カーテンの隙間から朝の光が差し込んでくる。瞼の裏を刺激するその光を目覚ましに
静かに寝台から滑り降りる。入学して早二か月、一人部屋が少し寂しく感じることもある。
まだ残る眠気を我慢せずに大きなあくびをひとつすると、わたくし、楓・J・ヌーベルの一日は始まる。
こんな、はしたない仕草をお父様に見られたらなんと言われるかしら。
そんなことを考えながら髪の毛に櫛を通す。母親譲りの豊かな赤毛はわたくしの自慢だ。
ただ、毎朝こうして一人で髪を整えるのは時にうんざりした気持ちになってしまう。
「はぁ。万事ままなりませんわね。」
ため息をつきながら、念入りにストレッチを始める。
このところ、成長著しい身体を最適な状態に整える必要を感じていた。
常に自己の最大パフォーマンスを目指さなければリリィとしての使命
そして守るべき人たちをこの手から取りこぼしてしまうことになるだろうから。
朝のルーティーンを終わらせると、制服に袖を通す。やはり胸と腰がすこし苦しい。
しばらくの間、放課後は有酸素運動を中心にしたトレーニングをしなければなりませんわね。
明らかに筋力の足りていないちびっ子一号と二号、もちろん梨璃さんも誘ってしまいましょう。
そう心に誓いながら、時計を見る。授業まではあと二時間ほど。
放課後はトレーニングとして、朝の時間をどう過ごそうかと考える。
戦術理論のおさらいにしようかしら、それともレアスキル進化論の予習……は昨夜行った分で
充分な気もする。考えた末に、チャーム入りの大型鞄を手に取る。
物音を立てないようにドアを閉じると、ひんやりとした廊下を一人歩く。
初夏の爽やかな空気は、ほんのわずかに湿度を含み、午後には暑くなりそうな雰囲気をはらんでいる。
まだ誰もいない整備室の明かりをつけると整備台の上にジョワユーズをそっと置く。
アンティークの裁ち鋏を思わせる優美なフォルムはいつまでも見飽きることがない。
こうしてチャームをいじっているとお父様の工房で過ごした幼い思い出が蘇ってくる。
動作チェックを行うと射撃モードへの移行に僅かだが違和感がある。
放課後、工廠科のところへ持ち込む必要になりそうで、忙しい百由さまの手を煩わせることに心が痛んだ。
百合ヶ丘の工廠科は非常に優秀なのだけれど、常に人員と資材不足のため、実験室は不夜城と化している。やはり、本国からこちらに技術者の派遣を要請しようかしら。
技術交流くらいならできるかもしれませんわね……独り言をいいながら整備を終える。
思った以上に没頭してしまったことに気づく。
食堂で紅茶を頂いてゆくだけの時間はありそうだ。一仕事終えた体に少しの休息を与える。
そろそろかしら、と寮舎の方を眺めていると、よく知った顔が駆け寄ってくる。
「ごきげんよう。梨璃さん。今日はお早いんですのね?」
「おはよう楓さん。楓さんはなんだか眠そうだね」
いつもの明るく、無邪気な様子にわたくしは心から安らぎを覚える。
「ええ、わたくしは本来なら美容のため午前はベッドから出ない主義ですの。
だから、学院の朝はとてもつらくって」
「楓さん中等部時代はどうしてたんですか?」
梨璃さんの隣に並んで声をかけてきたのは柔らかい茶髪にくりくりとした目が印象的なちびっ子一号こと
「そんなの、学校を買い取って、午後からの授業にしたに決まってますわ」
本気か冗談か判断しかねたのか、困惑の顔をしたちびっ子一号が愛おしい。
「さ、そろそろ授業がはじまりますわよ。一柳隊のメンバーとして普段の授業から気を抜いてはいけませんわ」他の生徒たちにごきげんようと挨拶をしながら歩みを進める。
守りたい人々、守りたい笑顔。
わたくしに与えられた力でそれを守るのだ。今のわたくしに仲間がいるのだから。
もしも、全てがおわったら、いつか皆さんをフランスに招待しよう。
美しいセーヌを見ながらのお茶会。なんの恐れも不安もなくゆったりと流れる時間。
一人の女性、一人の人間として過ごす。ただ、それだけを夢見て。
降り注ぐ日差しを髪に受ける。やはり午後は暑くなりそうだ。
今日も、わたくしの一日が幕を開ける。