……やっぱりペース早くない? 軽く震えるんですけど。
「お、お邪魔しまーす……」
ハジメからの誘いを受け、恵里はうながされるまま彼の家の玄関をくぐる。唐突に訪れたまたとないチャンスを逃すべきではなかったとはいえ、覚悟がまだ決まってなかった恵里はちょっと緊張している。
(まさか会って早々、コイツの家に来ることになるとは思わなかった。でももしトータスに行く羽目になった時、ここで南雲のヤツに気に入られればかなりのアドバンテージを得られるはず。トータスに来てすぐ、銃を用意してくれるかもしれないしね。そのためにもこれは必要なこと、必要なことなんだ)
若干の緊張で手を震わせながらも靴をそろえ、南雲家へと恵里は上がる。そしてあらかじめ聞いていたハジメの家の電話の方へと向かう。家に電話もしくは留守電を残すためである。何せ急に決まったことな上に自宅にも戻らずにこっちに来てしまっている。帰りが遅くなることを考え、メッセージを残しておくべきかと恵里は考えたのである。
南雲家の家電を見つけると、すぐに受話器を取って自宅の番号を入れる。そうしてコールが鳴ること数回、既に帰ってきてたらしい母親が電話に出た。
『もしもし、中村ですが。あの、どちら様ですか。押し売りは結構なので――』
「あ、お母さん? 私だよ。恵里。ちょっと理由があって、その……つ、つき合うことになった南雲くんの家の電話を借りたんだ」
『恵里!? どうしたの一体!?』
そこでここに来ることになった経緯と帰りが遅くなることを説明する。クラスが違うため南雲家は連絡網にも載っておらず、幸は当然不審がったがそこでハジメに声をかけて説明してもらうことでどうにか納得してもらえた。次からはちゃんと事前に言うこと、それとどうしてハジメとつき合うことになったかを家に帰ったら説明することを約束することになったが。
『じゃああまり遅くならない内に帰るのよ、恵里』
「うん、わかった。じゃあ切るね」
しかしここまで親身になって自分の話を聞いて心配してくれる女性と自分の母親が本当に同じ人間なのだろうか。そんなことと思いつつ恵里は電話を切り、さっきからそわそわして待っていたハジメに声をかけた。
「説明してくれてありがとう南雲くん。それじゃ、お部屋まで連れてってくれる?」
「うん、こっちだよ」
ハジメの後を追って二階へと昇り、少し廊下を歩いたところで彼は止まった。そこのドアを開いて先にハジメは部屋に入ると恵里もそれに続いた。
「ここが、南雲くんの部屋なんだね」
初めて足を踏み入れた南雲ハジメの部屋は中々に雑然としていた。部屋の多くのスペースを占める本棚の中には小説や絵本、ゲームのパッケージなどで埋まっており、勉強机と思しきものの上にも読みかけの小説やゲームボー○が乱雑に置かれている。
机の上に置かれていた物に気づいたハジメがあわててそれらを引き出しにしまい込んでいるのをよそに、恵里は想像したのと大差ない感じの部屋でやっぱりこんな感じなのかと呆れ、この頃から立派なオタクだったのかと考えていた。もちろんそんな様子はおくびにも出しはしなかったが。
「そ、その、汚くてごめんね! い、今座る場所用意するから!」
慌てて用意したクッションを向かい合うようにして置くと、その内の一つをハジメはポンポンと叩いて恵里を招く。若干顔が赤い部屋の主を見てやれやれと思いつつ、恵里も用意されたクッションの上に座った。
「えっと、これから僕が見てる本を持ってくるから。その中ですきなのがあったら言って」
軽くテンパりながら言うハジメに恵里は笑顔を作ってうんと答える。するとハジメは勢いよく何度もうなづき、軽く鼻息を荒げながら本棚をひっくり返していく。その様子を微笑ましく見ていた恵里だったが、そういえばあの化け物と同じなんだよなと思うとふとあの厨二な姿が被ってしまった……あの見た目であたふたしながらやってるとなると物凄く痛々しく感じる。そんな恐ろしく失礼な事を考えながら待っていると、候補を見繕い終わったハジメが本の山を恵里の目の前にドサッと置いた。
「と、とりあえず中村さんがすきそうだって思ったのがこれぐらいなんだけど、よかったら見てみる?」
「う、うん……」
(多いわ! ちょっと話しただけでこんなにいきなり持ってくるヤツがいるかぁ!……な、南雲のヤツ、て、適当に持ってきただけだよね? な、なんかちょっと怖くなってきた)
ハジメの熱意と蔵書の量に内心軽く引きながらも、流石に何もしないわけにもいかないとおずおずと本の山に手を伸ばす。そうして積まれた絵本や漫画、小説と一冊一冊手に取って最初の数ページ程度だけ目を通していたが、アニメ調のキャラが表紙を飾っていたり特徴的なタイトルだったりするものが多い。幼児向けだったり小学校低学年向けの本もなくはないが、オタクに向けたものであろうライトノベルの比率が多かった。
(この頃からこういう小説を読んでるなんてね。筋金入りだな、ホント。しかし、色々とあるけどそこまで目を引くものは……あれ?)
