7月21日、学園都市第23学区、エンデュミオンシティ。
オービット・ポータル社の主導の下建造された宇宙エレベーター・エンデュミオンを中心に展開された、学園都市きっての次世代地区である。紫外線を吸収し発電を行う太陽光発電ガラスが辺り一面に張り巡らされていることもあって、上空から見たこの区画は空の色を反射して蒼く輝いている。
そんな蒼い街の一角に、キャスケット帽を目深に被った少女――冨逆美鼓は佇んでいた。
学園都市第三位の超能力者、御坂美琴と同じ遺伝子を持つ
◇
一日前。
冨逆はいつものように、更槇灘飲料の所有する敷地の一つで、木原乖離と向かい合っていた。
「そろそろここの仕事には慣れてきたかしら、ミコちゃん?」
黙っていれば十人が十人振り返る美女が、目だけは笑わずにこちらに笑いかけた。
「……早く本題に入って」
小さく舌打ちし、続きを促す。乖離は肩をすくめ、おもむろにキーボードをたたき始めた。
「まあ、まずはこれを見てちょうだい」
壁に固定されている大型のモニターに、映像が映し出される。それは第23学区、宇宙関係の施設が集められた区域の、さらに一画。天まで伸びる巨大な塔を映していた。
「……『エンデュミオン』?」
この街に住んでいて、あの巨大な建造物を知らない者はいないだろう。街を歩いていてぐるりと視線を一周させれば、どこかで目に入るものである。
「ええ。これを作ったオービット・ポータル社と、あなたたち『飛燕部隊』のスポンサーである更槇灘飲料には因縁があってね。因縁と言っても、こっち側の一方的なものなんだけど」
呆れたような表情で、乖離は言った。
「更槇灘飲料は多種多様な研究部門を持っているわ。生物学から宇宙工学まで、採算度外視で『学園都市に一番貢献している企業』になろうとしている。保有する研究機材にはブラックボックスも多くて……っと、逸れた逸れた。まあ早い話が、オービット・ポータルが一瞬で更槇灘を追い抜いて宇宙工学のトップに立ち、あまつさえ前人未到の軌道エレベーターを完工させようとしているから、その妨害がしたいってこと」
「くだらない。後先考えず手広くやってたら専門的にやってた会社に先を越されたってだけでしょ。逆恨みもいいところじゃない」
「こらこらミコちゃん。ロジハラって知ってる?」
大人の事情なんか知るか、という態度でいる冨逆を、乖離が窘める。
「とにかく、妨害の手段は色々あるけどアレだけ大きなものを壊すなんて、それこそ第一位の一方通行でも苦労するでしょうね。時間さえかければできるだろうけど。そこで」
「
「よくできました~。曲りなりにも単独であそこまで漕ぎつけたオービット・ポータルの技術評価は今さら覆らないからね。だったら狙うのは、絶対評価ではなく相対評価の失墜。”オービット・ポータルの技術力は素晴らしいな、しかしあれだけ大々的に発表しておいて納期を守れないとは、企業としてどうなのか? 他社の協力も得ようとせず手柄を独り占めしようとするからこんなことになる、その点更槇灘飲料はすごいな、業務提携もしっかりやるし結果も出してるしあれだけの研究部門を良く管理できる!”みたいにしたいんでしょうね」
「くだらない……」
もう一度、大きなため息と共に冨逆美鼓は言った。
◇
「言われたことを言われたように、何も考えず淡々と、ただ従っていればいい」
言い聞かせるように口に出すと、冨逆美鼓は宙を舞った。磁力を操り、重力すら感じさせない身軽さで、ビルの間を駆け抜けていく。繋いだ磁力線で振り子運動の要領で空中に跳躍し、再び磁力を生じさせて駆ける。あっという間に、冨逆美鼓の身体は『エンデュミオン』へと到達した。
