九十年 五月 十二日
ニッコの顔は、いつだって笑っている。
一見すると子供のように楽しそうだけれど、その一方で、視線はまるで落ち着かない。
彼はいつも、僕を、周囲を、何度だって視線で追いかけている。目を回してしまいそうなほど、あちらこちらを見てばかりだ。
「ニッコ、じゃまだよ。もっと奥の方に行ってくれないか」
「あ、あ、あ、ご、ごめ、ごめんね、ジュロー。じゃまするつもりは、あの、なくって、ごめんね」
ジャンクパーツの山をながめていたニッコは、慌てているくせにもたもたと、周囲のものにぶつからないようおっかなびっくりで作業場のすみへとひっこんでいく。
僕の気分を損ねないように、なのか。ニッコの様子はいつだって弱々しくて、媚びているように感じてしまう。
そんな姿を目の当たりにすると、笑顔に見える彼の表情も、別のものに見えてくる。
あの笑顔も、他人に尻尾を振るために、ニッコが自然と身につけたものなのかもしれない。
そう考えると、なんだか、
「……もういい、そんなにちぢこまるな。叩きやしないんだ、おびえた顔をするなよ、ニッコ」
僕もこいつも、同じ強化人間に変わりはない。超人とやらを造り出すか、ニュータイプを造り出すかの差があるだけだ。
そういう、似たもの同士が惹かれあうことを、僕は知っている。
だからというわけではないけれど、あまり突き放すのもどうなのだろうと、そんなふうに考えてしまっていた。
「あの、あの、でも、じゃまになるから、あの……」
「だから、いい、悪かったよ。作業が詰まってやつあたりしたんだ、悪かった」
ため息が、自然と口をついた。
こいつの、こういうところは、苦手だ。どう接したらいいのか、わからない。
コンソールに表示されているログを確認して、一度、機体の電源を落とす。発熱が収まって、暖まった空気が冷えていくのを感じた。
ニッコはまだ、すみの方でまごついている。いいからこいと手まねきをすると、ようやくおずおずと歩みよってきた。
「悪かったと思っているから、おごってやる。まさか、栄養剤だけの生活かい」
僕の問いかけに、ニッコはぶんぶんと首をふって応える。言葉を探してもごもごと口を動かしているけれど、それを待つ気はなかった。
「近くのストアで、軽食が売ってたはずだ。こないならおいていくからな、早くしろよ」
僕自身、自分の心境の変化がわからない。
仮に、
思えば、ユイのときもそうだった。ひとと関わると、僕はどこかしらで不具合が生じる。
ひとりが気楽でいいという言葉は、こういう感覚に由来するものなんだろうか。
本当に、やりづらい。
九十年 五月 十四日
「ジュロー、あの、ジュロー、もうすぐ、あの、お昼になるよ、ジュロー」
「ああ、そうかい。わかった、わかったよ」
ニッコの呼びかけに応えながら、最後の接続部にゆるみがないかを確認する。
コンソールから動作確認用のコマンドを叩くと、五本の指がゆっくりと握りこぶしになっていき、またゆっくりと開いていった。
あとは、画面上のログを確認するだけだ。動作に問題は、ないらしい。
「よし、これで左手が一段落かな。ところでニッコ、あまり急かすなよ。僕は、作業をきっちり終わらせたいんだ」
毎日のように、ニッコは作業場へやってくる。
最初のうちはじゃまだったり、それこそ目ざわりだったりしたけれど、それもいつの間にか慣れてしまった。
こうなると、会話をしないのも妙な空気になってくる。これがいわゆる、間がもたないというやつなのかもしれない。
とにかく、そういう理由で、僕とニッコの会話は増えていった。相手の状況を探るという名目があれば、面目が立つだろうか。
「それにしても、おまえ、ずっとびくびくしているね。アクシズのころから、そんなだったっけ」
作業場からストアへ向かう途中で、なにとはなしに聞いてみる。
困ったような表情と、周囲のあちこちへ向けられる視線と。ニッコの反応は、やはりそれから始まる。
「あの、あの、あんまり、あの、ぶ、部隊でね、ぼ、ぼ、僕、あの、だ、ダメなんだよ。さ、さ、最近ね、あの、うまく、あの、は、話せないんだ」
言葉を口から出すのがうまくいかないのか、彼は同じ音をしきりにくり返す。
何度も引っかかりながらニッコが伝えた言葉は、声のトーンが落ちたこともあって、どこかさびしげな印象があった。
「前から、そうだったっけ。歳の近い連中にいじめられて、サヴァに助けられていた記憶はあるけれど」