おそらく自信を持って選んだであろう漫画やライトノベルの類は少し目を引くものが数冊といった程度で後は全滅。日常の生活に焦点を当てたものだけが恵里の琴線に触れた程度である。後は『十五少年漂流記』や『海底二万里』といった名前はよく聞くようなものもあったため、念のために頭に入れておこうかといったぐらいだ。
そこで『十五少年漂流記』でも読もうかと思った時、ふと見覚えのある絵柄の本の表紙を手に取り、そのタイトルを見て思わず首をひねった。
(『南乃スミレ短編集』……あ、確か『桜吹雪舞う中でキミと』の作者の名前だったっけ。日付は、えーと……あれを出す前みたいだね)
覚えていた引っ掛かりが消え、試しにめくってみれば絵柄はあの作品のものと似ている。やはり、と確信して読み進めてみれば少年誌向けの作品もあるものの、大半はかつて自分が読んでいたような少女誌向けのものであった。
(男の子向けっぽい作品はちょっと感じが違うけど、やっぱりこの人の作品ってすごいな)
正統派のボーイミーツガール、複数の男子から興味を持たれて迫られる逆ハーレム、あるいは群像劇(これは三話ほどあった)など様々な題材があったが、どれも面白く最後までページをめくり終えた恵里は思わず息を大きく吐いた。
ここでふと視線を向けられていることに気づいた恵里が振り向くと、ハジメがホッとした様子でこちらを見ていた。少しの気恥ずかしさ、弱みを握られた感じから来る嫌悪感を上手く隠しつつ、恵里はニッコリと微笑んだ。
「ありがとう南雲くん。この本面白かったよ」
「よかったぁ。『さくふぶ』がすきだったからおかあ……おなじ人の本だったらどうかな、って思ったんだ」
「う、うん……気遣ってくれて、あ、ありがとう」
ハジメがうっかり言いかけた言葉に思わず恵里は頬をひくつかせた。まさか興味のあった作家がよりによってターゲットの母親だったとは思っていなかったのだ。とはいえハジメに取り入る際に親に対してアピール出来るのは好都合としか言えない。しめしめと思いながらハジメに関心を引いたものを数冊ピックアップしてこういうのは興味があるよと伝えると、パァッと顔を輝かせたハジメはすぐさま本棚から数冊の本を持ってきた。
「じゃ、じゃあコレとかコレはどう? さっきえらんだものと似てるのを持ってきたんだけど」
「あ、あり、がとう。ちょ、ちょっと待ってね……」
かなりの量の本があるにもかかわらず、それらの本の傾向とどこにあるかを完全に記憶している様子のハジメに恵里は軽い恐怖を抱く。だがこれも自分のためだと恐怖をこらえつつ目を通してみれば、先程読んだものよりも強く興味を引くものばかりで余計に怖くなった。
ここまで的確に自分の心を掴んでくるチョイスとそれを可能にする量の本を持っていることに恵里は軽くチビりそうになっている……もしかするとちょっと漏れたかもしれない。際限なく湧き出てくる恐怖を表に出さない様、必死に表情を作りながら恵里はハジメを褒めた。
「す、すごいよ南雲くん。これとこれ、それとこれも面白い、もの」
何の反応もないのは不味いと思った恵里はとにかく褒めた。大丈夫。目の前のガキはエヒトと違って機嫌を損ねても命の危険はないんだ、と自分に言い聞かせながら。すると緊張した面持ちでこちらを見ていたハジメがまた花が開いたように満面の笑みを浮かべた。
「よかったぁ……もし中村さんのすきじゃないものオススメしたらどうしよう、ってちょっと不安だったから。こういうのがすきなんだね」
