とある科学の超過電刃《オーバードライヴ》   作:汐なぎさ

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第7話  飛燕部隊

『なぜ、貴様らがここに……』

 

 思わず、シャットアウラは呟いていた。シャットアウラの存在には気付いていたのだろう、通行区分が易々と天板の瓦礫を吹き飛ばした。

 

「あの聞かン坊をあのままにするわけにもいかねェからなァ」

 

『止められるというのか? あの怪物を』

 

「考えはあるってところね」

 

 シャットアウラの問いに答えながら、冨逆が破損した機体からシャットアウラを助け起こす。機体に深刻なダメージを負わせた相手ということもあり、シャットアウラは複雑な表情を浮かべるばかりだった。

 

「……お前は」

 

「冨逆美鼓。こっちは通行区分。アンタの部下はウチの裏方が退避させたから安心しなさい」

 

「……そうか」

 

 肩を貸された状態で、シャットアウラは複雑そうな表情のままで頭上で力を溜めている様子の境界因子に目を向けた。

 

「……今の『黒鴉部隊』には、あれを止める手立てはない。あれを止められるのなら……」

 

「話が早くて助かるわ。通行区分、解析の方は?」

 

 傍から見ればヘッドホンに手を当ててトランス状態になっている通行区分に語り掛ける。『変速装置』の仕組みを知らないシャットアウラからすれば、何を音楽なんて聴いているんだと文句を言いたくなるような光景である。

 

「母さンの言ってた通りだ。『胎児』と共振しちゃいるが、繋がりはそこまで強固じゃねェ」

 

「『胎児』……? やはり、第10学区のアレが関係していたのか」

 

「知ってたか。あァ、あのガキがあンな風になってンのは、『幻想御手(レベルアッパー)』で作られたネットワークに起因して生み出された、AIM思念体が原因だ」

 

 AIM思念体、とシャットアウラは繰り返した。さすがにそこまでは知らねェか、と通行区分が口を開く。

 

「早い話が、AIM拡散力場の集合体だ。『胎児』そのものに意思はねェが、力場の中に存在する能力者の意思を取り込んでいる。第10学区で暴れてンのは『幻想御手』に頼るような連中の、負の感情の影響を受けているからっつゥ見立てだ。複数の能力を使うのはそのためだな。こっちのガキも、『才能補翼』の感知能力で共振を起こしちまったわけだが……なンだ、急におとなしくなりやがって」

 

 軽く説明して、通行区分は一向に攻撃を仕掛けてこないインターフェイスに目を向けた。金髪の少年は変質した瞳で、真っ直ぐに一点を見つめている。

 

「……私を見てるようね」

 

 冨逆が答えた。

 

「見覚えのある顔を見つけて混乱してンのか? まァ、好都合だ」

 

 言って、通行区分はシャットアウラに向き直る。

 

「シャットアウラ。AIMジャマーは試したか」

 

「……ああ。だが、効果は見られなかった。奴の自壊を見越した苦肉の策だったんだがな」

 

「配置は?」

 

「……? 奴の直下に4つだ。私のジャマー発振装置は小型で影響範囲は狭いが、複数を同時に配置することで補っているからな」

 

 通行区分は目を細め、

 

「そのジャマー発振装置は、10分ほどでどれくらい用意できる?」

 

「10分……せいぜい20だな」

 

「よし」

 

 通行区分は一人頷いて、冨逆とアイコンタクトを取った。

 

「俺たちが用意したものと併せて50。建物を覆うように配置するぞ」

 

「効果は見られなかったと言ったはずだぞ」

 

「あのガキに効かせるつもりなら、そりゃ効果はねェよ」

 

 通行区分の言に、シャットアウラは小首を傾げた。冨逆が引き継ぐ。

 

「能力の噴出点は、あの子に見えて大本の『胎児』よ。あの子はあくまでも端末に過ぎない。極端な話、あの子が脳と心臓だけになったとしても、止まることはない。だから止めるのは、『胎児』とあの子を結んでいる回線の方」

 

 そこまで言われて、シャットアウラはハッとした。

 

