そしてザインさん、自分の作品を評価していただきありがとうございます。
タイトルから察せられる通り、今回は鬱・胸糞展開が入ります。ご注意ください。
その出会いは雫が小学二年生になってすぐのことであった。
その日の前日、いつもの稽古を終えた光輝と雫はいつものように話をしていた。今日あったことや明日会う彼の友達の特徴、そして全員にも雫の事を伝え、みんなを連れてくるから待っていて欲しいといったことだ。
その夜はなかなか寝付けなかった。道場の娘で自身も稽古しているために他の女の子と帰りに遊ぶという事もそう出来ず、稽古に時間がとられるため年頃の子が何に夢中になっているかもちゃんとわかっている訳ではなかった。せいぜい話し声を拾って推測するぐらいしかなかったのである。
また家族から、道場の皆からの称賛、寄せられた期待を裏切りたくないという生来の真面目さ故にそういったものに
雫は明日自分がどうなるかが気になって仕方がなかった。もしかすると受け入れてもらえないかもしれない。けれども光輝のおかげで自分もやっと
それは約束の日を迎えた時も変わらず。昼休みが来るのが怖くて、少し心待ちにしていた。その日は授業もあまり手につかず、光輝の友人で隣にいるクラスメイトに時折視線を向けたりしながら遂に昼休みを迎える。
「ねぇ、光輝くん。会わせたい子って?」
「ああ、このクラスにいる子でさ――あ、いた」
その声を聞いた時、胸が高鳴った。事前に聞いていた通り、男の子の友達と女の子三人を連れて彼がやって来てくれた。
「紹介するよ。俺が行ってる道場の子の八重樫さんだ」
「は、はじめまして……八重樫雫、です」
おずおずと頭を下げると、光輝の隣にいた男の子がニッと笑う。
「よろしくな、八重樫。俺は坂上龍太郎だ。龍太郎で構わねぇよ」
「あ、ありがとう……りゅ、龍太郎くん」
おうよ、と快活に龍太郎が返すと、三人の女の子も自己紹介をしてくれた。
「はじめまして八重樫さん。私、
「あたしは
「あの、私、
「え、えっと栄田さん、依田さん、椎野さんね。よろしく、おねがいします」
彼と一緒にいた三人も笑顔を浮かべて自分を受け入れてくれた。そう感じた雫は心の中で感激する――ああ、やっぱり彼は王子様だったんだ、と。
武道一辺倒で生きてしまった自分が他の女の子と混じっておしゃべり出来る。おしゃれも出来る。彼のおかげで諦めて夢として見ていただけのことが実現できるんだと思ったら胸がいっぱいになった。涙が溢れそうであった。
「あの、八重樫さん?」
「……あっ、ごめんなさい。ちょっと、ちょっとおどろいちゃっただけだから」
とはいえ自分と親しくしてくれる彼女たちを無視してはいけない。目元をこすって雫も話に混じる。きっと自分も絵本のお姫様のようにハッピーエンドを迎えられるんだと思いながら。
――それが都合のいい夢でしかないということもわからないまま。
「ねぇ、あの子じゃまだよね」
雫と出会って三日が経った時のことであった。光輝、龍太郎、雫と別れた学校の帰り道に不意に美唯がつぶやけば杏理もそれにうなづき、可菜も肯定こそしなかったものの否定もしなかった。
「うん。なんであんな子が光輝くんのそばにいるんだろ」
杏理も忌々し気に遠くを見つめながら疑問を口にする。可菜は苦い表情を浮かべるだけで何も言わない。それに軽く苛立った美唯は隠さずに可菜にぶつける。
「ねぇ可菜、なにいい子ぶってるの? アイツが気に食わないって思ってるのはわかってるんだよ」
「うん。わたしもキライだよ。でも、光輝くんからおねがいされたし、その……」
顔を軽く伏せながら返す可菜に美唯はフン、と鼻を鳴らす――光輝が雫のためを思って紹介した三人はいずれも彼女を嫌っていた。自分達が思う女の子像とあまりにもかけ離れていた存在への苛立ち、辛い時に彼を支えたのは自分であるという自負からの嫉妬がその理由であった。
