われら感染者が、鉱石病を患っても歩んでいけることの証明   作:缶頭

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第7話 フレンズウッド教会 1階ロビー 19:54

 訓練で身につけた条件反射に従って薙刀を構えながら通路の角を曲がる。曲がった先では照明が点灯されており、少し進んだ先にあるロビーの様子がよく分かった。今まさにそこを駆けてくる3人の立てこもり犯の様子も、だ。先頭を走っていた男がこちらの存在に気づくやいなや手に持っていた消火斧を振りかざしてマトイマルに襲いかかる。とっさに薙刀で受け止めた。相手が人間なら好きに戦えるってもんだぜ。

 体の血がたぎる一方で頭が冷めてくるいつもの感覚が襲ってきた。戦いに集中するあまり周りが見えなくなる。それで、戦いが終わった後になってから自分が大暴れしたことに気がつく。いけないと思いながらも馬鹿力の制御に苦労していた。良くも悪くも集中しすぎているのだ。

 マトイマルは一気に相手を押し返してよろめかせる。そのまま真横に切りつけようとしたところで二人目が割って入った。右手に長い警棒、左手に重装オペレーターたちがよく使う金属製の盾を持っている。力任せに盾で殴りかかってきた。後ろに跳ねて距離を取り、相手が空ぶったところを盾ごとぶった切る。ぶった切るはずだったが、そこへ三人目がアーツの稲妻を放って邪魔をする。見事な連携だと言わざるを得ない。

 右へ左へ、激しく動き回りながら一人で三人をまとめて相手にする。斧男の隙を突いて薙刀を振り下ろそうとしたところへアーツで邪魔をされ、それでは術師から倒そうと距離を詰めれば盾野郎に妨害される。まんまと相手のペースに飲み込まれていた。自分が騙されやすい性格だとは自覚しているが、ここまであっさりと相手の手に引っかかってしまうと自分で自分が情けない。情けないと思っていても、別の手段を取られるとあっさり騙されてしまうのだが……。

 

「伏せて!」

 

 突然背後からメテオの声が響いた。声に従い薙刀を振るう手を止め床にしゃがみ込む。頭上を通り抜けた矢が斧男の右腕に突き刺さった。痛みのあまり武器を落としてしまった斧男をカバーするよう盾野郎が前に出る。が、そこはマトイマルの攻撃圏内だった。薙刀を下から振り上げ、盾ごと体を大きく切り裂いた。振り上げた先で刃をくるりと回し、振り下げて斧男を切り伏せる。一瞬のできごとだった。大振りになったマトイマルの隙を突いて稲妻を撃ち込もうとした術師だったが、代わりにメテオの矢が胸に撃ち込まれた。前方に付きだしていた腕が天を指し、そのまま天井へ向けてアーツを放ちながら、人形のようにぐにゃりと倒れた。

 

「一人で突っ込むのはダメっていつも言ってるでしょう」

 

 敵を全員倒したことを確認してから、言葉は厳しいが優しい口調でメテオがしかる。ごめん、頭に血が上っちまって――と素直に謝るほかなかった。「あなたの後ろにはいつも仲間がいるんだから、それを忘れないで」とメテオは続ける。

 とても人をしかりつける台詞ではない。一体どういう星の下に生まれればここまで優しい女性になれるのだろうか。修行、修行が足りねぇなぁ、とマトイマルは頭を掻いた。

 二人してロビーの様子を探り、耳を澄ませる。メテオの頭に生えているクランタ特有の耳がピクピクしているのがなんだか面白かった。ずいぶん静かで誰もいない。遠くの方から破裂音が聞こえる。味方が頑張っているのだろう。無線機をいじってジェシカに戦況を聞くと、正面エントランスから突入した機動隊もA1も一進一退の戦いをしているとの報告があった。向こうが忙しいのなら、こちらは思った以上に手薄なのかもしれない。事実待ち構えていたのは饅頭だけで、今駆けつけてきた3人もその援護のために後からやってきたのだろう。攻め込むチャンスではある。が、人質救出と同じくらい燃料棒の回収も大事だ。

 ロビーから饅頭の残骸のある場所まで戻ってきて確かめる。ボディカメラを通じてジェシカに識別してもらったところ、缶の側面に打刻されたシリアルナンバーが盗まれた燃料棒のそれと一致したと言うではないか。つまり本物だ。目の前にトラックいっぱいの爆薬より危険な物が無造作に置かれていると思うとさすがに背筋が冷える。

 汚染測定器が反応しないので中身は漏れてはいない。とはいえ正直あまり触っていたくはない。車体のフレームに針金と金具でがちがちに固定されていて外すのは少し手間が要る。マトイマルの薙刀でぶった切ってみるのはやめておいた方が良さそうだ。