「あ、あの、あー、あの、そ、そうだね、兄さんが、あの、助けてくれてた、ね。いまもね、あの、いまも、そうだよ、うん、そうなんだ」
あいかわらず、というやつか。
ニッコのやつはアクシズを出ても、なにかしら、同じ部隊のやつにいじめられているのだろう。
「ふうん、だからこうして、僕の見張りか」
「え、あ、あの、見張り、なんて、あの」
「いいよ、別に気にしてない。それよりおまえ、殴られたりしてないかい」
ぱっと見たところ、目立つところに外傷はなさそうだ。居場所がないくらいですんでいるなら、それでいいのかもしれない。
それきり僕らの会話はとだえて、いつものストアに到着する。
ニッコのやつはあいかわらず、僕の背中をびくびくしながらついてくるだけだった。
九十年 五月 十六日
昼食を終えて、ひまな時間ができた。
いまのところ、作業の進捗は悪くない。想定以上ではないけれど、想定どおりにはものごとが進んでいる。
だからというのも妙な話だけれど、今日のこの時間は、退屈しのぎと情報収集にあてがうことにした。
具体的には、ニッコとのコミュニケーションだ。
「あの、あ、あの、こ、こういうの、あの、その、ひさしぶり、だよね」
ナイフ代わりのレンチを握りつつ、ニッコはうわめに僕の様子を伺っている。手のひらが汗で濡れているようで、何度も取り落としかけていた。
「たしかに、僕は相手もいなかったからね。おまえは、まあ、へたくそだったからやってないよな」
こめかみへ振り下ろされる一撃を受けつつ、一気に踏みこんで間を詰める。こぶしを軽く触れさせて、攻守交代。
「う、うー……あの、だって、あの、練習、できなかった、から、だよ」
腹部をねらって、
ニッコは教本どおり、腕を叩きながらこちらの背後にまわりこむ。
「おまえの部隊は、やってないのかい。ほかの兵士だってやってるだろ」
モビルスーツでの戦闘が花形となったせいか、それとも訓練の余裕がないのか。僕の知るネオ・ジオンの徒手格闘は、最低限の訓練内容だった。
それでも、この動きはどんな兵士であっても必ず教えこまれる。だから、ふたりで体を動かすには、これも悪くないものだと思う。
ニッコはばか正直に正面から、得物を
振り上げた時点で手首と肘を、つかんでひねって、武器をうばう。攻守交代。
「あ、あ、あの、あの、だって、それは、あの」
「わかってるよ、おまえ、相手してもらってないんだろ。意地悪を言いたかったわけじゃない、ほら、次」
踏みこみ、胸を押して姿勢を崩す。虚をつかれたような顔で慌てたニッコの腹に、ぐいとレンチを押し当てた。
こいつは、こうした不測の事態に弱い。動きが止まってしまう、くせのようなものがある。
「あ、あー……ずる、あの、ジュロー、ずるいよ、それは」
「いいだろ、どうせただの遊びなんだから」
ぶつぶつと声にならない声で、ニッコは不満をこぼしてむすくれている。笑うか泣くかしか見ていないから、こんな表情をするなんて意外だった。
「だいたい、この手の不意打ちなんてみんなやってるだろ。アクシズでもそうだったと思うけど」
「う、うー……だって、や、や、やらない、あの、やってない、僕、あの、あの、兄さんしか、あの、いないし……」
そこまで言って、ニッコはまた困ったような顔になった。こんな様子だと、部隊の中でも孤立しているのかもしれない。
アクシズの中でも、ニッコ兄弟は親子のようだと笑われていた記憶がある。
その笑いは、いつであっても弟のチャ゠トゥーラをばかにするものばかりで、兄のサヴァ゠トゥーラがそいつらに仕返しをするのがお決まりの展開だ。
そういうことを何度も経験したせいか、弟はいつだって、兄のうしろを必死についてまわってばかりだった。
「あいかわらず、サヴァにべったりなんだな。中佐ってのは、いいやつなんだっけ」
「う、うん、あの、あの、中佐は、ぼ、僕たちを、あの、僕と兄さんを、その、た、た、助けてくれたんだ」
ふうんと、気のない声で返事をしておく。訓練遊びは、ここまでだろう。
使わなくなったレンチを工具入れに放ると、がしゃんと大きな音がひびいた。視界のかたすみで、ニッコの肩がびくりと跳ねる。
ニッコは、よくわからない手ぶりをしながら、あーうーと言葉探しに必死になっている。指の先を触れさせ離して、実にせわしない。