えへへ、と顔をほころばせているハジメを見て、恵里もハジメに対する恐れや緊張が一気に抜けていくのを感じた。目の前にいるのはただの六歳の子供でしかないということをどうやら恐怖で忘れてしまっていたらしい。たとえそれが自分の願いを、計画を打ち破った忌々しい奴の過去の姿だったとしても。相手の懐に潜り込む千載一遇のチャンス、かつての敵をいかにうまく手懐けるかに神経を集中させていたせいでこんな簡単なことも忘れてしまっていたらしい。
(そうだよ。たとえ未来の化け物だったとしても、今のコイツはただのガキじゃないか……まぁ、ボクの好みをしれっと把握したのは本気で怖かったけど)
こうして初対面の相手には緊張するし、褒められれば嬉しがる。ましてやそれが自分を好きだと言った相手ならなおさらだ。それに気づいた恵里は、自然と笑みが浮かんだことに気づかぬままハジメに声をかける。
「そんなことないよ。南雲くんが私のために考えて考えて選んでくれたんだもの」
そう励ましの言葉をかけてやると、ハジメは一瞬目を大きく見開き、みるみるうちに顔を真っ赤に染めてうつむいてしまう。そんな男の子の様子がなんだかおかしくて。恵里もクスリと笑うとハジメに声をかけた。
「ねぇ南雲くん。照れてるところ悪いんだけど、他にオススメのものってあるかな?」
「……え? あ、うん! えっと、ちょっと中村さんのすきなものじゃないかもしれないけど――」
そうしてまた本を見繕ってもらい、冒頭に軽く目を通し、気に入ったり興味が沸いたものはパラパラと流して読む。そこで色々と感想を言ったりしているとあっという間に時間が過ぎていた。
「……あっ、もうこんな時間。南雲くん、そろそろお家に帰るね」
「あ、わかったよ中村さん。じゃあ気に入ったのぜんぶ持ってく?」
十冊近くある本をポンポンと叩くハジメに恵里は苦笑を浮かべた。流石にそんなには持っていけないよ、と言ってたしなめるとハジメも同じく苦笑いした。
「でもいいの? 私が言うのもなんだけど、今日会ったばっかりの人に物を貸せる?」
「うん。ここにあるのはぜんぶ読みおわったものばかりだし、読んだ本のことで中村さんとお話できるから」
疑うことを知らないのか、それとも単なる考えなしか。目の前のニコニコしてる少年に少々呆れながらも恵里は二冊の本を手に取り、それらを傷つけないようランドセルに詰め込んだ。
「じゃあこの短編集とこの小説を借りるね。学校には持っていけないから、週末の日曜日に返しに来ればいいかな?」
「うん、わかった。あ、その、中村さん……」
なあに、と笑みを浮かべながら尋ねれば、ハジメが意を決した様子で問いかけてくる。
「そ、そのね。日曜も、またいっしょに……いっしょに、あそびたいな」
たどたどしい様子で聞いてきたハジメに恵里はクスクスと笑いながらいいよと簡潔に答えた。それを受けてまた満面の笑みを浮かべるハジメを見て恵里は思う。
(やっぱり、そこらの子供と変わらないじゃないか。変に身構えすぎてたよ。まぁこうして関係は築けたんだし、下手を打たなきゃどうにかなるな……しばらくの間はごっこ遊びにつき合ってあげるよ、な・ぐ・も・くん)
内心ほくそ笑みながらランドセルを背負うと、バイバイと手を振ってハジメと別れた。わざわざ玄関まで出て律儀に手を振ってきた彼の様子に恵里は奇妙な感覚を覚えるが、特に気にするでもなく家路に着いた。
「そうか。でもな恵里、借りたものはちゃんと返すんだぞ」
家に帰って早めに風呂を済ませ、夕食の席で今日あったことを聞かせると神妙な顔をして恵里をたしなめてきた。