「私が残って解体するわ。あなたはロビーを突っ切って大ホールへ向かって。燃料棒を安全なところへ運んだらすぐ追いかけるから」

 おいおい、たった今チームワークの重要性を説いたばかりだろうと言おうと思って、これもまたチームワークに他ならないと思い立った。二人がかりで針金をほどくのは時間の無駄だし、敵の援軍もないだろうから護衛も要らない――そんなに人手が余っているならさっきの3人組はもっと大勢だったはずだ。どちらか一人が先に進むとしたら、屋内で弓矢の自由が利かないメテオよりマトイマルの方が適任だ。本当によく考えてるお姉さんだなと心底思う。

 

「わかった。無線は入れっぱなしにしておくから、何かあったら呼んでくれ」

 

 耳に付けたインカムをトントン叩きながらマトイマルが言った。音量を大きめにしておいたから、頭の中が真っ白になってさえいなければ気がつく……と思う。

 

「気をつけてね」

 

 メテオにその場を託して駆け出し、ロビーを通り抜ける。明かりは付いているのに誰もいないロビーは不気味だった。ロビーのすぐ横に売店があって――なんで教会に売店があるのかは知らない――そこは電気が付いておらず真っ暗だった。誰かが潜んでいないかと慎重に確認する。かすかに人の輪郭が見えて思わず身構えたが、よくよく見れば牧師が表紙に印刷されているだけの雑誌だった。写真の牧師は自信に満ちた笑顔をしてこちらを見つめている。驚かせやがって。

 売店を通り過ぎてさらに前進。「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた立て札を無視し、事前の計画通りスタッフ用の通路へ。大ホールへはこちらの方が近い。ロビーと違いこちらは明かりが消えていたが、人感センサーの照明らしく進むにつれてどんどん明かりが付いていく。

 ふと、細い通路の真ん中に段ボール箱があるのが見えた。まさか爆弾でも仕掛けてあるのか? と思い足を止める。音も臭いもしない。何が飛び出してくるか分からないのだから慎重に近づく。3メートル、2メートルと近づき続けても何も起こらない。いよいよ目の前まで来てしまい、足で小突いてみようかと右足を伸ばした瞬間、これも人を騙すための罠に違いないと直感した。本当に爆弾だったとしたらいかにも疑ってくださいとばかりに見え見えの置き方をするはずがない。見つけた人間の足を止め注意をそらす、そのためだけのちんけなフェイク。

 マトイマルが身構えようとした瞬間、引き戸が開けっ放しになっていた暗い部屋から人影が飛び出してきた。瞬時に眼前へと押し迫った相手が振りかざした剣を間一髪でかわす。あと1秒遅ければ確実に体が半分にされていた。だが斬撃をかわすために無理をして体のバランスを崩したために、マトイマルは相手の第二撃を受け止められなかった。

 相手の拳骨が鼻っ柱に叩きつけられる。目の奥で火花が飛び、鼻の中が鉄の臭いでいっぱいになった。薙刀を振るいながら相手と距離を取る。涙が溢れる目を開いて相手を視界に収める。右手で刺突剣を構え、左手に籠手を付けたフェリーンの女――アリエルが立っていた。

 

「驚いた。私の籠手を顔面に食らってよろめかない人間はあなたが初めてね」

「へへ、体の頑丈さには自信があるからな」

 

 垂れてきた鼻血を指でぬぐい、鼻をすする。喉の奥まで鉄臭くなった。薙刀越しに相手を見つめる。自分より背の低い相手だ。灰色の髪を短くまとめており、フェリーン特有の耳が横へ向けてピンと立っている。ゆとりのあるパンツスタイルで、防具らしい防具は身につけていない――もっとも自分も似たようなものだが。足元にちらりと見えるブーツだけは場に似合わぬほどミリタリー調でゴツゴツとしていた。足を使って手数で攻めてくるタイプだろう。フランカの持っているレイピアをさらに短く細くしたような剣はこの狭い通路ではいかにも扱いやすそうだ。

 相手の武器を確認して、自分がまた一つ相手の思う壺にはまっていることに思い至った。廊下の幅は2メートルあるかも怪しい。自分の薙刀を横にしたら確実に突っかかる程度には狭い。相手は自分が最も有利となる場所で待ち伏せしており、マトイマルはまんまとそこにやってきてしまった形になる。もちろん、広いロビーまで引き返せば好きなだけ暴れられる。だが相手は簡単に逃がしてくれないだろうし、逃げてしまっては燃料棒の回収も人質の救出も出来ない。

