ルージュに伝言   作:不在さん

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Foo Fightersを聴きながら書いた作品です。
速水奏をスカウトした時の話。

改稿してツイ限で上げていたものをこちらに移しています。


そして天使は私に言った。

 速水奏には友人と呼べる人間がいない。クラスメイトとの関係は、まぁ良好な方だと言えるだろう。

 彼女は自分でもちょっぴり自覚している程度には器量が良かった。切れ長の瞳、涙袋は適度にぷっくりと膨らんでいて、目を伏せれば睫毛はゆうにその下を行く。薄い唇はほほ笑むと彼女の色気を引き立てた。スタイルも良く、その声はハスキーながら独特の音色でよく響く。校内には男女問わず隠れファンも多い、そんな高校生。だから彼女が歩み寄ろうとしても、周りは変に遠慮して離れていく。

 最も奏自身はそれをあまり気にしてはいなかった。彼女は彼女でクラスメイトの事を幼稚だとどこか上から見ていたり、そもそも趣味が合わなかったり、好みが合わなかったりしていたから。

 友人が居ないということに対する不満も全くと言っていいほどなかったと思う。昼食は誰に合わせることもなく、気が向けば学食を、そうでなければお気に入りのコーヒーとサンドイッチを。窓際の自分の席で読書を楽しみながら(少々行儀が悪いと言えるが)、或いは立ち入り禁止の屋上で、こっそり音楽をたしなみながら。

 一見して不良行為とも取れるそれは、人を巻き込んでしまうと責任が倍以上になる。一人であれば気晴らしに映画を見て終わり。でも、一人増えるだけで、下手をすると人生に関わる。

 大げさな考えであるが彼女はそれを信じ込んでいて、だから一人の方が気楽で、楽しいものだと結論付けていた。

 そう思い込んでいたのだ。

 その日彼女は誰がどう見ても一目で理解できる程度には不機嫌だった。

 見に行こうと考えていた映画が昨日で終わっていたとかそういうのはいっそ些末な問題で、整った顔をまるで氷の彫刻かのように凍てつかせている原因は、もっと別の場所にある。

 有り体に言ってしまえばそれは他クラスの生徒による心無い陰口を聞いてしまったことに起因するのだが、普段の彼女であればその程度で心は乱されない。今日はたまたま夢見が悪かった。そして、たまたまその陰口の内容が、彼女の好きなものを否定するようなものであった。

 それだけの事である。

 たったそれだけ。

 毎日ちょっとずつ積み重なっていた苛立ちや不満などが、それをきっかけにして沸点を超えてしまったのだ。いつもなら鼻で笑って終わりのその出来事は、しかし今日ばかりは彼女のはらわたを煮えくり返させるのに十分だった。

 

 幼稚に群れるだけの分際で、私の何がわかるのか。

 

 頭の中はそれでいっぱいで、いつもは冷静に教室内を俯瞰して上手く立ち回る彼女も、今日ばかりはクラスメイトの様子に気が付いていない。彼らは皆一様に怯えた顔を浮かべていて、こっそり隣の席の奏を見ようとする多感な男子Aも、そのよく通る綺麗な声が聴きたいがために度々奏を指名する職権乱用の教師Sも、この日は彼女の方を向くことは無かった。

 心が許せる相手が彼女に居たならば、「あいつらウザい」と一言愚痴って終わりだったのに。

 その辺の高校生にとって速水奏という存在はあまりに大きすぎて、それにみんな気づいていた。その事実こそ奏を傷つけていたのに、誰も何もできない。だからこの状況に耐えることしかできなかった。

 

「はぁ」

 終礼と共に、刺すようなため息が教室に響く。

 いつもはすぐに騒ぎ始める男子も今日は息を呑むことしかできず、彼女が鞄を持って席を立つまでの間、誰一人微動だにせず息を殺していた。

 奏は下足箱から投げるように自分のローファーを地面に置くと、乱雑に足を入れてそのまま歩き出す。普段の彼女の丁寧さからは想像もできないような光景だったし、実際校内に割といる彼女の隠れファンはそれを見て言葉を失っていた。

