九十年 五月 二十日
ガンダムの修理は、順調に進んでいる。ただ、開始直後とくらべると、さすがにペースは落ちてきた。
「変型機構が無事で、本当によかった。ここがいかれてたら終了してたな」
そう、ガンダムの整備はとても難解だった。表面的な部分ならまだしも、中核に近づくほど複雑で劣悪な整備性が顔を出す。
予想していたよりも内部フレームの強度が高く、ただ単純に
そんな極上の状態でガンダムが搬入されたのは、なにより幸いだった。ものを見ると同時にできないと断るのは、正直、負けた気がして好きではない。
「それにしても……こいつ、ばかみたいなバランス調整だな。高出力で軽量、推力もこんなに必要ないだろうに」
各部の動作チェック結果がコンソールに出力され、僕はその中からパラメータの値をひとつずつ確認していく。
機動戦に特化した機体と呼ぶには、この数値はでたらめすぎる。間違いなく、乗り手を選ぶタイプのモビルスーツだ。
やっぱりこのガンダムは、ほかのモビルスーツとは別ものだ。単なるフラッグシップモデルの高級品というだけじゃない、なにか、特別なものがある。
思考は、あちこちに散らばっていく。頭の回転が、どうにもにぶい。そう思っていた矢先に、チャイムの音が鳴りひびいた。
「お、おはよう、ジュロー! あの、あの、ぼ、ぼ、僕、あの、ここで、た、食べても、あの、いい、かな?」
ほどなくして、ニッコがさわがしく作業場にやってきた。左の手には、いつものストアのビニール袋をさげている。
あいつ、僕の使う店で買いものをするようになったのか。
「あ、あの、あの、あれ、あの……もしか、して、あの、寝てない、の?」
がさごそと音を立ててサンドイッチを引っ張り出しながら、ニッコがそんなことを言う。そのせいで、やっと時計に意識が向いた。
最後に時計を見たのが、たしか二時か、そのくらいだった。そしていまは、そこから短針が盤上を半周ほどした八時すぎだ。
「……頭がにぶいわけだ、徹夜したのか」
脳もそれなりにいじられているらしいけれど、体とくらべればまだまだここは生身のままだ。だから、僕の脳は睡眠というものを必要としている。
思考がにぶってしまうのは、たいていはそれが原因だ。ああ、また、頭が回っていない。
「ね、あの、ね、寝なおした、ほうが、あの、その、いいよ、たぶん」
「だろうね、効率が落ちてるのがわかる。だからって、おまえを好きにさせるわけにもいかないだろ」
作業を中断して、背筋を伸ばす。体のあちこちで、クラック音が聞こえてくる。
ニッコはそんな僕を見て、ぼうぜんとしていた。説明するのもめんどうだけれど、言ってやらないと、こいつは察しが悪いのだった。
「顔だけ洗ってくるから、食べておけよ。眠気さましってやつを、飲みにいこう」
「あ、あっ、いく、うん、あの、いくいく、あの、うん、いくよう、ジュロー!」
ラッピングをでたらめにやぶって、ニッコは野菜のサンドイッチを口いっぱいにほおばり始める。僕は、そんなニッコを作業場に残して身支度だ。
油で汚れた作業着を変えると、それだけでも人間になった気がしてくる。汚れたかっこうのままで出歩くのは、さすがに気が引けた。
「行くぞ、ニッコ。ついてこないなら、おいていくからな」
支度が終わったとき、ニッコはまだもそもそと口を動かしていた。作業場から追い出してやると、ニッコは必死になって僕の背中を追いかけてきた。
「ま、まって、あの、ジュロー、まって」
「またない、作業が山積みなんだ」
目指す先は店からさほど遠くない、大通りのかたすみだ。
コーヒーを出す店は、こんな月の最下層でもそれなりにある。上層には、もっとたくさんあるのだろう。
このそれなりの店の中に、いきつけというほどではないけれど、僕が気に入っている店はある。味や匂いを楽しめる体ではないけれど、店の雰囲気が静かでいい。
静かで落ち着いた場所で、お金を払ってまっくろな液体を飲むという行為が、僕にとっては非日常だ。煮詰まったときは、ときどき、そうして気分転換をしている。
それに、ほかのひとのように、コーヒーは眠気さましになると僕は信じている。だから、いまのようなときには、僕はこの店を訪ねるのだ。
大通りのかたすみにある、古ぼけた雑居ビル。その一階にあるガラス張りの店が、今日の目的地だ。
「あ、あ、あの、あ、あの、ね、ジュロー」
入口の扉を開けようとしたところで、ニッコに呼びかけられる。