初めて顔を合わせた日に話をしても自分達が読んでいる少女漫画は何一つ知らず、流行にもあまりに疎い。読んだことがあるのが絵本ぐらいしかないため、表面上は適当に流しながらも腹の内では全員が子供っぽいと見下していた。
また、彼女が好きな絵本が『シンデレラ』や『白雪姫』といった“お姫様”が出てくるものばかりで、試しに聞いてみれば『自分も絵本のお姫様みたいになりたい』と告げたときには三人共心の中で嘲笑っていた。男みたいな見た目のくせにお姫様だなんて、と。
それでも今日まで我慢してつきあってはきたのだ。しかし、遊びに誘おうとしても稽古を休む訳にはいかないと何度も断られたりした。どうにか一度だけ連れ出すことに成功したものの、共通の話題がなかったことせいで何一つ盛り上がらなかった。そして家の事で度々そわそわしている彼女を見て心底冷めてしまう。どうしてこんなヤツなんかのために自分達が我慢しなきゃならないんだ、と。
もちろん雫も全く努力しなかった訳ではなかった。勇気を出して親に漫画雑誌を買って欲しいとお願いしたり、全部に目を通して好きな漫画を挙げたりするなどついていこうとはしていたのだ。とはいえ三人は『ちゃんと全部わかった訳でもないのに偉そうにして』と内心見下していたが。
全員がもう少し歳を重ねていればまだ三人も我慢を続けたかもしれない。どうにかしてついてこようとしている雫を認めたかもしれない。だが、それを彼女達は認めなかった。八重樫雫という存在を認めなかったのだ。
初めて話をした時から馬が合わず、容姿も女の子らしさを感じられない。そして何より三人はずっと光輝のことが好きであった。だからいきなり現れて彼から関心を寄せられている彼女のことが心底気に食わなかった。
辛い時に世話になった家の子だから? それがなんだ。自分はずっと彼と一緒にいたというのに。それが三人の思いであった。
いくら好きな彼の頼みであっても、いきなり現れたあんな異物を彼女達は受け入れられない。だから少女達は口にする。
「じゃあさ、出ていってもらおうよ」
美唯の言葉に二人はうなづいた。
「そうだね。あんなのが光輝くんのそばにいるなんて許せない」
そばにいるのは自分だけでいい。そのためにはまずアイツからいなくなってもらおう。心の中で三人の思いが重なる。可菜の返答に杏理は口角を上げる。
「うんうん。じゃ、追い出そっか。あの男女」
三人は無邪気に笑う。あの女を排除して愛しの光輝君を取り戻すのだ、と。
幼い悪意が、牙をむいた。
(……あれ? 教科書がない?)
雫の周りに不可解なことが起き出したのは光輝の友達と出会ってから四日後のことであった。休み時間が終わる前に次の授業で使う教科書を用意しようとしたのだが、ランドセルの中にも机の中にもなかったのである。
いつも寝る前と学校に行く前に確認していたはずなのに。そんなことを考えているとチャイムが鳴ってしまい、どうしようと焦っている内に授業が始まってしまった。
「あれ、八重樫さん。教科書どうしたの?」
そんな時、隣の席にいた美唯が声をかけてきた。
「え、えっとその……見当たらなくて」
「そうなの? じゃああたしの教科書、いっしょに見ない?」
心配そうに聞いてきた彼女に雫は素直に伝えると、そんなことを提案してくれる。それは雫にとってこの上ない助けであった。
「そ、その……おねがいして、いい?」
「いいよ。だってあたし達“友だち”じゃない。ね?」
美唯は嫌な顔ひとつせず、机と机の間に教科書を置く――雫が美唯に感謝し、頭を下げてから意識を先生の方へと向けようとしたその時だった。
「でも、教科書がないなんて八重樫さんもけっこう抜けてるんだね。そんな子をすきになるなんて、やっぱり光輝くんはやさしいよね」
粘つくような視線と共に出てきたつぶやきに恥じらいを覚えながらも授業に意識を向けようとする。光輝が優しいのは雫もわかっていたし、自分のことを言われたのだって仕方がないことなのだ、と。