(まずは制御室に侵入する)
バチッ、と前髪から小さく電流が走る。電磁ソナー。視界に入らない周辺の様子を把握することができる、発電能力の応用だ。とはいえ、その精度も性能も、オリジナルには及ばない。小さく舌打ちして、冨逆は複数ある出入口の一つに目を向けた。
(あそこが関係者用の出入り口)
まだ開放されていない施設ではあるが、完成を間近に控えた現在、軌道エレベーターに期待される観測装置や大気圏外まで物資を届けるためのリニアシャフトの運用の為、地上の制御室は既に現役で動いている。
跳躍し、最低限の能力使用で関係者用出入口の前へと降りながら、監視カメラに目を向けて電撃を放つ。破壊というよりも一時的な機能停止を行うための電撃である。ドアに備え付けられているパスワード入力装置に、懐から取り出した解析装置を取り付けると、導き出された16桁のパスワードを入力し、ほどなくして中へと入る。
(ここまでは順調……さて、制御室は)
本格的に運用が開始されていれば、どこかに館内の見取り図などがあったかもしれないが、今は必要最低限の人員しかいないからか、そのような都合の良いものは見受けられない。
だがそれは織り込み済みだ。もともと、そんなものを頼りにしているようでは潜入工作などできるわけがない。大胆過ぎず、慎重過ぎず。潜入というものは繊細な判断能力を求められる。廊下を駆けていると、人間の気配。息を殺して、様子を伺う。
(一人ね。無力化してもいいけど、侵入した痕跡すら残すなっていうのが上の指示)
電磁ソナーで大まかな場所を探り当て、廊下の角から死角になる位置に移動し、通過する相手をやり過ごす。
(できればIDカードとか頂戴したいところだけど――)
通り過ぎていく警備員を見送って、冨逆はソナーの索敵範囲に新たな人影がないことを確かめると、気配を殺して廊下を駆けた。
(……事前情報と通路の配置が違う。どこの情報筋か知らないけど、あまり信用できないわね)
再び物陰に潜み、壁面にある小さな配電板を慣れた手つきで開くと、端子にケーブルを差し込む。差し込んだケーブルは事前に更槇灘飲料が入手していたオービット・ポータル社の非正規社員が使用している小型端末へと接続する。通常であればこの程度の端末でできることなど同型端末間の情報送受信程度だが、発電能力者である冨逆が使えばその限りではない。末端の情報端末とはいえ、このエンデュミオンの施設で使用されているものに変わりなく、権限の縛りこそあれど、それはエンデュミオン内の管理者ネットワークに並列されている。であれば、少し弄ってやればその壁を越えてアクセスすることも可能になる。バチ、と再び指先から紫電。一瞬のノイズと共に内容の変わった画面に目を向ける。欲しい情報は館内の見取り図だ。程なくして、制御室の場所は特定できた。
(制御室ってぐらいだから面倒なところだとは思ったけど、入り組んだ中央ブロックか。潜入するまではともかく、脱出が手間になるか)
端末を懐に仕舞って、再び冨逆は動き出した。無駄な動きもなく目的地へと向かっていくが、少しずつ違和感を覚えてきた。
(……ザル過ぎる。かれこれ潜入から15分くらい過ぎてるけど、見かけた人間はさっきの警備の人と清掃員くらい。完成前とはいえ、運用もほぼ開始されている施設にしては、あまりにも)
可能性があるとすれば。
(……誘い出されている?)
