7月21日。学園都市第23学区『エンデュミオン・シティ』。
青いガラス張りのビルが立ち並ぶ、学園都市の街並みの中でも特に近未来的なその場所に、木原数多の姿はあった。短い髪に、顔に彫り込まれた入れ墨。申し訳程度に白衣を羽織ってはいるものの、それを着ていなければ彼を研究者などと思う者はまずいない。
「ふぅん、『
木原の前に、人影はない。その視線はテーブルの上に置かれたノートパソコンに向いていた。そこにはどぎついピンク髪の妙齢の女性――木原乖離の姿があった。キラキラと少女のように目を輝かせてこちらを見ているのは、いつものことである。これ見よがしに胸元を明け透けにしている辺り、この姪っ子は悪い方向に成長してしまったようだとぼんやり思う。残酷な事実だが、仮に全裸で居ようが木原の興味は彼女に向くことはない。興味があるのは、彼女が提示してくる研究成果の数々だ。
『確かに、管理していた施設のデータによれば実用に耐えるとは言い難いでしょう。でもでも、私の理論通りならイケること間違いなしです!』
乖離から送られてきた論文には目を通してあった。副作用を度外視した、他人の願いとかそういうものの結実を火事場泥棒のように奪っていく理論だ。パソコンの傍らに置いてある小さなモバイル端末に目をやって、そう思う。
「そうかい。まあやれるだけやってみな。もしもその理論が立証されれば、応用の幅も利く。相似んとこの機関とかも注目しているみたいだしな。強いて言うなら、俺はこの理論の先、『
パソコンの向こう側の乖離に見えるように、論文の後ろのページを見せる。それを見て、乖離は小さく頷いた。
『準備は滞りなく進めていますよ。もしも、今日の臨床試験が失敗したとしても、そちらの方で必ず成果は出して見せます』
「そいつは結構。あのガキには金がかかってるからなぁ、ちったぁ害虫駆除以外で働いてもらわなきゃ割に合わねえ。それじゃ改めて、期待してるぜ、乖離ちゃんよ」
木原の反応に、乖離は耳まで真っ赤にして蕩けるように紅潮した顔をして大きく何度も頷いた。それを確認して、通信を切る。それまで乖離の顔が映っていたパソコンの画面が、初期設定のままのデスクトップに変わった。
「ごめんなさい。待たせたわね」
「いやなに、ちょうどいいタイミングだよ」
パタンとパソコンを閉じて、木原は部屋に入ってきた影に向き直った。
振り向いた先に立っていたのは、木原の腹くらいの高さしかない幼い少女だった。名を、レディリー=タングルロード。学園都市の宇宙工学研究の最先端を行く、オービット・ポータル社の社長である。基本的に他人に取り入ったり遜るということをしない木原からすれば、大会社の社長と言えど必要以上の敬意は向けない。
「お願いした品物は?」
「心配はいらねえよ。俺の姪っ子が上手いことやってくれた」
パソコンから抜き取ったUSBを手渡して、木原は笑った。
「
「一方的なやっかみよ。気持ちはわかるけどね。誰だって、歴史の浅い企業に後から最先端の座を奪われたんじゃ目の敵にもしたくなる」
USBをブレスレット型の端末に差し込んで、データを閲覧するレディリー。それを読むのには十数分は要するだろうが、1分も経たないうちに納得したように頷いた。
「やっぱりね。こんなことだろうと思ったわ」
「どうする気だい? こいつを証拠に連中を法的にブッ叩くか? それとも、連中の抱えているモノを吐き出させるのか?」
「やるなら前者。こちらから動いても損しかない。だからそうね、餌を撒きつつ泳がせる、って感じかしら?」
扇子を広げて、レディリーはくつくつと笑った。
「シャットアウラ」
「はっ」