 校門を出てすぐにスマホに青いイヤホンを差し込み、プレイリストを開いて乱雑にスワイプする。いつもの映画のサウンドトラックは聞く気にならなくて、ランダム再生で流れ出したMaroon5は舌打ちをして飛ばし、続くハイロウズにも同じ動作を行って、ブルーハーツで首を傾げて、クリープハイプは気分じゃないと一蹴して、フーファイターズが流れ出したあたりで、やっと鞄にスマホを仕舞った。

 元ニルヴァーナのドラマーがかき鳴らすギターとシャウトに意識を預けながら、渋谷駅に入って埼京線のつり革を握る。

 代替案として候補に入れていた映画を見るのは止めて、奏の足は海の方へと向かっていた。別に海が好きなわけではない。ただ、なんとなくずっと昔から誰かに呼ばれているような気がして、嫌なことがあると決まって海へ行っていた。

 本当に誰かが待っているのならば、自分をつまらない世界から掬い上げてくれると信じていたから。

 そうして奏は東京テレポート駅の改札を通り抜けて、潮風の薫る街道をのんびりと歩いていく。フジテレビの横を抜ければすぐにお台場海浜公園が見えてくるが、そちらの方向はカップルが多く行く気にならない。そもそも海浜公園から見えるのは海ではなく殆ど川みたいな塩水を挟んだ東京の街並みであって、奏の目的とはズレていた。必然的に彼女の足は、海浜公園の対角線にある東京ビッグサイトの方へ向かっていく。

 耳元で騒ぎ立てるアルバムは既に一巡していて、お前は偽物だと叫び続けている。

 その通りだ、と奏は思った。勉強も運動もそつなくこなせて、「速水さんってなんでもできるよね」ってそう言われて、周りの持つ『速水奏』の像に応えるために『速水奏』らしく振る舞っても、誰も本当の自分には気づかないし、見ようともしない。

 だったら、今こうやってそれに傷ついている自分は誰なんだろう。そう考えたところで、その答えは見つからない。

 一寸先は海。柵にそっと手を触れて、ため息を吐く。気分は一向に晴れる気配が無くて、ロマンチックに水平線に向かっていく太陽が今日ばかりは煩わしい。

「なんだか浮かない顔してるね」

 波の音をモーセのように割って耳に飛び込んでくる鈴の声。振り向くと、そこに立っていたのは思わず息を呑むほどの美人だった。身長は奏と殆ど変わらない。身なりもスーツに白のコートと言うシンプルないで立ちなのに、体幹の伴った立ち振る舞いによって、まるでドレスを纏っているかのように錯覚する。

「女の子からのナンパは初めてだけど、生憎今日は気分じゃないの。酷いことを言われたくなければ、見なかったことにして消えてくれない?」

 奏の言葉に女性は笑った。

「例えばどんな?」

「そうね、その白い髪のせいで老けて見えるとか、カタギの人間には見えないとか、警察を呼ぶわよレズビアンとか。・・・お好みならもっとあるけど」

「ご挨拶だなぁ」

 言って、女性は奏に近づいた。奏はスマホを取り出すために鞄に手を入れる。

「何?」

 女性はそれを見て、銃口を突きつけられた人間のように両手を上げ、

「いや、君があんまり暗い顔をしてたから、このまま飛び込んじゃわないかって心配になったんだよね」

「悪いけど、そんなことをするほど盲目してるわけじゃないの」

「そっか。なら良いんだけど」

 睨んでもどこ吹く風、と言った様子で女性は笑みを崩そうとしなかった。オトナの余裕を見せつけられているようで、奏にとっては気分が悪い。もっとも、そんなに歳が離れているようには見えないのだが。