その日の昼休みに教科書は見つかったものの、不可解なことは連日続いた。消しゴム、鉛筆、筆箱丸ごと、体操着、果ては内履までも見当たらないことがあった。その度に美唯が貸してくれたり、杏理と可菜に慰めてもらった。だが――。
「もう、しかたないね八重樫さん。コレ使っていいよ……あんまりめいわくかけてると光輝くんもあきれるんじゃない?」
「またなくしたんだ? そっかそっかー……前に光輝くんともお話ししたけど、そそっかしいのね八重樫さんって。直さないと光輝くんにきらわれちゃうんじゃないかな〜」
「うんうん。わすれ物ってみんなやるから気にしなくていいと思うよ。でも、そんなことばっかりやってる子を光輝くんはすきでいてくれるかな?」
その言葉が、注意が、指摘が泥のように雫の心にへばりついていく。だけどもこれは友達が自分を心配して、自分のことを考えてくれてこう言ってくれているのだと自分に言い聞かせる。
この奇妙なことは雫だけの問題では収まらなかった。あの三人を経由して光輝と龍太郎にも伝わったからだ。当初は雫も意外と抜けている子なのだと思っていて気にしなくていいと声をかけていたが、こうして何度も起きていて、雫自身身も困惑している様子に流石に二人も怪しんだ。
「なぁ八重樫、本当にそれうっかりとかそういうやつなのか?」
「龍太郎の言う通りだ。まさか、だれかからイジメられてたりとかは――」
「う、ううん……だいじょうぶ。きっと、きっと私がうっかりしてたせいだから。きっとそうだから」
心配する二人にも大丈夫と返すだけでそれ以上は何も言わない。何かあったら相談してほしいと言われて首を縦に振るのがせいぜいであった。そしてそれは家族であっても同じであった。
「雫、やはり何かあったんじゃないか? 最近口数が少なくなっていると思うが……」
「そうね。雫、何か辛いことでもあったのならお母さんに――」
「なんでも、ないから。だいじょうぶだから。だから……」
両親はもちろん、祖父も異変に気付いて尋ねようとするも当人は『何でもない』と『大丈夫』と言うばかりであった。自分達が武術の道に引き込んだことで雫に無理をさせてしまっているという負い目がある以上、相談に乗ると伝えるだけでそれ以上追及することが出来なかった。
(……栄田さんも、依田さんも、椎野さんも、私の“友だち”だから。だから、いじわるとかしてない。きっと私の思い違いのはず)
寝る前に一度、学校に行く前に一度で終わらせていた持ち物の確認が、帰宅してランドセル内の物を入れ替えてから一度、寝る前に一度、起きた時に一度、学校に行く前に一度に変わり、遂には少しでも気にかかったら確認しないと気が済まなくなってしまっていた。
しかし、そこまで執拗に持ち物を確認しても気づいた時にはなくなってしまう。それが怖くて怖くて仕方がなかった。
そうして原因を探っていた時にある考えが浮かぶ――あの三人の誰かが自分の物を隠しているという可能性であった。だがそれは自分と友達になってくれた人を疑うということであり、手を伸ばしてくれた彼女たちを雫はそんな目で見たくなかった。だから必死になって否定する。
今の雫に寄り添える者は誰もいなかった。
そして四月も半ばを迎える頃には教室に行く前にお手洗いに行き、可能な限りお花摘みに行く回数を減らすのが雫の新たな習慣になってしまっていた。自分が目を離さなければ持ち物がなくなることはなかったからである。
そんなものが身についてしまった頃、事態は新たな展開を迎える。
「ねぇ八重樫さん、お昼休みになったらちょっとつきあってくれない?」
その日の三時限目を無事に終えた後、突然美唯が話しかけてきた。
ニコニコと笑っているようだが、どこか苛立ちを感じさせるその表情に違和感と幾らかの恐怖を覚えつつも、雫も努めて笑顔を浮かべて答えた。
「よ、依田さん? い、いいけど……天之河くんと龍太郎くんは?」
「ううん、あの二人は抜きで。ね? 女の子同士で話したいことがあるから」
「で、でも……」
