われら感染者が、鉱石病を患っても歩んでいけることの証明 作:缶頭
「われわれはフレンズウッド教会を完全に制御下に置き、600人を超える人質を得ている。われわれは都市政府に対して以下の二点を要求する。ひとつ、感染者に対する隔離政策の即時かつ完全な撤廃。あらゆる不公正を排除し、感染者たちが非感染者と同一の諸権利を行使できる状態にせよ。ひとつ、ネウストラシムイ派による感染者に対する種々の差別的行為の取り締まり。『鉱石病は神を信じない者に与えられた罰』などという醜悪な発言、こんなものが言論や信仰の自由の名の下に日々繰り返されるのをわれわれはもはや我慢できない。24時間以内に要求が受け入れられない場合、われわれはこの使用済み源石燃料棒を炸裂させ、教会内の人質全てを感染者にする用意がある。われわれは一切の交渉を行わない――」
以上がACC放送にインターネットを通じて送りつけられた犯行声明の様子です、とアナウンサーの声が割って入った。背の高い、黒髪のザラックの男。ワイシャツにジャケットというおおよそ凶悪犯には見えない平凡な格好をしている。右頬にある源石結晶から彼が感染者だと分かる。燃料棒を右手で持ち、見せつけるように胸の前で掲げながら犯行声明を述べていた。
テレビは同じ映像を何度も何度も流したあげくCMになり、CM開けと同時に教会周辺からの中継になる。教会をぐるりと取り巻く警察官を遠くから映していた。アナウンサーがあれこれしゃべっているが、新しい情報は何一つない。武装集団が教会に押し入り、警備員を何名か殺害したあげく礼拝中の信者を人質にして立てこもっている。分かっているのはそれだけだ。「新たな情報が入り次第お伝えします」とアナウンサーが告げ、映像はスタジオへ戻る。戻ったところで話すことなどない。
スタジオに呼ばれた解説者なる人物が、立てこもり犯は武器を持っているようだとか、複数人で襲撃したようだとか、想像力を働かせれば誰にでも分かるようなことを説明している。その中身のなさが事件があまりにも唐突だったことを雄弁に証明していた。警察本部のロビーに置いてあるこのテレビを見つめるよりも、本部内で右往左往している警察官や職員を見ている方がまだ面白い。
機動隊がどうの、メディア向けの会見がどうのと蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。ロビーでゆっくりとくつろいでいるのは昼食を食べ損なったロドスのオペレーターたちだけだ。
「リターニアの中央政府を通してクウェイル・ラン都市政府や警察との連絡は付いている。お前たち7人はフォート・ベンドへの移動を中止し、現地警察と協力して立てこもり犯へ対処、燃料棒を奪還せよ」
ロドスと繋いだタブレットの向こうでドーベルマンが矢継ぎ早に指示をしていた。どうもフォート・ベンドでテロを企んでいる連中と、今クウェイル・ランで立てこもり事件を起こした連中とはそれぞれ別のグループらしい。犯行声明を出しているこの男とまったく同じ人物が、源石再処理工場の監視カメラに映っていたことも分かった。「しかし先生」とフェンが口を開く。
クウェイル・ランの当局も警察もロドスに対してどうも非協力的だ。警察組織だってお役所だから、よそ者に対してぞんざいな対応をするのは分からないでもない。しかしややもすると敵意を見せるというのは理解できない。いない方がマシとでも言うのか。犯人グループの詳細を聞こうにも、教会内部の見取り図のコピーを求めても、待ってくれ待ってくれの連続で私たちはロビーでほったらかしされています。これでは協力どころではありません、とフェンは開けっぴろげに言った。
「クウェイル・ランでは感染者と非感染者との隔離政策が徹底されている。感染者は上層部の都市を追い出され、移動都市内部に作られたスラム街での居住を余儀なくされているそうだ。旅行者やビジネスマンはその限りではないようだが、ぬぐいがたい偏見があるようだな。犯人の要求からも、感染者の扱いがひどいらしいのは察せられる。ロドスからも圧力は掛けるが、現場で相互の信頼を確立するのも重要だ」