「はぁ」

 あからさまに二度目のため息を吐く。

「友達と何かあったの?」

「貴女には関係ないでしょ」

「まぁね。私は君の名前を知らないし、君の人生には関係ない」

「そうね」

「でもだから逆に、話してみてもいいと思うんだよね」

「は?」

 奏は怪訝な顔を浮かべる。だが女性の顔は先ほどと違って真面目だった。

 跳ねのけようとしても引き下がらず、つらつらと話しかけてくる様はナンパの類や不審者のそれと相違ない。おおよそまともな職に就いているとも思えない若そうな見た目に、それにそぐわない真っ白な髪と一貫して落ち着いた物腰は、嫌悪感を超越してちぐはぐで不思議としか言いようがない。

 そんな女性は薄く笑う。

「だって出逢いがこれきりなら、君はただ、海にぽつりと愚痴を漏らしただけってのと何も変わらない。私は君の名前も知らないから、誰かに触れ回るようなことしたって意味が無いし、悩める若者を救って万々歳。どう?お互いにデメリット、無いと思うけどな」

「若者って、貴女いくつよ」

「二十一だけど」

 さらりと言い放つが、奏は内心で更に訝しさを膨らませていた。スーツを纏っていることからおよそ就活生と思われる彼女に、たった五、六歳差しか無いような人間に子ども扱いされてはたまったものではない。見た目で言えば、丸みを帯びた柔らかそうな輪郭と、深く刻まれた二重瞼を垂れさせた眼前の女性より、奏の方が大人っぽい。喋り方にしてもそうだろう。そんな人間に、何故下に見られる必要があるのだろうか。

 言いようのない差を感じていて、それが落ち着きの差だということに奏は気づいていなかった。それは徐々にこの人間に対して自分が素を見せているからだということも、女性が自分の人生で一番心のうちに踏み込みかけているのだということも、奏にはわからない。

 彼女には今まで、友人が居なかったのだから。

「丁度目の前は海だし、ほら、海の亡霊にでも絡まれたと思ってさ」

 そう言って奏を覗く鳶色の目は確かに現実感が無いほど透き通っていた。一理あるな、と納得しかける。

「……面白い言い回しをするのね」

「死人に口なしとも言うし?」

「用法間違ってるわよ」

「あれ?……じゃああれだ、Aide-toi et le ciel t'aidera.(天は自らを助けるものを助く)ってね」

「……何語?」

「フランス語」

「何なの?」

「ふふ、何に見える?」

 奏は三度目のため息を吐いた。

「変な天使も居たものね」

「ふうん、天使に見えるんだ」

「少なくとも人間よりはしっくりくるけど」

「ま、なんでもいいよ。好きなように捉えてくれればさ」

 そう言って他称天使はほほ笑む。奏は観念したようにこめかみに触れると、スマホで何かを打ち込んだのち、言った。

「わかった、乗ってあげる。……ナンパだって言うからには、お茶の一杯でもご馳走してくれるよね」

「ナンパとは一言も言ってないんだけど……。別にいいか、立ち話には向かない季節だしね」

 必殺のイタズラっぽい笑みを、なんてことないように返される。

 奏は自分の人生で、初めて敗北を悟った。

 

 

 見知らぬ女性と電車に乗って、奏は中目黒の或るカフェの椅子に背を預けている。女性は年頃の乙女の顔立ちに違わず(前述したとおり、髪は老婆か天使のように真っ白であるが)カフェに対しての造詣が深く、吉祥寺や裏参道など魅力的なカフェをいくつか挙げたが、お台場から近く、渋谷へも近く、かつ洒落たカフェを要求すると女性はここを選んだ。

 秋の終わりに合わせて、空は駆け足で夜の帳を下ろしている。

「ダージリンと、あと……」

「コーヒー、ブラックで」

「ケーキとか食べる?」

「じゃあ、洋梨のタルトを」

「二つ。以上で」

 注文を終えると店員は会釈をして去っていった。店員は髪の長い女性が一人、マスターは彫りの深い老年の男性。赤いランプに照らされてほの暗い店内と合わせて、古き良きカフェ然としたその佇まいを奏は一目で気に入っていた。姉妹には見えないだろうが、店員には私たちがどう映っていたのだろう。なんて奏は手を拭きながら考えるが、ここが女性の行きつけで、結構な頻度で奏と同年代の女の子を連れて入っているということを彼女は知らない。