ふと立ち止まり、物陰に隠れる。監視カメラには端末を通じてダミーの映像を流している。オービット・ポータル側が、冨逆美鼓が潜入していることを知る術は今のところないはずだ。それに、仮に潜入がバレていたとして、誘い出す理由も思いつかない。1分ほど考えてから、十分に注意しながら目的地へと急ぐ。
そこで、疑いは確信へと変わった。そこには数名のスタッフが居て、それぞれ持ち場についているはずであった。しかし、辿り着いた制御室は、明かりこそついているものの、人間の姿はなかった。
おそらくメインの管制を行っていると思われる中央のコンピュータに目を向けると、施設内外の監視カメラの映像から、外部の観測データが表示されていた。既に冨逆のハッキングを受けている施設内のカメラは、驚くほど動きがない。こちらの仕込み自体は、正常に動作していることが見て取れた。
その時である。
「動くな」
背後から、低い少女の声が聞こえた。ひやりと、背筋が凍る。ここに至るまで、全く気配を感じなかった。冨逆は通常の人間よりも感覚が鋭敏だ。高位の発電能力者である彼女には、無意識に周囲を索敵するソナーのような機能が存在している。その力を以てしても、この刺客の接近には気付けなかった。自身の未熟と相手の円熟。それだけではないと直感する。
肩越しに、背後の人物を確認する。
長い髪の少女だった。長さは自分とそう変わらない。その全身は黒を基調としたボディースーツに覆われ、手には拳銃が握られていた。
「オービット・ポータルの雇われ?」
「答える義理はない」
低い声で答える少女に、冨逆は能力での鎮圧を考える。
どこまでを想定に入れるべきか。冨逆は両手を挙げたまま、目視で背後の少女以外に付近に敵がいないことを確かめた。能力者の侵入を警戒する施設が存在しないわけではない。この学園都市にあって、『飛燕部隊』のように能力者を運用している組織は数多く存在している。それらを想定して、万が一のために対策を練ることは何らおかしなことではない。注目すべきは、やはりスピードだ。能力者対策だけならば、用意周到な施設で片づけることもできる。しかし、発電能力者が痕跡を残さずに侵入していながら、侵入から15分も経っていないうちに、警報も鳴らさずに駆けつける用心棒など、あり得ない。
(乖離が入手した情報そのものが、ダミーってことね)
誘われている、という直感が真実味を帯びてきた。目的にはいくつか心当たりがあるが、更槇灘飲料がオービット・ポータルを目の敵にしているように、その逆もまた然り、ということだろう。情報から手薄な侵入経路を予測させた上で、警備が甘くなる時間帯を設定して流出させれば、逆にそのルートと時間帯を警戒しておけば先手が打てる、というわけだ。
まんまと自分は術中に嵌り、オービット・ポータルが更槇灘飲料を糾弾する大義名分を作ってしまった形である。
「ああ、そう」
両手を挙げたまま、冨逆は静かに答え――ぐるりと反転する。
黒髪の少女は一瞬虚を突かれた様子だったが、すぐさま引き金を引いた。
肩口を貫かんとする弾丸。しかし、その軌道は冨逆美鼓の能力によって、ほんの少し逸らされる。
「ッ!」
「もらった!」
弾丸を回避した冨逆は、そのまま黒髪の少女の拳銃を奪おうと動く――が、動線をわずかに変えて回り込むように回し蹴りを叩き込む。それもそのはず、冨逆が向かおうとする先で、黒髪の少女がもう一方の手でナイフを構えていたためである。読み合いの末、ブラフに引っ掛かることがなかった冨逆の蹴りは、少女の左腕に阻まれた。間髪入れず、もう一方の手に握られた銃口が向けられ、冨逆は軸足をあえて浮かせることでバランスを崩し、片手で地面を叩いて跳躍する。それは黒髪の少女の背後に回る動きだったが、それすら読んでみせた少女の手首から放たれたワイヤーによって手首を絡めとられる。
「チッ……」
思わぬ隠し玉によって自由を奪われ、その場に倒れこむ。ワイヤーで片手を拘束したまま、黒髪の少女が引き金を引く。思わず肝が冷えた――が、それは冨逆の頭を狙ったものではなく、その数十センチ離れた位置に着弾した。見れば、そこには掌に収まるほどの小さな円盤状の物体が張り付いていた。
(AIMジャマー発振装置……)