「みんなって、月にいるのかい。みんなは、船でどんなことをしてるのさ。おまえはさ、みんなといつもどんな話をしてるんだい、ニッコ」
「あ、あ、あ、あの、み、み、み、みんな、あの」
僕の問いかけに、ろこつに目を泳がせて、ニッコは口ごもりながら頭を掻き始める。がりがり、がりがりと音を立てて、まるで皮膚を削っているようだ。
「あ、あ、あの、あの、み、み、みんな、あの、その、……あの、……あ、あ、み、み、あ、あーっ! あー!」
何度もくり返すニッコのさけび声が、作業場にひびく。あまりに予想外の反応で、対処の手段が思い当たらない。
あー、あー、あー。意味を持たないその声は、ひどくおびえているようで、泣きじゃくっている声にも聞こえた。
サヴァに口止めされているから、なのか。ニッコは、みんなのことを聞かれる状況を恐れている。これではまるで、発作のようだ。
ぼろぼろと、大粒の涙がニッコの目から流れて落ちる。歯を噛み鳴らしては指をでたらめに動かして、もう、ニッコはなにも見ていない。
うーうーとサイレンのようにうなりながら、その場をぐるぐるとまわり続けるだけだ。そんな姿が、どこか、とてもあわれなものに見えてしまう。
なにか、触れられたくないことがあるのは明白だ。だからといって、このまま聞き出そうとしたなら、ニッコが壊れてしまうだろう。
「……いいさ、いいよ。悪かった、ニッコ。もう、これ以上は聞かないさ」
しゃがみこんで泣き出すニッコには、もう、なにもしてやれない。僕の声も、届いているわけではない。
結局、この日はまるで仕事にならなかった。ニッコが泣きやんだころには、もう、夜が訪れたあとだったから。
ごめんねとつぶやいて、ニッコは夜道を帰っていった。ひどくさびしげな彼の背中が、僕にはとても、とても小さいものに感じられた。
九十年 五月 十八日
いつものバーに足を運ぶと、なじみの客ではない連中の中に、見覚えのある顔を見つけた。
たしか、ガンダムを運搬してきたスタッフの誰かだったはずだ。こめかみとほほにある傷跡は、もの覚えが悪い僕でもはっきりと記憶している。
今日の客数は、さほど多くない。だから余計に、常連以外の存在は目立つ。
定位置のカウンター席に腰をおろして、いつものようにランチプレートを注文する。彼らとの間隔は、席ひとつだけだ。
「ご多忙のようですね、お元気そうでなによりです」
「ええ、やることが多くて大変です。お金のためだから、仕方ないけれど」
マスターのあいさつは、いつもと変わらない。ミス・ロザーミックが連絡してくれたのか、ユイの話題についてはなにも言われなかった。
てきとうに世間話をしながら、意識を向こう側に、運び屋らしい連中の方へとかたむける。
なにを運んだ、どこの支払いはよかった、ここは誰それの縄張りだ、そんなささいな情報交換が着々となされていく。
男たちの中では新顔らしい傷顔の男も、その輪に入っては談笑している。
ジャンク屋にモビルスーツを運んだという話は、僕のところへきたときのそれだろう。ニッコの支払いは、彼にとってはいまひとつだったようだ。
「ひどいところは多いがね、やっぱり最近は増えたさ。あくせく働くのがばかみたいだ」
「おれのときは、支払いを二ヶ月も待たされたことがあったぜ」
「払いも悪けりゃ人手もまるでないってのが、きついよ。ガキの仕事なんてろくなもんじゃない、荷物の積みこみだって俺ひとりだったんだぜ」
「大人もガキも、変わりゃしないさ。月なんて、そんなもんだ」
会話の中から単語を拾うのは、思っていたよりも簡単だった。
けれど、なんだかつじつまがあわない。なにか、僕の頭の中で歯車が噛みあっていないような、妙な不快感があった。
話しかけるべきか、話しかけるべきではないのか。その答えが出るよりも、マスターがランチプレートを運んでくるのが先だった。
「どうぞ、ごゆっくり」
「どうも」
言葉を交わしている間に、向こうの席も会話を切りあげて食事を始めてしまっていた。これでは、話しかけるのも不自然だろう。
ドアベルが鳴って、数人が背後の扉をくぐる気配がする。振り返ると、いつぞや僕に火を貸したあごひげの大男が、マスターに右手を振っていた。
にぎやかになり始めた店内で、ランチプレートをつつく。味はやはり、わからない。
今日は、本当に、うまくいかない一日だ。
このところ、そういう一日が増えたような気がする。