 心臓が高鳴り血が脳全体に巡る。目の前の相手はこちらの突入に合わせて迎え撃って来るのではなく、教会の内部で待ち構えていた。それもたった一人で。監視カメラか何かでこちらの動きを掴んでいたのだろうが、ともかくこいつはいずれかの防衛線が突破されたときに投入される予備兵力、いわゆる「火消し」役だ。よほどの猛者に違いない。逆に言えば、こいつを倒す、ないし足止めし続けることはそれだけで味方を強力に援護することを意味する。

 メテオ、A1のメンバー、警察官たちの顔が次々浮かんでは消えていった。久々にとんでもない奴と戦えそうだぜ。

 薙刀を両手でしっかりと握り、勢いよく突きを繰り出す。アリエルはとっさにかわし、踏み込んで自らの攻撃圏内へと近づく。読み通り! 腕をひねって薙刀のお尻の部分――いわゆる石突で相手を引っぱたく。左腕に付けた籠手でそれをガードしたアリエルはそのままマトイマルの腹部を狙い、スモールソードを突き立てようとする。だが馬鹿力を振り絞ったマトイマルが薙刀の柄をアリエルに押しつけ、動きを抑える。形勢不利と見たアリエルはバックステップでいったん距離を取り、相手が薙刀を大上段に構えたのを見て再び懐へと飛び込んだ。望むところだとばかりにさらに高く掲げて振り下ろそうとした薙刀が、突然バキリと音を立てて動かなくなった。手元から視線を這わせていくと薙刀の切っ先が天井にめり込んでしまっていた。なんて低い天井だ、などと愚痴る暇もない。敵はもう剣を振るうモーションに入っている。力任せに薙刀を引っ張って無理矢理振り下ろす。アリエルはそれをあっさり避けて左から右へと横一文字に切りつけた。腹に鋭い痛み。服も肌着もきれいに切られた。

 マトイマルは左手で斬られた部位に手をやる。大丈夫、ほんの2,3センチ斬られただけだ。対して深い傷じゃない。なんて速い踏み込みだ、と舌を巻いた。下手を打てば間違いなく首が飛ぶ。軽やかな身のこなしだが、これだけ派手に動けば体力の消耗も激しいはずだ。そこを狙うほかない。薙刀を短く持ちなおし、大振りにならないよう気をつけながら攻撃を繰り出す。だがそのたびにアリエルは身をかわし、あるいは籠手で受け止める。そして間隙を縫ってはこちらに的確に反撃してくる。マトイマルが薙刀を振るうたびに自身の怪我が増えていくという、一見すると理解に苦しむ光景が起きていた。

 あんな細い剣、つばぜり合いになれば一瞬でへし折ってやるのにともどかしく思わずにはいられない。相手は当然そうならない戦い方を選んでいる。力のコントロールが下手で深く考えるのが苦手。そんな自分が一番戦いづらいタイプの敵だ。アリエルが剣を構えた。またあの尋常じゃなく速いステップインで飛び込んでくる! タイミングを合わせて薙刀を突き出し迎え撃つ。だがアリエルは薙刀を屈んで避ける。そのまま右手の剣……いや違う! 剣を振るうにはあまりに近すぎる! とっさに薙刀を右へと全力で振るい、その反動で体を左へ逃がす。さっきまで自分の頭があった空間をアリエルの籠手が殴りつけていった。アレをまともに受けたら今度は鼻血じゃ済まない。マトイマルの反撃は空を切り、またもアリエルに距離を取られる。

 武器のリーチはこちらが圧倒的に勝っているのに易々と懐へ入られるのだから堪らない。もっと小振りに、コンパクトに攻めるんだ。頭では分かっていても実践するのは難しい。隙を突いたアリエルにまた接近を許し、今度はももを斬られた。痛みで顔が歪む。

 いつぞやロドスの仲間たちと食べに行った、つり下げられた肉塊から刃物で肉を削いで作る料理を思い出した。このままじゃああの肉みたいになっちまう。相手はこちらを一撃で倒すのは無理と見たらしく、何度も何度も痛めつけて少ずつ手傷を負わせていくつもりのようだ。無論、だまって切り刻まれるつもりは毛頭ない。