ドーベルマンは冷静にオペレーターたちに説明する。元はといえば、工場を襲撃された落ち度があるのも、ロドスに協力を要請してきたのもリターニアの方だ。そう言いたくなるのをぐっとこらえてオペレーター全員が自分たちに出来ることを考える。
「我輩は感染者じゃない。少しは話を聞いてくれると思うぜ。なにすりゃ一番役に立つ?」
マトイマルがソファーから立ち上がり、周囲に呼びかけた。
「対テロ部隊なり機動隊なりの動きを知りたいな。奴らが突入するなら手伝わないわけにはいかないだろう」
ラヴァが腕組みしたまま答える。ハイビスカスが慌てて会話に加わった。
「えっ? えっ? 突入するって決まったの? 取引とか交渉とかは?」
そんなものしないだろう、と平然とラヴァは答える。
「犯人たちは宗教団体を名指しで取り上げていた。ここに来るまでにいくつか看板を見かけたが、今時『子供に麻疹のワクチンを打つと鉱石病になる』なんて言う連中はカルトだけだ。ネットで軽く調べたんだが、隔離政策を主張して実現させたのがこのカルトらしい。権力を握った宗教は面倒だぞ。そんなネウス……なんとか派に、感染者を敵視するのをやめろと言ったところで聞く耳持たないだろうな。教官の話が正しいなら、この都市の感染者対策は相当に厳格だ。今すぐ変えろと言ったところで今日明日で飲める話じゃない。そんな奴らの教会に乗り込んで人質事件を起こすんだから、犯人たちはよほど腹に据えかねているとみていい。信者たちを感染者にしたいだけなら乗り込んだときにそうすれば良いんだからな。わざわざ人質を取って、要求を突きつけて、そのくせ期限を切った上で交渉しないなんて宣言はしない」
「ラヴァちゃん、なに言ってるのかぜんぜんわかんないんだけど……」
「つまり愉快犯というかだな、飲めない要求なのを分かった上で、要求が満たされなかったと言って感染者に差別意識がある信者たちを感染者にする。そうすることで教会が慌てふためく様を見たいんだよ。犯人たちは」
もちろん政府や警察も同じような推測をしているだろう。黙って見過ごすはずがない。
遅かれ早かれ人質救出のための作戦が開始されるだろう。ドーベルマンによれば、都合の悪いことにこの都市に駐留していた軍隊は――もともと小規模だったが――、フォート・ベンドに支援のため出払っているらしい。二つの都市でほぼ同時にテロ騒ぎが起きて、一方のためにもう一方が危機的な状況にある。狙ってやっているのなら素晴らしい軍略家ぶりだ。
それでも、こんなことを言っても気休めにもならないと分かっているが、それでもロドスのオペレーターが7人、この都市にいる。もし犯人たちの襲撃があと半日遅れていたら、7人はフォート・ベンド行きの高速バスの中でこのニュースを知っただろう。当面の問題は与えられた状況をいかに生かすか、だ。
◇
制御室と書かれたドアを開けると室内ではすでに作業が始まっていた。何台ものパソコンやサーバーからあちらこちらにケーブルが伸ばされ、部下が慌ただしく行き来している。インディゴは慎重に、比較的手持ちぶさたに見えたひとりを選んで尋ねた。
「ドローンと『饅頭』は?」
「ドローンは全機展開済みです。饅頭はアリエル副隊長が西側出入り口に配置している最中です」
サーバーの方は、とインディゴが聞くと、部屋の向こうでしゃがみ込んで作業していた部下が立ち上がって「最初のロックは外しました」と代わりに返事をした。
「帳簿やメールをわざわざ自前のサーバーに保存して、おまけにこんな大層なセキュリティを掛けるとは。よほど見られちゃ困るモノが入っているようです」
「らしいな」
部下の肩を叩いてねぎらったインディゴはそのまま部屋の奥へ進んでいく。窓からは大ホールの様子が見下ろせた。600人以上の人質が固まって座席に座らせられている。2000人が入れるホールだから3分の2は空席。そのうえ人は一カ所に集まっているため余計にガラガラに見えた。
一応は礼拝堂を名乗っているくせに、映画館のように一切の窓がなく室内は薄暗い。だがそれは建築家にやる気がなかったからではなく、意図的にそうなっている。なんのためかと聞かれれば、それは聴衆の感情を自在に操り、思うがままにするためだ。天井から、あるいは床からの照明が、劇場のごとく据え付けられた舞台のどこにどれだけの光を当てるかも、どのような音楽と効果音がいつ鳴るのかも、舞台を取り囲むモニターにどのような映像が流れるのかも、すべてが前もって厳密に計算されている。それら舞台照明や舞台音響といった演出を一手にコントロールするのがこの制御室だ。