レディリーの背後に控えていた、黒髪の少女が前へ出た。年の頃は高校生くらいだろうか。その全身は体にぴったりとしたボディスーツで守られている。一見無防備なように見えるが、あれは下手な装甲服よりも高い防御力を有している。学園都市の裏側でも最近導入が始まったくらいの最先端の代物だ。この街の科学技術に精通している木原は、一目見てその価値に気付いていた。
「情報流出の準備をして。更槇灘飲料に向けてね」
シャットアウラは頷いて、ワイヤレス通信機を通じて部下に指示を下していた。
「怖いねえ。肉を切らせて骨を断つ、か」
「真っ向から戦っても分が悪い相手には搦め手を使うものよ。この一手で彼らを黙らせられるなら安いものだわ」
そんな『企業』の在り方を眺めて、木原は改めて、ニヤニヤと笑いながら「怖いねえ」と呟いた。
◇
第13学区は幼稚園や小学校などの低年齢層用の学習施設が集中している学区である。人気の飲料メーカーである更槇灘飲料株式会社であればいざ知らず、戦闘部隊である『飛燕部隊』との縁はないに等しい。
そんな第13学区を、フードを被った黒髪の少年、
「君たちが、『飛燕』の?」
大型託児施設『すいかずら園』の門の前で、数台の護送車と共に待機していると、おそらくこの園の責任者なのだろう、温和な印象を抱かせる初老の男性が現れた。車体に背を預けてそっぽを向いている冨逆に代わり、通行区分が頷くと、男性が背後に向かって目配せをする。ほどなくして、大人が二人がかりで抱えるほどのカプセルが運ばれてきた。その中身は、一目見れば想像できる。どうしてこんな場所に、という疑問はあるが、この街ではこの手のカムフラージュは日常茶飯事だ。
「よろしく頼む。くれぐれも、扱いは慎重に」
「ああ」
こちらも背後に目配せをすると、護送車から下部組織の人員が現れ、カプセルを受け取って車両に積み込む。無事に積み込みが完了したことを見届けると、男性は軽く頭を下げて園内に戻っていった。男性の向かう先には、砂場で遊ぶ子供たちがいる。護送車のような大きな車が珍しいのか、こちらを指さしてアレコレとはしゃいでいるのが聞こえた。
「……さっさと行くわよ」
それを見ていた冨逆は、興味なさげに呟いた。
沈黙が苦になる人間とならない人間が居る。それは気心知れた仲であれば大丈夫だったり、それでもダメだったりと千差万別であるが、通行区分は沈黙には慣れているつもりだった。カプセルの護送の任を受けた二人は、お互い正反対の方向に座って正反対の方向を向いていた。淡々と、車の揺れと駆動音だけが響いている。
「なあ、冨逆」
先日の木原乖離とのやり取りもあるのだろう。どうにもいたたまれなくなって、通行区分が沈黙を破った。帽子を目深に被った少女は顔をこちらに向けることもせず、
「何?」と一言だけ返す。根本的にこちらと関わる気がない様子である。
「とても俺たち二人がかりでやる仕事だとは思えないんだが、どう思う?」
それは純粋な疑問でもあった。木原乖離は更槇灘飲料の研究チームに多大な貢献をしているし、発言力はそれなりにあるだろうが、貴重な『飛燕部隊』の戦力を一か所に集中させるほどの横暴ができるとは思えなかった。
「……何も。ただ言われたことを言われたようにやるだけよ」
素っ気なく返事する冨逆。こういった反応は、彼女が初めてではなかった。『飛燕部隊』で活動する中で、過去に何人かとこうしてチームを組んだことがある。大体は何かの理由があって、真っ当な学生として生きられなくなった人間たちだった。そうして関わった彼らも、最初はこういう様子だった。表側と裏側の環境の違いに戸惑うのだ。この冨逆という少女もまた、そういった経歴の持ち主であることは想像できた。
「あまり落ち着いて話をする機会はなかったな。お前、何をしてここへ来た?」
「……」