 相手の太刀筋を繰り返し観察し――時にはその身に受け――続けたマトイマルは、覚悟を決めるとわざと薙刀を大きく振りかざす。もちろんアリエルがそれを見逃すはずがない。素早いフットワークで近寄り、ヒュンと剣に音を立たせて突きの体制に入った。振りかざされた薙刀の刃をかいくぐり、突き出されたスモールソードがマトイマルの腹部にまた何センチかの穴を開けた。だが次の瞬間、薙刀の柄が全力で左の二の腕に叩きつけられる。あまりの衝撃でそのまま壁に体がぶつかる。追撃をなんとか避けて大きく距離を取るアリエル。先ほどまで胸の前で構えていた左手がだらりと垂れ下がっていた。腕の骨が折れたのか、少なくとも大きくひびが入ったのだろう。最初から刃で斬ることを諦めたマトイマルが、自分の腹をまたも傷物にされるのと引き替えに相手の腕を一本使えなくしたのだ。肉を切らせて骨を断つ、のことわざを自ら証明した形になる。

 とはいえマトイマルのダメージも少なくはない。体中切り刻まれてあちこちから血が流れている。彼女の白い髪も衣も赤い染みがべっとりついていた。体は丈夫でも痛みを感じないわけではない。力を込めて斬撃や突きを繰り出すたびに傷口が開き血が流れる。冷や汗が背中を流れ、歯を食いしばって痛みに耐える。鼻の中が血で詰まったせいで口でしか息が出来ない。

 ぜぇはぁと呼吸して息を整えようとするが、アリエルはそんな暇を与えようとしない。右手のスナップを利かせて斬り付けてくる。いつの間にかずしりと重くなった薙刀――もちろん重さは変わっていない。怪我と疲労とで身体の自由が利かなくなっているだけだ――でなんとか防ぐ。華奢な見た目の割になんて重い一撃だ。両手に力を入れ、相手を押し返しながら左から右へと薙ぐ。もはや籠手を使って攻撃を受け流せないアリエルは後ずさりながら紙一重でかわしたが、その途中で足がもつれあやうく転びそうになった。マトイマルにとって絶好のチャンスだったが、身体が痛みで言うことを聞かず追撃できなかった。薙刀にちらりと目をやると相手の剣を受け止めた部分の刃がわずかに欠けていた。この前ヴァルカンに研いでもらったばかりなのに、またどやされちまう。だがそんな心配は目の前の相手を倒してからすればいい。

 苦痛で動きが鈍くなってきたマトイマルだが、相手も似たり寄ったりのようでだいぶスローモーになってきた。見れば肩で息をしている。戦いが長引いてスタミナが切れてきたのか。なんにせよ今が好機だ。足元を狙って斬り付ける。もはや受け止める力を使い切ったアリエルは必死にかわす。華麗な足さばきはすっかり消え失せていた。辛うじて逃げた先へまた追い打ち。攻撃の切れ目に合わせてカウンターが繰り出されるが、マトイマルは物ともせず攻め続ける。相手が体力を使い果たすのが先か、こちらが出血で倒れるのが先か。創傷からおびただしい血を流しながらマトイマルはアリエルへと迫る。絶対に逃すものか。上へ下へ斬り付け、左へ右へなぎ払い、突きを繰り出す。そしてとうとう、薙刀がアリエルを捕らえた。

 下腹部へ一閃。決して深くはない切傷だったが、それに耐える体力はとうに尽きていた。右手からスモールソードが滑り落ち、軽い金属音を立てて床に転がった。次いで同じようにアリエル自身もぐったり座り込み、そのまま力なく倒れ仰向けになる。手足に力を込めて立ち上がろうとしたが、左腕は折れ、右腕には力が入らず起き上がれない。ドジった、と小さくつぶやいて抵抗を諦めた。

 

「とんでもなく強いお嬢さんね……警察官にも兵隊にも見えないけど、あなたどこの人?」

 

 アリエルは出来うる限りひょうきんに喋ったつもりだったが、苦しそうな表情と口調は隠しようがなかった。だが余裕がないのはこちらも同じだ。薙刀を杖代わりにしてなんとか立っていられるに過ぎない。

 

「我輩はマトイマル。ロドスから来た」

 

 最近の製薬会社は社員に薬じゃなくて武器を扱わせているのね、とだけ言ってアリエルは静かになってしまった。どうやらロドスについて多少は知っているようだ。目をつぶったまま荒く呼吸しており、服のへそのあたりには血がにじんでいる。頭から生えている耳がぐったりと寝ておりいかにも苦しげだ。そのくせ時折目を開けては妙に清々しい表情を浮かべることがあり、まるで奮戦の末破れたスポーツ選手のような印象を受ける。

 何を考えているのやらと思いつつ通信機をいじってメテオを呼び出す。ほんの少し前に燃料棒の取り外しが終わり、今こちらへ向かおうとしているらしい。犯人1名を負傷させた状態で確保したので担架を持ってきて欲しい、と連絡した。服をめくり挙げて自分の負傷を確認する。ひどい怪我だ。血だらけ傷だらけになった腹はあまり見たくないのですぐ顔を背ける。傷があっという間に治る体質とは言え、これは応急手当が必要なレベルだ。