めんどうだから、代金ならもってやる。そう言いかけて、言葉が止まった。
ぢりぢりと、うなじに走る感覚がある。それに続くのは、重圧のような圧迫感。扉を開けて、見覚えのある顔が姿を見せた。
銀色の髪と、はしばみ色をした切れ長の瞳。ボロを着ている弟とは正反対の、きっちりとしたスーツ姿の男。こいつもまた、アクシズのころとまるで変わっていない。
「まあ、中に入ろう。ここで騒ぐと、君の方が困るだろう、ナンバーテン」
サヴァ゠トゥーラ・ニッコは、当然のようにそう言った。僕に笑いかけたまま、楽しげに。
それについていくしかなかったのが、ひどく、とても、不愉快だった。
九十年 五月 二十三日
サヴァのやつと顔をあわせて、もう、三日になる。
正直、しくじった。修理にのめりこんで、徹夜なんかするからだ。
「あいつら、ユイには気づいているのか。あとで、ログを読み直すか……」
サイコ・レコーダーが、こんなかたちで役に立つとは思わなかった。会話の端々からでも、なにかしら向こうの情報は探れるはずだ。
顔を見かけたからだと、サヴァのやつは言っていた。どこまで本当か、わかったものではないけれど。
アクシズの強化人間はそれなりにいるけれど、ニッコ兄弟は成功作だったと聞いている。まあ、そういう話を聞くのはいつだって、サヴァのやつからばかりだ。
「今になって顔を出したのはどうしてだ、おまえはどうして、わざわざ僕に顔を見せた」
あいつは優秀で、警戒心が強いやつだった。
エゥーゴとの決戦でも、あのふたりは姿を見せていなかったはずだ。それをいまさら、どうこう聞くつもりはない。
そんなサヴァが、どうして姿を見せたのか。それを考えると、こちらも警戒しなくてはいけない。あいつは、理由があるから顔を出したのだ。
ユイを守るためには、警戒し過ぎるということはない。アクシズでの僕は、警戒を怠ったせいでユイを戦場に立たせてしまっている。
あれは、もう二度とやってはいけない。
だから、あの日のログを読み返す。サヴァの言葉から、なにか、ひとつでも情報を見つけるために。
約束どおり、店には近づかない。ただ、生活圏がこのあたりなのは許してほしい。
コーヒーをすすりながら、サヴァのやつが言ったせりふだ。何度ログを確認しても、あいつの言葉は変わらない。
これは、裏を返せば、これから何度も顔をあわせるという宣言だ。見張っている、そういう意味だと捉えてもいいだろう。
「弟だけじゃ、見張りにならないって思ったのかな。それなら、兵士を送ればいいだろうに」
ささくれのようにじくじくとした不快感が、精神のどこかに入りこんでいる。いらだちのせいか、考えがうまくまとまらない。
「……だめだ、寝よう」
コンソールでシャットダウンを命じると、ガンダムのコックピットからは徐々にあかりが消えていく。
酸欠にならないよう、ハッチは開放したまま。作業場のあかりも消して、暗闇に体を預ける。
久しぶりに長く使ったリニアシートは、なんだかどうにも、寝心地が悪い。規格は、どのモビルスーツも同じはずだのに。
まあ、なんだっていい。そういうことは、すぐに慣れるからどうだっていい。
「あいつ、本当に生きていたんだな。ニッコの妄想だったら、よかったのに」
サヴァのやつとは、アクシズで何度か話をしたし、訓練もやった。あいつには、なんとなく、グレミーに近いなにかを感じる。
だからなのか、サヴァは、僕の好みではない。あいつは、どうにも好きになれないやつのひとりだ。
九十年 五月 二十四日
昼食の時間、雑居ビルの屋上で、サヴァのやつに話しかけられる。
どんくさい弟を引き連れて、やたらと愛想のいい顔で、サヴァはうそくさい言葉を話す。
こいつが言うには、ミネバ・ザビの奪還こそがネオ・ジオン再興の第一歩だそうだ。貴い血を旗印にするだとかなんとか、話の半分以上はどうでもいいことだった。
ふと、グレミーの言葉を思い出す。
ハマーン・カーンの用意した強化人間は、ハマーンやミネバに心酔するように、あらかじめプログラムされているんだったっけ。
もしかすると、こいつもその手の調整をされているのかもしれない。だからといって、うっとうしいことに変わりはないけれど。
「つまり、君も我々の計画に参加しないかと誘っているのさ。ナンバーテン、悪い話じゃ、ないだろう?」
サヴァのやつ、またずいぶんと古い名前で呼ぶものだ。