「理由は色々あるよな。犯罪に手を染めたとか、あまりにも出来が良すぎてこっちで運用されることになったとか。まあ、『飛燕部隊』はこの街の暗部からすれば浅いところだ。大したことじゃないのかもしれないが」
「……」
こうもあしらわれると、さすがに匙を投げたくなる。無理に仲良くする必要もなし、諦めて手を引こうかとも考える。しかし、不思議とこの少女にはあれこれ話をしてみたくなった。制圧の手際の良さや、あれこれ指示をせずとも必要なことがやれる実力を評価しているというのもある。あまりにも素性が読めなさ過ぎて、知的好奇心をくすぐられているかもしれない。あの母親の茶化す癖が移ったかと、少し複雑な思いを抱きながら、めげずに話を続けてみる。
「あー、悪かった。デリカシーがなかったな。喋りたくないなら喋らなくていい。代わりに少し俺の話を聞いてくれないか」
少女の返事は、相変わらずの沈黙である。ひとまずそれを了承と受け取って、通行区分は語り始めた。
「俺はお前達とは違って、こっち側で生まれた。学園都市の裏側だ。それも暗部の人間同士が好き合って、なんて話じゃない。俺は、第一位の……
「……?」
初めて、少女が反応を返した。相変わらず表情は読めないが、顔をこちらに向けたのだ。通行区分は語り続ける。
「俺が木原乖離を母さんと呼ぶのは、あの人が俺を生む母胎になったからだ。普通はクローンなんて培養器で製造するのにな。だから敬意を持ってそう呼んでるんだ。理由は……まあ本人から聞いてくれ」
窓から見える景色はどうやら高速道路のようだ。遠くに第15学区の街並みが見える。そこにあるであろう、無数の人々を想像する。
「ともあれ俺は、この180万の学生がひしめく学園都市最強の
自嘲気味に笑う通行区分。冨逆は静かに彼を見ていた。
「笑ってくれて構わない。それでも俺は理想を抱いた。夢を持ったんだ。スペックでは劣っていても、必ずオリジナルに並んでみせるって」
話していて、声が上擦るのがわかった。こうして夢を語っていると、どうしても気持ちが高ぶってしまう。聞いていた冨逆も、意外そうにしていた。
「お前にはないのか、こういう思いは」
尋ねると、帽子の少女は少し顔を逸らした。相変わらずの無言で、またしてもだんまりだと思った。しかし。
「……私は、私を作り出したヤツに復讐する。そのためだけに生きてる」
静かに、口を開いた。尋ねておきながら、少女が素直に答えたことに驚いている自分が居た。
「作り出したって……それは、自分の親をってことなのか?」
黒髪の少年が尋ねた、刹那である。
二人を乗せた護送車が、爆音と衝撃と共に大きく横転したのは。
「ッ!」
「なに!?」
視界が、ぐるぐると回転する。天地は反転し、裏返り、それが数回繰り返されたかというところで、激突の轟音とともに停止する。
自分が第一位だったのならベクトル反射で無傷だったのだろうが、常時ベクトル反射などという芸当がとっさにできない彼は全身を強打していた。それが鈍く痛む程度で済んでいるのは、日々の鍛錬による受け身と、わずかばかりのベクトル操作が間に合ったおかげだろう。身を起こし、車内に帽子の少女の姿を探すが、どこにもいない。衝撃で外へ放り出されたのかもしれない。
横転し、天を向いた窓に目を向けて、よじ登る。そこに、一連の事故の原因が立っていた。
巨人。
人間の体格を逸脱した形状の機械の巨人が数体、立っていた。
「
駆動鎧。能力者を鎮圧するべく、警備員などが採用している装備の一つである。並大抵の能力者の攻撃ではびくともしない強固な装甲と、力づくで鎮圧するためのパワーを併せ持った、シンプルな対抗策だ。とはいえ、その流通先は警備員だけでなく、暗部でも対能力者用の運用がされている。通行区分も、任務の中で何体か破壊したことがあった。
しかし、目の前に立つ機械の巨人には、
(警備員、だと……?)