牧師の言葉に合わせ、専用に作られた座席からは地響きが感じられ、顔にはエアーが吹き付けられる。強力な空調設備により寒さも暑さもわずかな時間で演出される。預言者の苦難も神の救いも、聴衆には眼前で本当に起こっているかように感じられ、多幸感と高揚感で気持ちが満たされる。ライブ会場で例えれば分かりやすい。熱唱する歌手が牧師、それに合わせて自ら手や足を振って歓声を送るのが信者たち。自分たちの一体感を強めトリップ状態になる――と言って悪ければグルーヴ感を味わう。
ロックバンドがラブ&ピースを叫べば盛り上がった観客もそんな気分になってくるだろう。ではその代わりに牧師が感染者は敵だと叫んだら? 信者たちはごく自然に、自発的に感染者を憎むようになる。それが自分に後から植え込まれた考えだとは思わない。
ライブの様子が後日編集されディスクに収められて販売されるように、ネウストラシムイ派は自分たちのウェブサイトや動画投稿サイトにアップするための道具も揃えていた。ライブ会場特有の一体感が味わえない代わりに、映像には感情を煽るようなエフェクトや音楽が後付けされ、宗教ポルノとでも言いたくなるようなくどい味付けになっている。
ネウストラシムイ派の強力なアイデンティティはこのような舞台演出と一体化した礼拝によって拡大再生産されていた。彼らが用意してくれた高価な機材のおかげで犯行声明の映像が簡単に撮影・編集できたのは皮肉だ。
「失礼します。隊長と話したいと申し出ている者がいるのですが」
ガチャリと開けられたドアから、部下が申し訳なさそうにインディゴに呼びかけた。
「その手の要望は全て無視すればいいと言っただろう」
「そうなのですが……言ってきたのはブラウン局長なんです」
ずいぶん懐かしい名前を聞いたインディゴは最初、聞き間違えではないかと思った。どうやらそうではないらしい。自分の決断を仰ぐ部下の顔を見て少し考えこんだ彼は、最終的には適当な部屋を見繕ってその人物を連れてくるように指示した。
◇
牧師や登壇者の控え室とおぼしき小さな部屋でその男は待たされていた。何かあったらすぐ知らせてくれ、と部下に言ってインディゴはドアを閉じる。部屋の中へ振り返り、椅子に足を組んで座っていたその訪問者をまじまじと眺めた。落ち着いた、ほとんど地味と表現される色のスーツを着込んでいる。顔に刻まれたしわが還暦を過ぎていることを証していた。インディゴがなんと言って会話を始めたものかと考えているうちに、向こうが口を開いた。
「町内会の付き合いで嫌々教会に来てみれば、不思議な再会もあるものだな。半年ぶりか」
「ごぶさたしています。ブラウン局長」
「元局長だよ」と言ってブラウンと呼ばれた男はインディゴにも椅子を勧める。壁に立て掛けてあったパイプ椅子を開いてインディゴはどっかりと座り込んだ。
「今じゃ定年再雇用された、役職もない警察官さ」
思い出話をしに来たわけではないでしょう、と言って本題に入るよう促す。ブラウンはインディゴの足から頭までさっと視線を巡らせつつ、慎重に話をはぐらかせた。
「少しやせたか?」
「恥ずかしながら、生まれて初めて飢えの恐怖を体験しましたよ」
そんな経験はしない方が良いに決まっている、と言ってブラウンは足を組み替える。まるで取り調べみたいだな、とインディゴは思った。手持ちの情報を小出しにしつつ相手の興味を引くやりかたはいかにも警察官らしい。
「特殊暴動対応班が解体された今の組織犯罪対策局には、押収した武器や麻薬を並べてメディアに写真を撮らせることしか仕事がない。昔に逆戻りしたみたいだ」
「覚えていますよ。あまりに暇すぎて押収された下着を色ごとにグラデーションになるよう並べたりしていました」
二人はほぼ同時に思い出し笑いをする。その笑顔は立てこもり犯とその人質にはまったく見えなかった。
「そのせいで機動隊がまたデカい面をしている。警備部から見れば、組織犯罪対策局が勝手に特殊部隊をこしらえて自分たちのまねごとをしていたわけだからな。案外、『5月5日の虐殺』を覚えているQSSU隊員がこの教会を包囲しているんじゃないかね」
