ澄ませると、かすかに残ったなにかがある。

 

「……また混乱してるのか、ばかばかしい。ニッコ、僕はそろそろ昼食にする。おまえもなにか食べるなら、連れて行ってやる」

 

 そんな、目に見えないものに手を伸ばしかけて、あまりの無意味さにため息がもれた。不快感をまぎらわせようと、ニッコを呼んでやる。

 

 どんくさいやつだけれど、ひとりでここにいるよりは、ずっとましだろう。

 

 

 

 九十年 五月 九日

 

 家の中が静かになって、気づけば二週間が経過していた。作業を開始してからなら、八日間か。

 

 仕事は順調だけれど、生活の面では違和感がぬぐえない。僕のことだから、すぐに慣れてしまうと思っていたのに。

 

「君は本当に、僕の深いところにいるんだな。自分がこんなになるだなんて、思ってもいなかった」

 

 ユイは、このログを読み返すだろう。僕と会えない間の、全てのログを読み返すのかもしれない。

 

 だから、なのか。なんとなく、言いづらいこと、言えないようなこと、そういうものをログに残しておく。

 

 これを君が読むとき、僕はたぶん、君のとなりにいないはずだ。それどころか、このことを忘れているかもしれない。

 

 だから、まあ、あまりからかわないでくれると助かる。

 

「僕はずいぶんと、不安定になった。弱くなったのかな、やっぱり」

 

 こういう、自分が弱いと自覚している面を他人に見せるのは、初めてだ。僕はあまり、そういうのが好きではない。

 

 このログを君が読んだそのとき、君が、いったいどんな顔をするのか。僕には、想像もつかない。

 

 ただ、嫌な顔をされないか、それだけが気にかかる。

 

「君がいなくても、行動に支障はない。けれど、精神面での変調がある。なんとなく、この状態がどうなのか、わかってはいる。ただ、それはログに残しておきたくない。だから、帰ってきたときに、君に話そう」

 

 正直、まいった。

 

 モビルスーツに乗れなかったときもいらだちはしたけれど、それとはまるで違っている。なんというか、勝手が違う。

 

「……ダメだ、まとまらないな。やっぱり、思考にも影響が出てるみたいだ。読みづらくてすまない」

 

 頭を切り替えよう。やはり、こういうのは、僕はうまくない。作業報告の方が、きっと、似合(にあ)ってる。

 

 ゲーマルクのパーツは、おおむね良好だ。コンデンサがダメになっていたから全部入れ替えることになったけれど、明日には終わるだろう。

 

 ガンダムは、ダメージレポートの解析が完了した。これから、破損部位の状態を調べて、必要に応じてパーツの発掘と交換をする。

 

 こっちは、まだ、しばらく時間がかかるだろう。だから、君に会うには、障害がたくさんあるわけだ。

 

 今日だけでなくて、毎日思っていることだけれどさ。僕は、作業を一日でも早く終わらせて、君をむかえに行くつもりだ。

 

 さて、ほかにはなにがあったか。サイコ・レコーダーに頼りすぎて、日記の書き方を忘れてしまっているのかもしれない。

 

 ああ、そうだ、バーで仕事をしているところ、見たよ。セラーの整理だって聞いた、がんばってるのがわかったよ。

 

 声をかけられないのが、とても、残念だった。いまの仕事が終わって、ニッコたちが月を離れたら、そのときはきっと話しかけるよ。

 

「こんなログ、役にもたたないのに、どうして残すんだろう。それを考えて、思ったことがある。僕は、きっと君に、僕のことを知ってほしいんだと思う」

 

 どんなふうに思っているのか、どんなことを思っているのか。

 

 君が、僕の日記を読んだ理由が、もしも僕のそれと同じような理由なら。それは、とても嬉しいことだと、こうやって考えてみてわかった。

 

 さて、明日も仕事だ。

 

 ニッコのやつはあいかわらず、作業場をのぞきにやってくる。あいつは仕事ができるやつじゃないから、見張りの役目がせいぜいだろう。

 

 注意しないといけないのは、兄のサヴァと、指揮官であろう中佐だ。あとは、部隊の兵士がどのくらい街にまぎれているのか、それも気をつけないといけない。

 

 月に潜伏しているジオンのやつらが、ニッコの部隊だけではないから厄介だ。以前にバーで会った男も、部下らしい男からキャプテンと呼ばれていた。

 

 スウィートウォーターのうわさ話のせいで、そういうやつらが、本当に多い。どうか、君には何事もないことを祈っている。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。