カプセルの中身は、木原乖離が『重要な被検体』と言う程の能力者。暗部組織ならば乖離同様に、サンプルとしての価値を見出して狙ったのだと考えられる。襲撃を予期して木原乖離が護衛を二人つけたことは腑に落ちるが、警備員の狙いとなると断定しづらい。
「お前ら、本当に警備員か? やり口が随分と乱暴だが?」
護送車の上に立って、巨人たちに語り掛ける。巨人に首はなかったが、注意はこちらに向いていた。しかし、それだけで答えはない。これで全くこちらに興味を示さないようなら、中に『骨格』を押し込んだAI操縦の機械かもと思うが、どうやらそうではないらしい。こちらが対話の意思を見せているのに、取り合う気がないということだ。尤も、このような襲撃を企てている時点で、交渉に乗ってくるようなケースも稀ではある。数秒待って、無言が返答だと結論付けた通行区分は、痺れを切らせて話を続けた。
「噂に聞く警備員の暗部とか、そんなところか。まあいい。狙いはこの中の能力者なんだろ? こんな手荒な真似をしたんだ、手荒に返される覚悟はあるな?」
巨人の内何体かが、通行区分に銃口を向けた。警告ではない。銃口を向けるのとほぼ同時に、対物ライフル大の弾丸がフードの少年に斉射される。
しかしだ。
次の瞬間には、少年を撃ち抜くはずだった弾丸の全ては、それらを放った巨人たちの全身に襲い掛かった。巨人たちは爆炎と煙を上げて吹き飛び、路面に横たわる。想定外の事態に、残る巨人たちが身じろぎした。
――右手。
通行区分は巨人たちに向けて右手を翳していた。彼が、学園都市最強の超能力者の象徴、『反射』の片鱗を使える部位。
「……ふぅ」
小さく息をつく。射線の予測を見誤っていれば、胸から上と下に裂けていたかもしれない。
だが、まだ終わりではない。現れた巨人は全部で6体。破壊したのは2体のみ。こちらが何らかの能力者であることは、彼らにもわかったことだろう。次は慎重にくる。迂闊に攻めかかりはしないだろう。であれば、今度はこちらの番だ。
首にかけていたヘッドホンを、徐に装着する。ハウジング部分にある小さなスイッチを押すと、モスキート音にも似た特殊な音が、耳から脳へと響き渡る。
「――、」
ドクン、と心臓が跳ねる。落ち着き払っていた少年の口元が、裂けるような笑みを刻んでいく。
「さァーてと。それじゃァ、まァ」
声そのものに変化はない。しかし、その声音は大きく変わっていた。
「始めると、すっかァ……!」
足場にしていた護送車を蹴り、通行区分は空中に躍り出た。空を切り、巨人の一体の目の前に立つ。こちらの動きが見えていたのか、どうにか反応して銃口を向ける。その銃口を右手で掴み、握りつぶす。ひしゃげた鉄くずを強引に奪い取り、火薬の塊たるそれを目の前の巨人の関節に突き刺して、着火する。
爆発。
片腕を失った巨人がよろめくのを見て、もう一方の腕に無理矢理手指を突き刺して、掴む。華奢とは言わないまでも、一般的な高校生の体格の範疇でしかない通行区分が、自分の倍はあろうかという巨人を片腕一本で振り回し、別の巨人に叩きつける様は、異様の一言だった。爆炎を壁として、仲間に当たることを躊躇わずに弾丸が放たれる。しかし、既にそこに黒髪の少年の姿はない。空を切る音と共に、悪魔は頭上から襲い来る。風と重力のベクトルをかき集めて、上空から絶対破壊の一撃を見舞う。それは、鋼の巨人の腕を銃ごと粉々に砕き、宙を舞う砕けた破片に手を振るえば、それらは意思を持ったかのように巨人の身体に向け炸裂する。それはさながら、散弾銃のようであった。
これこそが、学園都市最強の片鱗。たとえ片鱗であっても、この程度は容易い。
(――あと、ひとつ)
折り重なった巨人と巨人の隙間で彼らの銃器を誘爆させ、爆炎の中で最後の一体に目を向ける。
ガシャン、と巨人が銃口を構え、その射線を逆算して右手を構えようとする。