ニッコは、サヴァのうしろでなにも言わずに立っている。嬉しそうに兄の言葉を聞きながら、サンドイッチをもそもそとほおばっていた。
「ひとを殺すのをやめたわけじゃ、ないんだろう? 君は誰よりも敵を
ニッコからゲル状の栄養食を受け取りつつ、サヴァは目を大きく開いて僕を見つめる。
浮かべているのは、さわやかな笑みではない。にたにたと笑っているような、牙を剥いているような、そんな笑い方だ。
「さあ、どうだろう」
それを横目に、ゆで卵を口に運ぶ。食感は、火が入り過ぎて古びた断熱材のようになっていた。
ニッコに気づかれないよう食事をとる場所を変えてみたけれど、サヴァのやつはすぐに僕を見つけ出した。
毎日ではないものの、あれからサヴァと街中で出会う回数が増えていってるように思う。ぐうぜんなのかそうでないのか、いまはまだ、判断できない。
ただ、毎日が不愉快なのは事実だ。
ニッコは弱虫でどんくさいだけだから、僕がめんどうなだけでいい。実際、これまでもそれほど不愉快ではなかった。
サヴァのやつは、違う。
こいつは、僕を手駒にしようとしているのがわかる。こいつが関心を持っているのはミネバか弟のふたつしない。ほかの人間は、道具にしていいと考えている口だ。
そういうやつに、ユイを会わせたくない。どうしたって、その考えは強くなるばかりだ。
「あのガンダム、ほしいと考えることもあるんじゃないか?」
君がほしいなら、あれを君にあげてもいい。フェンスに背中をあずけていると、そんなことを囁かれた。
サヴァのやつは、僕のことをいまでもまだ、そういう人間だと思っている。戦争を求めて戦場を
以前の僕なら、どう答えたろう。そんな考えと同時に、挑発的な言葉を思いついた。
「僕でなければ扱えないと、正直に言ったらどうだい。君じゃあ難しいだろう、あのガンダムは」
サヴァの愛想笑いが、ほんのわずかに引きつる。痛いところを突いたらしい。
ざまあみろ。
ふと、ニッコがあわてた顔でなにかを言おうとする。それを、サヴァのやつは手で制した。
「いい、おまえはひっこんでろ。……ひどく悔しいがね、そのとおりだ。私は、君とは違って新型だからね。あの手のじゃじゃ馬とは、相性が悪いんだ」
「あの、に、に、兄さん、や、や、やめようよ」
「まあ、おまえじゃ無理だし、弟かな。それとも、アクシズの生き残りか。あんなものを持ち出して、誰を乗せるつもりだったのさ」
サヴァのせりふは、負けず嫌いという性分からのものだろう。なにかにつけて、やり返さないと気がすまないのか。
そして、サヴァのやつが気に入らないから、僕もやたらと噛みついてしまう。
理由はなんとなくわかっている、ニッコだ。このところ、あのどんくさい弟と触れあい過ぎたせいだ。
こいつをガンダムに乗せたくない。そういう考えが、僕の中にたしかに存在している。
「やめて、やめてよ、ね、やめて、兄さん、ジュロー、もう、やめて」
ニッコがめずらしく、いつもよりはっきりと声を出した。
泣き出しそうな目で見あげられるのは、苦手だ。サヴァのやつもそうなのか、僕らは自然と黙りこむ。
「ジュロー、は、兄さん、ジュローは、お願いしたら、ちゃんと、お願いした、ら、乗ってくれる、よ。あの、その、ガンダム、も、直してくれてる、ちゃんと」
ニッコが言いたいことは、理解できているつもりだ。いや、言いたいことだけでなく、そのやり方が正解だということも理解している。
「だから、ね、ジュロー、あの、あの、僕たちとね、あの、いっしょ、に」
ニッコのやつがこうやって頼んだなら、たぶん、僕はガンダムに乗るだろう。
「ダメだ、ニッコ。僕は、乗れない」
もしも、僕の中にユイがいなければ、乗っていたに違いない。
ひとから
「あ、あ、え、あ……あの、あの」
「いまの僕には、ガンダムよりも大事なものがある。だから、あれには乗れない。……ニッコ、そうやって、泣きそうな顔をするなよ」
「……おどろいた、君にそんなものができたのかい? ナンバーテン、君が、ガンダムに乗らないと?」
あざけっているときの調子とは違う声色で、サヴァのやつまで聞いてくる。おまえには、聞かせたくなかったのに。
「もう時間だから、話はここまでだ。とにかく、仕事はこなす。そこはきっちりやるから、心配するな」
それだけ言って、僕はいごこちの悪い空間を逃げるようにあとにした。
九十年 五月 二十七日