AIMジャマー。能力者のAIM拡散力場を乱反射させ、能力の暴発を誘う装置である。能力を封じ込めるものではないが、強力な能力を持っている者ほど自爆のリスクが高まる危険な兵器だ。大能力者クラスの能力者であれば、無視することはできない。冨逆が息を呑む様子を見て、黒髪の少女は改めて銃口を突きつけてきた。
「更槇灘飲料の者だな?」
低い声だった。わずかな格闘の間にも、この少女の冷静さと戦闘経験の多さはわかったが、少女とは思えぬ冷徹さがそこに見えた。それを受けて、冨逆はうんざりした様子で答える。
「……答える義理はないわね」
「肯定と受け取るぞ」
「お好きに。ところで……」
冨逆は笑って、拘束されていないもう一方の手で、何かを取り出した。
「銃を使う能力者は、アンタだけだと思った?」
「なに――」
少女の返答よりも先に、冨逆は引き金を引いた。それと同時に、黒髪の少女も引き金を引く。それは冨逆の頭を貫くことなく、そのわずか数cm手前に着弾した。息を呑む少女の隙を突き――ワイヤーを通じて、高圧電流を流し込む。電流を受けて、黒髪の少女は昏倒する――はずだったのだが。
「……チッ、電撃使いか」
高圧電流は少女と冨逆とを繋ぐワイヤーを焼き切るに留まり、電流を受けたはずの少女は不快そうにしているが意に介していない。
「悪くない判断だ」
静かに、黒髪の少女は呟いた。
「銃を所持していながら、私ではなくAIMジャマーを狙ったか。そして能力によって弾丸の軌道を逸らし、反撃まで行う、と」
驚いている暇はなく、隙を逃さずに距離を取る。
「……今できる最適解をやっただけよ」
適当に応じて、冨逆は黒髪の少女が身に着けているボディスーツに目を向けた。『飛燕部隊』に所属している関係上、ある程度は学園都市の技術、装備には触れている冨逆である。仕組みこそはっきりとはわからないものの、先ほどの格闘の最中に感じた違和感の正体も含めて、スーツに秘密があることは見て取れた。
おそらくは、駆動鎧のような補助機能が盛りだくさんなのだろう。本気で電撃を叩き込んでやれば話は別だろうが、生半可な電撃では大した効果は無さそうだ。
「そのスーツ、大した耐電性ね。なかなか面倒――」
牽制も込めてそう言った時である。冨逆の周囲に2つ、何かが飛んだ。それはフリスビーのような円盤状の物体。再びジャマー発振装置を設置したものと考えたが、間髪入れずにシャットアウラの両手首からワイヤーが伸びた。
それは自分を狙ったものではない。自分の左右、床に張り付いている円盤に向けて放たれたものだった。ジャマーの性質を考えれば、自ら破壊する理由など存在しない。それも設置した直後に、だ。
直感的に、飛び退く。
それが何を示すのか、何が起こるのか、それを理解した上での行動ではなかった。だがその直感の正しさを、冨逆はコンマ秒後に知ることとなる。
冨逆がその場から飛び退き、ほぼ同時にワイヤーが円盤に着弾した瞬間。
2枚の円盤は、瞬間的なエネルギーの放出により、爆発した。
(この、能力は……ッ)
飛び退いた体を爆風が包み、そのまま吹き飛ばされる。その威力は冨逆の身体を数メートル先の壁面に叩きつけるほどであった。肺に溜まった空気を吐き出すが、煙幕のようになった爆炎が酸素を思うように吸わせてくれない。
「足の一本も吹き飛ばすつもりだったんだがな」
煙の向こうから、黒髪の少女が呟いた。
「けほっ。アンタ、依頼主の建物の中でなんて無茶を……」
「当然許可は得ている。貴様の破壊工作を阻止するための必要行動として」
「破壊工作を防ぐためにコンピュータごと壊すのは本末転倒って言うんじゃない?」
「許可は得ていると言った」
許可を得ている――と繰り返して、冨逆はすいと目を細めた。
「……そういうことか」
頭の中で、点と点が結ばれた。冨逆はよろよろと立ち上がり、周囲に紫電を奔らせる。先程までとは違う、電撃使いの平均値を遥かに上回る出力を前に、黒髪の少女もたじろいだ。
「これだから、企業間闘争とかくだらないのよ。騙して騙されて、ほんと、くだらない」
「なに?」
「大したマッチポンプだって言ってんのよ。アンタがシャットアウラか」
「ッ」