それはインディゴら特殊暴動対応班が、機動隊から選抜された警官で構成されている特殊部隊、「クウェイル・ラン特殊警備部隊(Quail Run Special Security Unit、通称QSSU)」との模擬戦に圧勝してしまった「事件」だった。「警察官として社会的に必要な信仰心が欠如している」などと意味不明な理由で機動隊員のテストに跳ねられたインディゴ、容疑者だろうと上司だろうと殴ってみせるじゃじゃ馬婦警としてあらゆる意味で有名だったアリエルを始め、一癖も二癖もある札付き警察官が実質的な左遷先として送られる組織犯罪対策局。それが勝手に暴動鎮圧・対テロを任務とした部隊を作ってしまおうというのだから騒ぎにならないはずがなかった。
何故そんな真似をしたかと言えば、第一に暇で死にそうなくらい時間と体力が有り余っていたこと。第二に組織犯罪対策局の人員は皆それぞれの理由でくすぶっているだけで、決して能力的に劣っていたわけではなく、それどころか有能と呼んで良い人々ばかりだったこと。第三に――これが一番大きな理由だが――当時クウェイル・ランでは、差別的待遇の改善を求める感染者の抗議デモがほとんど暴動のレベルにまで発展しており、機動隊だけでは手に負えなかったこと。
当時徐々に地下へと追いやられていた感染者たちは、デモ隊となって地表部の都市で行進する計画を立てていた。彼らが覚悟を決めて上層へと出て行くと、そこに自分たちを地下に押し込んだ連中の良い暮らしぶりと、恐れと軽蔑が入り交じった表情でこちらをにらむ非感染者たちを見た。どちらが先に手を出したのかは知らない。だが双方が衝突するまでに時間はかからなかった。騒ぎに便乗した略奪がいくつも起きたが、そんなレベルを飛び越し人質を取って銀行に立てこもる事件まで起きていた。犯人の感染者3人組は抗議デモの混乱に紛れて私利私欲のため銀行強盗を考えていたらしい。ところがそれに失敗し、さりとて逃げられもしないため立てこもり事件へと事態をエスカレートさせた。
もちろん準備も何もないのだから勝ち目はない。何でもいいから援軍と大義名分が欲しかった犯人たちは突然、感染者に対する差別撤廃を要求としてぶち上げた。そう言えば感染者たちからの援護射撃がもらえると思ったのだろうが、そんなうまい話は無かった。抗議デモが大規模な暴動に発展する中で機動隊にも人員を割く余力がなく、破れかぶれで投入されたのがインディゴが隊長を務める特殊暴動対応班だった。こんな形で初陣を迎えるとは思わなかったが、それでも彼らは上手くやった。3カ所から同時に突入して犯人を確保し、人質全員を無事に確保した。
あまりに上手くいきすぎて自分たちが一番驚いた。だから、そんなものまぐれで上手くいっただけだとQSSUの側から言われたときはそうなのだろうと素直に思ったし、稽古を付けてもらうつもりで模擬戦の打診もした。オフィスビルを模して建設された訓練施設を現場に見立て、それぞれが突入側と立てこもり側に分かれて演習。その後に攻守交代してもう一度。特殊暴動対応班が全力でアーツを使いながら突入する様は「戦争かと思った」と言われるほど熾烈だった。暴れすぎたアリエルが人質役一人に「巻き添えで死亡」の判定を出してしまったほかは完勝と言って良かった。機動隊の中でも精鋭中の精鋭で構成されたQSSUの連中がバタバタと死亡判定を重ねていくのは痛快だったとブラウンは語る。これはおかしい、何かの間違いだ、と言いたげな表情をしたQSSU隊員たちが施設からぞろぞろと出て来る姿はあまりに愉快で写真を撮ってやろうかと思ったそうだ。
守る側になっても特殊暴動対応班の方が一枚上手だった。閃光手榴弾を投げ入れて突入したはずの室内には誰もおらず、人質の代わりに術師が待ち伏せていて、全く気づかない場所にトラップが仕掛けられており、しまいには立てこもり犯の側が攻めはじめる始末。結局、建物内に突入した12名のQSSU隊員は全員「殉職者」になってしまった。悪い夢でも見たような青い顔になって出てきた隊員たちはなおも食い下がろうとしたが、結果が全てだった。