「ロータスです。ジンロウくん、元気にしていますか? こちらはいまのところ、変わりありません。なにかあったら、すぐに伝えてくださいね。それから、今日は歌う予定です。よければ君も、ちょっ、ユイちゃん、待っ──」
録音は、一件です。
機械音声がそう告げて、ミス・ロザーミックの声は聞こえなくなった。
サヴァのやつと出会ってから、今日で一週間だ。あれからすぐに連絡をしたけれど、あっちの家になにかがあったという話は、まだ聞かない。
ミス・ロザーミックが、上層の住人でよかった。それがいまの、正直な気持ちだ。
こぎたない脱走兵をうろつかせれば、こことは違ってすぐに騒ぎになる。サヴァも、それを警戒しているのだろう。
あいつは衣装も気をつかっているようだったから、そこだけは気を抜けない。それこそサヴァの姿は、自分はどこにでも行けるという意思表示なのかもしれない。
「聞きに行けたらいいんだけれど、さすがにそうもいかないんです」
声は届かないだろうけれど、なんとなく、ミス・ロザーミックに謝った。
ユイのことをさとられる前に、修理を終えてしまえばいい。
それでニッコたちが月を出たら、また、ふたりであのひとの歌を聞きに行こう。
ソファに体をあずけたまま、頭の中であの日の旋律を思い出す。あれは、なんて歌い出しだったかな。
「……僕にはまだ、音楽の意味はわかりません」
いつだったか、ミス・ロザーミックと電話でそんな話をした。
音楽とは、いったいどんなものなのか。彼女はどうして、歌い、奏で、音楽を提供しているのか。
とても哲学的な問いだと、ミス・ロザーミックは笑っていた。笑いながらも考えこんで、あのひとは冗談めかしてこう言った。
私にとって音楽は、誰かとつながるための魔法の機械です。
その言葉が、理解はできても、まだうまく飲みこめていない。けれど、彼女の話は、よくわかる。
誰かが聞いて音楽だと認識しない限り、あれはただの音の連続であって、最終的には空気の振動でしかないと。だからあのひとは音楽で、誰かとつながると言っていた。
昔は家族に、いまはバーの客たちに。いつだって、誰かに聞いてもらうために、ピアノを弾いて歌っていると言っていた。
「僕は、どうやって、誰かとつながっているんだろう。ユイと僕は、つながっているのかな」
こうして手を伸ばしても、ユイのところには届かない。
見えないし、聞こえないし、感じない。こんなに離れていると、僕と彼女が、いったいどこでつながっていたのかわからなくなる。
だから、なのか。とても、とても、あいたいと思う。
「さびしいって、こういうことかな、ユイ」
あのひとの歌を聞きたい、君と一緒に。
あの日のように、となりで、体をよせあって。
歌を聞きたいと、そう考えている。いまの僕は、音楽に触れたがっている。それは、誰かとつながりたいからなのか。
獣には、動物には、音楽はいらないものだ。人間だからこそ、ああいうものを求めている。僕は、そういうふうに考えている。
「なんて言ってたっけ、ロータスさんは」
むずかしい、とても、むずかしい。あのひとの話は、違う世界の話のようで、すぐに飲みこむことがむずかしい。
けれど、僕はあのひとの話が嫌いではない。あのひとは、僕を獣ではなく、人間なのだと、そういう前提で話してくれていた。
「学術的な理解では、なくて……ただあるままに感じて、感じるままに弾けばいい」
頭の中から、記憶を呼び起こす。
ログを読めばいいだけだ。けれど、いまは、そうしたくない。
僕は、感じるのは、苦手だ。表現するのも、きっと、苦手だ。
五感のうちのふたつは壊れて、起きているのかもあやしいほどだ。それどころか、心だっていつもひどく
けれど、そんな僕でも、あのひとは弾けると言っていた。楽しいからやってごらんと、笑顔が見えるような声で言っていた。
指を動かして、音を作って。
それはとても楽しいからと、今度いっしょに弾いてみようと、そう言っていた。
それどころか、ユイはときどき、ミス・ロザーミックといっしょにピアノを弾いているらしい。
ユイの音楽を聞いたなら、僕は、なにを感じるのだろう。
僕の音楽を聞かせたなら、ユイは、なにを感じるのだろう。
「やっぱりまだ、わかりません。けれど、……そうだね。今度、弾いて、聞いて、試してみたいな」
記憶の中の旋律を、ミス・ロザーミックの歌声を、思い描いてまぶたを閉じる。
ひとりのさびしさが、そうしているとやわらいだ気がした。