黒髪の少女――シャットアウラが息を呑む。刹那、冨逆の放電によって破壊された電子回路が、停電を引き起こした。
「貴様ッ!」
シャットアウラが冨逆の立っていた場所に銃口を向けた時、既にそこに帽子の少女の姿はなかった。
非常用電源に切り替わった館内を駆ける冨逆は、真っ直ぐに出口を目指す。
「背に腹は、とはいえ。さすがに面倒ね」
行く先々で警報が鳴り響き、シャッターが閉まっているのを見て、冨逆は独り言ちた。もはやここに長居する意味はない。そうしたところで、得るものなど何もないことはわかりきっている。
冨逆美鼓が木原乖離から受けた任務は、『エンデュミオン』に対する電子的破壊工作である。その作戦の骨子となっているのは、乖離が仕入れてきた情報。ではこの情報はどこから仕入れられたものなのか? 当初は、オービット・ポータル社の中に忍ばせた産業スパイやら、諜報員によるものだと思っていた。しかし、あまりにも早い用心棒の登場と、電算室の破壊を織り込み済みにした向こうの作戦を聞いて認識は大きく変わった。
待ち伏せだとかそんなレベルの話ではなく、全てが仕組まれたものだったのだ。わざと情報を流し、侵入ルートをほぼ確定させた状態で迎え撃つ。万が一の場合に備え、破壊されても良い区画まで用意して。その目的は明確ではないが、企業間闘争のことを思えば推測はできる。
そう、それこそ、更槇灘飲料が今回の作戦を立案したのと同じ理由。それをオービット・ポータルの立場に置き換えるのであれば。
(弱みを握って、黙らせる)
実に単純明快だ。裏でどれだけの悪事を働いていようと、両者には会社としての体裁が存在している。それが表沙汰になれば、経営に大きな影響を及ぼすのは当然のこと。まして、産業スパイや破壊工作などはその最たる例だ。
冨逆が向かう先は、『エンデュミオン』の円錐状になっている外延部。既に警備が固められている出入口とは違う、通用口からの脱出である。そう広くもない出口の扉を蹴破るようにして外に出ると――カラスの嘴を模した多脚の機動兵器が待ち伏せていた。全く予想していなかったわけではないが、こうもわかりやすく待ち伏せされていると、さしもの冨逆も目を丸くした。
「抜け目ないやつ」
「逃げ場はどこにもない。大人しく投了しろ」
「断る」
一言で、冨逆は断じた。シャットアウラの目つきが変わる。
「大人しくしていれば良かったものを。クロウ3!」
回り込むようにして、冨逆の前に3脚の脚を持つ、シャットアウラのものと似た機動兵器が現れた。
機動兵器は冨逆に向けて何かを射出する。それは、粘性の液体を蜘蛛の巣状に展開する捕縛兵器。あれに少しでも触れれば、まさに蜘蛛の巣に捕えられた羽虫のように、体の自由を奪われる。とはいえ、冨逆とて無策で高所の壁面に飛び出したわけではない。足元に意識を集中させ、『起動』する。
次の瞬間、巨大な蜘蛛の巣は何も捕らえることなく、『エンデュミオン』の壁面に着弾した。
「――?」
それを見たシャットアウラは、思わず目を疑った。冨逆の姿が、一瞬で消えたためである。当然ながら、正しくは消えたのではない。
そう見紛うほどの速度で、電撃使いが移動したのだ。
「あれは……!」
一瞬で死角へ移動して見せた侵入者を改めて捕捉する頃には、その影は遥か後方にあった。
「隊長!」
「狼狽えるな! 回り込んで取り囲むぞ!」
すぐさま陣形を立て直し、機動兵器は円錐状になっている軌道エレベーターの壁面を駆け、同じように壁面を滑走する冨逆を狙う。その動きはさながらスピードスケートのようであった。
「ったく……こうもあの女の筋書き通りっぽいとムカつくわ」
冨逆は一見市販のブーツのように見える靴を履いていた。その靴底と踵からは空気が噴出し、重力に逆らって少女の身体を壁面に駆けさせていた。名を、『Hq-R1
とはいえ、これは学園都市の様々な技術の中で、『便利』という程度でしかない。高度100メートルほどの壁面を駆け、地上を目指す冨逆の道を、漆黒の機動兵器が阻む。それを目視した上で、冨逆は機動兵器の脇を駆け抜けた。機動兵器もまた、それに追走する。
(シャットアウラ=セクウェンツィア……)
その名を聞いたのは、乖離とのブリーフィングの最中であった。更槇灘飲料が『飛燕部隊』を抱えているように、オービット・ポータルも同様の組織『黒鴉部隊』を抱えており、その隊長がシャットアウラだと。