「ジャマーを使って、アクセスを断絶する結界を作るということか」

 

「そォいうことだ」

 

 頷く通行区分。しかし、シャットアウラは「待て」と制する。

 

「だが、お前たちの策が上手く行ったとしても、思念体が存在している以上は再接続される可能性がある。そちらは考えているのか?」

 

「『才能補翼』が一人としか接続できない性質を利用する。私があの子と脳波を繋ぐわ」

 

 境界因子の目をじっと見つめ返したまま、冨逆が答えた。

 

「ジャマーでパスが途切れたタイミングで、あの子に接近して脳波の接続先を私に誘導すれば、共振を遮断しつつ再接続を妨害できる」

 

「そんなことができるのか?」

 

「多分ね。あの子、私の顔は覚えているみたいだし」

 

 複雑な表情で言う冨逆。それを横目で見ながら、通行区分が口を開く。

 

「そして思念体は『超電磁砲(レールガン)』が何とかする。……だな?」

 

 冨逆は少し眉間に皺を寄せて「ええ」と答えた。

 

「手筈はわかったなシャットアウラ。あのガキはひとまず俺たちが引き受ける。オマエはこの建物の周辺にジャマーを配置する指揮を執れ」

 

「……承知した」

 

 シャットアウラは頷き、もう一度冨逆の顔を見た。まじまじと、帽子に阻まれてはっきりとは見えない顔。映像に見えた、御坂美琴を大人びさせたような顔を。

 

「貴様には、まだ話がある。才能補翼を止めた後で」

 

「……話せることしか話さないけど」

 

 素っ気なく答える冨逆に、シャットアウラはわずかに笑った。巨大な実験室の外へと向かうシャットアウラを見送って、通行区分は頭上の境界因子を見上げた。

 

「さァて。ああは言ったが、ジャマーを使うってこたァ俺たちも影響を受けるワケだが」

 

 建物を囲うように展開するAIMジャマー。理論上は彼らの戦闘領域にまでは干渉せず、『胎児』と境界因子のパスを断ち切るためだけのもの。しかし、計算が少しでも狂えば、ジャマーによって能力の暴発が起こる可能性はある。

 

「多少の覚悟は必要ね」

 

 真っ直ぐに金髪の少年を見つめ返している冨逆だったが、ゆらりと、境界因子が動くのが見えた。静かに頭を抱えて、表情が見えなくなり、黒い稲妻が迸り始める。

 

「さすがに、ずっと大人しくはしててくれないか」

 

 あわよくば、このまま矛を交えずに事を終えたかったのだが。そんな様子を見て、通行区分はからかうように笑った。

 

「ハッ、作戦会議の時間を稼いだだけ大したモンだ。ガキとは仲良くしとくモンだなァ」

 

「……黙ってろ」

 

 軽口に適当に返しながら、確かめるように、冨逆は指先からわずかに紫電を散らした。やけに楽しそうにしながら、通行区分が一歩前へ出る。

 

「ンじゃまァ、囮は任せろ」

 

「頼んだ」

 

 声を聞いた通行区分が、浮遊する境界因子へと高速で接近する。金髪の少年の視線が動くのを確認して、撹乱するようにその視界内を不規則に動き、時折足元の石を弾丸のように蹴飛ばして様子を見る。それらは少年に触れた瞬間に軌道を捻じ曲げられ、紫電が散る。

 その刹那、瓦礫は稲妻を纏って急加速し、恐ろしい速度で通行区分に向けて跳ね返された。しかし、『変速装置』を用いた通行区分にその攻撃は通用しない。正確に胴に放たれたそれを、そのまま弾き返す。それは境界因子の肩口を掠め、背後の壁面に風穴を開けた。

 

「そンなモンじゃ俺は死なねェぞ、クソガキが」

 

 普段の彼からはまず出ない挑発。金髪の少年は特に反応を返さないが、その周囲に火球が出現した。

 

「オイオイ」

 

 多才能力とはこういうことか、と実感を以て理解し、じわじわと大きくなっていくそれを見て不敵な笑みを浮かべた。

 

