眼前の溶岩湖に対して、サイガ-0の装備は軽いものだった。
始源たちの混沌たる灰色は「重いから」という理由で装備されず、全身を覆うのは耐焼熱性を秘めた白鱗状の皮装備だったし、両手に握られるのは角石英に組まれ成った黒硬錬のバケツであった。普段の約4倍見えやすくなった顔面には、決意の表情が強く刻まれていた。
「……本当に、やるの、か?」
対称的に、後方で不安気に諸々を考えている様子のイムロンが言う。サイガ-0は振り返って―――上半身の回転に巻き込まれ、水晶蠍人形を始めとする諸々の硬質系アクセサリが揺れる―――、決意を崩さずに言い放つ。
「……はい」
「そ、そう……」
イムロンは気迫に押されて相槌を打ち、
「……か」
忘れていた語尾を付け足した。
サイガ-0は溶岩湖に向き直り、ウィンドウを開いて諸々のステータスについて確認すると……体勢を変えて、深呼吸をして。
そして、走り出した。
◇
黄金のマグマまでの約49.5メートルは、開拓者たちにとって決して長すぎる道のりではない。神代の機装に頼ろうが、敏捷性の暴力で突破しようが、或いは転移魔法を駆使して乗り越えようが……最終的な結果が『マグマの採取』であれば、過程についてはかなりの自由が利くのである。
その自由の上で、サイガ-0が最初に取った行動とは、即ち―――
「……フリット、フロート!」
―――跳躍、であった。彼女はそれこそ最大速度ほどではないにせよある程度のAGIを有しており、それ故にいくつかの機動系スキルを所持していた―――そして、そこにはフリットフロートのような二段ジャンプスキルも含まれる。熱によるスリップダメージを防具とVITと経過回復で無力化し、彼女は炎粉乱舞たる空界を駆け抜けていく。
「【加算詠唱】、【二重詠唱】……」
次々と取り出されるスクロールは燃え始めたことすら気にせずに使われて行き―――
「……【瞬間転移】、【上昇暴風圏】!」
―――ただ、彼女の高度を一定に保つことに貢献していく。
彼女は、極めて安定した挙動で進んでいった。
◇
サイガ-0が黄金のマグマ上空まで辿り着いたのは、30枚ほどのスクロールを炭屑に帰し尽くした頃であった。
マグマを回収するためには、どういったルートを取ろうと一度突っ込む必要がある―――そして突っ込む事は発火および発火に伴うスリップダメージを発生させ、極めて危険な領域へプレイヤーを誘い込む。
しかし。
「……【我が盾を身に】、【直接元幹変転するモノクラスタ】―――突っ込み、ます!」
サイガ-0は―――幾十もの魔法的防壁を纏った彼女は、それでもそこに直進した。
サンラクがそうだったように、掬い上げた直後にインベントリアへと退避することは判定上できない。普通に攻略するのならば、掬い上げた直後に【瞬間転移】などで上空へと退避するべきである―――だがサイガ-0は普通ではない、だからこそ。
「……直接、行きます!」
サイガ-0は―――マグマに、浸かった。HPが急速に減少し出すが、彼女は外に出ようとしない―――理由はいくつかある。一つにそれはマグマを確実に掬うためであり、もう一つは……
「―――【簒奪日蝕】ッ!」
……空中では使えない魔法を使うためである。影が発生するのを回収するためにはある程度アバターが固定されている必要があるし、滞空に魔力リソースを使わなくてもいい状態であることも重要である―――だからこそ、彼女はあえて浸かるという選択肢を選んだ。煌めき燈るマグマはこれでもかと光エネルギーを発し、結果として影はより強いそれと化す―――サイガ-0は、それによって限界まで強くなった自分の影を回収した。HPバーが、大きく削れる。
本来、【簒奪日蝕】とは魔法名の通りに奪うことを目的としている魔法だ。だが、例えば『分け与える』といった用途において、自分の影に使用する可能性は十分に存在する―――だからこそ自分から奪うという選択が可能になる。しかし、それは一人で攻略を行っている彼女にとって無意味なことの筈だ―――では、なぜサイガ-0はこういった行動に出たのか?
「……そして、戻すっ!」
HPバーが、さらに大きく伸びた。
回収したHPより回復したHPの方が多いのは、別に欠陥というわけではない―――彼女が装備しているアクセサリの影響である。すなわち、凶悪な外見で持って見る者を圧倒する水晶蠍人形、その『HP回復時別枠回復』の効果。これは事実上のHP上昇時のみ補正を掛ける効果であり、HP減少と等しい上昇が発生する【簒奪日蝕】においては、事実上の高倍率回復魔法と同等の挙動を取るのである。
「【簒奪日蝕】!【簒奪日蝕】!【簒奪日蝕】!」
そうして、裏側の特性故、決して減らず増えるばかりのMPバーとHPバーが、共に満ちた状況を見計らい―――
「【瞬間転移】!」
彼女は、溶岩湖から事実上の無傷で脱出した。
◇
影が横に伸びる陸地部分からそれを見守っていたイムロンは、溜息を吐いて呟いた。
「……いや、あの人はあの人でかなりヤバいな……」
その光景は、さながら火刑から逃れる被処刑者だったのだ。