 万が一を考えてアリエルから多少距離を空け、タクティカルポーチから消毒・殺菌・止血用万能スプレーを取り出す。壁に身を預けつつ、服をめくって中身を吹き付けた。傷口に恐ろしいまでに染みるために思わずうめき声を漏らす。横たわったままのアリエルがチラリとこちらを見たが、気づく余裕さえなかった。その上から創傷被覆材を湿布のごとくペタペタ貼りつけ、さらに包帯をさらしのようにキツく巻き付ける。痛みで手が震えるせいでだいぶ難儀した。腕や足にも同じように手当をする。傷口に触れたせいで血まみれになった両手を余った包帯で拭う。ついでに鼻血を拭き取ろうとしたが、すでに半分乾いていたようで鼻の下に血の跡が広がっただけだった。鎮痛剤を探してポーチを漁る。アナフィラキシーや食物アレルギーの患者が使う自己注射薬に似た小さな注射キットを取り出し、青色の安全キャップを外す。オレンジ色のニードルカバーを服の上から太ももに押しつけた。カチリと音が鳴るのと同時にキットから針が飛び出し、鎮痛剤が注射される。

 

「ぃってぇ!」

 

 もちろん針なのだから痛くないはずはない。痛み止めを打つために痛みを味わうという一見矛盾した行為をしただけあって効き目は保証されている。とにかく、きく。キットをポイ捨てして針が刺さった部位を揉む。まだ何か使えそうな物がないかポーチに手を突っ込んでみると、車の中でハイビスカスから渡されたお手製キャンディが出てきた。キャンディと名乗るからには何かしらの甘みが付いているはずだ。何か甘い物を食べたいとの欲求に駆られるまま口に入れるべきか、ハイビスカスが打ち立てた様々な伝説に従いそっとしておくべきか。

 可愛らしい包み紙をじっと見ながら考えていると後ろから自分を呼ぶ声がした。振り返えるとメテオ、そして恐る恐る彼女に付いてくる2名の警官がこちらへ走り寄ってくるのが見えた。倒れているアリエルや床に飛び散った血痕、放り捨てられた鎮痛剤の容器を見て大方の事情を飲み込んだメテオは両手をこちらの頬にあてて顔をのぞき込んでくる。

 

「怪我してるの? 大丈夫? 痛みはある?」

 

 痛いから鎮痛剤打ったんだよ、と答えると「あっ。そうね、ごめんなさい」と言って今度はきちんと応急処置が出来ているか勝手に裾をめくって確かめ出す。小学生と母親のやりとりかよ! と心の中で突っ込みつつ、世話焼きな彼女を見て仲間のありがたさを実感せずにはいられない。その背後ではアリエルが折りたたみ式の担架に乗せられ、外へと運ばれていった。ちょっと不用心じゃないかと思ったが、メテオの話を聞くに一階はほぼ完全に制圧できたらしい。行動予備隊A1が大金星を挙げ、大ホールの人質を無事に救出できた。その周辺での戦闘に伴い、立てこもり犯は2階の制御室へと撤退したそうだ。その分割を食ったのは屋上から突入したQSSUで、彼らとの連絡は先ほどから途切れている。2階にいた犯人にやられたのだろう。

 とはいえ打ち倒した犯人の数からして、残りはほんの数名のはず。先ほどからドーベルマンと共にA1の支援に回っていたジェシカが――だから戦っているときにやけに静かだったのかぁ、とマトイマルは今更になって気づく――こちらを呼び出して、2階へ移動しA1と合流、制御室を制圧するよう伝えてきた。

 

「さぁて、もうひと働きと行くか」

「その体で行くつもり? 全身血まみれじゃない!」

 

 床に置いていた薙刀を拾いあげ歩き出そうとするマトイマルをメテオが制止する。血は止まったし、痛みも多少マシになってきた。鼻の中は詰まったままだが、やってやれなくはない。

 

「……と言っても、どうせ聞いてはくれないでしょうね。とにかく無茶はしないで、私の後ろに付いてきて。いいわね?」

 

 相変わらずなんでもお見通しらしい。ロドスに戻ったらスイーツのひとつでもおごらないとなぁ、と思った。

 

「さぁ、行くわよ」

「おうよ!」

 二人は通路を通り抜け角を曲がり階段を上る。立てこもり事件はそのクライマックスへと向かいつつあった。

 

 

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