しかし、発射の瞬間、銃口は通行区分からわずかに横に逸らされた。そこには何もない。ただ高速道路の壁があるのみ。何かの不具合で鎧が上手く機能しなかったのかと考えた時、肩の装甲が可動するのが目に入った。現れたのは、二門の砲門。
「!!」
それは真っ直ぐに、駆動鎧に向かう通行区分に狙いを定めていた。狙いをつけたように見えたのはブラフ。わずかな疑問を与えることで、こちらの反応を遅れさせる策。しかしだ。
「ざァンねン」
棒立ちの少年に撃ち掛けられた灼熱の弾丸は、次の瞬間には巨人に突き刺さっていた。
「さっきのを見て『右手』以外は大丈夫だとでも思ったかァ? 惜しいねェ、さっきのままならオマエの勝ちだったンだが、よォ!」
足元に転がっていた別の巨人の破片を蹴り、よろめく巨人の脇腹へとめり込ませる。その一撃だけで、巨人は内側から爆発し、そのまま爆炎に飲み込まれた。
「オイオイオイ、ンだよシケてンなァ。そンなンで吹き飛ンじまってたら張り合いがねェぞ。オマエらにはまだまだ……聞きてェことが山ほどあンだからよォ!」
爆炎に包まれた駆動鎧の中身に手を突っ込み、無理矢理内部の人間を引き摺りだす。熱と炎で焦げてはいるが、かろうじて息はあるようだ。話を聞くには少々状態が悪いかもしれない。そこまで言って、狂気に歪んだ表情を見せていた少年が、ほんのわずかに先ほどの落ち着きを取り戻した。
「っと、いけね……『
ふと、冷静になって一度ヘッドホンのスイッチに手をかけた時である。
視界の隅で、機械の巨人が護送車の後部を強引に引き剥がし始めたのは。
「まだ居たのか!」
通行区分がはっきりと目を向けた時には、巨人は引き剥がした後部扉を此方へ向けて放り投げていた。
「ッ」
放り投げたというよりも、ブーメランを投げるような仕草だった。それは回転しながら正確に通行区分へと襲い掛かる。右手を掲げる間もスイッチを入れる間もなく、通行区分は横合いに飛び、それを回避する。扉は壁の強化ガラスに突き刺さり、辺りに破片を飛び散らせた。
そうしている間にも、巨人がその両手に、黒いカプセルを抱えた。通行区分たちが護衛の任務を帯びたもの。それを抱えたまま、巨人の背から炎が噴射され、ゆっくりと宙に浮き始めた。飛行機能を搭載した駆動鎧。噴射口の周辺部だけ少し色が違うところを見ると、後付けで改造をしたらしい。
「やらせるか!」
どれほど自由な飛行が可能かはわからない。しかし、いくら通行区分がベクトル変換能力を持っていても、追える高度には限りがある。一方通行であれば、自転のベクトルでも、風のベクトルでも使って追えるのだろうが、通行区分が利用できるベクトル量は一方通行の10分の1にも満たない。跳躍できるのはせいぜいが10メートル。それを超えられてしまえば、周囲に建造物もない高速道路上では追う手段が存在しない。
巨人は前進しながら、5メートルほどまで高度を上げていた。挙動を見るに、これが限界の高さではない。ここで仕留めなければ逃げられる。通行区分はヘッドホンのスイッチを入れながら路面を蹴り、巨人に向けて大きく跳躍した。どのようなアスリートでも不可能な、単身での高度10メートル近い跳躍。通行区分の身体は緩やかなアーチを描いて、中空の巨人へと迫る。それには巨人も驚いたのか、進行方向からわずかにこちらへ体を向けた。
大きく振りかぶった拳が、巨人の胴を捉えた――かに見えたが、寸でのところで巨人が体勢を変えたことによって、拳は巨人が抱えるカプセルに命中した。
通行区分の目が見開かれる。あろうことか、護衛対象を自ら攻撃してしまうなど。命中した強固なカプセルの表面が一撃でひび割れる。瞬時に拳を引き戻すが、ベクトル変換の拳が与えたダメージは大きく、ひび割れた外装が砕け散った。そして。
中からは、一人の少年が現れた。
金色の髪と白い肌をした、10歳前後の幼い少年だ。
(ガキ、だと……!?)