この「5月5日の虐殺」によって名実共に認められた特殊暴動対応班はそれから着実に実績を挙げていく。あちらで暴動を鎮圧、こちらでテロを未然に阻止。そちらでバスジャック犯を逮捕。事件を解決するたびに評判が高まりメディアにも取り上げられる。それまでブーツからタクティカルベストまでなんでもネットや軍放出品店をあさって自腹で揃えていたところに、どこから流れてきたのか新品の装備が支給された。ようやく上も自分たちの価値を認めたのだろうと喜んで使っていたが、思えばこの時に気がつくべきだった。
違和感を持ったのは地表部の空き家を不法占拠する感染者を襲撃した時だ。なにも特殊暴動対応班が慌てて動かなくたって、裁判所の退去命令があれば合法的に感染者を追い出せる。建物の所有権に関する古い法律のため、その判決が出るまでしばらく、下手をすれば何ヶ月かはかかるだろうが、空き家にひっそり住んでいるだけの感染者をわざわざ殴りつけて追い出す必要なんてあるのか? 当時のインディゴたちはそんな風にちらりとは考えたが、命令が下っている以上なにがしかの事情があるのだろうと頭の隅へ片付けた。武装した悪党たちがたむろしているのかと思いきや、住んでいたのは4,5人の少年少女たちだった。身寄りのないこの小さな感染者たちは日雇いや不法就労でなんとか生計を立てていたのだという。そのうちの一人は鉱石病がかなり進行しており、歩行さえも困難な様子だった。
どう考えても特殊部隊が出動するようなケースではなかったと報告書には書いたのだが、それからも似たような事例はたびたび起きた。ひょっとしたら特殊暴動対応班を一番高く評価していたのはネウストラシムイ派かもしれない。それまで感染者に手を焼いていた警察の中に新しい特殊部隊が出来て、せっせと感染者を地下へと追い出すことで自分たちの信仰が満たされていくのだから願ったり叶ったりだった。
そんな話を聞いてはいたが、インディゴとしては「結果的にそうなっているだけだ」としか答えようがなかった。冷や飯を食わされていた自分たちが世間の評判になっていくのは確かに気分が良かったが、あくまで命令で動いているに過ぎない。ただ特殊暴動対応班の中にも何名かの熱心な信者がいて、彼らは「感染者いじめ」を楽しんでいるふしがあった。もっともその点に関しては警察も役場も似たような状況だったのだが……。
本格的におかしさを感じたのは、なおも地上に拠点を構えて抵抗――相手が感染者だというだけで、「昔から住んでいた自分の家で生活すること」はこう表現された――する感染者たちのブロックへ突入し、何人かを検挙したときだ。ある日その近くを通り過ぎたときにはブロックが丸ごと更地になっていた。いくらなんでも裁判の判決が出るまでは手を出しちゃまずいだろうと感じたさらにその数ヶ月後、気がつくとそこには有機栽培のコーヒー豆を使っている小洒落たカフェ、菜食主義者向けのレストラン、マインドフルネスとヨガのコースを有するトレーニングジム、そして高級マンションが建設されていた。
「結局、われわれはネウストラシムイ派のために宗教戦争を、行政と不動産屋のためにジェントリフィケーションを代行してたに過ぎなかったわけでしょう。しかも、嫌々やっていたのではなく喜んでやっていた」
インディゴはうつむいたまま言って、頬の源石結晶を指先で掻いた。それは地表部へ住む感染者に対する最後の「襲撃」任務の時に受けた傷によるものだ。狭い路地で密集し屋内の様子を探っていたとき、バラックの屋根から大量の液体をぶちまけられた。可燃性の液体だったようで、なんとかして火を放とうと容疑者は必死になっていたが着火は出来なかった。おかげでフランベされずに切り抜けられたのだが、この時浴びたのが使用済み源石燃料棒を再処理した液体燃料だった。
経済的にも追い詰められていた感染者たちにとっては貴重な燃料だったはずだが、そんな危険物質を浴びたせいでずぶ濡れになった隊員全員がひと月と経たぬうちに鉱石病を発病した。バラックを挟んで一本向こうの道路にいた隊員たちはすぐさま応援に駆けつけ、撒かれた燃料の上をビチャビチャと音を立てながら走り犯人を追っていった。再処理された燃料は市中に出回るものではない。だから浴びせられたのはただの灯油か廃油だろうと決めつけてしまったのだ。飛び散ったしぶきが顔や手足に付着し、あるいは気化した燃料を吸い込む。こうして直接燃料を浴びていない隊員までもが感染し、結果として特殊暴動対応班のほとんどの隊員が鉱石病患者になってしまった。