「そうね。お母さんも言ったけど、物の貸し借りはトラブルになりやすいから気をつけなさい。その、南雲君って言ったかしら? いい子なのはわかるけれど、その子だって自分の物がなくなったら悲しむと思うわ」
「お母さんの言う通りだ。せっかく友達になってくれた子なんだから、その子を困らせたり泣かせたりしちゃ駄目だぞ。恵里ならきっと大丈夫だとは思うけどな」
両親の言葉に恵里は深くうなづいた。それがトラブルの元になるのは前の世界でよく知っているし、当時は光輝からの心象を悪くしないために細心を払っていた。
だが、今日ばかりは少々やらかしてしまったと恵里も反省していた。前の世界ではともかくとして、この世界では初対面の相手から物を借りている。ちゃんと了解をとっていたし、それを両親に話したとはいえ、第三者からすれば初対面の相手から物の貸し借りをしていたとしか映らないのだから。それでも自分を信じて頭をなでてくれた父には頭が上がらない思いであった。
「でもお友達になってくれた子が男の子なんてね。気になる人、ってことは恵里も恋をしたのかしら」
「流石にまだ早いんじゃないか。まぁ、恵里のことだ。きっと信用出来る子なんだろう」
実は未来でガッツリ利用するための仕込みの真っ最中です、とは口が裂けても言えない。色々な意味で言えない。とりあえず恵里は今日他にあったことや父の仕事について尋ねるなど、両親と色々な話をしてその晩は大いに盛り上がるのであった。
光輝がつきまとってきたことを謝ってきたため一体何があったと恵里が勘繰ったり、それ以降もう絡んでこなくなったことに疑問を抱いたり、クラスの子からハジメのことを尋ねられては冷やかされて青筋を立てたり、ハジメと昼休みや下校中にも話をしたり、ハジメのクラスに行く間や下校中にしれっと鈴を探したりしたものの結局空振り三昧であったりと色々なことが起きたその週末。約束通り、恵里は本の入ったバッグを手に南雲家を訪れていた。
今日は両親がいることを事前にハジメから聞いていたため、上手く気に入られるかどうか恵里は少し緊張していた。だが、とんだ奇人変人が出てこない限りは大丈夫だろうと一度深呼吸をしてからインターホンを押す。少しの間を置いてハジメと彼の両親と思しき二人が現れた。というかハジメを引きずってきた。
「あなたが恵里ちゃんね。初めまして。ハジメの母親をやっている南雲菫です。よろしくね」
「俺がハジメの父の南雲愁だ。いやー、ハジメの奴が母さんのスタジオのスタッフ以外で交友関係が広がるなんで思ってなかった! しかもかわいらしくて大人びた子なんて、流石俺達の子だよなぁ菫!」
「そうねあなた! こんな歳でもう女の子を引っ掛けるとか、あなたの言う通りウチのハジメは間違いなくチーレムの才があるわね!」
あまりにパワフル過ぎて恵里は思わず無言でのけぞった。道理であんなマシンガントークをいきなり叩き込んできたり、こちらの趣味に合致するチョイスが出来るわけだと本気で思った。あの親にしてこの
「間違いないな菫! 俺も鼻が高いぞー。あ、恵里ちゃん。よかったら俺のことは『愁おじ様』と呼んでもいいぞ!」
「あなたズルいわ! 私のことも『菫おば様』って呼んで構わないわよ!」
「お、お父さんもお母さんもやめてよ! は、はずかしいし、中村さんだってイヤがってるよ!」
(頼む南雲なんとかしろ! ボクはこんなヤバい奴らがお前の親だなんて聞いてないんだからなぁ! クソッ、詐欺だ詐欺!!)