「……そう。じゃあ光輝くんに『八重樫さんにいじわるされた』って伝えなきゃ――」
「ま、待って! わ、わかったから……天之河くんには、言わないで」
どうしても光輝と龍太郎がいると不都合だということは雫もわかった。だが、心配してくれている二人、特に光輝から失望されるかもしれないと思うと怖くて受け入れるしかなかった。ニタニタと笑いながら『また昼休みにね』と言われた雫は体の震えが止まらなかった。
そうして昼休みを迎えて給食を食べ終えた後、雫は美唯に手を引かれて連れ出される。教室を出て、いつも話をしている光輝のいる教室から更に先。途中で合流してきた杏理と可菜と一緒に玄関を出て、校舎裏まで連れていかれたところで壁際に押されてしまう。
「な、何するの……!? こ、こんなところで何を……」
「あーもう、うるさいなぁ。アンタの頭が悪いせいでしょ」
自分を押した方に視線を向ければ、美唯がイライラを隠さずにぶつけてきた。横にいた二人もそれを咎めることなく、ニヤついていたり嫌悪を露にしている。
「私は遠回しに言ってもわからない、って言ったんだけどねー。でもここまでニブいなんてサイノー、ってやつだよね。さ・い・の・う」
「やっぱりちゃんと言ったほうが早かったね。早く光輝くんの前からいなくなって、って」
二人も隠すことなく敵意をぶつけてくる。そこで雫の脳裏に浮かぶのは最悪の予想――三人とも自分をイジメていた、という考えるだにおぞましいもの。それを否定するべく乾いた口を動かして雫はどうにか言葉を紡ぐ。
「さ、栄田さん? 椎野さん? ど、どうして……わ、私たち、友だちじゃ……」
「かってにあたしたちの名前を呼ばないでよ男女」
「友だち? まだそう思ってるんだ。私たちはとっくにアンタなんかいらないって思ってたんだけどね」
「うん……わたしたちから光輝くんをとったくせに、女の子じゃないくせに、どうしてそんなことが言えるの?」
だが、返されたのはむき出しの敵意だけであった。稽古で向けられる意識や気配とは違う、全身を這うような総毛立つ悪意を向けられていた。
「なん、で……なんで……」
家族や道場の皆から期待や称賛の声や眼差しは受けるのには慣れていたし、うらやみやちょっとした嫉妬ならば同年代の門下生から向けられたこともあったから雫も知っていた。だが、ここまでの悪意を受けた経験は雫にはない。なんとしても自分を排除したい、お前さえいなくなれば、というどす黒い意志を向けられたことがなかったのだ。
だから怯えるしかなかった。混乱しかなかった。どうしてここまで自分が否定されるのか、どうして自分がこんなものを向けられるのかがわからなくて、怖くて仕方なかった。
「ほーら、やっぱり。あぶないものなんか振り回してるから頭が悪いんだ」
嘲笑する美唯に杏理と可菜もケタケタと笑って同意する。じりじりと迫ってくる三人に気圧され、雫もじりじりと後ずさっていく。だが、すぐに校舎の壁に当たってしまい、動けなくなった。
「だってアンタ、じゃまだもの。光輝くんをとっていくどろぼうだもの」
「そうだよ。わるぅーいヤツが幸せにならないぐらい、絵本を読んでるんだから知ってるでしょ?」
「だからさ……消えてよ。わたしたちの前から、光輝くんの前から。ね?」
「あ、あぁ……」
逃げ場を失い、それでも絶えず叩きつけられる悪意にぺたりと腰を抜かした雫を見て三人は口角を上げる。自分達から光輝を奪おうとした奴が涙を流して嗚咽を漏らしている。これでやっと光輝くんを取り戻せるんだ、と。
「わ、わたし……あなたたちからなにもとってなんか――」
「うるさいっ!」
だからこそ、悪意を叩きつけられてもなお弁明しようとした雫が気に食わなかった。思わず美唯は彼女のほほを張り、声を荒げる。
「アンタが……アンタさえいなければ! 私が! 私が光輝くんの――」
「――オイ。何やってんだお前ら」