インディゴ本人は地面で跳ねた燃料を浴びたに過ぎなかったのだが、それでも源石融合率と血液中源石密度は治療が必要とされるレベルだった。隊員の中には造影検査で肺が真っ白になっていた者もいた。感染者を散々痛めつけていた特殊暴動対応班自身が感染者になったとき、一体何が起こったかいちいち説明するまでもない。感染者は感染者、その原則は動かなかった。警察職員がみな非感染者である以上、そしていつの間にか警察までもがネウストラシムイ派の強い影響下にあった以上、警官を辞めるざるを得ないのだろうとは想像していた。天下り先できままな暮らしが出来るかもなどと甘い考えを抱いていたが、このままでは規則に従って隊員たちに結構な額の恩給を支払わなければならないと誰かが気づいたせいで話が変わった。
何が何でも感染者に税金を使いたくない奴でもいたらしい。告げられたのは隊員たちをまるごと懲戒免職にするとの決定だった。処分の理由は「感染者に対する不当かつ不必要な暴力の行使」。それを求めていたのはほかならぬ地表に住む市民と警察、そしてネウストラシムイ派自身だったのにも関わらず! 要するに地表から感染者を追い出すことに成功し、デモの類いも完全に沈静化したから特殊暴動対応班はもはや不要だという訳だ。ましてや隊員たちが感染者だというならなおさらだ。
そこまで状況が進んでから始めて、この都市において「模範的市民」がひとたび感染者になったときどう扱われるのかをインディゴたちは知った。神を信じていれば鉱石病にはならない。鉱石病の感染者は神に罰された者。では信心深く神を信じていた者が感染者になったら? 過去にさかのぼって「偽者の」信者とされたあげく、「神を欺こうとした」背教者に自動的に切り替わるのだ。他の教派、他の宗教が感染者をどう扱っているかは知らない。だが少なくともネウストラシムイ派はこれだ。
そのようにしてコミュニティから蹴り出される人々を少なくない人が目の当たりにしていた。昨日までおなじ神に仕えていた良き友人、良き隣人、良き同僚だった人が鉱石病を発病する。それをきっかけにその人の今までの人生が全て「嘘」だったと書き換えられてしまう。鉱石病になりたくない一心で信仰を強めれば強めるほど感染者になったときへの不安が強まり、そのためによりいっそう神への信心を深めなければならず、そうすることでさらに心配になるというループが成立していた。ネウストラシムイ派の信者が持つ信仰強さはここに理由がある。
首にしてそれでおしまいとはならないだろう。最終的にスラム送りにされるのは目に見えている。抵抗しようものなら自分たちが今まで手錠を掛けてきた感染者たちと同じく刑務所行きだ。だとすれば取るべき道は決まっている。隊長だったインディゴは隊員の面倒を見る責任を感じていた。最終的に、特殊暴動対応班はほぼ全ての隊員が移動都市の外へと行方をくらませたためになし崩し的に解散したのであった。「感染者を上層の街から追い出す」という点では宗教狂いたちの目標が達成されているのはしゃくだったが、背に腹は代えられなかった。
「あの時君たちを救えなかったことは今でもすまないと思っている。私も腹をくくって上と戦うべきだったのだが――」
「あなたには子供が4人もいた。あと1ヶ月静かにしていれば退職金がもらえるのに、わざわざ手を突っ込んで局長まで首を切られる必要はなかったでしょう。私が逆の立場でも同じようにしましたよ」
「すまない。本当に、すまない……」
絞り出すような謝罪の言葉と共に、ブラウンは深々と頭を下げた。
「ポリタンクに入った燃料を浴びせてきたあの容疑者は、手錠を掛けられるときに『お前たちも感染者になれば自分が何をしているか分かるだろう』とこちらをにらみ付けて言ってきたんですよ」
つまるところ、自分たちは感染者たちを生き苦しくさせ続けていただけであり、いざ自分が感染者になったときにやっていた行為がそのまま跳ね返ってきたのだ。非感染者が感染者になるのは簡単だが――たとえば液体燃料を浴びるとか――感染者が非感染者になった話は聞いたためしがない。自分で未来の自分の首を絞めていただけではないのか。だが。