「隕石でも落とすつもりかァ、オマエ」

 

 刹那、火球の中に取り込まれた瓦礫が、無数の火の玉となって通行区分に襲い掛かった。機関銃のような連射速度で放たれるそれを、通行区分は姿勢を低くして眼前に構えた右手で触れ、ベクトルを操って後方へといなす。跳ね返したところで、強力な念動力の前にはいたちごっこになるだけだ。これが通行区分の単独作戦ならごり押しで戦うことも吝かではないが、弾き返したものが冨逆の方への攻撃に使われてしまえば、あるいは致命打となりかねない。

 通行区分の周囲が火の海と化したところで、冨逆は金髪の少年の背後から迫った。少年は通行区分の方向しか見ていない。

 

(……意識が向こうに向いてる。これなら)

 

 冨逆は跳躍し、少年に向けて紫電の迸る右手を掲げる。普通の人間であれば、これが触れれば体の自由が封じられる。だが。

 境界因子に触れる寸前で、その視線がこちらを向いた。接触まではあと一瞬となかっただろう。だが、境界因子の瞳がこちらを捉えた瞬間、帽子の少女は車に跳ね飛ばされたかのように大きく空を切り、ひび割れた研究棟の壁へと叩きつけられた。おそらくは念動力。不安定な空中では効果的な一手だった。

 

「……ホント、退屈させないわね」

 

 多彩な攻撃のレパートリーに、皮肉にも似た一言を載せて、冨逆は立ち上がった。

 

「チッ……」

 

 舌打ちし、通行区分は脇にある電子機器を叩いた。ベクトル変換。既にボコボコに変形していた機器は幾重にも捻じれてへし折れ、鉄柱のような形を取り、矢のように少年に向けて襲い掛かった。しかし、それは少年が即座に周囲から集め、浮遊させた石や鉄材、瓦礫によって阻まれる。普通の人間が相手であれば、串刺しになっていただろう。それを見た冨逆は、思わず声を荒げた。

 

「ちょっと、生け捕りって話でしょ!」

 

「何怒ってンだよ。足の一本二本へし折れたところで死なねェだろォが」

 

「……アンタね」

 

 当然と言う物言いの通行区分に、やや失望したような口調で、冨逆が言った。見てきたものの違いか、価値観の違いは明確だ。指先の放電を、全身にまで広げる。

 

「まぁ、手加減してる余裕がないってのには、同意だけ、どッ!」

 

 全身まで広がった紫電が、空気を爆発させてその体を宙に浮かせる。冨逆が立っていた場所には、床面を可変させたのか巨大な岩の槍が出現した。間一髪の回避。宙を舞う冨逆に向け、砕けた岩槍が数百の石礫となって襲い来る。空中で遠く離れた背後の金属壁と磁力線を繋ぎ、強引に自分の身体を後方に吹き飛ばしながら、稲妻によってその悉くを撃ち落とす。

 

(量が多すぎる……!)

 

 物量に押し負けそうになる冨逆の眼前を、烈風が駆ける。それが通行区分がベクトル変換によって生み出した風なのは言うまでもない。

 壁を蹴り、境界因子に肉薄する冨逆。しかし。

 

「……んでる……」

 

 くるり、と空中で少年が踵を返した。それと共に、冨逆へ向けて、砂鉄で形成された刃が振るわれる。それを見るや、冨逆もまた砂鉄の刀を形成し、正面から鍔ぜり合った。

 

「残念だったわね。それは、私の十八番よ!」

 

 得意げに言い放つが、境界因子の視線は冨逆ではなく、誰も居ない壁面と向けられていた。

 

「呼ん、でる……」

 

 虚ろな瞳が見ているのは、第10学区の方角だった。それは即ち、彼が今脳波を繋いでいる、『胎児』のいる方角である。彼を行かせればどうなるのか等、冨逆にはわからない。しかし、少なくともはるか遠くで暴れている存在が、さらに厄介なことになることくらいは想像できた。

 

「アンタも、悪い友達を持ったわね」

 

 少年が撃ち掛ける複数の鉄塊を、砂鉄の刀でいなし、捌く。

 

「でもまあ、培養器の中で腐ってるよりはマシか!」

 

「ばい、ようき……」

 

 少年の口が、こちらの言葉を繰り返すのを、冨逆は聞いた。

 

(私の声が聞こえてる……?)