(能力は大能力『
極めて希少な能力と聞く。ある意味、スタンダードな発電能力者の逆を行くものだ。頭数の多い発電能力者はその出力や精度が価値となるが、数人といない希少な能力はそれだけで大きな研究価値を得る。
(確かレアアースを媒介にしたエネルギーの貯蔵、解放……転じてあのフリスビー爆弾か。そうそう相手にしたくないわね)
だが、この場でそれはそこまでの脅威にはならないと冨逆は踏んでいた。
自分は侵入者。彼らは警備部隊。立ち位置の違いが、この戦場における行動力を決定づける。警備部隊であるシャットアウラたちは、冨逆を捕縛することと施設を守ることの二つを念頭に入れて行動する必要がある。許可を得た、とは言ったものの、オービット・ポータルの象徴であり、注目を集める軌道エレベーターの外観となれば話は別だ。内部であれば秘匿性の観点から囮の区画を用意することもできただろうが、学園都市を訪れた誰もが目を奪われるランドマークの外観であれば、そうはいかない。出入口ではなく、あえて『エンデュミオン』の壁面から脱出を図ったのにはそんな狙いもあったのだが。
そう思った束の間、壁を駆ける冨逆の前方……正確には下方に、何かが複数、撃ち掛けられた。それはフリスビーのような、平らな円形の物体。背後から鋭い音がして、視界の隅にワイヤーが走る。
「……マジ?」
思わず、素で呟いた。
先ほどの戦闘が思い起こされる。たった2つの円盤で部屋を一つ丸焦げにした上、回避に移っていた冨逆を吹き飛ばして見せた威力。
そんな威力の『爆弾』が。
多脚の隊長機から4つ、3機の随伴機から4つずつ。計16の爆弾が、冨逆を取り囲むようにして撃ち掛けられ――それらすべてに、ワイヤーが突き刺さった。
爆発。
空中でワイヤーを突き立てられた円盤はその場で爆発したが、その余波を受けた『エンデュミオン』の青いガラスが罅割れ、飛び散る。間一髪、『滑走軍靴』の最大出力で急加速し、爆発を回避した冨逆はくるくると空中で回転し、磁力を操って壁面へと張り付いた。周囲を取り囲む『黒鴉部隊』の陣形は冨逆から十分な距離を取った上での円形になっており、一撃離脱をさせないためのものだとわかる。
「……無茶苦茶やってくれるわね」
『「黒鴉部隊」を舐めてもらっては困る』
機動兵器から、先ほどの少女の厳かな声が聞こえてきた。
「あっそ。それは重畳。こっちも遠慮なく暴れられるわ」
全身に紫電を纏い、四方から襲い来る機動兵器のワイヤーを電磁誘導させ、こちらを捉える前にいなす。間髪入れずに振るわれた兵器の脚を、間一髪で回避する。無防備な本体に向けて、腕一本ほどの太さのある『雷撃の槍』を叩き込むが、機動兵器の表面には傷一つ入らない。これもまた、オリジナルの御坂美琴だったら致命打になったかもしれない。機体の真下に居る自分を押しつぶすような動きを見せる機動兵器に、『滑走軍靴』を利用して壁面をスライディングし、機体の下から再び空中へと躍り出る。
交差し、交錯し、激突する。
能力者と機動兵器の戦いは続き、エンデュミオンの壁面は爆発や電撃による焦げ跡でぼろぼろになっていく。爆発で生じた破片が下方に落ちていくのを見て、冨逆は改めて状況を確認する。
(油断した。こいつら、戦いながら私を上方へ誘導してる)
冨逆美鼓の目的はここからの離脱。つまり壁面を伝って地上へ降りることである。先ほど、『黒鴉部隊』が本気になった時には、冨逆の身体は地上100メートル地点まで降りていた。現在は、地上300メートルほどの地点まで戻されている。
(伊達に特殊部隊は名乗ってないわね。あの女の能力、機動兵器の位置取り、それらからなる私の心理を予測して、さりげなく目的とは逆の方向に移動させた)
ここからまた一撃離脱を図ろうにも、ここ数分の戦闘によってこちらの攻撃手段、移動手段は概ね把握されている。先ほどの陣形が有効だと気付いたのか、誘導しながら陣形自体は大きく崩していない。『滑走軍靴』を最大出力で使ったとしても、この包囲を抜ける前に捕縛用のワイヤーで仕留められる。