その途端、ワントーン低くなった少年の声がその場に響く。それに反応して振り向けば腕を組んで歯を噛み締めていた龍太郎が、顔を青ざめさせて今にも膝から崩れ落ちそうな光輝がそこに立っていた。
昼休みになっても四人が全然来ないことを不審に思い、二人で学校中を探し回っていたのだ。そしてようやく見つけた。だが、目の前に広がる光景を見て龍太郎は怒り狂い、光輝は信じていたものが崩れ去った。故にあのような態度になったのである。
「どう、して……どうして、みんな、八重樫さんを……」
「ち、ちがうの光輝くん! こ、これはその……」
「依田、俺らは見てたぞ。お前らが八重樫をイジメてるところをよ。どろぼう扱いしてるところからな――テメェが八重樫をぶったのもよ」
すぐにごまかそうとする美唯であったが、龍太郎の言葉に思わず後ずさってしまう。全部見られてた訳ではないにせよ、そこを見られていたのはかなり不味い。それでもどうにかこの場を切り抜けようと知恵を絞ろうとした時、杏理と可菜が声を上げた。
「わ、私は止めたんだよ! でも、美唯も可菜もあの女をおい出すんだって言ってて……」
「そ、そうじゃないよ! わたしは気が乗らなかったのに、二人が無理やり……!」
「なっ!? ふざけないでよ! アンタたちだってノリノリであの男女をおい出そうって――」
他の二人に責任をなすりつけて自分だけ助かろうとしたのである。抜け駆けは許すまいと三人ともいがみ合い、罵り合う。その様に龍太郎は呆れ、光輝は遂に膝からくずおれた。
「……アホくせぇ。こんなののために、八重樫が……クソッタレ」
「俺は……何を見てたんだ。こんな、こんな……」
三人の本性を見抜けなかったことを龍太郎は心底悔い、光輝は自分のせいで雫を苦しめてしまっていたことを認識してショックを受けていた。自分達のせいでこんな目に遭わせてしまったと考えていると、美唯がいきなり声を上げた。
「ぜんぶ、ぜんぶこの男女が悪いのよ! コイツが来なかったら光輝くんはあたしのものだったのに!」
「美唯のものじゃない! 私のものだ! このバカ女も! 美唯も可菜もいなきゃ光輝くんは私だけ見てくれた!」
「いい加減にしてよ! 光輝くんはわたしのものだもの! なのに、なのに! 八重樫さん! あなたが男の子だったらこんなことにならなかったのに!!」
「テメェら、いい加減に――!」
美唯が雫を罵倒した途端、他の二人も容赦なく雫をけなす。お前のせいで、お前がいなければ、と叫んだ途端、雫が駆け出していく。それを見た瞬間、龍太郎は声を張り上げた。
「ボサッとしてんじゃねぇ光輝! 八重樫を、アイツを早くおいかけろ!!」
「で、でも、俺のせいで……」
「んなこと言ってる場合かよ! 目をはなしたらアイツがどうなるかわかんねぇだろうが! いいから早く行けってんだ!!」
「――! わかった。俺が……俺が行く」
龍太郎に発破をかけられ、立ち上がった光輝は雫が走り去っていった方へと自分も走っていく。駆けていった光輝を追おうとした美唯ら三人の前に龍太郎は立ちはだかった。
「ああもうっ! 龍! アンタはじゃま! 早くどいてよ!!」
「じゃまなのはテメェらだ! ぜってぇ通さねぇぞ。これ以上八重樫を……光輝を傷つけるわけにはいかねぇんだよ!!」
掴みかかってくる三人をどうにか受け止め、必死に通すまいとする龍太郎。腕をかじられたり、足の甲を踏まれたり、すねを蹴られたりしても、歯を食いしばってひたすら耐える。雫を連れてカッコいい幼馴染が戻ってくることを信じて、ひたすら龍太郎は痛みをこらえるのであった。
普通の女の子でいたかった。他の子と女の子らしいお話をしてみたかった。なのに現実はあまりに辛く苦しかった。友達だと思っていた女の子には疎まれ、イジメられ、馬鹿にされて男扱いされてひどく傷ついた。それだけだったらまだかろうじて耐えられたかもしれない。だが光輝の絶望した顔を見て雫の心は完全に折れてしまった。
(私の……私のせいで! 天之河くんが! 天之河くんが!!)