 

 冨逆の顔を認識していたことといい、違和感がなかったわけではない。その制御は完全にAIM思念体に奪われていてもおかしくはないのだが、深層意識というものなのか。一か八か、冨逆は口を開いた。

 

「私、言ったわよね。アンタは誰かの道具じゃない。自分で進む道を決められる一人の人間だって」

 

 目の前の、こちらを見ているように見える少年に、語り掛ける。少年はぼんやりとした表情で、機械的に冨逆の刃を弾く。天井に着地して、見下ろす格好で冨逆は続ける。

 

「それは、アンタは選ぶことができるってこと。助けを求める声に応じるのはいい。それもアンタが選んだことだから。でもね、選び直すのも、一つの選択だってことを教えてあげる」

 

「えら、び、なお……す」

 

 境界因子が、言葉を繰り返す。冨逆の中で、確信が生まれた。自分の声が、届いていると。

 

「そうよ。そりゃ、ちょっと躓いたからって諦めるのはカッコ悪いけど。でも、間違っていると気付きながら、間違ったまま進み続けるのは、もっとカッコ悪い。答えなさい、インターフェイス。それは、アンタが望んだ選択なの?」

 

「ボク、は……ぅぐ」

 

 ぼんやりとしたまま、少年は苦悶するように再び頭を抱え始めた。

 

(なンだ、これは)

 

 その光景を見た通行区分は、目を丸くしていた。冨逆美鼓の言葉を受けて、あれだけ暴れまわっていた少年が大人しくなっている。冨逆を認識しているようなそぶりと併せて、木原乖離から齎された情報にはないイレギュラーが生じていると感じていた。

 そんな最中、その声は聞こえてきた。

 

『設置完了だ。合図を!』

 

 AIMジャマーの設置を担当したシャットアウラからの通信である。それを聞いた冨逆と通行区分は目を合わせ、頷き合う。

 

「よし、頼む!」

 

 通信機に向け、通行区分が号令を発する。

 それと同時に、境界因子に変化が生じた。

 

「う、ぁう。うぁ」

 

 苦悩するように頭を抱え、それこそ胎児のような姿勢で体を丸める。その周囲には、黒い稲妻にも似たエネルギーが漏れ始めていた。AIMジャマーが起動したこと、そして、彼らの作戦通りに事が運んでいることの証左であった。

 

(よし、ジャマーの影響は私にはない)

 

 懸念していた自分への影響がないことを、指先から紫電を散らして確認する。目下で胎児のような格好になっている境界因子の頭上に生じていた円環が、ノイズが奔ったかのように揺らぎ、先ほどよりも小さくなりつつあることが見て取れた。

 

「ガキと化け物の結合が弱まった! 冨逆!」

 

「わかってる……わよッ!」

 

 円環の変化に比例して境界因子から漏れ出てくる黒い稲光に警戒しながら、天井から跳躍し、空中で胎児のように身を丸めた境界因子に触れる。しかし、まだ完全に結合が切れていないせいだろう、黒い稲光が逆流し、冨逆に襲い掛かった。

 

「っ……くそっ」

 

 電撃使いである冨逆には、スタンガンの類は通用しない。しかし、それでもなお"感電している"という感覚があるのは、この稲光が彼女の扱う電撃とは性質を異にするものということだろう。歪な痛みが走る中、冨逆の脳内に声が聞こえてきた。

 

『やめろ』

『邪魔をするな』

『お願い』

『この子を』

『連れ出さないで』

 

 聞き覚えの無い声である。エコーのかかった、一つの声でありながら、一つの声ではない、複合的な声。境界因子をこのような状態にしている『原因』を思い出せば、それが誰の声なのか、答えは明白だ。

 

「知るかっての……!」

 