「親御さんに連絡はした?帰りは送ってもいいけど」

「してるし、要らない。貴女の事、別に信用してないもの」

 奏がそっけなく返すと、女性は気に留めていない様子で「それもそうだね」と頷いた。

 程なくして注文した品が運ばれてくると、店員の働きに対して礼を言う女性を見て、なんとなく居心地が悪くなる。

「……映画が好き、あとは服とか。友達は居なくて、勝手に壁を作られてて、それでいいかとも思ってる。それが私」

「うん?」

 運ばれてきたタルトをフォークで切り分けながら、悪態交じりに奏が言う。

「貴女が話せって言ったんじゃない」

「なるほど。どんな映画を見るの?」

「恋愛映画以外なら何でも」

「じゃあ私とは逆だね」

 紅茶を口に運びながら女性がこう返した。

 その言葉に、奏は眉を動かす。

「恋愛映画が好きなんだ」

「うーん、映画自体あんまり見ないんだけど、そういうのが多いかな。『ラブ・アゲイン』とか結構好き」

「……趣味が悪いわね」

「そうかも?あ、でも音楽を題材にした作品が一番好きだよ。『天使にラブソングを』とか、『LaLaLand』とか」

「ありがち」

「否定はしないけど……。でも、定番って万人に愛されてるから定番になるんでしょ?ジブリとか、ディズニーとか。ま、最近の流行には、中身が薄っぺらなのも多いけどさ」

 なんだ、わかってるではないか。と、奏は少し感心した。定番は流行を越えた先にある名作だ。大多数にはいつしか忘れ去られる傑作も好ましいが、それでも、誰しもに愛される作品と言うのは、いつまでも心や記録に残り続ける。奏は作品に優劣をつけることは基本しないが、そういった意味で好むとしたら、やはり「もののけ姫」とか、「ハリーポッター」とか、定番で有名なものを挙げるだろう。

「まぁ私の事はいいから、君の鬱憤を晴らしなよ」

 育ちが良いのだろう。女性は上品な仕草でタルトを一口咀嚼すると、奏にそう勧める。一挙一動を観察し続けていた奏はここで考えを改めた。多分女性は自分の価値観に則って、本当にただ善意でもって自分を心配していたのではないだろうか。

 ナンパは幾度もされたことがある。制服を脱ぐと実年齢より上に見られることも多く、金を持ってそうな大人に食事に誘われたこともある。ただ彼らが奏を誘うとき、皆一様に誘い文句に使うのは、自分の自慢だった。行きつけの高級店がある、メジャーデビュー目前のバンドマンだ(大嘘だった)、モデルのスカウトだ……。

 でも、目の前の女性はまず奏を心配して、ここを決めるときも彼女の意見を聞いて、メニューも何かを押し付けたりしなかった。それだけの事なのに、なんだか今までとは違うような気がして「それもそうね」と頷く。それから奏は少しずつ、自分の事を話し始めた。

「とは言っても、なんてことない子どもの悩みよ。誰かが勝手に決めた私を、私は演じているだけなのに。そのイメージとちょっと違ったりしただけで何かを言われたり、勝手に嫉妬されて陰口を言われたり……」

 両親の影響で、映画や音楽をよく好んだ。モノクロのトーキー映画を見てその美しさに触れても、周りの子はアニメ映画の話ばかりで、共感することは無い。男性アイドルの話題を振られても、クラシックや古いバンドを好んで聞いていた奏には、何の話か分からない。そのうち同級生たちは遠目から奏を眺めるだけの存在になって、自身もそれでいいかと考えていた。

「……そういう幼稚なのについていけなくて、拒絶するのにも飽きただけ。でも私は私で大人にはなりきれないから、なんとなく聞こえた陰口にムカついて、そんな自分にもイラついてたのよ」