「あ、あはは……あのー、私はここで――うひゃぁ!?」
アホみたいに高いテンションではしゃぐ大人二人をハジメに押し付けて一旦逃げようとするも、目ざとい南雲夫妻にあっさり捕まり、青天井になったテンションの二人に家まで連れていかれてしまう恵里であった。
「そうかそうか。恵里ちゃんの一目ぼれか。いやー、流石俺の息子だわ。この歳で女の子を惹きつける何かが出てるんだな」
「もう、あなたったら……さっきはごめんなさいね恵里ちゃん。ハジメに同年代の友達が出来たことがなくってつい、年甲斐もなくはしゃいじゃったわ」
「あ、あはははは……お気に、なさらず……」
家のリビングまで引きずりこまれ、恵里は根掘り葉掘り尋ねられる羽目に遭った。ようやくテンションがそこそこに落ち着いたことでハッとした南雲夫妻から歓待を受けていた。コップにジュースを注がれ、テーブルには一口大のチョコやおせんべいなどの入った器まで置かれている。
無駄に押しが強いし、寄生先の親相手となると流石に邪険には出来ない。出来ることならとっとと逃げ出したいが、ハジメ以上に魅力的な相手もいないため我慢する他ない。横のハジメに救いを求めなかったわけではないが、色々と口を出そうとしても結局親の勢いに負け続けてしまってどうすることも出来なかった。今は赤く染まった両手でその顔を覆っている。
(あーもう、本気で疲れる……本を返して、感想を言って、家で本を読むだけで好感度を上げる簡単な作業だと思ったのに。どうしていつもこうなる!)
自身の不幸を嘆くも、それは可能な限り表情には出さない。嫌われるわけにも恨まれるわけにもいかないからだ。だからひたすらじっと我慢しつつ、どうにか仲を深めるために何かてはないかと考える。
(あの二人は下手に持ち上げたりなんかしたら収集が絶対つかなくなるな。だからって話にただつき合うのも結構しんどい……あーもうどうする! こうなったら恥ずかしがってるフリでもして、本を置いてとっとと帰――)
何かいい案はないかと考えあぐねていると、ふと袖を引っ張られたのを感じた。振り向けば、ハジメが赤くなった顔を少しうつむかせながら恵里の方を見ていた。
「な、中村さん。部屋、いこ?」
いたたまれなくなったのはハジメの方も同じだったらしく、消え入りそうな声で話しかけてきた。これは使えると恵里は南雲夫妻に向き直り、恥ずかしそうな様を装って話しかける。
「う、うん! あ、あの、愁さん、菫さん、その……」
「おお、そうだった! 今日は恵里ちゃんがハジメと遊ぶために来てくれたんだもんな! じゃあ後は二人でゆっくりしていきなさい。ハジメをよろしく頼むよ恵里ちゃん」
「あぁもう、ごめんなさいね恵里ちゃん。後でジュースとお菓子持ってくから!」
よくやった南雲! とハジメを内心褒めちぎりつつ、恵里はハジメに手を引かれて部屋へと向かうのであった。そうしてハジメが部屋のカギをかけると、大きくため息を吐いて恵里に謝ってきた。
「ごめんね中村さん。お父さんとお母さんに今日中村さんが来る、って言ったらすごくテンションが上がっちゃって……」
だったらちゃんと手綱を握れと思うものの、とりあえず思うだけで口には出さず苦笑を浮かべるだけに留める。こうしてあの暴走列車から引き離しはしてくれたのだし、何より使える手駒の信頼を稼がなければいけないのだから。とはいえこのままだと気まずい空気が一日中続くと考えた恵里はすぐに行動に移った。
「こ、個性的なお父さんとお母さんなんだね……あ、南雲くん。コレ、ありがとう。本当に面白かったよ」
満面の笑みを作り、持ってきたバッグから借りた本を両手でハジメに差し出した。すると免疫のないハジメはまたしても顔を真っ赤にしておずおずとそれを受け取る。これで多少は空気を変えられたかと思った恵里はちょっとだけ顔を近づけて可愛らしくおねだりする。
「もしでいいんだけど、他にも面白そうな本があったら私に教えてくれないかな?」
そして首を軽くかしげてあざとさたっぷりで言えばハジメは勢いよく首を縦に振り、本棚を勢いよく漁りだした。しばらくするとまた何冊かの本を抱え、それをおずおずと恵里に差し出してきた。
「この前中村さんがすきだって言ってた本と、あとコレもどうかな。もしかするとこっちの方はそんなにすきじゃないかもしれないけど……」