 短く、冨逆は答えた。境界因子と脳波を繋ぎ、その能力を利用している思念の塊。学園都市のカーストが生み出した、能力者たちの負の感情に。冨逆の返答に重なるように、拒絶反応も徐々に弱くなっていた。それに抗うように、声も必死に言葉を紡ぎ出す。

 

『俺たち私たち僕たちは』

『お前たちあなたたち君たちの』

『敵ではない敵ではない敵ではない敵ではない敵ではない』

 

「黙れ。敵とか味方とかじゃない」

 

 脳に反響する声に、冨逆は冷たく吐き捨てた。

 

「アンタたちの事情に、この子を巻き込むなって言ってんのよ!」

 

 バチンッ! と。断ち切るような雷電の音が響き渡る。それは境界因子が思念体から冨逆へと脳波のパスを繋ぎ替えた音であり。さながら、聞き分けの無い者に対する平手打ちのようでさえあった。それと共に、脳内に直接響く声は途絶え、境界因子の瞳からも、あの怪物と同じ黒い眼光が溶けるように消え落ちた。

 

「うっ……あ……」

 

 AIM思念体との繋がりを失い、少年の身体から『多才能力』が剥がれ落ちる。それは重力に従う自由落下という形で顕れ、その体は冨逆の腕の中に抱かれた。

 

「ったく、手間かけさせて」

 

 冨逆がぼやく。それは普段の彼女からすると、少し優しい響きだった。

 

「付き合う友達くらい、ちゃんと選びなさい」

 

 腕の中の少年は、静かに眠っているだけだった。

 

◇◇◇

 

「いやはや、いやはや」

 

 無駄に広い執務室で、更槇灘飲料社長は愉快そうに笑っていた。

 

「筋書き通りというのは実に子気味良いねえ、乖離くん」

 

「あら。ということは?」

 

 わざとらしい素振りで乖離が尋ねると、社長はにこやかに頷く。

 

「先ほど、オービット・ポータルから正式な連絡があったよ。『才能補翼』の管理について、我が更槇灘と利権を共有したいとね。やれやれ、随分と回り道になったものだよ」

 

「それは良いお話ですね。研究部門の運営に関してイニシアチブを握るのは、より情報を多く集めている方なのは言うまでもありません。共同研究という形になれば、事実上彼らは私たちの傘下に入ったようなものでしょう」

 

「宇宙工学については業腹ながら彼らに花道を譲るとして、彼らの様子を合法的に監視できるのは大きなアドバンテージとなる。重ねて業腹だが、今をときめくオービット・ポータル社は味方につけても頼りになるからね。これで更槇灘はさらに一歩先に躍進できるというものだ」

 

 そう言う社長の目の前には、一枚の決算書が置かれていた。乖離はそれに目を向けて、

 

「そちらは?」

 

「いや。経理部から提出された今月の収支決算書だ。もう少し、我らの『資産』には働いてもらわなければならないようだよ」

 

 はあ、と社長がため息をつく。

 

「良いのではありませんか? 浅く広く、とは言うものの、その『浅く』は方々の企業のはるか深くを行っているのですし。数字的な結果は後からついてくると思いますが?」

 

「うむ……まあ、時に逆境は必要だからね」

 

 乾いた笑いを、社長が漏らした。

 

「そういえば、番外零式(アルファワースト)が境界因子とパスを繋いだ、と聞いたが」

 

「ええ、作戦の一環として。まあ、脳波ネットワークと言えば、それこそ彼女の……いいえ、妹達(シスターズ)の十八番というものですし?」

 

「それはわかっているのだがね。んん、心配だなァ」

 

「?」

 

「ほら、雛鳥には刷り込みというものがあるじゃないか。目にした動くものを親と思い込み、それについていくと。たとえそれが自分たちに害なすものであっても」

 

「はあ、境界因子にとっての親鳥が、番外零式になると?」

 

「うん。いや、まあ素人意見なんだがね。もしそうなってしまったら、あるいは損失になるかなぁ、と」

 

 ふむ、と乖離は顎に手を当てた。

 

「仲は良いようですけどねえ。研究が進まないことには何とも。しかし、ご安心くださいな」

 