新学期を迎える前、道場にいる時だけしか接点がなかった頃に光輝から聞いたのだ。自分が辛い時に彼女たちが自分を支えてくれたのだ、と。親しくしていた子達がほとんどいなくなって、他人と接するのが怖かった頃に寄り添ってくれたのだ、と。
あの三人の顔はもう見たくない。怖くて仕方がない。けれども彼にとっては大切な人だったのだ。彼女たちがいなければ立ち直れなかったかもしれないとも語っており、その時の彼の表情は感謝に満ちていた。たとえそれが打算塗れであったとしても救いとなったのだ。だからこそ、自分のせいで彼をひどく傷つけてしまったことがどうしても許せなかったのだ。
無我夢中で走っていた雫はいつの間にか学校の敷地の外に出ており、交差点の近くまで来ていたことに気づく。
(ここでとび出せば、死ねるかな)
微妙な時間帯であったためか、見た感じそこまで交通量が多い訳ではない。しかし車が全然通らない訳ではないだろう。来た車に当たればきっと死ぬ。そうすれば大嫌いな自分もいなくなる。男の子っぽい見た目な自分が、王子様だと確信していた子にあんな顔をさせてしまったダメな自分が消えるんだ、と。
しかし待てども待てども車は来ない。だったらもっと車の通っているところへ行こう。そう考えて足を動かそうとした時、不意に誰かに手を掴まれた。
「ハァ、ハァ……やっと、やっと追いついた……」
「……なんで? どうしてなの、天之河くん」
そこにいたのは汗だくになって自分の手を握った光輝であった。初夏すらまだ迎えていないというのに額から汗がしたたり、着ていた服も汗で湿ってしまっている。
「龍太郎の、おかげでね……今の、八重樫さんは……どうなるかわからなかったから」
その一言を聞いて雫は顔をうつむかせる。自分に気を遣ってもらう価値なんてないのに。傷つけただけなのにどうしてと思っていると、また光輝から声をかけられる。
「あの三人のことはすごいショックだった……俺を支えてくれた大切な人だったから。あんなことがあっても、あまりキライになれないんだ」
「だったら、私なんて……」
自分を卑下しようとすると、光輝は首を横に振った。とても申し訳なさそうな表情で雫に語る。
「でもだからって八重樫さんをぶったことを俺が許すのは……いや、むしろ俺が八重樫さんにうらまれる方だよ」
「ちがう! そんな、そんなこと……」
吐き捨てるようにつぶやいた彼の言葉に雫は涙を流す。悪いのは自分なのに。どうして自分を責めないのかと良心の呵責に苛まれ、ぼろぼろとただただ涙を流していく。
「私が……私がいなかったら、天之河くんも、龍太郎くんも……こんな、こんなことにならなかったのに! ぜんぶ、ぜんぶ私の――」
「――ちがう!」
彼の叫びと共に雫は体を包まれる感覚に襲われた。光輝が自分のことを抱きしめたのだ。突然のことに彼に謝ることも忘れ、ただただ目を白黒させるばかりであった。
「俺の……俺のせいで、八重樫さんは……“雫”は傷ついたんだ。ふつうの女の子でいたかった、君の心をぐちゃぐちゃにしたんだ! だから、だから!」
「やめてっ! そんな、そんなこと……」
こんなボロボロになっても詫びてくれる、自分のことを思ってくれる少年に雫は胸が張り裂けそうになる。自分にそんな価値なんてないのに。壊したのは自分の方なのに。それでも手を伸ばしてくる少年にどこか熱いものがこみあげてくる。
「……なぁ、どうすればいい? どうすれば君に……雫はゆるしてくれる?」
「それ、は……」
罪悪感に苛まれて不安そうに揺れる少年の瞳を見て、雫もまた揺れる。どうすれば彼が自分のことを許せる? なんて言えば彼が自分を諦めてくれる? そんなことを考えながら出たのはある答えだった。
「……ねぇ、キスして」
考えに考えて、出てきたのはあるワガママだった。
お姫様に憧れていた。王子様の到来を待ち望んでいた。でもこんな悪い自分なんかはお姫様にふさわしくなんかない。
「えっ?」
「どこでも、いいから」
それが無理であってもいい。恥ずかしいことを頼み込んでいるという自覚はあるのだから。だからこれで諦めてくれてもいい。薄汚れた自分にはそれが似合うんだと諦めて生きていけるから。だからそんなことを雫は頼み込んだ。
「どこ、でも……?」
「うん。だからおねが――」
――不意に唇に温かい感触が重なる。目の前に瞳を閉じた彼の顔が見える。それが何を意味するか理解するのにそう時間はかからなかった。
涙が止まらない。深く傷ついたのに、自分が傷つけてしまったのに、彼は自分をお姫様として扱ってくれた。自分を愛される存在として認めてくれた。それはお姫様に憧れ、二度と愛されないと自信を失った少女を癒す薬であった。究極の赦しであった。
遠くで学校の予鈴が響く。それはさながら二人を祝福する鐘の音のようであった――。