 中学に入ると、周りの人間たちは色恋に夢中になった。奏の趣味を理解してくれる大人が現れても、話をしていると「教師に媚を売っている」とか「自分たちを見下して大人とばかり仲良くしている」とか悪趣味な噂を流されて、自ら誰かと関わることはやめた。後者はそのうち事実になったものの、当たり前だろうと思う。奏がいくら自分の好きを伝えたところで「わからない」と一蹴したのに、そのくせ自分たちの好みを「流行ってるのに何で理解しないのか」と押し付けてくるのだから。

「そっか」

 女性はしばらく考える素振りを見せた後、口を開いた。

「好きに生きたら駄目なの?」

「そうしたいのは山々だけど、じゃあ、それってどういうことなの?自分をさらけ出したら避けられるし、みんなが望む私を演じたって、少しでも理想と違えばみんな文句を言ってくる。それなのに、どうしたらいいかなんて、学校じゃ誰も教えてくれないもの」

 目を伏せる奏を見て、女性は納得したように頷いた。

「ああ、だから映画が好きなんだ」

「は……?」

「映画を見てる間は、傍観者で居る間は、何にもならなくていいもんね」

「ッ!知ったようなこと言わないで!」

 思わず声を荒げる。カフェの客は驚きの顔で奏の方を向いたが、目の前に座る女性だけは、全てを見透かしたような目で奏を見つめていた。

「知らないよ。憶測で言ってるだけ。でも、君は待ってたんじゃないの?いつか、映画みたいに劇的に、誰かが君を救い出してくれるんじゃないかって」

「そんなこと……そんなこと無い。私は、全部諦めてた。このままつまらない人生を乗り切るために、せめて映画くらいは派手で、きらびやかで、素敵なものをって」

「うん」

「でも、私に私であることを押し付けてきた人たちは、そんな私の小さな楽しみすらも否定して、それで……」

 ぽろぽろと、涙が奏の頬を濡らす。彼女はその姿を誰かに、ましてや先程知り合ったばかりの赤の他人などに見せたくなくて、何度も何度も擦るように袖で拭った。

 女性はそんな彼女に、今までで一番柔和な声で語りかける。

「何かになれるとしたら、何になりたい?」

「……そんなのわからない」

「じゃあ、何にもならなくていいよ。なんでもないのが君なら、何でもないものになればいい」

「何を言ってるの……?」

 女性は懐から名刺入れを取り出すと、一枚抜いて奏に差し出した。

「アイドルに興味は無い?君が君になるために、君が人生は楽しいって胸を張って笑えるように、お手伝いがしたいんだ」

 346プロ。名刺に書いてある社名は、奏でも知っているほどの大手事務所だった。

 まず思ったのは、「なんで」。そして次に、「なんだ、やっぱり……」。奏は結局、彼女もナンパ師の類だったことに大きく落胆する。

「アイドルに、モデルにって、そう言ってくる人は今まで何人も居た」

「綺麗な顔してるもんね。ま、私はアイドルのプロデューサーだから、この手段しか提示できないわけだけど……」

 女性は続ける。

「でも、芸能界は映画にも負けない非日常だよ。偏屈な人も、綺麗な人も、汚い人も一杯居て、君が自分を偽ろうと、自分を貫こうと誰も気にしない。それって、とっても楽だと思わない?皆君の方を向いてて、君がなりたい君を見て、肯定して、熱狂するんだ」

「みんなが、私を……」

「そ。……無理には誘わない。信じられないなら、夢だったと思って忘れてもいいよ。でも、もし君が手を取ってくれるなら、私は君を、君らしくあれるように全力で支えてあげる」

「どうして?」

 奏は口に出して言った。だって、話がうますぎる。現実感だってあまりない。ずっと泥の中をもがくように生きてきて、苦しいって叫んでるのにわかってくれる人は居なくて。それがいきなりこんな、ふわふわした出逢い方で……。

「さあ?」

 女性はあっけらかんと口にした。奏は彼女を一つ睨むと、女性は少し困ったように肩をすくめる。

「ホントはね、スカウトなんてするつもりじゃなかったんだけど。でも、君の背中を見た時何となく『助けて』って言ってる気がして、だから声をかけたんだ。私にもよくわかんないけど、そうしなきゃいけない気がして」