思わぬ中身の姿に、通行区分は驚いた。能力者と聞いて、無意識に中高生くらいの人間を想像していたのもある。
慣性に従い、幼い少年は意識がないまま、カプセルの中から零れ落ちた。
しまった、と言う時間もない。重力に引っ張られてアスファルトへ向かって落ちていく少年。間に合え、と風のベクトルを操り、空中で自分を加速させようとした通行区分だったが、それよりも早く、とある人影が落ち行く少年を受け止めた。
帽子を目深に被った少女。
通行区分と同じく、『飛燕部隊』に籍を置く、電撃使い。
それは急な動きだったのだろう。目深に被っていた少女の帽子が、反動で飛ばされた。帽子の中に無理矢理入れていた、長い茶髪が露になる。必死に歯を食いしばり、幼い少年を抱き抱えるその顔には、見覚えがあった。
「オマエ……」
思わず、その名を口にしそうになる。少女の返答は、通行区分を掠めて巨人を包み込む、青白い稲妻だった。
「……やれ!」
冨逆の放った電流は駆動鎧の全身を覆い、空中にその巨体を留めていた。さながら罠にかかった動物、ピンで留め置かれる虫の標本のようだった。それに応えるように、一度着地した通行区分が、脚力のベクトルを変換して再び跳躍し、渾身の右拳を振るう。ベクトル変換を用いたその一撃は、的確に巨人の胴を砕いた。
「ごぱァッ!?」
砕かれた胴の中から、男の声が聞こえてくる。振るった拳は鎧どころか、中身の人間の肋骨まで砕いていた。制御を失った巨体が落下し、高速道路上に巨大なひび割れを作る。道路脇に退避していた冨逆が、少年を抱えながら落下地点に背を向けて、衝撃波をやり過ごしているのが見えた。髪の長さは違う。体格も、違うように見える。しかし。
(あの顔は、どう見ても……)
そのまま着地し、ヘッドホンを首にかけ直した通行区分は、衝撃で吹き飛んだ冨逆の帽子を拾い上げた。駆動鎧の残骸があちこちに転がる死屍累々の中に佇む少女は、靡く髪を抑えながらアンニュイな表情をこちらに向けた。
「……助かったぞ、冨逆」
「……別に。気絶してた分の働きをしただけよ」
あまりこちらに顔を向けようとはせず、少女は言った。相変わらずの態度に、「そうか」とだけ答える。
「そいつは、問題なさそうか」
「息はしてるし脈拍にも異常はない。ただ眠ってるだけよ」
慎重にその場に幼い少年を寝かせて、通行区分から帽子を受け取る。少年を寝かせる所作にはそれまでの彼女のイメージとはまた違う、思いやりのようなものが感じられた。それは『裏側』の人間を多く見てきた通行区分にとっては珍しく、ついまじまじと見てしまう。貴重な被検体を扱う時の木原乖離のそれとは違う、慈愛を感じる所作だった。
髪をまとめて帽子に入れようとした少女は、思い出したように通行区分に向き直った。
「自己紹介、まだだったわね」
「ん」
珍しく彼女から話を続けたので、目を丸くする通行区分。茶髪の少女は手にした帽子を被ることなく、靡く髪を少し抑えてこちらを見た。
「私は、
苦々しい表情で、冨逆――冨逆美鼓は、静かに告げた。