「おはようございます霧乃さん」
「おはよう光輝君」
ゴールデンウィーク明けのある朝。光輝は八重樫家の門をくぐり、掃き掃除をしていた霧乃に挨拶をすると玄関へと向かった。目的はただ一つ、お姫様のエスコートである。
「あ、おはよう……こ、光輝、くん」
「お、おはよう、雫」
既に学校に行く支度をしていた雫の手を取ると、二人は一緒に学校へと向かう。
――あの後、雫の周りの環境は一変した。
まずあの三人組は休学処分を食らった。遠慮なく龍太郎に噛みついたり殴ったりと暴行していたのを渡り廊下を歩いていた他の生徒に見られ、その子が先生を呼び出したためである。我先に逃げ出した三人は先生にとっ捕まって説教。後に保護者を呼び出し、処分を言い渡された。学校中に悪評は広まっているため、しばらくの間肩身が狭くなるのは間違いないだろう。
龍太郎に関しては三人を止めるのに必死で暴力を振るう暇もなかったのが幸いし、彼に関してはお咎めなし。とはいえ踏まれた足や腹にあざが残っていたため、けがの治療のために数日ほど休むことになった。彼自身はこの時の傷を名誉の負傷として自慢しており、家族からもよくやったと褒められたとか。
次に光輝。あの後しばし雫と一緒にいたのだが、探しに来た先生に見つかって仲良く大目玉を食らった。家にも授業をサボったことで連絡が行ったが、事を把握した母からはよくやったと大いに褒められ、父もそのことで叱ることはなかった。だが残念ながら彼の場合はそれだけで終わりではなかった。
「ねぇ、光輝くん。その、お父さんやおじいちゃんにらんぼうされなかった?」
「だ、だいじょうぶだよ。あ、あはは……」
勢いに任せて雫の唇を奪ったことがよりによって雫本人から家族に伝わったため、恐ろしい目に遭ったのである。まず師範である鷲三、師範代の虎一から向けられる眼光が二段ほど鋭くなった。幼少から雫を見守っていた門下生も親の仇でも見るかの如くギラギラした目つきを向けてきたのである。隙あらば容赦のない鋭い一撃も叩き込んでくるようになり、しばらくはそれを捌くのに必死になった。今でも何かの拍子に大人の門下生が大人げなく挑んできたりするが。
実は雫の唇を奪ったことは恥ずかしくて言わなかったため、道場から帰った光輝の様子がおかしいことに美耶が気づき、八重樫道場の奴らが何かしたかとキレて門下生の大半を血祭にしたこともあった。事情を知った後は大人げない八重樫家の面々と門下生にため息を吐きつつも、『当たり前だ』と彼の頭を小突いている。その後やるじゃないかと頭をわしわしと乱暴に撫でていた。
「そういえば授業はだいじょうぶかい、雫? よかったら俺が稽古の後で教えるよ」
「うん。授業の方はちゃんとついていけてるから」
「そうか。なら良かった」
そして最後に雫。あの騒動の後、保健室登校することになったのである。家族や見知った門下生、光輝などは問題ないのだが、知らない人に出くわすと緊張で体がこわばってしまうようになったのである。
三人のやったことの傷跡は決して浅くなく、当初はあまり顔を合わせたことのない先生であっても震えが止まらなかった。そのためしばらくの間は両親のどちらかと光輝が登校に付き添い、授業も光輝が一緒に受けることになったのである。とはいえこうしてひと月経った今となっては他の子と出くわすだけならそこまで酷くはならなくなった。
そして些細ではあるが、二人にとっては大きな変化があった。こうしてお互い、名前で呼び合うようになったのである。
あの時光輝に名前で呼ばれたことが忘れられず、恥ずかしさと拒絶された場合の恐怖で涙目になった雫からお願いされたからであった。
尤も、しばらくは一、二度呼んだだけで気恥ずかしくなって苗字で呼ぶことがしょっちゅうであったし、今も名前で呼ぶのは少しだけ緊張している。とはいえ光輝の方はそこまで躊躇せずに言えるようになっていたが。
「ねぇ、光輝くん」
「どうしたんだ、雫?」
「ありがとう。私のそばにいてくれて」
「ああ。俺の方こそ、ありがとう」
初夏の日差しに照らされながら二人は通学路を歩いていく――お姫様になれた少女は王子様になった少年と共に未来を夢見る。
……余談ではあるが、八重樫道場を『人殺しの集団』だのと罵った子のほほを何か鋭いものが掠めたり、光輝や雫に危害を加えようとしてきたら
一気に読者が離れるだろうなー、と思いながら書きました。反省も後悔もしていない。
あと勢いで書きなぐったので明日以降見直したらほぼ確実に作者は死ぬと思います。色々な意味で。
あ、ついでに言うと元々の案だとここで光輝は追いかけず、代わりに龍太郎が追いかけて『美女と野獣』√に入る予定でした。でも誰得なのかわからないし、作者も得はしない(納得はしてましたが)ので没となっています。ごめ龍part2