 にっこりと微笑んで、木原乖離は広い執務室を歩き、社長の座るデスクの目の前まで移動した。

 

「才能補翼は、通行区分を一方通行に並び立てさせるため、私が引き入れたものですから。どのような壁にぶつかろうとも、あらゆる手段を講じて、目的だけは達成してみせます。社長はどうか、ノアの方舟にでも乗ったつもりで居てくださいな」

 

 大言壮語が過ぎる発言であったが、初老の男性は微笑んだ。

 

「その言葉が聞きたかった。私はシンプルな答えが好きなのだよ。善処するとか、最善を尽くすとか、そんな曖昧でお茶を濁した言葉が聞きたいんじゃない。君のような、絶対的な自信を持った言葉こそが、信頼に値する」

 

 できないという言葉は聞きたくないけどね、と付け加えるのを、乖離は静かに聞いていた。

 

 

「ここに居たか、冨逆」

 

 更槇灘飲料が所有するラボの屋上に、冨逆美鼓と通行区分の姿はあった。

 

「インターフェイスはどうなった?」

 

「問題ない。バイタルは安定している」

 

 それを聞いて、冨逆は安堵したように息をついた。

 

「でもこれで、全部乖離の計画通りになったわね」

 

「……ああ」

 

 『胎児』――『幻想御手』によるAIM思念体を利用した、境界因子の領域拡大。それに伴う暴走を見越した上でライバル企業に引き渡し、技術力の優位を見せつけ、共同研究へと持ち込む。企業間のパワーバランスをこちらに寄せた上で、その実、境界因子のコントロール権はこちらに戻した格好だ。全てが木原乖離の掌の上だったのだと、実感する。

 

「アンタ、この計画のこと全部知ってたのよね」

 

「? それがどうかしたのか」

 

「あの子を道具みたいに利用することに、思うことはなかったの」

 

 非難の視線を向ける冨逆に、通行区分は平然と告げる。

 

「ああ」

 

「どうして?」

 

 通行区分を睨みつけて、冨逆はまくしたてた。

 

「あの子は、私やアンタとは違う。本当ならこんな目に遭わなくていい子なのよ。それが、珍しい能力を持っていた、ただそれだけのために利用されて、危険な目に――」

 

「落ち着けよ」

 

 一際強い風が、屋上を駆けた。ねっとりとした温風がまとわりつく夏であれば、それは快適な瞬間だったことだろう。今の彼らにとっては、頭を冷やす効果すらない。通行区分は歩み寄り、冨逆の隣に立って茜色に染まる街を見た。

 

「ここが学園都市じゃなければ、お前の言い分は正しい。だが、ここは学園都市だ。表向きは二十年先の科学を抱く衛生都市だが、裏の顔は子どもを素材にした非合法が渦巻く実験場。そんなところに捨てられた時点で、アイツに真の安全はない」

 

 その言葉は、冨逆の境遇にも通ずるものがあった。

 

「お前は今、アイツは本当ならこんな目に遭わなくていい、って言ったが、お前の言う本当ってのは何だ」

 

「え……」

 

「アイツの親がアイツを捨てなかった未来か。それとも、稀有な能力を持たず、他の『置き去り』と同じように過ごした未来か。正直に言うが、そんな『もしも』は考えるだけ無駄だ」

 

 通行区分の瞳が、鋭い輝きを帯びた。それは首から下げているヘッドホンを着用した時の、豹変した彼によく似ている。

 

「都合の悪い事実を偽物として、都合の良い虚構を本物と思い込む。人間には往々にしてありがちな心理だが、そんなものは逃避でしかない。人間にできることは、不都合な事実を予測して対策することと、起こってしまった不都合に対処することだけだ」

 

 聞いている冨逆の表情に、少しずつ翳りが加わっていく。

 

「そんなことは、私だってわかってるわよ。私が復讐を望むのも――」

 

 言いかけて、冨逆は口を噤んだ。その所作に違和感を覚えたが、通行区分は静かに続けた。

 

「俺がアイツをそのままにしているのも同じ理由だ。道具だろうと何だろうと、俺たちの庇護下にあるのがアイツにとっての最善だからだ」

 