ふう、と冨逆は深呼吸をした。じりじりと間合いを詰めるシャットアウラを真っ直ぐに睨み据え、電磁ソナーを利用して周辺の機動兵器の位置を把握する。
(……二の太刀はいらない。一撃で決める)
壁際に向けて電撃を放ち、磁力を使って壁の一部を引き寄せる。それは、整備用の梯子に使われている鉄パイプだ。こんなものであの機動兵器を叩いたところで、当然何の効果もない。だが、彼女の場合は違う。
シャットアウラの放つ攻撃を回避しながら、冨逆は手にした鉄パイプに意識を集中させた。バチバチと紫電が迸り、鉄パイプに集まっていく。紫電は徐々に大きくなっていき、それは稲妻の剣と見紛うほどに鉄パイプを覆い尽くしていた。縦横無尽に動いていた冨逆はふと足を止め、高速でこちらへ向かってくる機動兵器を見据えた。
意識を集中し、一点に凝縮するイメージをする。不定形の稲妻はその瞬間、プラズマへと形を変えた。精密に計算された電磁場によって形成される眩い刃は大太刀のようであり、稲光を纏い刃を掲げる少女の姿は、雷神のようであった。
「……ッ」
頭痛がする。多くの応用がある能力と言えど、これほど継続的な演算と出力を必要とする技はない。一撃で決める、というが、実のところ二撃目を振るえるような代物ではなかった。故にそれは、失敗を許さない、自分を鼓舞するための言葉である。
歯を食いしばり、渾身の力を込めて。
手にした刃を、一閃する。
眩い閃光と熱が、『エンデュミオン』の壁面に炸裂する。表面のガラスが熱波に耐えきれず溶解する中、回避のために距離を取ろうとした機体に振りかぶる。光刃は機動兵器の脚のうち片側の3本を薙ぎ払い、熱波がさらにその装甲を焼いていく。
その威力は、第三位の『超電磁砲』、その一撃にも引けを取らなかった。
『何だとッ!?』
機動兵器の少女が呻く。冨逆は一閃と共に光刃を空気中に霧散させ、バランスを崩すシャットアウラを見やった。
「これが、『
頭を押さえ、息荒く機動兵器のキャノピーを睨みつけながら、冨逆は『滑走軍靴』を停止させ、落下するシャットアウラの機動兵器に着地した。
『貴様ッ!』
「クッションよろしく、隊長さん?」
どうにかして落下を止めようとするシャットアウラだが、冨逆のプラズマの刃によって片側の駆動装置を破壊された機動兵器はもはやバランサーが役割を果たしていなかった。コクピットの中では警告音が鳴り響き、ほとんどの操作を受け付けない。機体は自由落下よりはましという程度の速度で壁との接触面から火花を散らし、力なく滑り落ちていく。他の隊員たちが上方から援護しようとするが、隊長への流れ弾を恐れてか、ろくに狙いが定まっていなかった。
程なくして。
シャットアウラ=セクウェンツィアの搭乗する機動兵器は、地上に墜落した。
◇
「隊長! ご無事ですか!」
「うっ、ごほっ」
落下の衝撃で半壊した機動兵器から、シャットアウラが顔を出す。スーツのおかげで本人への落下ダメージは殆どない。機動兵器の方はと言えば、片側の脚をすべて失っていて、特にシステム系の被害が甚大だった。対能力者用の加工がされているだけあって強度は折り紙つきなのだが、それ以上に相手の"奥の手"が強烈だった。
「……くそ、逃がしたか」
機体の計器にも目視にも、帽子を目深に被った発電能力者の姿はなかった。
「すみません。隊長が地上についたのと同時に侵入者がスモークを使用し……」
「いや。いい。これは私の責任だ」
そうシャットアウラが口にした時であった。
『ご苦労様、シャットアウラ=セクウェンツィア』
「……」
コクピットから、クライアントであるオービット・ポータル社社長、レディリー=タングルロードの声が聞こえてきたのだ。
『侵入者との交戦記録、ばっちり機体のカメラで撮ったわね』
「はい。『エンデュミオン』への被害は――」
『問題ないわ。まあ、もう少し加減をしてくれても良かったけど。工期には十分な余裕があるし。余剰分のリソースを今回の補修に当てても9月頭には完工できるもの。作戦の成功を喜びましょう? これで、更槇灘飲料と交渉する余地が生まれたわ』
「はっ」
『ふふ。ライバル企業への破壊工作未遂。そして交戦による施設破壊。楽しい楽しい訴訟の時間よ』
レディリー=タングルロードの愛らしくも凶悪な笑みが、目に浮かぶようだった。