「われわれが散々やってきたことを今更感染者に謝って許してもらえるとは思っていません。その資格があるとさえ思いません。騙されていたなどと言って被害者ぶるつもりもなければ開き直るつもりもない。ましてや人を殺しておいて正義の味方だなんて図々しい主張もしません」
インディゴはしっかりとしたまなざしでブラウンを見つめる。涙なしには語れない生い立ちがあるわけでも漫画になるような悲しい過去があるわけでもない。ヒーローのまねが似合う年でもない。まして社会的には単なる立てこもり犯。都市政府の返答いかんによってはあと二十数時間のうちに大犯罪者になる。
「では聞くが、君たちは一体誰のため、何のためにこの事件を起こしたんだ? てっきりネウストラシムイ派に対する嫌がらせを兼ねた感染者への贖罪だと思っていたのだが?」
違います、とインディゴはハッキリ断言した。
「われわれ自身のためにです。感染者のために戦いたいのならとっくにレユニオンにでも入っています」
ふーむと言ってブラウンは腕を組んだ。インディゴたちがテレビ局へ送りつけた犯行声明の内容をもし彼が知っていたらあんぐりと口を開けてあきれ返っただろう。明らかに言っていることが違うではないか、一体どっちが本音なんだ、と。
「そうか。警察官として君たちを説得する義務があると思ったからここまで来たんだが、どうも私には想像も付かないような考えがあってやっているようだ。今更何を言っても止めてはくれまい……正直に言えば、君たちがあの毒ガスだかなんだかを撒いて人質を感染者にしてしまえば、私自身の体の言い訳になるかもしれないとも思ってしまっているのだが」
「局長、あなたも――」
まだごく初期の段階だがね、と言ってブラウンは力なく笑った。
「知り合いに見つかるわけには行かなかったんでね、スラムまで出かけていって闇医者に診てもらったよ。君たちこそどうなんだ? アリエル君は元気にしているか?」
「彼女ならピンピンしていますよ。鉱石病で倒れるところなんて想像も出来ない」
「アーノルドやピョートルは」
「アーノルドは親類のつてを頼ってヴィクトリアへ行きました。あいつのことだからうまくやっているでしょう。ピョートルは先月、死にました。鉱石病が肺の中まで回っていましたから……。私は今のところこれだけです」
と言ってインディゴは右ほおの源石結晶を指さした。ブラウンはそうか、と言って目線を足元に落とす。特殊暴動対応班がクウェイル・ランを抜け出したときには大勢いた仲間も、故郷へ帰った者、定住先を見つけた者、亡くなった者と離脱者が増えて今では二十人足らずでしかない。
逆に言えば、今もなお残っている者は依然として安住の地が見つからないのだ。今まで都市の中で「文化的な」生活をしていただけに荒野での過酷な生活は合わない。深手を負えばそれで終わりの傭兵稼業もいつまで続けられるか分かりはしない。食い扶持を得るためにレユニオンにでも加わろうかとチラリと考えはしたが、自分たちが感染者を散々いじめ抜いてきた良心の呵責があるだけにそこまで鉄面皮にもなれはしなかった。
そんな放浪生活を半年ほど続けて、とうとうクウェイル・ランに戻ってきてしまった。しばらくの間黙って思索にふけっていたブラウンが顔を上げて、しっかりした口調でこういった。
「鉱石病に感染したのを隠しながら地表で生活している人間は山ほどいるはずだ。家族にも相談できない悩みを抱えながら生きている人間や、信仰深く生きてきたのに鉱石病になってしまった人間がな。いずれにせよ、この都市では公式発表よりはるかに多い感染者がいるのは間違いない」
部屋の外からバタバタと誰かが走ってくる音が聞こえ、そのままドアが勢いよく開けられた。その慌てる音だけでブラウンでさえ何が起きたのかが分かった。
「隊長。ドローンのカメラが機動隊の怪しい動きを捕まえました。警察無線の通信量も先ほどから増加しています。なにか仕掛けてきそうです」
今行く、局長をホールまで案内してあげてくれ、と答えてインディゴは立ち上がる。ブラウンは部屋から出ようとする彼の背中に「早まるなよ」と言葉を投げかけた。インディゴは一瞬立ち止まったが、返事をせずに去って行った。