受け取った本を見てみると、ハジメの言った通り前に面白いと言ったものの続きが数冊と見たことのないカバーのものが一冊であった。続きのものはともかくとして、よくもまぁ他にピックアップ出来たものだと恵里は軽く困惑した。
「ううん、いいよ。南雲くんが選んでくれた本ならきっと面白いと思う」
愛想込みでハジメを褒めてやると、またしても照れ臭そうに軽く顔をうつむかせる。そこで試しに初めて見たものを手に取ってみれば、またしても恵里は舌を巻く羽目になった。最初はともかくとして、以降は自分好みの作品をひたすら当ててくるハジメに困惑と恐怖、そして微妙な苛立ちを恵里は感じていた。
(ホント、ボクのことをよく見てるよ……まったく、コイツに勝てなかったことを嫌ってなるほど思い知らされる)
まだ会って一週間でしかないというのにどうしてここまで見透かされるのだ、と。そんなことを今考えても仕方がないというのに、頭の中はハジメが見せる化け物の片鱗で埋め尽くされる。そうして顔をしかめていると、ハジメが心配そうにのぞきこんできた。
「ねぇ、中村さん。どこかいたいの?」
「――え? あ、いや、その……ちょ、ちょっとした頭痛かな、アハハ……」
そこでようやく自分の失態に気づき、それを適当な嘘で隠そうとすると、ハジメが心底心配そうな顔を浮かべて恵里の手を取った。
「た、大変だよ! い、今すぐ僕のベッドを使って!」
そう言って思いっきり手を引かれ、適当な言い訳を考えているうちにベッドに座らされてしまう。座るやいなやすぐにシーツを叩き、早く横になるよう促される。
「い、いや、もう収まったから……」
「いいから! いいから使って!」
彼の両親のような押しの強さで迫ってくるため、恵里も渋々横になるしかなかった。こんなところもあいつら譲りなのか、と恵里は本気で頭が痛くなった。コイツを選んだのはやっぱり間違いだったか、と本人のいる前で考えていると、ハジメが心底すまなさそうにぽつりとつぶやいた。
「今日はごめんね。うるさくしちゃったから中村さんにめいわくかけちゃった」
「そんなの気にしてないよ。こうして横になったから楽になったし」
(クソッ、南雲の親と会ってから調子が狂いっ放しだ。こんなところでボロを見せるなんて……ああ、もう)
どうにか笑みを張り付けつつ恵里は自分の失態を恥じる。本来なら今後一切ボロを出すことなく上っ面の恋人ごっこをしながら都合よくハジメを使うつもりだったというのに。ままならないことを恨めしく思いつつ、恵里はどうやってハジメの機嫌をよくするかを考える。
「南雲くんは優しいよ」
「……そう、かな?」
「だって南雲くんだって色々遊びたいのにこうして私に気を遣ってくれてさ。嫌な顔ひとつしないでこうして心配してくれるんだもん。優しいよ」
どうにかいい言葉はないかと頭をひねり、そこで自然と浮かんだ言葉を述べるとハジメは耳を真っ赤にしてそっぽを向いた。言葉にならないうなり声を上げている辺り、相当に恥ずかしいのだろう。
「もう私は大丈夫だからまた南雲くんの選んでくれた本を読みたいんだけど、いい?」
「……うん、わかった」
そう声をかけるとハジメは先ほど選んだ本を持ってきてそっと恵里に手渡した。ベッドから体を起こした恵里がページをめくりだす。ハジメも自分のクッションの上に座り、恵里の様子を時折眺めながら適当に本を手に取った。
おやつを持ってきた菫がカギのかかった部屋にナチュラルに入ってきたり、二人の様子を見て意味深な表情を浮かべるなど色々あったものの、二人はとても静かでゆったりとした時間を過ごした。
「今日はありがとう南雲くん。じゃあまた明日ね」
「うん。また明日」
玄関まで両親と一緒に見送りにきたハジメにバイバイと手を振り、恵里は南雲家を後にする。後ろでいい歳した大人二人が黄色い声を上げているがそれを無視しながら。
(南雲の親があんな暴れ馬だったのは計算外だったけど、あっちに悪い印象は与えてはいないはず。もうアイツと関わるのをやめて鈴を探したいけど、そうもいかないしなぁ……まぁ、仕方ない。これも強力な兵器を手に入れるチャンスだ。せめてちょっと雑に扱っても問題ないくらいまでアイツを心酔させてからだな……鈴、会えるよね?)