「……最善? 危うく自爆させられるような目に遭うことの、どこが最善――」

 

「最善だから自壊せずに済んでるんだよ」

 

 黒髪の少年は、ばっさりと断言した。言葉を呑む冨逆に、通行区分は少し視線を逸らす。

 

「……いや、これについては俺とお前で情報に差があるから、わかれって言うのにも無理があるか」

 

「……どういうことよ」

 

「インターフェイスをもともと管理していた『すいかずら園』は、こども園として『置き去り』を管理しつつ、基礎的な能力開発を行う機関なんだ。当初『才能補翼』の存在を確認したのもあそこだった。母さんは実用的ではなかった『才能補翼』の育成論を確立させたが、『すいかずら園』に任せておいて問題ないと判断し、観測データの報告だけを受けて野放しにしていたらしい。だが母さんの論文を見た『すいかずら園』は血相を変えて、どうにかして『才能補翼』をモノにしようと焦った」

 

 それから先は酷いもんだ、と通行区分は述懐する。

 

「『すいかずら園』の権限を逸脱した能力開発。外的刺激や薬物投与が行われ、挙句の果てには『体晶』の使用まで行おうとした」

 

「そんな……」

 

「『すいかずら園』はそんな都合の悪い情報は秘匿していたが、観測データをチェックしていた母さんに措置の全てを看破された。それを引き合いに出して無理矢理インターフェイスを引き取ることもできたが、『すいかずら園』に二度と手出しをさせないために大金を払い、あくまでも研究機関間の取引という形にしたんだ」

 

 話している間にも夕日は沈んでいき、二人の周囲が暗くなる。施設の屋上に設置されている電灯が、力なく点灯するのが見えた。

 

「能力者たちの価値を引き出すために研究者たちは躍起になる。それこそ、手段を選ばずにな。一方で、一度その価値が確立してしまえば手出しにも限度ができる。高価になるかもしれないモノと高価なモノには雲泥の差があるからな。今回母さんが『胎児』――『幻想猛獣(AIMバースト)』なんて呼ばれてるらしいが、アレを利用して強制的にアイツの成長段階を引き上げたのはそのためだ。アレを利用する方法は、アイツの安全確保のためには最善だったのさ。……最悪の中の最善、でしかないが」

 

 ともかくだ、と通行区分は手すりから手を放す。

 

「だから、今はお前も母さんを信じてくれ。お前と母さんの間にどんな事情があるかは知らないが、少なくとも、インターフェイスにとっては最善の『管理者』だ」

 

「……」

 

 冨逆は、決して頷かなかった。しかし、それ以上食い下がることもしない。何も言わないまま体ごと通行区分から顔を逸らし、手すりにもたれて街並みに目を向ける。それを了承と受け取って、通行区分は手すりに背を預け、思い出した、とでも言いたげに口を開いた。

 

「ところで、『幻想猛獣(AIMバースト)』の方はお前のオリジナルが鎮圧したらしいぞ」

 

「……オリジナル? ……ああ、『超電磁砲』か」

 

 一度聞き返して、不愉快そうに冨逆は言った。

 

超能力者(レベル5)なら、あれくらい止められて当然よ」

 

 吐き捨てるように言うので、さしもの通行区分も目を丸くした。

 

「随分と冷たい言い方だな」

 

「……まあ」

 

 帽子の鍔を摘まんで目深に被り直すと、冨逆美鼓は夜の帳が下りた街を見つめて、こう言った。

 

「気に入らないのよ。自分がどんなに恵まれてるか、気付いてないヤツってのが」

 

 その瞳は、ひどく悔しそうだった。

 

「……本当に退屈だわ。この街も、私自身も」

 

 憎々し気に、悲し気に言うその姿を、黒髪の少年はただ見つめていた。

 




ここまでご覧いただいた皆様、ありがとうございました。

以上で第一章 境界因子《インターフェイス》編が終了となります。内容に至らない点も多かったかと思いますが、忌憚なきご意見、ご感想をお待ちしております。
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