 その言葉で、奏の長年の疑問が晴れた気がした。別に好きでもない海に足を運んでいたのは、彼女に呼ばれていたのだと。彼女が私を、ここから救ってくれるのではないかと。

「なにそれ、馬鹿みたいね」

 奏は思わず笑みを浮かべると、女性の目を見てそう口にした。

「実際悩んでたんだからいいでしょ。それに私もスカウトなんて初めてで、どうしていいかよくわかんないし」

「え、大見得を切ってたのに、アイドルを育てたことないの?」

「無くはないよ。ただ、一人でプロジェクト動かさなきゃいけなくなって、君はそこで初めてのアイドルになるかもしれないけど」

「……呆れた。契約を交わす前に、そこまで赤裸々に話さなくたっていいでしょうに」

「君には、嘘を吐かない方が良さそうだから」

 虚を突かれて、思わず押し黙る。確かに嘘が混ざっていたとしたら、その時点で彼女の元を去るかもしれない。

 そう考えたところで奏ははっとした。なんだ、私、もうやる気じゃないか。

「貴女には勝てそうにないわね。わかった、受けるわ、スカウト」

「ほんと?よかったぁ、これで先輩にどやされなくて済む……」

「貴女ほんとに私に声をかけるつもりは無かったんでしょうね」

「いやそれはホントのホント。でも、早くアイドルの卵を見つけて来いって急かされてたのもほんとだけどね」

「……」

「取り敢えず契約書あげるね、親御さんの署名捺印貰って事務所に来て。あと、君の名前教えてよ」

 女性は鞄からごっそり書類を取り出して、まくしたてながら奏に手渡す。彼女はそれを苦笑しながら受け取り、

「速水奏よ」

 と告げた。

「ふうん、いい名前だね。とっても綺麗で、研ぎ澄まされてて……」

「なにそれ」

「ん、なんとなく?」

 

 結局、この得体のしれないというか、現実感が無いというか、底の見えないプロデューサーの事を、奏は信じることにした。もしこれが何かの夢だったとしても、それはそれで楽しい夢だったと笑うことができそうだったから。

 ただ、それが本当に夢だったとしても。

 速水奏は自分のなりたい自分になる機会をやっと得ることができて、今はそれで、十分だと思った。

 

 

 プロジェクトLiPPSに新メンバーが二人増えてからしばらく経つ。

 その二人の片割れ、黒埼ちとせは、プロデューサーの事を「魔法使い」と呼んでいた。奏はそれを聞くたびにある種の納得を覚えるのだが、奏にとってプロデューサーは、やっぱりいつまでたっても白い外套を纏った天の使いだった。

 その日、件の天使は珍しく奏の仕事に着いてきて、奏はいつになく上機嫌で仕事を終わらせた。

「ねぇプロデューサーさん、今日の私、どうだったかしら」

 体力に余裕もできて、ますます美人に拍車がかかった奏は、プロデューサーに仕事ぶりを尋ねる。

 プロデューサーは満足気に頷くと、

「完璧。流石奏だね」

「あら、ならご褒美は期待してもいいの?」

「ご希望は?」

「そうね……ディナーなんてどう?最近、二人で食事なんてなかったもの」

「いいよ。じゃ、着替えておいで」

「ええ」

 テレビ局を後にして、プロデューサーの車の助手席に座る。フレデリカがどうしたとか、志希が美嘉に変な薬を使っていたとか、まゆと加蓮と共に映画を見に行ったとか、周子の部屋に泊まりに行ったとか、すっかり増えた友人の話を、奏は嬉しそうに語っている。プロデューサーはそんな彼女の後見人として、友人として楽しそうに耳を傾けていた。

「プロデューサーさん」

 信号待ち。ふと、奏が問いかける。

「私、ちゃんと速水奏になれたかしら?」

 その問いかけに、ハンドルを握る彼女は花を咲かせて。

 そして天使は奏に言った。

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