頭の中で算盤を弾きつつ恵里は家路に着く。最期の最期でようやくわかりあえた自称親友の顔を思い出しながら。
一方、ハジメは恵里の姿が見えなくなった辺りで部屋に戻り、自分のベッドに倒れ込むと息を軽く吐いた。
「中村さん、楽しめてたかな」
こぼしたのはちょっとした不安。自分を構ってくれたのは恵里を除けば両親か母の仕事場のスタッフぐらいしかハジメの記憶にはない。同い年の子との接し方がわからないが故の悩みであった。
(それにあの時、ヘンな顔だった。おこってないと、いいな)
恵里に新しくオススメの本を手渡した時、一瞬だけ浮かべていた何とも言えない表情をハジメは見てしまっている。恵里はああ言ってくれたものの、今改めて考えると何か気に障ることをやってしまったのではないだろうかと不安になっていた。
(明日おこってたらあやまろう。そうじゃなかったら……また、あそびたいな。もっとお話ししたい)
明日のことを考えながらハジメは読みかけのライトノベルを手に取るのであった。
そうしてハジメが部屋にこもっている間、南雲夫妻もまたリビングで向かい合って話をしていた。
「なぁ菫。恵里ちゃんのこと、どう思う?」
先に切り出したのは愁の方であった。会った当初は本当に“かわいらしくて大人びた子”だと思っていたのだが、家に連れ込んで色々と質問したり、菫がハジメの部屋に入った時に見た様子を聞いた際に異様に感じたのだ。本当にこの子は普通の子供なのか、と。
「あなたの言ってた通り、大人びていてかわいらしいとは思ったわ。でも、それにしたって大人しすぎるっていうのかしら。緊張していたのもあるんでしょうけど、それにしては結構冷静に私達のことを見てなかったかしら?」
菫の言葉に愁もまたうなづいた。初対面とはいえ、あそこまで人見知りもしないで冷静に話せる子供がいるだろうかと二人は疑問に思っていたのだ。財界などのパーティーに出席するようないいとこのお嬢様のようには見えないし、そういった雰囲気ではないと愁は考えていた。
「単に恵里ちゃんが成熟してるのか、それとも家の事情か。今の時点じゃ判断が出来ないな」
「そう、ね。あまり複雑な事情じゃなければいいのだけれど」
二人そろってため息をつき、テーブルに置いてあったミルクティーのカップに口をつける。愁はゲーム会社の社長であることから、菫は漫画家として人を観察していた経験から恵里の異常さに気づいてしまったが故に不安になる。ハジメの彼女だという少女は一体何者なのか。その底が知れないことに。
「とりあえずは見守るしかないだろうな」
「ただの考えすぎ、ならいいのだけれどね」
菫の言葉に愁は返事をせず。ハジメが厄介なことに巻き込まれないことをただ祈るばかりであった。
本日の懺悔
当初は南雲夫妻の会話がちょっとだけ違いました。具体的には「もしかして恵里ちゃんの親って新興宗教にハマってね? 人慣れしてるのもそういうのと会ってる経験があるからなんじゃ」と勘違いして足を洗わせようだのなんだのと変な方向に話がこじれる具合に。それもこれもアフターでユエをエア彼女扱いしたり、嫁~ズを3D嫁扱いしたのが悪い(責任転嫁)